第5話 包帯と仮面男とドジっ子美女のデート

 グースの顔には傷がある。火事で焼けたのだ。顔だけがひどい痕が残っている、ということになっている。

 体のほうは軽傷なのに顔だけと疑問に思うものもいたが、グースはなんでだろうねと笑うことにしていた。

 後妻に疎まれ、薬品をかけられてから火をつけられて、丸焼きにされそうになった、とは言えない。


 そのときに、助けるものがいなければグースはここにいないだろう。

 なんの間違いか美女な押しかけ婚約者もやってこないはずだ。


「うふふ。手を繋いで歩くなんて、どきどきしません?」


 ご機嫌に仮面男の横で笑う美女はヒルダという。今日、お見合いして、今日出かけている。

 え? どういうこと? とグースは今も疑問が消えない。

 手を繋いで、買い物と過ぎた願いだと思っていたのに彼女にとっては大したことではないらしい。手袋ですの? と不満そうですらあった。

 グースは手汗が気になりすぎるので手袋を外す気にはならない。ヒルダのほっそりとして美しい指が指に絡まるという時点で卒倒しそうだった。


「ねえ、旦那様?」


「まだ、婚約もしてない」


「しないんですの? こんな弄んで?」


「誤解されるような言い回しは控えてもらいたいというか弄ばれてるの俺では?」


「私は真剣交際を申し込んでいるのにのらりくらり避けられるというのは弄ばれています!」


 グースはこの美女がなんでこんなに迫ってくるのか全く分からない。

 ヒルダは有名な美女だ。良くも悪くも目立つ。口を開かねば完璧と言われる彼女は、確かにそうだと思わせるところがある。


 精緻に作られた絵画の中の美女のようなありえない美人。

 神々に愛されたようなという表現もそうかもなと思わせる麗しさ。


 を台無しにするようなすっとぼけた発言。

 あ、人間だった、と見る人に認識させるには重要なことだろう。黙って微笑むならば、人として扱えないような気がしている。


「きいてますぅ? みんな人の顔をぽかんと見て黙るんです。ダーリンもそうなんですか?」


「ダーリン……」


「婚約者ならいいですよね!」


「グースでいい。ほんと、やめて。周囲が白い目で見るから」


「わかりました。グース。名前呼びって親密そうですよね。いいことです」


 失敗したかもしれないとグースは後悔する。ヒルダは、拗ねたり、笑ったり、機嫌よさげだったりする。グースの隣に、しかも手をつなぐということに不快感は一切ない。

 グースは幼少期から仮面包帯男をしているので、こんな女性に会ったことがなかった。

 怯えるか気持ち悪そうに見られるか避けられるか。それは、男性でも同じだった。多少の怯えというのはいつもあった。

 付き合いがある程度あれば友人にはなれても心を許すようなことはできなかった。裏で気持ち悪いとか利用価値があるとか言われるのを知ってしまえば信用するのが怖くなる。


 グースにとっては初対面でここまで、ぐいぐいと近寄ってくる者は初めてである。

 一緒に歩いているだけで楽しいというような表情は嘘のようには見えなかった。お金と贅沢のためというのならば、いくらでも使ってつなぎ留めておこうとグースが考えていることは気がついているのかいないのか。

 彼女はグースに実家を買い上げて、両親を隠居させろと迫るような頭の良さと計算と社交は無理ですの、としょげて申告するところのギャップがある。


「どこにおかいものしますの?」


「へ?」


「歩いているのも楽しいですけど、お店はお決まりですか?」


「あ、ええと……急だったから」


 何も考えない。流されるように家から追い出されたような形だったから。使用人一同が頑張ってくださいとヒルダのほうに言っていたのが、納得がいかないし、任せてと言っていたのも……。


「では、服を見てきてもよいですか? お揃いとか素敵じゃないですか」


「ものすごい包囲網作ってない?」


 ヒルダは既成事実を積み上げてグースに逃げ場を用意する気がない。もとより、逃げる気もあまりないが。

 なんか、俺でいいの? という気持ちを持て余すと言うか、やっぱり、詐欺では? という気分もしている。


「優良物件な旦那様は確保します」


「損傷激しいと思うよ」


「私も訳アリですよ。

 不名誉称号、王太子を振った女」


 くすくすと笑いながら言う話ではない。グースが聞いた話によれば、王太子は愛人でもいいから囲われたいというほどのイケメンらしい。ヒルダとならつり合いが取れそうである。


「顔がいい人が好きなもんじゃない?」


「王族の方って同じような顔していて、ちょっと判別が……」


「まさか陛下もわかんないとか言わないよね?」


「陛下は素敵な口ひげとつややかで丸い頭がございますので大丈夫ですよ」


「本人に言ってないよね?」


「陛下の頭の形がとても良いと言ったことはあります。そうしたら、つるんとなりまして」


「あの事件の犯人ここにいたんだ」


「事件でしたの?」


「あれは、予想外で大変だった」


 グースは陛下の頭髪が薄いこととそれを気にしていたことを知っていた。毛生え薬を血眼になって探していたから。さらっさらの髪って薄くなりがちねと同情していたところもある。

 それがある日さっぱりと髪をそり落としてしまった。

 そこから、なぜか、空前のスキンヘッドブームがきた。グースだけでなく商人たちは頭用スキンケア用品をさがして奔走することになったのだ。


 国王陛下はこの美女に、頭の形を褒められたら、少し残っている頭髪にサヨナラしても惜しくないと思ったのだろう。当てつけでもなく、心底素敵だと思っていると思えば自己肯定感も上昇しそうである。


「……待って、帽子事件も?」


「陛下が冬は寒そうなので、毛糸の帽子を送らせていただいたことはあります。生誕祭でひっそりお送りしましたのに、気に入られたようで」


「……そー」


 おかげで、男性用帽子が空前の大流行をしたのだ。そこから、王家の男性の服装に注目されつつある。美容は女だけのものではないと認知された原因がこのヒルダである。

 本人は全く自覚がない。褒めたり、贈り物を用意しただけである。


「陛下の寵姫とかにならないの?」


「ほかの男の話ばかりですのね? 私はただの一臣下の娘ですよ。高位貴族のご令嬢ではあるまいし。そんなわけないじゃないですか。

 陛下はとても賢明で素敵な方です。妃殿下一筋、かっこいいのですよ」


「……そー」


 そんな言われ方をしてしまえば、誘いすらかけがたい。グースは陛下の苦笑いを想像してしまった。

 そこから妃殿下とお茶会をした話や贈り物をもらった話も聞いて、グースは苦笑いした。おそらく、王妃からのけん制があったのだ。それを総スルー。こいつ、本気でその気ねぇと妃殿下に判定され、逆に気に入られたのだろう。


 良くも悪くも色々やらかしてきている。

 恋人や愛人には良くても、妻には向いてない。縁談が決まらないのもわかるような気がしていた。


「さて、お店につきましてよ。

 張り切ってグースのお洋服選びますわ」


「は? 俺?」


「残念ですけど、私、似合わない服がございませんの」


 しょんぼりとした顔でそんなことをヒルダは申告した。


 ヒルダが店に入ってすぐに店員たちは気がつき、歓迎していたようだった。グースに気がつくまでは。

 怯えたような、何か異物を見つけたような視線にグースは少し顔をしかめた。仮面の下では誰かが気がつくこともないだろう。


 ここまで歩いてきたときにもそんな視線があったはずだが、気にならなかった。それはヒルダが隣にいたからだろう。


「ヒルダ様、今日はどのようなお召し物を用意いたしましょう」


「今日は旦那様のものを選びにきたの」


「旦那様、でございますか?」


 本当に? とでもいうような視線にグースのほうがいたたまれない気持ちになる。


「……いいよ。俺は外で待ってるから」


「素敵な服を選ぶ権利もございませんの!?」


「いや、その」


「そりゃあ、支払いは旦那様にお願いすることになりますけど、ダメですか?」


「…………一人で着替えるから、それでよければ」


「え、せっかくなのでお手伝いしますわ」


「君、やっぱり、時々野蛮だよね?」


「淑女に向かってひどいですわ」


 そういいながらもヒルダは本気では怒っていないようだった。この店の主のように店員に指示を出している。そうしてみるとちゃんとご令嬢のように見えた。


「こちらとこちら、どっちがっ!?」


 そういって上着を持ってきたのにヒルダは何もないところでつまずいた。

 あらー? と全く危機感のない悲鳴にグースは慌てた。やや距離が離れているので、倒れる前に助けることは普通なら無理だろう。


「ありがとうございます?」


 困惑したようなヒルダの声が腕の中からした。

 グースは無意識でしたことに頭が痛い。空間を飛ぶのはちょっとした特技ではあるが、人前であまりしたいことではない。


「怪我しないように気をつけて」


「転ぶのはいつものことなのです」


 厳かに宣言された。グースは続けて何か言おうとして、やめた。

 ヒルダが腕の中にいる。

 柔らかくていい匂いがして、うつくしいものが。

 無防備に身をゆだねて。


「は、はなれようかっ!」


「え? ああ、これはこれは。意外と良い体を」


「なんで君、そんな破廉恥なの」


「減りませんよ。すりすりしても。私のものですし」


「まだ、君のものじゃない」


「ふぅん? まだ、ですの」


 意味ありげに笑ってヒルダは離れた。やや顔が赤いので照れてはいるようではある。

 グースの仮面の下が真っ赤なのは気がついていそうではあった。身体接触なんて気絶しそうである。


「じゃあ、こちらに」


 グースは試着する服をヒルダに渡され、試着室まで背中を押される。


「のぞかないでよ?」


「ワカッテマスヨ」


「見たら、罰金」


「いけずぅ」


 そういいながらもヒルダは試着室から離れた。

 グースは服を脱ぎ、包帯ばかりの体に視線を向けた。これは怪我ではない。

 人ならざるものとの契約印を隠している。ツタ状の黒いものが体を這いずり回っているのだ。契約印自体はそれほど大きくはないが、移動するので人に見られたくなければこんな状態になるしかない。

 長袖の生活でもいいかと思うが意外と素肌が露出することはあったのでやめたのだ。


 グースと契約した悪魔とも天使ともそれ以外とも言われる彼らについてわかることは少ない。

 ただ、稀に人として暮らしたいというものがいる。そういう奇特なやつとグースは契約している。

 契約はそれほど強固なものではなく、約束のようなものだ。破ったらペナルティがあるが、グースのものはただ一つだけ。

 彼を雇用し、人として扱うこと。子供のころはさすがに義父にわがままを言って雇ってもらっていたが、今はグースが直接雇用している。

 グースの片腕と言われる人が人でないとは気がつくものはないだろう。今は不在でいないが。


 ヒルダを見ると騒ぎそうではある。彼はおまえはカラスかというほどにキラキラが好きなのだ。おお、我が金貨の山よと連ねるのが好きだ。使えよと言っても俺のと強欲である。


「きがえまして? 確認してよろしくて?」


 わくわくしたような声にグースは冷静にまだと答えた。

 なんで、こんなのにわくわくするのだ。グースはヒルダが着替えるほうが見たい。そう思う自分にグースはちょっと頭が痛い。

 朝起きたときにはこんなことになるとは思っていなかったのだ。


 姪からの依頼とはいえ、不愉快なことはあるだろうと。

 姪が面白おかしいやつと言っていたが、あの美人だろと。


 着替えて試着室より出るとヒルダは嬉しそうだった。

 次はヒルダの番だと言えば。


「私のは適当でいいんです」


 そういうヒルダだが、事情を聴くとなにを着ても似合ってる、美しいとしか言われないのでなにを着ても一緒かと思っているらしい。

 そんな、バカなという気持ちは店員たちと一緒だったらしく、グースは店員たちと本日のお出かけに一番良い服装を選ぶという任務に挑むことになった。


「あのぉ。ほんと、いいんですよ?」


 困惑したようなヒルダ。それを見て、なんだか、可愛いなとグースは思った。

 こちらはずっと困惑しっぱなしだったのだから、少しぐらいは困ったらいいだろう。


 それからほどなく、これから行こうとしている劇場観劇にふさわしくやや落ち着いた装いで現れたヒルダはどこか落ち着かないようだった。


「変じゃないですか?」


「……なるほど」


「なんですか?」


「似合うし、きれいだとしか言えない。そうか、語彙力が死ぬとかこれか……」


「なんですか、褒めてないですよね!?」


「褒めたいけど他の言葉が出てこないな。ちょっと語彙力を増やしてくるから待ってて」


「……わかりました。褒めちぎってくれる日を楽しみにしてます」


 機嫌を直したヒルダを連れて劇場へ向かうことになった。貸し馬車を呼んで、劇場に乗り付けた二人が社交界の噂になるのはもう少し先の話。

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