ミス・ハイヒール

@ramia294

 ミス・パーフェクト

 完璧な美。

 その言葉は、彼女のためにあると、誰もが考えた。


 ミス・パーフェクト。

 彼女が、その美しさが、その名で呼ばれる事に反対する者は、いなかった。


 彼女が産まれた時、病院のスタッフは全て、その南の海の底に眠るサンゴの色の頬に、心を奪われた。


 彼女が幼稚園の時、その北国の雪の様な透き通る白い肌を持つ少女の笑い声を聞こうと、長い行列が出来た。


 彼女が小学生の時、その高原の夜空の様な瞳に奪われた心の数が、星の数と競い合った。


 彼女が中学年の時、早くも交際申し込みを断る

定型文が出来た。


『私の美は、独占するものではなくてよ。それは私を選んでくれた美の女神に対する冒涜、罪になるわ。だから、特定の人は作れないの』


 他の人には、高慢な女と誤解されたそうな言葉だが、生まれた頃から人目を集め続けた彼女。

 自意識過剰とも、言い切れなかった。


 心まで美しく繊細な彼女は、その視線に、この時、既に少しずつ傷ついていたのだ。

 


 彼女が高校生の時、ミス・パーフェクトのためだけの盗撮防止法が、国会で成立。


 国会中継で、資料として映し出された彼女の姿を見た議員が、魂を抜かれた様に動けず、国会が2日間その機能を停止した。


 その後、政府は飢える国民を顧みず、武器開発を続ける国へ、非正規ルートでミス・パーフェクトの写真を十枚だけ流した。

 その国では、たった十枚の写真を巡り混乱を極め、ついには独裁が機能しなくなり、国家として成り立たなくなった。


 各企業は、ミス・パーフェクトをCMに使いたがったが、彼女は全て断った。

 他人の視線が、痛かったのだ。


 しかし、例外はあった。

 両親ともうひとつ、お隣の幼馴染の視線だけに、温もりを、感じた。


 テレビも雑誌もユーチューブにも姿を表さない彼女の姿をひと目見ようとする人が増えて、彼女の住む街の人口が膨れ上がり、その地価は都心よりも高騰。

 人口が、東京都よりも多くなったその街の地価に引きずられ、日本全体の地価が高騰。

 かつてのバブルを超える好景気となった。


 嬉しい悲鳴だと言っていた市長は、最近、本当に悲鳴を上げだした。


 高校生の彼女は、まさに美の女神。


 その日も何度目かの定型文を口にした彼女。


 その日最後は、俯きボソボソと話す男。

 化学者と名乗り、交際を申し込まず、彼自身が作ったハンドクリームを手渡された。


 ある日彼女は、自分の指に、が出来ていることを発見した。

 今まで何の手入れもしなくても究極の美を維持してきた彼女。

 ハンドクリームも使った事がなかったので、持っていなかった。



『ちょうど良いわ。たしかハンドクリームを貰ったはず』


 彼女は、ボソボソと喋る自称化学者に、貰ったハンドクリームを塗ってみた。

 そのハンドクリームは、とても良く効いた。


 あっという間には消えて、元の透明感のあるスベスベの指に戻った。


『よく効くわ。それとも私が若いからかしら?』


 以前よりも透明感が増したとも思える自分の手を見て彼女は、思った。


 翌日も手のツルツル感は、維持していた。

 いや、増していた。


 朝食を食べようと箸を持つと、手から滑り落ちて箸を掴めなかった。

 ツルツル過ぎる指には、指紋も無くなり、摩擦力が働かなかった。

 異常な事態にその日は家に籠もる。


 翌朝、透明感溢れる手の肌は、本当に透明になり、見えなくなっていた。

 今後、ささくれが出来ても、見える事は無いだろう。

 異常な事態は、しかし、対処方法も生み出した。

 手袋をはめる。

 手を下に向けると、スルッと落ちるが、上に向けていると、はめ続ける事が出来た。


 その次の日、またその次の日と、透明な部分は増えて行き、一週間後には、ミス・パーフェクトと讃えられた彼女の姿は誰にも見えなくなった。


 さらに数日後には、彼女が身に着けるものまで透明になった。

 彼女が、触れたものは、ゆっくりとその色を失くし透明になっていく。

 彼女から離れれば、その姿と色を取り戻す。

 彼女の存在を認識する事が、両親ですら、困難になった。

  

 声。

 彼女は声も美しかった。

 それだけが、まだこの世界にミス・パーフェクトが存在する証となった。


 姿を失った事を誰にも言えない彼女。

 母親が、運ぶ食事ですら、彼女の体内に取り込まれると、見えなくなった。


 二年が経った。

 世間からが、この世界がミス・パーフェクトを失ったというニュースが徐々に話題から消える頃。

 ある日、あの化学者が、俯きながら彼女の前に現れた。

 彼は、赤いハイヒールを彼女に手渡した。


 

 ミス・パーフェクトが、ハイヒールに足を入れる。

 赤いハイヒールは、消えなかった。

 そして彼女は、その姿を取り戻した。


 久しぶりのミス・パーフェクト。

 しかし、その姿はやつれていた。

 自慢の髪は、ボサボサになり、

 赤く柔らかだった唇はカサカサにひび割れ、

 手はささくれだらけ。


 以前の姿とは、遠い存在になっていた。


「どうして、私をこんな酷い目に?」


 彼女の問いかけに、化学者が答えた。


「注目を集め続けて、疲弊して傷付き続ける君の心を癒やしてあげたかったから」


 他人の視線から守られたこの二年間。

 彼女の姿はやつれていたが、心は元気になっていた。


 化学者は、彼女の前で初めて顔を上げた。


 それは、お隣に住む、温かい視線の持ち主だった。

 彼は彼女のためだけに、化学者になった。

 彼女の心を癒やす。

 それだけが彼の目的だった。

 彼の作ったハンドクリームは、彼女の手と共にささくれていた彼女の心を守った。


 それからしばらくして、ミス・パーフェクトは、再び人々の前にその姿を現した。

 以前のように、マスコミを極端に嫌う事のなくなった彼女は、どんな時も赤いハイヒールを履いていた。


 ミス・パーフェクトは、いつの間にかミス・ハイヒールとその呼び名を変えていた。


 温かい視線に守られた彼女には、笑顔が絶えなかった。

 そして、それは世界中の人々の心を癒やした。


        終わり



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