14.夜会に行った夜

 訪れた夜会の日は、ミリセントにとって楽しい楽しい予定だった。

 魔王はだいぶ憂鬱そうにしていたが、それでも行くのをやめるとは言わなかった。いや、たまにこぼれそうになるが、そのたびに言うのを我慢しているようだ。


「魔王様、支度できましたか? わたしはできてます!」


 ミリセントの準備はカエルになることだけなのだが、それでも早めに食事などを済ませ、魔王の部屋の周りをピョコピョコしていた。


「おまたせ」


 部屋から出てきた魔王は盛大なため息を吐いてからミリセントを懐に入れる。


「魔王様……だいぶ吐きそうになっておられますが……本当に大丈夫ですか?」


「行く前からすでに帰りたいが……明日の今頃にはもう思い出になってると思えば……なんとか……うっ」


「えっ」


「大丈夫。もう胃液しか出ないし……ははは」


「えぇ……本当にやめなくていいんですか?」


「俺にとってもだが……君にとっても一回きりのことだし」


 確かに一度は顔を出さなければと思っていたと言っていたが、魔王はミリセントのために頑張ってくれていると思うのは自惚れすぎだろうか。

 どちらにせよ、せっかくの厚意だ。存分に楽しまなければならない。


 陽は沈み、夜の空が広がっていた。顔だけ出すとほんの少しだけ風が冷たい。


「眺め、見たい?」


「は、はい! 少しだけ……」


 魔王がミリセントを掴んで眼下へと向けてくれる。


「あっ、あれはこの間焼き菓子を買いにいった街ですね!」


「そうそう……ミリセント……やっぱりこのままお菓子買って帰らない?」


「ダメです! 行きたいです!」


 それに、弱音は多いがなんだかんだ、絶対に連れていってくれる。そんな確信に満ちていた。ミリセントは元気づけるように声を出す。


「ちらっと見たら帰る感じで大丈夫ですんで!」


「よ、よし。チラッと見てパッと帰ろう!」


 やがて、遠くからでもわかる、立派な城が見えてきた。

 通路にはずらりと騎士が並んでいた。


「なんでしょう……重鎮のお出迎えみたいですね……」


「裏口から入ったほうがよさそうだな」


 魔王とミリセントが小声でやりとりしていると、城門前にいた騎士が叫んだ。


「魔王様がいらっしゃったぞ!」


「えっ、ええ?」


 ずらりと並んでいた騎士達が一斉にかしずいた。


「……お、大仰すぎる!」


 魔王が小声で叫んだ。しかしながらこんな風に道を用意されているのに裏口に逃げれる雰囲気ではない。


「なんの嫌がらせだよ……」


「魔王様、行くしかないです!」


「うう……帰りたい……もうすでに帰りたい……」


 魔王が小声で言いながら早足で進むと、通路の中央に少年がいた。


「あれは……確か勇者の子孫の……」


「そうだな」


 勇者の子孫は扇を手に口元を隠して立っている。

 魔王が目の前まで来ると、彼は背伸びして魔王に顔を近づける。それでもまったく届かないので魔王は屈んで耳を寄せた。


「魔王様、よく来てくださいました! 再三誘いを断られておりましたゆえ、張り切って出迎えさせていただきました。いかがでしたかな?」


「もっと普通でいいです。というか出迎えは結構です」


「おや、もっと色のあるほうがお好みでしたかな?」


「いえ、ぜんっぜんそういうことでは……」


「お好みと違いましたら次はまた趣向を変えますゆえ……では、ごゆるりとご歓談いただけますよう……フォフォフォ」


 勇者の子孫は本当は何歳なんだという貫禄と老獪さを覗かせた笑みを扇子で隠し、去っていった。



 大広間にはすでにご馳走が並び、煌びやかな衣装に身を包んだ人たちがいた。


「これが夜会! すごいです! 素敵です! 想像通りです!」


 ミリセントがはしゃいだ声を上げ、魔王はしょんぼりと肩を落とした。


「どうしたんですか? おいしいもの食べて帰りましょうよ!」


「なんか、見ただけで気が滅入る」


「わたしの分まで色々食べてくださいよ」


「いま食べたら……吐くかも」


「もったいない……少しだけでも」


「俺はもう十分だ。帰って寝床で好きな本読みながらお菓子つまみたい……ミリセント……あれ? ミリセント?」


 動きのないミリセントを心配した魔王が軽くポケットを叩いて言う。


「あ、ごめんなさい。色々なものに見惚れてました……あと、わたしの声が聞こえるとまずいので、しばらく黙って大人しくしてますね」


「うん、ところで……そろそろ帰ってもいいかな」


 まだ着いたばかりである。だいぶ早い。

 しかし、無理をさせてはいけない。

 ミリセントが口を開こうとしたとき、異変に気づく。魔王は女性の群れに囲まれていた。


「魔王様でいらっしゃいますね!」

「まぁ、美男子!」

「私の宇宙も滅ぼして!」

「こちらうちの娘でして……!」


 かしましい声が聞こえてくる。

 ポケットの中にいても魔王が強張ってるのがわかる。


「あ、大丈夫です。もう帰るので」


 よくわからない返答をしているのが聞こえてくるが、すぐにまた黄色い声にかきけされる。

 そのあとはもう誰が何を言っているのかまではわからなかったが、魔王がろくに返答をできていないのはわかる。


 そっとポケットから顔を出すと、少し離れた場所に知った顔を発見する。


 あれは、ラレイルだ。


 しっかり正装してしれっと馴染んでいる。ご婦人やご令嬢に囲まれ、パニックに陥っている魔王はラレイルに気づいていないようだった。


 ラレイルはミリセントに向かってにっこり笑って小さく手を振った。そうして近づいてくる。


「ちょっと失礼」


 ラレイルは通り過ぎる時に軽く魔王にぶつかり、ポケットからミリセントを摘み上げ、壁際に移動した。


「ラレイル様も呼ばれていたんですか?」


「えー、オレは呼ばれてないけどねぇ、面白そうだから紛れ込んだの」


「そ、そうなんですか」


「なぁにー本当にカエルで来たんだ? せっかく夜会に来たっていうのに、そんな姿じゃダンスも踊れないじゃない」


「どうせ踊れませんから」


 ミリセントは小さく自虐的な笑みを浮かべて言う。

 ダンスなんて、ちゃんと練習していないと踊れない。そして、練習する機会は与えられなかった。苦い気持ちになった。


「ミリセントさぁ、可愛いんだからもったいないよぉ」


 ラレイルはそのまま移動しようとしている。


「あ、あの、どこへ……」


 戻らないと魔王が気づいた時に心配するだろう。


「大丈夫〜すぐ帰してあげるから」


 ラレイルが物陰にすっと隠れ、次の瞬間にミリセントは見知らぬ部屋にいた。そこにはきらびやかな衣装や調度品が溢れている。


「ふふふ……用意してたんだよぉ。オレがミリセントに魔法をかけてあげる〜」


「すごい……お化粧道具まで……」


「オレ、超うまいから。期待していいよぉ」


「あの、でも戻らないと……」


「夜会に行けるのは今日だけなんでしょ?」


 ラレイルの用意したドレスはどれも美しく、ミリセントはそれを着てみたい欲望に勝てなかった。

 いや、着るだけならば、まだ我慢できた。可愛くしてもらった姿を魔王に見てもらいたいと思ってしまったのだ。


「うん。こんなもんかな〜。思った通り、極上じゃん。これは人間の雄は放っておかないね」


 人間の雄……。ラレイルの言葉選びの端々に、なんだかんだ彼が魔族なのだと思わされる。魔王とはどこかが違う。


 ミリセントが急いでドレスを選ぶ。

 ラレイルがミリセントに指の銃口を向け、聞き取れない呪文を唱えた瞬間にミリセントは人に戻ってそのドレスを身に纏っていた。


 それからミリセントの頬を両手で包み、軽くぱしん、とした。


「メイクもおっけー。ちょっと急いじゃったけど、アイツ心配してるだろうからそろそろ戻んないと」


 大広間に戻ると魔王が挙動不審に床あたりを見ながらキョロキョロ歩いている。あれは、ミリセントを探している。


 一歩足を踏み入れると、大広間の雰囲気がざわついた。


「ラレイル様……あの……」


 大丈夫なんだろうか。不安になって振り向いたが、ラレイルの姿はもうそこにはなかった。

 見知らぬ貴族の男性がミリセントに近づいてくる。


「……失礼、あまりに美しく、言葉を失っておりました。お名前をうかがっても」


 それを合図にしたように、ほかの男性達も近寄ってくる。


「君はどこの家の……!」

「ちょっと、私がまだ話しているだろう」


 あっという間に数人の男性に囲まれてしまった。


「ミリセント!」


 魔王が走ってきた。逃げるようにそちらへと行った。


「な、なにやってんの? どうしたの? なんでその……」


「や、やっぱりおかしいですか?」


 そう言うと、魔王は数瞬動きを止めてミリセントをじっと見た。


「……おかしくない。すごく綺麗だ」


「えっ……ほんと……ですか?」


 ちょっと甘酸っぱい空気が流れた。

 はっと我に返ると、周囲がざわついている。


「とりあえず、帰ろう。もう限界だ……」


「は、はい!」


 あれほど夜会を見たいと言っていたのに、ミリセントはあっけなく満足してしまった。それに、だんだん人だかりが異様な状況になってきていた。


「魔王様……! その方は一体……!」


「どこのご令嬢ですの?」


 女性のみならず男性も来て矢継ぎ早に言う。


「魔王様、その方は……?」

「ご関係は?」

「似てないけど妹さんに違いないわ! わたくしが誤解してそこからこじれるラブストーリーですわ!」


 周囲を人で囲まれていて、身動きが取れない。


「ラレイル! お前の仕業だな! なんとかしてくれ!」


 魔王が言うと、ラレイルの声だけがどこかから聞こえた。


「えー? この人だかりを除けたらいいのぉ?」


 ミリセントはキョロキョロ見まわすが、ラレイルの姿は見つからない。


「いや、ヒトを殺すのはなしだ! ダメ!」


「フーミュルはいつも注文が面倒なんだよねぇ……」


 次の瞬間、会場の四隅に黒いゲル状の不気味な魔物が複数出現した。

 周囲から悲鳴が上がり、多くの人が走って逃げ出した。


「ラレイル! 洒落にならないやつを出すな!」


「え〜? ここから逃げたいけど人間が邪魔だったんでしょ?」


 確かに人々は悲鳴を上げて逃げていく。


「ほかに方法なかった?!」


「いいじゃあん。ほら逃げてくよ。この隙に帰れば?」


「そんなわけいかないだろ!」


 しかし、奇術の見せ物だと思ったのか、中にはその場から動こうとしない者もいた。


「そこの人、逃げろ」


 なおもぽかんとしながら酒をあおっている男性に魔物がズルズルと近寄っていく。

 魔王は慌てて指を弾いた。魔物は順番に弾けて爆発していく。


「なんでこんなことに……」


 その様を見て、また何かの見せ物かと勘違いした人が何人か戻ってくる。ラレイルのしたことは無駄だった。


「ああもう! 無理だ! 逃げよう!」


 出入口には避難した人達がいて、一部は中を覗き込んでいる。とてもじゃないが通れそうではない。


 魔王はあたりを見まわし、天井に使われているステンドグラスの窓で視線を止めた。

 それから素早く指を弾いてミリセントをカエルにしてから飛び上がる。


 ガシャン。

 そのまま、ステンドグラスを突っ切って、夜の空へ出た。


「あー、ねぇ、割れたよぉ。いいの?」


 ラレイルの声がどこからか聞こえてくる。


「よくないけど……もう無理だ……帰る」


 夜の闇に、魔王の悲壮なつぶやきが響いた。相当無理をさせてしまったようだ。


「あーオレはすんごい楽しかった。また来るねぇ」


 ラレイルの声が聞こえたあと、静かになった。


「ろくな……ろくなことしない……」



 無事に魔王城に戻ってきた。ミリセントは魔王の肩からぴょこんと降りる。


「大変でしたね。あ、わたしのドレス、持ってきてたんですね」


「せっかく着たんだし……つい、もったいなくて」


 魔王はそう言ってミリセントから目を逸らした。


「あの……」


「え?」


「楽しかったです。ありがとうございます」


「や……あんなすぐで……」


「空気は十分味わえました。想像以上でも以下でもありませんでしたし、もう満足したので、大丈夫です」


「……本当に?」


「二度と行かなくて大丈夫です!」


「そうか。それはよかった!!」


 魔王がミリセントを手のひらにのせ、安堵の声を上げた。にっこりと笑う。いい笑顔だった。


 魔王は王族である勇者の子孫のはからいでなんとかお咎めなしですんだ。


 しかし、これで縁談は減るかと思いきや、そんなことはなかった。


 麗しい姿がお披露目され、大目立ちして魔物まで退治した魔王の評判は間違った形で広まり、縁談は一層増えたのであった。

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