17.黒歴史悶絶枕叩き地獄


 ミリセントは朝からずっと緊張している。

 思いのほか魔王は落ち着いていた。というか、少しだけれど、どこか怒っているような顔だった。


「門を開けるよ。案内は使い魔にさせよう。喋らないがそれくらいならできる」


「は、はい」


 ミリセントはだいぶ緊張していた。手紙一枚であんなにも気持ちがあの頃に引き戻されてしまったのだ。実際に会ったら、また暗くて、何も希望が持てなかったあの頃に完全に戻ってしまうかもしれない。


 ミリセントの想像の中の義母はどんどん醜悪になっていた。心の底から会いたくない人と会わなければならない嫌悪感、緊張、恐怖、そんなものが入り混じり、脂汗が滲み、心臓が破裂しそうだった。


 しばらくすると、足音と共に二人が入ってきた気配があった。

 そして、挨拶をしている声が聞こえてくる。

 聞き慣れた声に、ぞわぞわと心が波立つ。内容はちっとも入ってこないのに動悸は増している。


 ミリセントは数秒目を瞑り、魔王の玉座の後ろに隠れていたが、勇気を出して顔を上げる。


 そして、見た。

 久しぶりに見た義母の姿は、家の外で見るとなんだか小さくて、くすんでいて、想像より色褪せて見えた。


 それどころか、どこか知らないヒトのようにも見えた。


 あ、大丈夫だ。

 ミリセントはそう感じて、少し心が落ち着いた。それに、ここには自分のことをきちんとヒトと思ってくれている魔王がいる。だから大丈夫だ。


 ミリセントは玉座の隣に立った。


「お久しぶりです。お義母さま。シャルロット」


 義母は露骨に顔色を変えた。


「……あなた! こんなところで何をしてるんです!」


 一方で義妹は驚いた顔をして言う。


「お姉さま……! 急にいなくなったから心配していたんですよ! 黙っていなくなるなんて!」


 シャルロットは相変わらずだ。

 想像通りだが、やはり義母のしたことは知らなかったようだ。ミリセントは呼吸を落ち着けて答える。


「呪いでカエルに変えられたから家を出たんです」


 シャルロットはさっと義母を睨んだ。

 その目に義母はたじろいだ顔をする。


「お母さま、何をしているんです! お姉さまは魔力が全くない可哀想な方なんですよ! それをカエルにして捨てるなんて……!」


「シャルロット、私はあなたのためを思って……」


「嘘です! お姉さまが目障りだったのはお母さまのほうでしょう! そんなことをしなくとも私は比べ様もなく備え持った魔力を持ってます。お姉さまは大切な家族です。きちんと連れて帰ってさしあげます」


 ミリセントはシャルロットが思ったより自分に執着をしていたことに戸惑った。もちろんそれは優しさや好意ではないが、明確な執着を感じる。


「わたしは魔王様と婚姻しました」


「な、なんの冗談です? 魔力がない人間が魔族と婚姻できるはずがないでしょう?」


 義母がまた顔色を変えた。憎悪と嫉妬が滲むここまでの瞳は見たことがない。


「お姉様、何か事情がおありになるのね。大丈夫ですわよ。一緒に帰りましょう」


「……シャルロット、あなただって、私がいないほうがいいんでしょう? 家族があそこまで差をつけられているのに、止めようともしなかったのだから」


 シャルロットはこともなげに答える。


「あら、魔力に差があれば扱いに差が出るのは当然のことです。それでも大事な家族の一員ですので、帰ってきてもいいと言ってあげてるんです」


 シャルロットはいつも、優越感と劣等感、執着心と支配欲が混じり合っている。彼女はミリセントが自分より下の存在として、常に自分の目の届くところで、不幸でいるのを確認していたいのだ。


 頬杖をついて黙っていた魔王がぽつりと口を開いた。


「潜在魔力はミリセントのほうが君たち親子よりずっとあるよ。それに、そんなのなかったとしても…………いい子だ」


 小さな声だったけれど、それを聞いた義母は一気にヒステリックな声を上げた。


「そ、そんな! 魔王様は騙されてらっしゃるんです! この子の母親も、男を騙くらかす悪い女でしたから! そもそもこんな魔力がない子が魔王様との婚姻なんて分不相応で許されませんよ!」


 義母はわかりやすい憎しみと嫉妬を向けてくる。


「魔王様、これはうちの娘ですから。婚姻はなかったことにさせていただきます。ミリセント、家に帰りますよ。これは命令です」


 ミリセントははっきり思った。

 ここは、あの狭い家ではないのに。

 この人たちはまだ、ミリセントを支配している気持ちでいる。


 少し前のミリセントなら、それを聞かねばならないと思っていたかもしれない。けれど、少しもそうは思わなかった。

 自分はいつの間にかもう、きちんと家を抜け出せていたのだ。ミリセントは何かがはっきりとふっきれたのを感じた。


「お義母さま……わたしは、あの家には二度と戻りません。あんなところに帰るくらいならのたれ死んだほうがマシです」


 ミリセントが決別の言葉を口にすると、魔王が満足したように頷いて、立ち上がった。


「ミリセント、俺はもう限界だ。もういい?」


 ミリセントはこくりと頷く。短い時間だったけれど、きっと、いくら話しても彼女たちと言葉は通じない。


「彼女はもう、一度殺された。ここにいるのは俺の妻だ。返す気はない」


 魔王は言い切ってミリセントに手を伸ばし、肩を抱き寄せた。

 ミリセントは時が止まったように感じられた。

 惚けたような顔のミリセントを見て、魔王が「どうかした?」と聞く。


「初めて……あなたから触れた」


 正確にはカエルの時だとか、ヒトの姿でも助けてもらった時なんかに触れられてはいた。

 けれど、今触れられたのはそれらとは明確に違う。“触れるために触れた“それだった。


 ミリセントは嬉しくて、義母と義妹がいる前なのに、そちらのほうに心を打たれていた。正直、もう義母も義妹もどうでもよくなってしまった。


 愛されなかったこと。ヒトとして扱われなかったこと。貴族の常識だとか。そんなことが頭を占めていたはずなのに、ミリセントは魔王に触れられた、その喜びで満ちていた。


 自分の生きる世界はもうはっきりと変わっている。ミリセントの世界を色鮮やかにしてくれるのはいつも魔王だった。

 興味も関心も生きる世界も、常識も、いつの間にかもう昔とはすっかり変わってしまっていた。


 ミリセントは胸をいっぱいにさせて魔王に身を寄せた。この人がいてくれてよかった。


 ふいに魔王が動いた。手のひらを二人に向ける。それから指をパチンと弾いた。

 ミリセントはびっくりして、身を離して義母と義妹を見た。

 ふたりは一瞬ほうけたような顔をしていたけれど、はっと気づいた顔をしてから顔を覆ってかん高い悲鳴を上げた。


 ミリセントは一体何が起こったのかわからず、魔王の腕にしがみついた。


 二人は恐ろしいものを見たかのように髪を振り乱し、顔を覆い、悲鳴を上げ続けている。魔王がうるさそうな顔をしてもう一度指を弾くとふたりは消えた。


「何をしたんですか」


「俺の得意技『黒歴史悶絶枕叩地獄』をかけて街の手前に帰した」


「何ですかそのひどい技名、どんな技なんですか」


 以前、魔族にはそれぞれ得意技があると聞いた。

 魔王の必殺技については知らなかった。どんなものなのだろう。

 ミリセントの質問に魔王は玉座に腰掛けて説明してくれた。


「歪んでいる感覚を矯正して、少し過敏にしただけだ」


「どういう意味ですか」


「たとえば連続殺人鬼は共感性が壊れているからヒトを殺しても生きてられる。罪悪感なく他人に非道なことができるんだよ。けど、もし、ある日連続殺人鬼が真っ当な心で罪を自覚したら……どうなると思う?」


「え……? 善人になりますか」


 魔王は首を横に振った。


「まぁ、そうと言えるかもしれない。だが、そこまで単純じゃない。共感性というのは難しいもので、あまりに強ければ肉を食べることもできなくなるし、遠くの国の戦争にも病んでしまう。壊れた状態を突然是正されたら、してきたことによっては罪悪感から生きてられないこともある」


「じゃあ……さっきの悲鳴は……」


「人が己が過去にした恥ずかしい言動、しでかしたひどい罪、自己を無理やり客観的に見せられた時……夜中に枕を叩いて悶絶する……あれの百倍くらいの自責の念に襲われていた」


 善人どころか根暗になりそうだ。この魔王は、人を根暗にする魔術を使えたのか。


「魔王様らしい必殺技ですね……」


「どういう意味だ」


 魔王がじっとりした目で見てくるので笑った。


「君の義妹はおそらく抱える未熟さと偏った教育で歪んでいただけだから、これから変われる余地はあるかもしれない。ただ、君の義母は何か強い妄念に取り憑かれているね。今まで何をしてきているのかは知らないが……なかなかに業が深かったから、どうなるのかはわからない」


「業が……」


 今思えば義母の周りには過去に不審な死もあった。義母の前にいた、父の再婚相手の候補がそれだった。そのことに気づいてぞっとした。


 けれど、あの二人が今後どうなるのかなんて、ミリセントが知ったことではない。もう家族のことも、今までの自分も、全て忘れる。


 魔王が言った通り、ミリセントは一度死んだのだから。


「魔王様は本当に魔王様だったんですね……世界征服とかもできそう」


「いや、もともと父が教えたのはヒトを魔族の側につけるための洗脳だったんだが……何度教えられても俺はそれを言われた通りに発動できず……俺が使うとこんな効果の技になってしまう。よく叱られて、逆さ吊りにされてたな」


「はぁ……」


「それに、罪を自覚したからといってべつに、真人間になるわけじゃない。ただ苦しみ続けるだけだ」


「そうなんですか……」


「そう。結局、本当にヒトを変えられるのは、そのヒト自身しかないんだよ」


「……わかる気がします」


 魔王がミリセントに家族を会わせたのも結局そういうことなのだろう。ミリセントが変わるためには、ミリセントが家族と対峙して、それを断ち切らなければ意味がなかった。


「こんな技、魔族としてはまるで役に立たない。かといってヒトの役に立つわけでもない。結局俺は一体なんなんだろうと思うことがある……」


 魔王がまたくよくよと悩んでいる。

 そうか。


 きっとこの人も自分の存在価値にずっと悩んできたのかもしれない。


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