16.ミリセントが落ち込んだ日


 フーミュルが見る限り、ミリセントは毎日朝早く起きて城の掃除をしている。

 ついでにドッペルから手紙を受け取ることもあった。さらにそのついでにフーミュルを起こしてきたりする。


 けれど、その日のミリセントは様子が少しおかしかった。


 昼過ぎに控えめなノックが聞こえて、開けると扉から少し離れた場所でウロウロしていた。


「な、なにをしてんの?」


「あっ、あの、その……またたくさんお手紙が届いていて……」


「またか」


 フーミュルはゲンナリした顔で手紙の束を受け取る。そうして不思議に思う。手紙の束を、ミリセントが異様なまでにじっと見つめていたからだ。


「……どうかした?」


「いえ……」


 フーミュルはミリセントの顔を覗き込む。

 どこか元気がなかった。体の調子でも悪いんだろうか。心配だ。何かもっと栄養をとらせたほうがいいかもしれない。魔族はヒトほど食事を必要としないし、フーミュルは特別肉を好まないが、ミリセントにはもっと力のつくものを用意したほうがいいかもしれない。


 あれこれ想いを巡らせていると、ミリセントが思い切ったように顔を上げた。


「あの、これ……なんですけど」


 ミリセントは一番上にある手紙を指して言う。その手は少し震えていた。


「わたしの家なんです」


「えっ」


 手紙の中に、ミリセントの家があったという。

 フーミュルは驚いて手紙を開封した。もしかしてミリセントがここにいることに気づいた家族が取り戻そうとしているのかもしれないと焦ったのだ。そうしてざっと一読して息を吐く。


「なんだ。縁談の申し込みだ」


 中身はよくある縁談の申し込みだった。ミリセントの義母のカーラが義妹のシャルロットを嫁にとフーミュルに婚姻を申し込んだらしい。


 フーミュルはいくらか安堵してミリセントを見た。


「そう……だと思いました」


「あ……」


 もしかして、ミリセントは家族の迎えを期待していたかもしれない。だとしたら安心するのは無神経だった。


「悪い……もしかして連絡したい?」


「いえ! 嫌です!」


 ミリセントはすぐにきっぱりと言った。


「わたしは、母と妹とは血のつながりはありません……。父の後妻と連れ子なんです」


 その顔には強い嫌悪が覗いていた。それを見て、いたましく思うと同時にミリセントが家族との関わりを望んでいないことがわかる。


「それなら……いつも通り放置でいいかな」


 フーミュルはどの縁談も受けるつもりがない。わざわざ訪ねてくる一部を除けば返事もろくにしていない状況だった。


「はい。もちろんです。その、だからといって……どうというお話ではないんですけど……」


 ミリセントもそこはわかっていたようで、そう言ったきり黙り込んだ。

 フーミュルは小さな衝動にかられ、その手紙を破った。それから指を弾いて燃やす。


 ミリセントは目を丸くしてそれを見ていた。


「気にしない気にしない。忘れよう」


 フーミュルがよくわからないなりに慰めを言うと、ミリセントは小さく笑った。


「はい。気にしてません」


 そう言ってミリセントは部屋を出ていった。


 実際問題多くの貴族がさほど返事を期待せずに縁談を申し込んできている。だからミリセントが連絡を取ろうと思わないならば大したことではないし、この話はここで終わってもいいはずだった。


 しかしそれから、いつも明るかったミリセントは目に見えて塞ぎ込むようになってしまった。


 それはそれはわかりやすく、覇気がなかった。

 毎日ミリセントが磨き上げることでなんとか清潔さを保っていた城はあっという間に通りすがりのヘドロ犬が撒き散らすヘドロで汚れたし、夕食のスープがただの白湯だったこともあった。


 城が汚れようが、食事が貧しくなろうが、ミリセントが来る前はこんなものだった。だからべつに困ることはない。ただ、心配になった。


 ミリセントはついに部屋に篭ってろくに出てこなくなった。


 フーミュルは心配になって扉の前に焼き菓子を置いた。次に出た時にはなくなっているので食べてはいるらしい。


 そうして過ごすこと四日目に、ミリセントが部屋から出る気配があった。


 ずっとそわそわと心配していたフーミュルは追いかけるように部屋を出て姿を捜した。


 ミリセントは中庭にぼんやりと座り、風に吹かれていた。

 フーミュルがそっと近づくとミリセントは顔を上げてくれたが、すぐに力なくうつむいた。その目にはいつもの光がない。


「お菓子……ありがとうございました」


「まだ、落ち込んでる?」


「いえ、すぐに……元通りに……モトドーリ……」


 ミリセントは自分の言葉に引っかかったようにそれを繰り返す。


「大丈夫です。げんきはつらつ」


 ミリセントは真顔で言ってのけた。


「いや、ぜんぜん大丈夫に見えない!」


 ミリセントは愛想笑いを浮かべようとして、失敗したようにまたうつむいた。


 フーミュルは普段なら、他人の私生活に踏み込むようなことはわざわざ聞かない。けれど、このままにはしておけなかった。


 フーミュルはゆっくりと慎重に言葉を吐いた。


「もしかして……君の呪いは……家族の誰かにかけられた?」


 ミリセントは目を見開いた。フーミュルをじっと見てから俯き、小さく頷く。


「この間の、貴族の親子がいたでしょう?」


「ああ……呆れて帰っていったあの」


「魔王様もご存じかと思いますが、あれが、今のだいたいの貴族の家の価値観なんです。わたしの家もそう……いえ、父が亡くなってからそうなりました」


「ああ……」


 フーミュルは眉根を寄せた。


 あの貴族の親子は今の貴族の典型だった。権力や名声と結びつく『魔力』というものに囚われすぎている。けれど、それは狭い貴族の間でしか通用しない通貨のようなものだ。そこだけにしかない、狭い範囲の常識。フーミュルにとってはくだらない価値観だ。

 しかし、魔力ゼロと言われていたミリセントが血のつながらない家族しかいない家庭でどんな扱いをされていたかは想像に難くない。


「わたし……あの家にいた時……いつも、なんのために生きているんだろうって……思ってました。何も持ってなくて……生きる価値がないって……」


「そんなこと……」


「いいんです。自分がどんな存在だったか、急に思い出してしまいました。わたしは貴族社会から逃げていただけで、今も何も変わってません……わたしは、結局どこにいても、誰かの邪魔になってしまう無価値な存在だということを思い出したんです……」


 いつも明るかったのに。どこか抑揚なく、淡々とした無表情で話すミリセントの顔を見ていたら苦しくなった。


「魔王様……優しくしてくれて、ありがとうございます。わたし……ずっと、ここを出なければとは思っているんです……わたしがいたら、ひとりで暮らしたい魔王様の邪魔になるから。でも、なかなか出れなくて、ごめんなさい」


「俺は邪魔なんて思ってない。ここを出ることはまだ考えなくていい。ここは、そんなに居心地がいいとはいえないだろうけど……雨風は凌げるし、少なくとも焦って出たりする必要なんてない」


「魔王様が気遣いでそう言ってくれるのは嬉しいんですが……ずっと、心苦しくて……」


 きっと、家からの書簡でいろんなことを思い出してしまったのだろう。フーミュルがいくらここにいればいいと言っても、ミリセントは気遣いだと思ってしまう。彼女は貴族社会の狭い価値観のせいで、自分という存在の自信をすっかりなくしてしまっているように見えた。


「それに……今は現実から逃げているけれど、本来わたしのいるべき場所はあそこで、たとえ殺されるとしても、いつかは……あの家に戻らなければならないんだって、やっぱりそうも思っていて……」


 フーミュルはびっくりして目を見張った。

 それは、緩やかな自死の宣言にも聞こえたからだ。


「なぜ?」


「それが常識だから。そういうものだからです……それが、本来のあるべき形です。人に……あなたに迷惑をかけてまで逃げ続けるのは、やっぱり、間違いなのではと……」


「それは、すべきじゃない」


 フーミュルはきっぱりと言った。

 いつかミリセントをがここを出ていくのだとしても、それは家に帰ることと同義ではない。家になんて帰しちゃいけない。それだけは、はっきりと思っている。


 ミリセントを家族から、馬鹿みたいな貴族の常識から解放したい。そこまでいかなくとも、せめて、家とは決別させたい。


 けれど無関係な他種族であるフーミュルにできることなどやはりなかった。今フーミュルがミリセントに何を言っても気休めにしかならない気がする。

 ミリセントの呪縛は、ミリセント自身が解きたいと思ってくれないときっと解けない。


 そう思ったとき、フーミュルはひとつの提案を口にした。


「君のご家族をここに呼ぼう」


「え?」


 そう言った時、ミリセントは明らかに怯えた顔をした。いつも明るいのに、こんな顔にさせてしまう家族に、ふつふつと怒りが湧いた。


「な、なぜですか?」


「追い返してほしい」


「…………え」


「俺の縁談を壊すのは、君の役割だろ?」


 フーミュルの意図が正しく伝わったのかはわからない。けれど、ミリセントはずいぶん長いこと考えていた。


 二人の間の時間は止まってしまったかのようだったけれど、緊張の糸は張り詰めていた。


 どれくらいそうしていたのか、ミリセントがゆっくりと頷いた。


「はい。お願いします」


 ミリセントの瞳に、わずかに光が射していた。




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