◇エピローグ 城の呪い

 魔王との関係が変わってからも、ミリセントの掃除は毎日続いていた。


 通路。使われてない客室。元画廊。撞球室。書庫。武器庫。一階と二階だけでなく、今は使われていない三階まで拭いて掃いて少しずつ磨き上げていく。


 ミリセントは魔王ほど読書家ではないし、体を動かすのも好きだ。だからミリセントにとってこれはもはや趣味の一環だった。


 毎日階段を一段ずつ丁寧に掃除しながら登り、壁をゴシゴシと擦っていく。


 新しい春が来たころ、ミリセントはついに城の一階から三階までの全てを掃除した。

 ヘドロ犬はたまに地下から上がってくるのでそこはたびたび掃除しなければならない場所であったけれど、ひとまずは全てをまわりきったという達成感に酔いしれた。


「魔王様! わたし、ついに全部まわりました!」


 モップを掲げて報告にいくと魔王も「すごいすごい」と喜んでくれた。


「何かお祝いでもするか?」


「そんな……大袈裟ですよ……それに……」


「……ん?」


 厳密には城の全てを掃除したわけではない。

 地下にはいっさい手をつけていなかった。


 ここまで来たならば、なんとかして全部掃除したい。してない場所がある状態でお祝いなんてできない。気になってしまう。


「魔王様、地下を掃除したいのでついてきてくれませんか」


 ミリセントの言葉に魔王は目を丸くした。


「いいけど、怖くないのか?」


「あなたがいればまったく」


 ミリセントは一度酷い目に遭って以来決して地下に近寄らないようにしていたが、魔王さえいれば妙な目にも遭うまい。ぜんぜん怖いだなんて思わない。


 ミリセントは魔王と共に手持ちのランプを持って一緒に地下へと降りた。


 日中だからだろうか。前に迷い込んだ時とは違い、雰囲気は依然薄暗くとも、そこまで陰鬱ではなかった。

 魔王も似たことを思ったのか、地下に降りてすぐにぽつりと言う。


「地下の雰囲気が少し変わってるかもしれない」


「今お昼だからじゃないですか?」


「いや……なんとなく邪悪な感じが薄れてる。ミリセントが上階を掃除してる影響かもな」


「えへへ、またまたぁ。ただの掃除ですよう」


 ミリセントは照れながら嬉しそうに笑う。


「いや、冗談ではなく、魔物の気配もかなり弱まっているよ」


 掃除の前にひと通り歩いて確認をする。

 使われていない牢や、貯蔵庫、そんなものがいくつかあった。暗く寂れていたけれど、以前のようにザワザワとした声なき声を聞くこともなかった。迷路のように急に地形が変わってしまうこともなかった。


「あら、この部屋は……?」


 突き当たりにあった扉には、扉と周辺の壁を覆う形で深緑の太い枝が脈のようにびっしりと張り付いていた。


「ああ、この部屋はな、昔から絶対に入ってはいけないと言って、父が強く封印していた」


 封印、ということは、開けられないのだろうか。


 しかし、ミリセントが手を伸ばすと枝は簡単にボロリと剥がれ落ちた。


「もう古くなってるみたいです……開けましょう」


「えぇ? やめておこう……たぶん蜘蛛の巣とかすごいぞ」


「だからそれを綺麗にお掃除するんです! そんな長いこと放置してたなら、絶対にすうぅごく汚れてますよ! 埃まみれです! 魔王様、開けていいですか」


 ミリセントはそう言って魔王の返事の前にまた手を伸ばす。ミチミチ、と音がして、張り付いていた枝はポロポロと砕けて剥がれ落ちていく。


 魔王は少し考える顔で自分も枝に触れたが、すぐに手を引っ込める。そうして不思議そうに首を捻っている。


 ある程度戸を塞いでいる枝を落とすと、ミリセントはドアノブに手をかけた。


「ミ、ミリセント……本当に入るのか?」


「入ります」


「うわ、待て。なんか危ないかもしれないから……」


 扉を開け、さっさと中に足を踏み入れようとしたミリセントを制して魔王が先に入る。


「ぎゃああああああ!」


 そして、即座に悲鳴を上げた。


「何があったんですか」


 ミリセントも魔王の陰から慎重に顔を覗かせる。

 あたりの床には枯葉がびっしり敷き詰まっている。そう広い部屋ではない。物もそうたくさんは置いてない。魔王の視線の先には豪奢な椅子が一脚だけ置かれていた。


 そしてそこには、白骨と化した死体が豪奢な服を身に纏ったまま座っていた。


 ミリセントも驚きで息を呑んだ。

 魔王は動揺してふらついた。ごん、と何かを蹴飛ばし、それに驚いてまた「ひえ」と悲鳴を上げている。


 ミリセントは魔王が蹴飛ばしたものを拾い上げた。


「うわ、得体の知れないものを……よく平気で触れるな」


 魔王がだいぶ引いていたが、ミリセントは手に取ったそれを見分する。


「あの、魔王様、これ……王冠……に見えます」


 持ち上げたそれは見るからに変色し、劣化してボロボロではあったが、それでも宝石が埋め込まれ、立派な造りであることはわかる。


 魔王が手を伸ばしてきたので渡す。


「この城はもともとは六百年ほど前にこの地域を治めていた王族の宮殿として作られている。だからこれは……もしかすると、父に乗っ取られる前にここにいた……王……?」


「まあ! ほんとにろくなことしない」


 好きな人の親だが石になってよかったと心から思う。

 ミリセントは死体の前まで行って王冠を被せた。


「お気の毒です……王様」


 その瞬間、眩い光が当たりを照らした。

 そして、がん、と頭を殴られたかのような強い衝撃に息を止める。


 ミリセントにはまるでそこにあるかのように見えた。


 生前の姿で王座に座る王と、傅く家臣たち。


 通路には騎士たちが立ち、伝令官が走りまわる。


 厨房では活気のある調理器具の音が響き、ご馳走が湯気を立てている。


 中庭には白い犬が駆けている。


 それは、かつてあった活気のある城内の風景だった。人々の息づかいまですぐそこに在るかのようだった。


 息を呑むような顔で目を見開いている魔王にも同じものが見えているのだろうか。


 ふっと気がついた時、そこは静かな城に戻っていた。


 気のせいだったのだろうか。

 けれど、先ほどの光景はまるで、ついさっきまでここにあったものを見ているような肌触りで、人々のざわめきまで聞こえてくるようだった。


 そうして、はっと王座に視線を戻すと、死体はさらさらと砂になり、崩れていく。その、砂のようなものはキラキラと輝いていた。


 一体なんだったのだろうか。魔王も少し困惑した顔をしている。


「……とりあえず、戻ろうか」


「はい」


 この部屋を掃除するにはもう少し準備も必要だ。

 ミリセントと魔王が上階に上がると、窓から光が射していた。眩しさに目を細める。


「なんだか、あたりが少し明るくなった気がします」


「ああ」


 今までも白昼と夜の区別はつく程度に明るさの差はあったが、眩しさが段違いだった。

 念入りに掃除をした直後のような、清涼な空気が流れていた。

 魔王があたりをきょろきょろと見まわして、ぽつりとこぼす。


「何か……浄化された気がする」


「まあ!」


「まぁ、じゃないよ……完全にこの城の呪いが解けた。君、実はものすごい才能持ってるんじゃないのか」


「これで何かできますか?」


「うーん、わからないけど、べつにできなくていいだろ」


「え?」


「特別な力なんてあってもなくても、君は君だ。でも、もし君が力を使って何かしたいのなら、それもゆっくり探していけばいい」


 通路には白くてふわふわした大型犬がいた。


「まあ、可愛らしい!」


「あ、そいつはよく地下から覗いてたやつだね」


「あの、ヘドロがベトベトで……汚れを撒き散らしてた……犬のようなあれですか?」


「もしかしたら昔、ここに住んでいた犬だったのかも。ついでに浄化されたんだろうね」


「魔王様! この子飼っていいですか?」


「うん。もはや犬ではないけど……害もなさそうだし、あとで使い魔の契約でもしよう」


「わたし、名前つけます」


 そう言ってミリセントは数秒犬を見つめる。


「……ペドロ!」


 犬があおん、と返事した。


「な、なぁ、まさかその名前の由来って……」


「おお、よしよし」


 モフモフの毛皮に顔を埋めたミリセントは夢中になって、ろくに聞こえていなかった。


 そうして、ハッと気がついて顔を上げる。

 魔王が嬉しそうに笑っていた。


 ほどほどに冷静で、そこそこ悲観的な魔王にはまだ伝えていないけれど、ミリセントが十年後、どうしたいのかはもう固く心に決まっている。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王様のカエルの花嫁 村田天 @murataten

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ