13.夜会に招かれた日
ミリセントの朝は早い。
起きて洗面を済ましてパンをひとつ食べると、すぐに掃除を始める。
天気がいい日はエントランスの外から。明るい陽が射すと、魔王城も少しは陰気さが薄らぐ。
ミリセントの目標は城の全てをまわり、やりとげることで、それは日々、少しずつ進んでいた。
その日はいつも魔王が要らないものをつっこんでいる物置部屋へ足を踏み入れる。部屋の中は紙束でいっぱいだった。
この城は意外と郵便物が多いが、その大半は縁談の申し込みだ。
魔王はそれらを開封もせず纏めてこの部屋に置いているようだったが、溜まるとそれなりにかさばる。
さすがに一年前のものなんかは処分しても構わないだろう。差出人の娘だって別の男と結婚しているかもしれない。一応本人に許可は取ろうと思うが本当は聞くまでもないと思っている。
けれど、ミリセントは魔王への縁談の申し込みの手紙を捨てることに、ほんの少し積極的な気持ちを持っている気がした。たとえそれがなんの意味もないものだとしても、なぜだか捨ててしまいたい、と思っている。そうしたら、気持ちのどこかがスッキリとする気がするのだ。
そうして大量の紙束を持ち上げると、一枚の封筒がはらりと落ちた。
上等な刻印が入っている。そこそこ上のほうにあったので最近来たものだろう。ほかのものとは明らかに毛色が違っている。
ミリセントはその封筒を手に、魔王の居室を訪ねた。
魔王は朝が弱いらしく、ミリセントが訪ねた時にまだ寝ていた。しかし、ガチャリと戸を開けた瞬間にバッと上体を起こす。
「……ミリセントか……」
「はい。おはようございます」
「おやすみ」
もう認識したあとびっくりされることはなくなった。カエルにもされない。すっかり慣れた。でも、起きてほしかった。
「魔王様、朝ですよ」
「ああ、うん。知ってる……」
寝起きの掠れ声がだいぶ眠そうだ。放っておくとまだまだ眠っていそうではある。
「この手紙なんですけど」
再び寝床の深くに潜り込もうとしている魔王の枕元まで行って、封筒を差しだす。
魔王は手だけ出して封筒を受け取り、布団の中で確認してから開けもせずにぽいっと放った。
「王宮の夜会の招待状だ。そんなもの死んでも行くわけないのにな」
「夜会……」
その単語を聞いた時、ミリセントの心がふわりと高揚した。
十三才の時に父が亡くなったので行ったことがない。妹がきらびやかなドレスを着ていくのを見ていた。そんなものに興味はないと装ってはいたが、女の子だ。憧れはある。どんな雰囲気なのか、ずっと空想していた。
本当は、憧れたら辛いとわかっていたから自分を戒めていただけだ。そんな、過去の自分の心に急に気がついてしまう。
「うー、起きるかあ」
魔王はようやく思い切ったように半身を起こして目を擦っている。
「いやあ、夜会に魔王を招くとかありえないよなあ……どんな集いだよ……一気にサバトになるって。ミリセント、君もそうおも……な、何だその目は」
魔王がミリセントの顔を見てびっくりした声を出す。
「行ってみたい……です」
「無理無理無理無理! そんな予定入れたら一週間前から憂鬱で、行ったあとの一週間も落ち込んで過ごすことになるだろ!」
「魔王様! 一生のお願いです! 綺麗なドレスを着たいなんて言いません! カエルの姿でいいので、夜会の空気を吸わせてください!」
「いいよ〜」
「え? 本当ですか?」
軽やかな返事に顔を上げるとニコニコ顔のラレイルがすぐそこにいた。魔王は激しく顔を顰めていた。
「ラレイル、勝手に何を言ってる……また勝手に入ってきてるし……」
「いやいやいや、可愛い妻が行きたいって言ってるんだから、行かない手はないでしょ。婚姻をお披露目するいいチャンスじゃな〜い?」
「あ、わたしはカエルで……カエルで行きたいです!」
「え?! なんでよ!」
ラレイルがびっくりした声を出し、魔王も少しぽかんとしていた。
けれど、ヒトの姿で行くわけにはいかなかった。
正式な場で婚姻を発表なんてしたらミリセントがどこの家の人間かも聞かれるだろう。今、義母の耳に入れば間違いなく面倒なことになる。魔王を巻き込んでしまうかもしれない。
ミリセントは、義母には自分がどこかで息をしていることすら知られたくなかった。強い嫌悪と恐怖がある。できれば死んだと思っていてほしい。
「カエルで……わたしはカエルです! でも行きたいです!」
ミリセントは強い熱量でそう言った。
「いや、そもそも俺は夜会に着てく服なんて持っていないし」
「オレをなんだと思ってるの? なぁんでも揃えちゃうよ〜」
「ラレイル! 今すぐ帰れ!」
「す〜ぐ用意しちゃうからね! しばしお待ちを!」
頭を抱えている魔王をよそにラレイルはあっという間にその場から消えた。
「まずいことになった……」
つぶやく魔王をよそにミリセントはラレイルの消えた空間を目をぱちぱちして見ていた。
「ラレイルさんて、消えますよね」
見たところ魔王は飛行はするがあんなふうに瞬間移動はしない。
「魔族にもそれぞれ得意分野があって、あいつは慧眼があって、瞬間移動魔術も得意なんだよ……だから行商人向きなんだけど……」
「魔王様の得意技もあるんですか?」
「俺は……本当はヒトの精神に関わる分野が得意なんだけど……魔族としてはまるで役に立たないと、よく父に逆さ吊りにされてたなあ」
逆さ吊り。だいぶ不穏なワードがさりげなく紛れ込んでいる。
はは……と力なく言う魔王を見て、あまり聞いてはいけないことだったかもしれないと反省した。
夕方になって、ラレイルは大量の煌びやかな男性用の正装衣装を持って再び現れた。こんな量をどうやって探したのかも、持ってきたのかもわからないが、魔族の商人のやることだ。深く考えても仕方ない。
「じゃじゃーん! いっぱい持ってきたぁ!」
「なぜ……こんなことに……」
魔王は頭を抱えてうずくまっている。
「フーミュル、これとかどうお?」
「どうも何も……どれもこれも……げさくい」
魔王はものすごくゲンナリした顔で返している。
「これにする?」
「嫌だよそんなの」
「これにしよっか?」
「嫌だ! せめてこっち!」
「こっちね! りょうか〜い!」
「いや、それも嫌なんだが……こっちよりマシってだけで」
「じゃあ着替えよ着替えよ」
「嫌だ! 着たくない!」
「ミリセント、フーミュル着替えるよ〜」
ラレイルの言葉にミリセントは慌てて部屋を出た。
そして、数分後にラレイルに呼ばれて再び部屋に入ったミリセントは目を見張った。
魔王が選んだのはラレイルが持ってきた衣装の中では一番地味なものだったが、それでも正装した魔王はものすごく見目麗しかった。胸がきゅんとしてしまう。
「すごい……」
「こんな格好して……笑われないだろうか」
「それはないです! すっごく素敵です!」
前から格好いいとは思っていたけれど、ここまでとは思ってなかったかもしれない。少し遠くに感じるレベルでキラキラしている。
「そ……そう?」
魔王がちょっと照れた。ラレイルがげらげら笑っていた。
「ほ、ほら……笑ってる……」
「なんで笑うんですか! どう見ても格好いいですよ!」
「いやごめん……なんかまるで普通のイケメン面してるから、おかしくて……!」
「してないだろ! ラレイル! ちょっと冷めた熱湯飲ますぞ!」
「それただのおいしい白湯。いやフーミュルは黙ってれば格好いいんだって〜。夜会いつ?」
言われて魔王は封筒を初めて開封した。中を見て、絶望的な顔で言う。
「一週間後……これは……それまでもうずっと脳が浮ついて何も手につかない……」
「そんなに嫌ですか?」
「え?」
「いえ、わたしは、行ってみたいのですが、やはりそのために魔王様に無理をさせてしまうのは……」
残念だが、諦めたほうがいいのかもしれない。
「いや……ずっと前から呼ばれていたし……一回くらい顔出しておかなきゃいけないと思ってたから……ちょうどよかったよ……はは……」
魔王は、気にしなくていい……と力なく言った。
ラレイルも、気にしないで! と明るく言った。
「ラレイル、お前は少し気にしろ」
「あ、オレそろそろ仕事に戻るねぇ! ひゅんっ」
謎の効果音を口で言ってラレイルは煙のように消えた。
ラレイルはおそらく魔王との付き合いが長く、彼への接し方をよくわかっているのだろう。ラレイルがあまり長くこの場にいたら、余計なからかいをするだろうし、魔王はやはり止めると言い出しかねない。
決めることだけ決めてさっさといなくなったのは最適解に思える。
けれど、ミリセントは少し迷っていた。
夜会は見たい。このままだと一生見ずに死ぬことになる。だから頼み込んだ。けれど、それはミリセントの好奇心と欲望でしかない。
先ほどの答えは明らかにミリセントに気を遣ったものだった。魔王に要らぬ負担をかけてまでお願いすることだろうか。
ミリセントはまた、自分のことだけ考えて彼に負担を強いてはいないだろうか。行きたい気持ちは山々だったが、無理をさせてまで望んではいけない。
少しためらったあと、ミリセントは魔王に言った。
「魔王様……もし本当に嫌なら、止めましょうね……」
魔王はミリセントを見て小さく息を吐いた。
「い、行こう。連れてくから」
「は、はい!」
返された答えに、思った以上に嬉しくなってしまった。
無理なら諦めようと思っていたはずなのに、魔王がくれた返事に気持ちは急上昇する。
魔王はこの先また弱音を吐くかもしれないけれど、それでも、結局は連れていってくれるだろう。そんな信頼が生まれた。
部屋に戻ったミリセントはまだ興奮していた。
魔王はすごくすごく素敵だった。
もし、自分もドレスを着て並んで一緒に行けたなら……そんなことを瞬間的に妄想してしまう。
そうして、すぐに現実を思い出す。
ミリセントはカエルだ。
ヒトの姿には戻れたけれど、それでもずっと存在自体はカエルのままだ。ヒトとしてきらきらしたパーティには行けないし、ドレスも着れない。
あの日、義母のかけた呪いはそういう意味では、きっとまだ解けていない。
ミリセントは人間社会からは弾き出されたままだ。
もしかしたらヒトとしてのミリセントはあの時もう殺されてしまったのかもしれない。
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