15.小さな決断の日


 床の汚れを注視していて、ふと顔を上げると、目の前に悪魔ぜんとした男がいた。ミリセントの目の前で目を細めて笑う。


「掃除してんのー? えらいえらい」


「ラレイルさん」


 ラレイルはちょくちょく城に来ている。

 仕事の合間に来ているのか、ぱっとそこにいたと思ったらいつの間にかいなくなったりもする。そうして、来るたびにいろんなことを教えてくれる。


「ミリセントの魔力はさぁ、やっぱ『聖』の属性だよねえ」


「そう、なんですか?」


 ミリセントには細かいことはよくわからない。ただ、魔力には属性があって、それにも貴族たちは序列をつけていることだけは知っている。ラレイルの言った『聖』の属性はそこそこ珍重されているが、やはりそれなりに量がなければさほどもてはやされるようなものではない。


「聖の属性というのは、本来は呪いを解いたり、穢れを払ったりというのに向いているんだよ〜」


「でもわたし、相変わらずカエルになったり、戻ったりしかできませんけど」


「聖属性の魔力に姿のへんげというのはあまり聞かないからそれは呪いの副産物だろうねぇ。君は体質的には呪いには強いはずなんだよ。すぐにカエルの姿でしゃべれるようになったんでしょお?」


「それもその影響なんですか」


「まぁ、最初は婚姻契約によるフーミュルの魔力の干渉の衝撃で戻ったのかもだけどぉ、放っておいてもミリセントなら戻れてたと思うよ」


「そうだったんですか……」


「それに、君が来てから城が少しずつ明るくなっているんじゃない? オレはたまにしかこないからよくわかるんだけど……少し汚れにくくなってるというか、そんな感覚はない?」


 正直、そんな感覚はなかった。城はまだまだ禍々しい。


「それは、毎日掃除してるからでは」


「まぁ、実際そうなんだろぉけど。ちょいと違うわけよ〜」


 でも、掃除は本来必要がなくて、ミリセントの暇つぶしでやっているようなものだ。それに対してお給料までもらっているのは逆に世話を増やしている。


「あの、ラレイルさん、何かわたしが……魔王様のお役に立てることってないでしょうか?」


「え?」


「わたし、本当は使用人は必要ないのにご厚意で置いていただいてるんです。ドッペルにできないことで何か……」


「え? そんなん必要なくなぁい? 妻なんだから」


「それは契約上のもので……うっかりしたものじゃないですか。魔王様の意思とは無関係で……なりゆきで置いてもらっているのですから」


「勝手に連れてきて契約したのはフーミュルなんだし、ミリセントは被害者なんだから居座ってもいいっしょ」


「いえ……それは逆に助けられましたし……最近は出ていくための計画もまったく進められてませんし……申し訳なくて」


「まーじめー。んでもさぁ、可愛い女の子ができることなんてさぁ、いっこしかなくない?」


「え? なんですか?」


「………………ああー」


 ラレイルはなんともいえない顔で息を吐いた。


「まぁ、相手はフーミュルだしねぇ。あいつ特殊だから、放っておいてやるのが一番でしょ。ほかに行けそうなとこあったら出てってやるのが一番じゃない?」


「やっぱりそうなんですよね……でも、わたしにはほかに頼れる場所もなくて……」


 こんなことになって頼れるのが長年暮らした家族ではなく、最近会った魔族しかいないのは皮肉だった。

 人嫌いの魔王のことは言えない。ミリセントももっと幼い頃に知り合いや友達を作っておけばよかったかもしれない。とはいえ女子は学校に行かないし、知り合える親戚は例外なく魔力にとらわれていたので、やはり自分を守ってくれるのは実の両親以外はいなかっただろうという諦観も抱いていた。

 結局、人間とは違う価値観を持ち、そんなものに囚われない魔族の世話になっているのだから皮肉なものだ。


「うーん、フーミュルはさぁ、魔族の中でもものっそ変異種なんだよねぇ」


 ラレイルは首を傾げるミリセントに説明するように言う。


「これは伝説レベルの話だけどぉ、太古、魔族は人間の悪意から生まれたんだよ」


「え? そんな話があるんですか?」


「うん。けーどさぁ、悪ってものはそこまで単純じゃないんだよねぇ。たった一人の人間を救うために百人殺すこともあるし、愛があるからこそ殺してしまうこともあるわけぇ。悪意の中にも善性が混じり合い、それが煮凝りのように混ざり合っている。だから俺たち魔族も完全な悪じゃないってわけ」


「はぁ」


「それでさ、たまにいるんだよ。善性の煮凝り部分だけに偏って生まれちゃうような奴が」


「あ、それが魔王様ですか?」


「いやいや、そういう説もあるってだけだしぃ。そもそもフーミュルは善性の塊とはいえないしね。どっちかっていうと陰気さの煮凝りだし。でもまぁそーいう感じでミンナ個性的なわけよ」


「確かに……魔王様はわたしの思う魔族とは違ってたので……少し納得しました」


「あははーやっぱミリセントもそう思う? 変わり者だよねぇ」


 ケラケラ笑うラレイルの顔に、魔王への好意を感じとり、ミリセントも「ふふ」と小さく微笑んだ。




   ***




 城のどこかにラレイルが来ている。あの無駄に陽気な魔力。間違いない。

 フーミュルは薄く目を開けた。すぐにとび起きてそこへ向かう。魔族というのは目を離すと本当にろくなことをしないのだ。


 ラレイルはエントランスの二階階段で掃除道具を手に持ったミリセントと談笑していた。

 ミリセントは思いのほか楽しそうにラレイルと話をしている。それが少しだけショックだった。


 ラレイルがフーミュルに気がついて大きく手を振ってくる。それを見たミリセントも一緒になって振っていた。同じ仕草なのに片方は忌々しくて片方は愛らしい。


「何してたの」


「何ってー、おしゃべり?」


「おしゃべりです!」


 なんとなく二人の息が合っていて面白くない。


「そうそう。オレが見た感じミリセントの潜在魔力量はヒトとしちゃそれなりにあるよ。ただ、発露が気まぐれっていうかぁ、不安定というか……まぁ、このままだとほとんど出てこないよね」


「まあ、そうだろうと思ってた……」


 魔力についてはフーミュルがなんとなく感じていたものとだいたい同じようだ。


「たまぁにいるんだよね、中身が器の出口よりデカすぎてつっかえてるみたいな……そんで気づかず一生を終えるタイプのヒト。特に聖の属性は使用者の心が日頃穏やかでないと発露しにくいし、まぁ、相性の悪い環境にいたんだろうね」


「もう少し発露を促すにはどうしたらいい?」


「えー? 知らないよ。まぁ、魔力の排出口が繊細で不安定なんだろうから、なんつうか、心穏やかにぃ? 教会の類とかは相性良さそうだけど、オレは大嫌いだから知り合い皆無だし紹介はできないよ」


「教会なんて……二度と連れていかない」


「ん? なんかあったん?」


「べつに……ただ、ちゃんとしたとこでないと」


「んで、どおすんの?」


「それは……考えていて……」


 ラレイルがにんまりと笑って、手を打った。


「あー! そおだぁ! オレがミリセントを引き取るのはどう?」


「え?」


 突然思ってもなかったことを言われ、フーミュルは思わず動きを止めた。


「だ、ダメだろ!」


「オレは腐れ魔族だけどさぁ、べつに女の子に困ってないしぃ、少なくともフーミュルと婚姻契約してる間は悪いことはできないじゃん? そしたらなーんも問題なくない?」


「……でも、なんで?」


 ラレイルは平然と答える。


「え〜? なんでって、フーミュルは独りが大好きでしょ? オレは可愛い女の子大好きだしぃ? 寿命が伸びちゃった子ならオレが預かったほうがよくない? なんか問題あんの?」


 ミリセントをどうしてもフーミュルの城に置いておく必要性はそこまでなかった。


 もちろんミリセントの意思はあるが、彼女からしたら魔王のところからまた別の魔族のところに居場所が変わったとてあまり違いはないかもしれない。そして見る限り、ミリセントはそこそこ楽しそうにしている。


 昔からそうだ。大抵の女の子は……いや、大抵の生きものは自分といるよりラレイルといるほうが楽しいのだ。

 フーミュルはラレイルがミリセントを連れて出ていくことを想像した。

 きっと、フーミュルはあまりにあっけなく、元の生活に戻れるだろう。


 けれど、なんだか釈然としない。胸のあたりが小さくズキズキした。そうこうしているうちに、ラレイルがミリセントの顔を覗き込む。


「ミリセントはどぉ? オレんとこ来ない?」


「嫌です」


 ミリセントは間髪入れずにはっきりと即答した。


「え?」


 フーミュルは思わずぱっとミリセントを見た。


「あ……」


 ミリセントは決まり悪そうにうつむいた。


 フーミュルは口を開け、ぽかんとした顔でミリセントを見ていた。


 ミリセントはうつむいたまま自分のスカートをぎゅっと握っている。

 それからおそるおそる顔を上げ、縋るような目でフーミュルを見てくる。


 脳裏になぜだかあの日の銀の槍がよぎった。


 あの槍は、結局どうなったんだっけ。なぜ今思い出すんだろう。一瞬だけ混乱して頭が真っ白になった。


 フーミュルはほとんど思考停止したまま口を開く。


「ラ、ラレイル……」


「うん?」


「……俺たち、もう契約はしてしまった」


 ボソボソと言う。口がカラカラに渇いていた。


「だーからぁ? 間違いで契約しただけで、べつに友達でも恋人でもなんでもないんでしょお?」


 もうミリセントの顔は見られなかったが、それでもさっき見た縋るような瞳は焦げつくように強く焼きついている。


「そうだけど。でも、きちんと離縁が成立するまでは、ミリセントには、ここにいてもらいたい」


 今自分が言っていることが正しいのか、間違ってるのかもわからないまま、フーミュルは衝動に任せて言い切った。


 そうしてから、おそるおそるミリセントのほうを見た。

 ミリセントがあからさまにほっとした顔をした。


 また、胸がざわつく。


「ん? んんー?」


 ラレイルは右から左からフーミュルを見て、それからミリセントを観察する。そうして、うん、と頷いた。


「わーかった。まぁいいよ。いいよ! オレ優しいからまだ追及しないであげるう! 面白いものが見れた! 最高楽しかった! また来るよぉ」


「呼んでないときはなるべく来るな」


 あっはっはーと笑ったラレイルはあっという間にその場から消え失せた。来る時もいなくなる時も唐突な人だった。


 騒がしい魔族がいなくなると、その場は静寂に包まれる。


「あの、ミリセント、そういうことでもいい?」


「はい。ありがとうございます。嬉しいです」


「え?」


「すごく……嬉しい」


 ミリセントの笑顔は可愛い。もう少し、見ていたいと思ってしまう。


「いや、その……君の料理は……おいしいし」


 なんでこんな言い訳じみたことを言っているのだろう。食事なんて関係ないというのに。頭の中で複雑な思考が絡み合って混乱する。

 そして、再びミリセントの笑顔を見たら、思考が全て飛んでいった。



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