film00
「オンギャー!オンギャア!!」
映し出される映像は、出産直後の映像で赤子が生きるために必死に叫んでいるシーンから始まった。
そしてこの映像はここに来て初めて見た、音が聞こえなかった映像だとすぐに分かった。
「…この子の名前はヒナタ。いつも明るい場所にいて幸せに生きてくれますようにって意味を込めて」
母親らしき女性が慈しみに溢れた眼差しで赤子に話しかけ、微笑んでいる。
「ねぇヒナタ。いつも笑顔で幸せに生きていこうね」
どこかとても懐かしい声。忘れてしまっていたこの声。忘れたくなかったのに1番はじめに無くしてしまったこの声の記憶。
……俺の、ヒナタの母さんだ。世界でたった1人の。
その瞬間、今まで忘れていたものが蘇り、頭の中を激しく駆け回った。
「う……く……」
頭痛が酷い。心臓の音も映像の音より大きく感じる。口の中がとても酸っぱい。
視界もグルグル周り始め、頭の中に今までの苦しさが溢れてくる。
「大丈夫?――ぃ、――!」
心配そうに見下ろしてくるソウマがぼんやりと目に映り、あたりが真っ暗になった。
◇
俺の人生のレールが外れる瞬間はある日突然訪れた。
高校受験を目前の中学3年生にとって大事な時期。そんな時期に大切な家族を失った。
母さんの死因はマンションからの飛び降りだった。時刻は20時〜20時半の間。飛び降りる少し前に友人と電話していたらしく、切る前に「そろそろあの子が塾から帰ってくるからご飯作らないと」と言っていたらしい。
本来であれば俺が家にいたハズなのに……。
受験が近いからって塾で自習してから帰ろうなんて思わなければ今も母さんは生きていた、のに……。
母さんは元々うつ病でアルコール依存症だった。眠剤を飲まないと寝られないほどひどく、何度も1人で家を出て行っては警察のお世話になっていたし、何度も自殺してやると父と大喧嘩していたし、酔った勢いでこけて前歯が欠けていたこともあった。携帯も何台も壊していたし、ご飯もスーパーのお寿司とかだった。ここまで聞くと最低な親だって思うかもしれない。
それでも、俺にとっては最高の母さんだった。
ありふれた家庭とはかけ離れていたかもしれないけど、自分にとっては温かい家庭だった。
たまにしかお手製のご飯を食べれなかったけど、とても美味しかった。レシピくらい聞いておけばよかった。
あの日のことを思い出そうとすると全身が熱くなって心臓が飛び出しそうなくらい跳ね上がる。
父さんから連絡をもらって急いで病院に向かったこと。塾の帰りだったので病院まで自転車をかっ飛ばしながら、またいつもの軽い怪我だろうと思っていた。
真っ暗な病院の中、階段を駆け上がってついた部屋の周囲には何人もの警察官と医者がいた。
事情を話すと、部屋の中に入るように案内された。
部屋に入ると誰かがベットにいて、白い布が被せられていた。
その姿を見た時に頭の中がぐちゃぐちゃになったのを覚えている。
……して
姿が全て見えなくてもわかる。朝には生きていたハズなのに。すぐそばに置いてある心電図には0とだけ表示されている。
心臓の鼓動が全身に伝わるほど激しく脈打ち、どんどん目が熱くなってぼろぼろと涙が溢れた。
テレビのドッキリかなにかかもと疑ったが、現実はそこまで甘くはなかった。
……うして
母さんが亡くなった次の日には葬儀が執り行われた。
つらいでしょう。泣いてもいいのよ。
この歳で親がいなくなるなんて……
まだ若いのに、大変ねぇ。
こんな時期に亡くなるなんて、とてもしんどいでしょう。
葬儀の時に会った親戚らの憐れむような視線は生きた心地がしなかった。
全てが終わったあと、家に帰ると景色が灰色に見えた。空っぽな家。いつもなら「おかえり」という声が聞こえるのに、何も聞こえない。
いつも母さんがいたキッチンには丁寧にラップがされたチキンライスが置いてあった。
「こんなの食えるわけ…ない、じゃんか」
喉から何かが込み上げてつまる。後悔、だろうか。
「……っく…、なんで、なんでなんだよ……」
膝から崩れ落ち、床にひざまずいて咽び泣いた。
……どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして?
その日から自分の中で何かがなくなってしまったかのようにポッカリと穴が空いてしまった。
親が自殺したなんて誰にも打ち明けられるわけない。
言っても空気が悪くなるだけ……。
親の話なんて自分から言わなければ話題にあがらないだろう。
俺がこの
…………大丈夫。いつも通りの表情がつくれてる。
死んだのは母方の祖母で…今はもう大丈夫。
忌引き休みで映画をみててボロ泣きしたからこんなに目が腫れてる。
「これで大丈夫」
そう自分に言い聞かせ、顔を水で濯ぐ。
酷く腫れあがった目が水面に反射して見え、その顔はいつも通りの自分の顔だった。
◇
これまで恥の多い生涯を送って来た。
きっと俺を育ててくれた両親もこんなにひどい人生になるとは思ってもいなかっただろう。
ずっと自分は才能がある人間なんだと思っていた。
でも、いざ蓋を開けてみれば何にもなれなかった。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人という言葉があるが、どれも当てはまらなかった。
神童になれず、才子にもなれなかった自分には只の人すら雲の上の存在だった。
十五で初めて落ちて十八で再び落ちて二一でもずっと落ち続けている。
このまま落ち続けてマントルまで落ちてしまうのだろうか。そうしてきっと全て諦めて堕ちついてしまうんだろう。
俺は何をやっても中途半端で、これと言って自慢できるような能力や才能があるわけでもない。
ただ上の存在を羨み、努力することすら諦めてしまう人間だった。
「何がしたいか」と聞かれれば「何もしたくない」と答えるような人間だ。
それなのに人一倍に愛は求めるし、認めてほしいとずっと思っている。
……結局は中途半端。死にたいなら死ねばいいし、死にたくないなら努力して足掻かないといけない。
努力をせずに生きられる人間なんてほとんどいないのに、「何もしたくない」を言い訳に夢中で日々を浪費している。
「生きるのが苦しい」といつから思っていたんだろうか。
生まれた瞬間から?誰かに嫌われた時?受験に落ちた時?お祈りされる日々が続く時?いつのまにか夜に眠れなくなった時?
……全部違う。誰にも認められないんじゃないかって考えた時だった。人は1人では生きていけないから支え合って生きているのにどうして俺は自分で自分を支えて生きているのだろうと考えてしまった時だ。
あぁ、もう何も思い出したくない。この苦しみから解放されたい。誰でもいいから助けてくれよ……
◇
……温かくて寒い。ピタピタと水が滴る音が聞こえる。
生暖かいお湯に浸かりながらお湯が濃い赤に染まっていくのをただぼーっと見つめている。
「もう、いい。全部ダメだった」
結局何者にもなれなかった。
何者にもなれなかった自分に明日を迎える資格は、無い。
どんどん全身に力が入らなくなり、意識も朦朧としてきた。
「ど…こで、まちが、えた……んだろ」
何も見えなくなり、意識が飛んだ。
そして次に目が覚めるとあの部屋にいた。
これが俺の失くした、いや捨ててきた記憶の正体だった。
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