第4話 問い:長年の友人との結婚の可否について答えよ。前提として5歳から知っていること、10歳差があることとする。

 知らない間に、友人が結婚してた。

 その情報を別の友人から聞いた。


 その日は曇天だった。

 午後から雨でも降りそうで、洗濯物を取り込まないといけないとティエンは足早に研究室から自宅に向かっていた。


「え? おまえ、なんでここにいるの?」


 声をかけられたのはその途中だった。

 声の主は友人であり、同僚未満でもあるフレイだった。


「仕事だけど?」


「いや、だって結婚式じゃないか? 呼んでくれないなんてと思ってたのに、なんでここにいるわけ?」


「誰と誰の結婚式だって?」


「フレア嬢の。

 おまえが相手じゃないのか!?」


「僕は、まだ、求婚してない。何かの誤報じゃないのか?」


「いや、間違いない。フレア嬢は結婚する。その話聞いたの、半年も前。婚約したって、てっきり相手はお前だろうと確認しなかった」


「……は?」


「おまえに報告しなかったんだな」


 しみじみというフレア嬢らしいという友人の声が遠く聞こえる。

 そこから半日くらい記憶がない。友人の証言によれば、爆速でやっていたことを片付け、1週間休みますと宣言した、らしい。

 その翌日に、彼女の婚家の前に立っていた。




 結婚した友人。フレア嬢は、彼にとってはなんだかわからないイキモノだった。

 好き嫌いで言えば好きで、恋愛対象かといえば、おまえ、5歳の時から知ってんだぞと返すような関係。それが崩れたのは、1年ほど前のことだった。


「先輩って、仕事もできて、家のこともちゃんとしているのに、奥さん来ませんね」


 それだけでなく、恋人の一人も見たことありません。

 なんだその暴言と返答する前に。


「わたしは、好きで、結婚したいなっておもうんですけどね」


 何でもないように言われた。

 青天の霹靂とはこのようなことだと思った。


 なんと、彼女は、僕に対して恋愛感情があったのだ。ティエンは初めてそのことに気がついた。

 衝撃的すぎてそれに対して何と返答したのか彼は覚えていない。返答してないと言う可能性も捨てきれない。


 え? 小さかった、泣き虫だったあの子が、僕が好きで僕と結婚したい?? どういうこと? 頭の中をぐるぐるするものに、翻弄されること3日。さすがにティエンの周囲が心配しだした。


 フレイがティエンを捕まえて、何があったんだと問い詰められた。


「フレア嬢に結婚したいって言われたぁ? そりゃ、おめでとう? ってツラでもないな」


「僕は彼女を5歳から知っているし、10歳も年上だし、ええと13、4年来の友人だよ。

 なのに」


「というか、前々から、フレア嬢は好きだったと思うぞ」


「どこらへんの態度が?」


 ここ数年、全く変わらないと思っていた。

 しかし、ティエンが気がついていなかったことにフレイは気がついていたらしい。その衝撃に眩暈がしそうだ。


「小さいころからの知り合いといえど年頃になっても男の家に出入りしている時点でお察しだ」


「そうだったのか!」


 ティエンは気にも留めていなかった。彼は性別というもので何かを判断することもなかったのだ。言われてみれば、年の差はあってもティエンは男性で、フレアは女性だった。

 フレアは、承知していて出入りし、気がついていないであろうティエンを放置したのだろうか。

 全く分からない。

 3日前から、というよりそれ以前からフレアのことはよくわからない。

 飼い猫が、泣いている女の子を連れてきて、それ以来の仲なのだ。家族のようでもあり、友人のようであったが、なにかもっと違う。

 いうなれば相棒のように思っていたのだ。いつまでも、そこにいてくれる助手とかそういうもの。


 フレアが年頃の女の子という観点がティエンからは欠如していたのだ。そして、誰もそれを指摘してこなかった。


「……ほんとさ、そういうの鈍いを通り超えてんな。わかってて気がつかないふりでもやってんのかと思ってた。そのわりにちょいちょい独占欲あるし。

 悩みなさそうなツラしてるけど悩んでるかもなぁと思ってた俺のやさしさが空回り」


「悩みなさそうって」


「研究とか研究とか研究で頭いっぱいなの。

 まあ、いいんじゃね? フレア嬢のご実家は色々あるし、ちょうどいいから結婚したら?」


「貴族のご令嬢と結婚するには相応の身分がない」


 フレアが実家では不遇な扱いをされていることをティエンは知っている。しかし、それと貴族のご令嬢が平民に嫁ぐかというのは別問題だ。いくらなんでもそこらへんの男にくれてやりはしないだろう。彼らにとっては有用な駒であるのだから。


「くれるって時にもらっておけばよかったのに。買ったら? 時々売ってるよ」


「身分って売買できたっけ?」


「まあ、やり口は色々ある」


「定職もない」


「ああ、学生で通してんだっけ? 学院も外に出したくないからって無茶するよな。先生はしたくないって言う先輩も悪いけど」


「人に教えるほどではないと思うから断ったんだ」


「独自過ぎて人に教えるのには向いてないよな。それはそう。この機会にちゃんと人語で語れるようになったら?」


「考えておく。

 それよりも、問題がある」


「まだあんのかよ」


「今の彼女は19歳だが、僕は彼女を5歳から知ってる、それに10歳も上だ」


「それがなにか?」


「ロリコンって言われないか?」


「……ぉぅ」


「それに若い子には若い子がいいと説得する立場なのでは?」


 大人に求められるのはそういった対応のはずだ。

 ティエンがそう言えば、フレイは思い切りため息をついた。


「おまえ、な。好きな子に好きって言われた嬉しいとかでスルーすればいいんじゃね?」


「好きの種類が違うような?」


「根本的に、全くミリも自覚してなかったんだなぁ。すげぇ」


 フレイはぽんぽんとティエンの肩を叩いた。


「まあ、とりあえず、下準備したらどうだ。

 求婚できる立場があればいいだろ。結論はどうあれ」


「そうか?」


 首をひねりながらもティエンはそのまま学長室へ向かうことにした。とりあえずは職を何とかせねばならない。そこから先は、伝手とかコネとかを使えなくはないだろう。

 目的が決まれば、やるべきことも同じように決まる。


「そういえば、返事はさすがにしてるよな……」


 不幸なことにフレイの言葉はティエンには届かなかった。


 そうして、1年後。準備が終わって、本当にいいのだろうかと悩んでいる間に結婚されていた。

 痛恨のミスである。半数ほどが、え? おまえと結婚するんじゃないの? という反応。フレアの結婚相手を知っていたものもいたが、口止めされていたと冷ややかに対処された。

 と、手帳に書いてあった。記憶があやふやでもメモはちゃんと取っていたようだ。


 なんの策もなく、やってきたフレアの婚家。幸い門前払いとはならず、ただの来客としてフレアとは会えたが、少し困惑していたようだった。それも無理はないだろう。結婚後に、いまさら、勝手に結婚するなどひどいと詰るのだから。

 ティエンだって普通に話をしようと思ったのだ。

 しかし、顔を見たらなんか勝手に出てきてしまったのだ。


「フレア、君はちゃんと僕に結婚するっていう話をする機会がいくらでもあっただろう。それなのに何も言わず、祝いの言葉すら言わせず、いなくなるとは。僕たちの時間はなんだったんだ?

 だいたい、君は僕と結婚したいって言ってたのに。確かに君のような魅力的な女性を望むものは多いと思うが、一度くらい相手を紹介してくれてもいいじゃないか。君に見合う相手かくらいは見てもいいじゃないか。

 そもそも他の男と結婚なんて」


 心底嫌だったのだ。ティエンは自分で口にしてようやく認めることにした。

 この小さいころから知っていて、いつの間にか美しい女性に成長したフレアが好きなのだと。ほかの誰にも渡したくないくらいに。


 周囲からすれば、今頃!? と驚愕されるであろうが、ティエンは色々あって色恋とは遠ざかった生活をしていた。そういう情緒がポンコツである。

 そして、その自覚がなかったのだった。


「僕のお嫁さんになるって言ったのに」


「言いましたっけ? 記憶にないんですけど……」


 これはティエンの捏造である。小さいころも全くそんなことを言われたことはない。そのくらい、フレアも匂わせてこなかったのだ。あったのは一年前の一度きり。


 幸いというべきか、フレアはこの結婚には乗り気ではなかったらしい。相手に愛人もおり、事前にその話が通っていなかったので無効になるだろうと言っていた。婚姻は家同士の契約だ。嫁いだ者の子が後継者となるという文面が含まれていたので、初夜での相手のふるまいは完全に契約違反である。

 淡々と告げられることにティエンは憤りと安堵を覚えた。そして、それに苦い思いも。

 友人の幸せでなかった結婚を喜ぶなど人としてどうなのだろうか。


 フレアはそれを気にした風ではないが、彼女なりに傷ついているはずなのだ。たぶん。

 傷つく前に、ばかなの? といいだしそうではあったが。

 

 とにかく、婚姻は無効になるか離婚になるかという話ではあるので、さっさと進めるほうがいいだろう。あとの確約ももらったことだしとティエンはフレアと別れた。

 そのあとに愛人が乗り込んできて自発的に家を追い出された話を聞いたのはその夜のことだった。その翌日にフレアの実家に行ってみれば、両親ではなくその弟がいた。


 フレアに似てない弟とよく呼ばれていたし、確かに似ていない弟である。顔だけででなく中身も。


「あ、どうも。お兄さん。うちの姉がいつもお世話になってます」


 へらりと笑う美青年は色々な家を転々とするヒモである。人をダメにする優しいお兄さん、らしい。

 ティエンも被害者の一人に会ったことはあるが、なんでも、仕事で疲れて帰った家で、笑顔で迎えてくれて、仕事頑張ったねと褒めてくれて、おいしいごはんを用意してくれていて、部屋もそこそこ綺麗にしてくれて、大変だった日にはよしよししてくれると言う。

 俺は、道を踏み外すところだったと彼は言っていた。なぜ、女性ではないのだ、いや、女性じゃなくてもと思いつめて追い出したらしい。今までの礼だとお金も渡して。

 ティエンはそれって住み込み家政婦では? と思ったりもしたが。

 そんなヒモな弟はティエンに一枚の紙を押し付けた。


「拾っておいたので、姉に渡しておいてください。

 あと、姉さんを泣かせたら、承知しませんから」


「……わかった」


 このにこやかな青年にはもう一つの顔がある。王城に招かれ、近衛の一人としていたことがある。歴代最年少の12歳で。他を圧倒するほどの実力というわけではないが、それでも一流と言えるほどの実力を持つ美少年は、大人の思惑に翻弄された挙句に三年後にやめた。

 それからずっとふらふらしているとフレアは言っていた。困った弟と。


 ティエンは不幸なことにその顛末の追加部分を知っている。

 最後にぶっつりときたのは、姉に対する愚弄だった。それを言ったものたちを半殺しにし、今後、剣を握れないようそれぞれ一本ずつ指を落とした。

 理由はそれなりに酌量されるかもしれないが、無罪放免ともいかない事件だったが、なぜか、罪に問われることもなく今に至っている。

 事情通(フレイ)によれば情報収集能力が半端ない、らしい。人の弱みに付け込んで、脅迫する、ということはないが、おねだりするということはあるらしい。あの顔でねだられたらついうっかりということもあると訳知り顔で言っていた。


 そうなるとすれば、国王陛下でも落としたのかということではあるが……。

 ティエンは怖い想像を頭から払った。

 今は平和にヒモ生活を謳歌しているのならば、つつくこともない。


 フレアの弟から渡されたのは婚姻無効用の書類だった。すでに父親の名が書かれている。

 拾ってきた、というのは、盗んできた、と同義ではないだろうか。条件についてまとまっているとは思えない。長丁場はないようだが、その他条件が整わない可能性は高い。


「弁護士でも用意するか」


 ティエンも知り合いにいる。最近まで、ティエンが所有する権利の売却について依頼していたのだ。多少の融通はしてくれるだろう。

 そうして尋ねれば、専門外と追い払われそうになった。しかし、事情を説明するとすぐに弁護士はやる気になった。


「女泣かせるとか、そういう男に嫁がきて、なんで俺に来ないのっ!」


 だいぶ、私怨だった。爆速で追加書類を整え、フレアの実家に売り込みに行っていた。

 まあ、ティエンが積んだ報酬のおかげもあるかもしれない。

 あくまで私どもは裏方でと弁護士自体は表に出ず、フレアの両親に交渉させ、最終的に追い込んだ手腕はさすがというべきものだった。

 困り切ったフレアの夫(仮)は出ていったフレアへの接触と説得を試みたが、全くなってなかった。


 まずは謝罪、それから心にもないかもしれないが君が大事なんだとか大切なんだとか口説き落とせばいいものを上から押さえつけるようにいう。

 そして、それで十分だと思っているあたりが敗因である。

 結果、フレアの口車に乗せられ、愛人との人生を選択し、婚姻は無事無効となった。


 人は自分の信じたいことを他人から言われると信じてしまうものなのです。

 いい笑顔のフレアはそんなことを言っていた。弟からの受け売りらしいが、詐欺師だろうか。ティエンは少しばかり、未来の弟が心配になった。


 それはともかく、ティエンは、無事未婚になったフレアに尋問されることになった。


 問い。

 本当に、すきですか?


 答え。

 とても好きなので結婚してください。

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