第6話 問題点は金がないくらい

 ヒモを飼っている。という感覚は、常識外れではあるだろう。

 ルーナだってそういうことはわかっていた。


 しかし、実際、飼っている、に近い。人というよりなんかペットみたいな、というともうどうなのだろうとルーナ自身でも思っていた。


 ルーナの家にいる自称ヒモは家事全般やって、めんどくさいこと言わない、時々甘やかして、困ったときには一緒に困ってくれる男である。

 その上、べらぼうに顔がいい。初対面で顔のいい男と覚えられるくらいに顔がいい。

 時々、お小遣いも上げるが、それでルーナの好物を買ってきて一緒に食べようとまで言う。とある事情により、結婚などせずに仕事一筋に生きていこうと思っていたルーナにとっては大変都合の良い存在だ。

 ないものは金くらいだが、正直言って金がないなら私が稼げばいいじゃない、という領域にルーナは浸りつつある。


 いつまでもこの状態は続かないだろうと知っていながら、未練がましく何も言わない。そう言う状況だとルーナは理解している。


 もし、ルーナが貴族のご令嬢だったら即結婚を決めるが、残念ながら平民の娘である。一応、王宮勤めの役人ではあるが、爵位を持つほどではなく貴族の男を囲うにも問題がある。その妻になるというのも。


 ルーナは彼を昔から知っていた。というか、一方的に知っていた。もちろんルーナだけが知っていたのではなく、一時期、王宮勤めなら知らない人はいないというほどの知名度を誇った。

 所属していた近衛の隊長以下10名ほどを血祭りにあげた事件で、だ。

 何が原因でという話は緘口令がしかれているが、漏れ聞いたことによれば姉たちに対する暴言が原因であったらしい。

 連れてきたら可愛がってやるよ系統らしく、ブチ切れた彼が才能をいかんなく発揮してということらしい。

 ことの是非はともかく、怖い男ではある。


「なぁに?」


 ルーナの視線に気がついてへにゃりと笑うイケメン。どこにも怖さもなく、愛嬌だけがあふれている。

 先週からお隣のお隣さんが体調が悪いらしく、お見舞いのアップルパイを焼くらしい。昼過ぎくらいには届けようかなと朝からリンゴを煮ていたので、部屋の中がリンゴのいい匂いがする。

 それにしても相手の得意料理を送るという神経の太さがすごい。


「ちゃんとルーナの分もあるよ」


「そこは心配してない」


「いっぱい食べたいよね」


 彼の機嫌よいのだが、ちょっと不穏ではある。姉二人が結婚して、平和と言ってはいたが、家の問題はどうなったのだろうか。ルーナはそのあたりの話は聞いていない。

 聞けば答えてくれるかもしれないが、それは今の状態の終了ともなりかねず軽く流すだけにとどめた。

 まあ、よくはないだろう。お互いのためにもおしまいのほうがいい。

 この一年何度か思ったことを考える。


 前もおしまいにせねばと思い追い出した。断腸の思いで切った。このままでは私駄目になると。

 なのに即日出戻ってきた。しかも居ついている。出ていく気配ゼロ。

 このまま、というのも、悪くはないが、ルーナとしては彼には彼なりに幸せになっていただきたいと思っている。

 そろそろいい加減に追い出さないとなとルーナは心の中で呟く。

 自分の立場に見合った可愛いお嫁さんをもらうべきである。


 今、彼はパイの下の生地を型にはめている作業をしている。難しいと言いたげに眉を寄せていた。

 貴族っぽさゼロ。最初からほとんどなかったが、もはや顔がいいだけの一般人。

 このままではいけない。


「いつまでいるの?」


「え? いちゃダメかな?」


「家に帰りなよ。当主しなきゃならんのでしょ?」


「あれ? 言ってなかったっけ。

 義兄が継いだ。だから、当主にはならない」


「……聞いてない」


「そうだっけ?」


 のんびりとそういうところが、ピンポイントに鈍い。

 彼にとってはその程度という扱いのようで、リンゴをパイ生地の上にのせている。入れすぎたかなと呟いて、まあ、多いほうがおいしいよねと一人納得している。


「じゃあ、結婚する?」


 するっと言ってしまってルーナ自身でもびっくりした。


「いまなんて?」


「なんでもない」


 彼の少し困ったような顔にルーナは少々傷つくような気がした。思い入れがあるのは自分のほうで、彼はそうでもないと突きつけられるようで。

 確かに出戻ってからなんか触れ合いすらなくなったので他に行く家を探すのが面倒と思っていたからいるのかもと考えたこともある。ただ、それ以外は以前と変わらなかった。

 良くも悪くも、適温のぬるま湯。抜け出すのは至難の業だった。


 同僚に男の一人も切れないなんてと驚愕されるほどにどっぷりつかっている。


「確認なんだけど。

 俺のこといやになったから出てけって言ったんだよね?」


「貴族のご子息がこんなとこでくすぶってるのもダメだろと追い出したんだけど」


 ルーナはいまさら嘘ついても仕方ないしなと事情を説明すると驚愕という表情で固まっている。


「……もしや、俺、愛されちゃってる!?」


「言い方っ!」


「もう嫌がられてるのに居ついてるから、大人しくしてたけど、違ったんだ」


 嬉しそうな表情にルーナは首を傾げた。そして、何かぞわっとした。

 そのまま近づいてくることに危機感を覚えルーナはなにか遠ざける口実はないかとあたりを見回す。


「アップルパイ。生地がだれるとダメと言ってたけど」


「……ちっ」


 そこから彼は無言で作業していた。迅速に片付けたいという意思がある。

 オーブンに速やかに連行されるアップルパイ。


 5分も時間を稼いでくれなかった。ルーナは恨めしそうにオーブンまで見送った。そろりと逃げようとしたら、どこいくの? と止められたのだ。


「さて、焼けるまで間があるよね。

 認識の齟齬があったから確認したいけど、俺のことが嫌なわけではない?」


「嫌いではないわね。

 私もそろそろいい年だし、周囲の結婚しろ圧力があるから便宜上、都合の良い夫が欲しい」


 ルーナは断られても傷つかない建前を用意した。これなら断りやすいだろうし。

 好きだから結婚してくれで断られたら、再起不能だ。彼もさすがに家を出ていくだろう。ルーナは出ていかないでくれと泣く女にはなれない。ただ、見送った後泣きはするだろう。それから年単位で引きずる。


「ヒモでも?」


「結婚した事実があればそれでいいよ」


「……まあ、そのうち、思い知ってもらえばいいか」


「はい?」


 なにを、思い知るんだろ? ルーナは首をかしげる。

 もしや浮気とかされちゃうんだろうか。ありえるな。今まではなかったけど、この顔のいい男が結婚したくらいでもてなくなるわけもない。

 そのくらいの心づもりはしておこう。


 彼はルーナがそんな決心をしているとは思ってもみないだろう。


「じゃ、結婚しよう。

 ヒモは廃業かな」


「働くの?」


「食堂で働かないかって言われてはいたんだよね。看板息子したらすぐにがっぽがっぽだぜって店長が」


「……それ、別の業種になってない?」


 いうならば、ホスト、みたいな。接客と確かに言えはするが、話をするのが仕事になりそうではある。

 ルーナの胡乱な視線を受けて彼は胸を張った。


「本命はルーナだけだよ」


「……うわぁ、信用できない」


「夫を信用しなさい」


「はいはい。仮の夫よろしくね」


 不満そうな彼が何か言うより先にオーブンからいい匂いがしてきた。


「焼けたみたいよ」


 不満顔のままオーブンからアップルパイを出している。そこまで機嫌の悪そうな顔は見たことがない。

 ルーナが逃げ腰なのがバレバレなのだろうか。逃げると追いかけたくなると言う心理が存在することをいまさらながら思い出した。

 彼は狩猟本能ある系だった。


「あとでおいしくたべようね」


 柔らかく優しい声にルーナはぞくりとした。なんか、まずい生き物を覚醒させてしまったような気がしている。

 今食べられちゃうのはもしかしたら。



 アップルパイがお隣のお隣さんに届けられたのは夕方になってのことだった。

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