12.魔王とカエル、街に出た日
魔王はいつも黒づくめの様相で、屋内でもマントを身に纏っている。
けれど、その朝は旅人がよく着る白いシャツと焦茶のズボン、マントのフード目深にかぶった魔王がエントランスにいた。これは、初めて会った時のいでたちに似ている。
箒を片手に掃除をしていたミリセントは首を傾げる。
「魔王様、お外に出られるんですか? 珍しいですね」
魔王はものすごく億劫そうに「ああうん」と頷いた。
「常備してる菓子がなくなったから買いにいってくる」
「え、あの焼き菓子ですか?」
「おいしいよね。クベルヌのマフィンとビスケット……月一で予約してるから、受け取ってついでに……はぁ……見まわりも……」
魔王城にいつも置いてある焼き菓子は抜群においしい。見た目も可愛い。ミリセントも大好物だった。
「あ、わたしが来たから消費が早くなってしまったんですか……?」
「い、いやいや、ひとりだとチビチビ食うから、傷むこともあって、腹を壊したりすることも……消費量はむしろちょうどよくなっているはず……」
ものすごく気遣いをされている。ミリセントにそこまで気を遣わなくていいのに。そんなふうに思って黙っていると魔王がまた慌てた顔で言う。
「気になるなら次の予約多めにしておく……」
「だ、大丈夫です。お気遣いなく……!」
重ねて必死に気を遣われてしまった。そうして魔王は頷くと、そのままエントランスに向かう。
ミリセントはその背をじっと見つめた。
ミリセントはここに来てから外に出たことがない。一度散歩に出て大変な目に遭ってからはなおさら移動範囲には慎重になった。
城の中、それも大丈夫であろう一階から三階を掃除道具を持ってウロウロしているだけだった。外の空気を感じたい時には中庭で済ませている。
しかし、やがては出ていかなければならない身。少しは慣れておきたい。というのは半分口実だった。
おいしい焼き菓子を売っているお店がある街、行きたかった。ミリセントは家にいた頃もろくに外には出れなかった。胸いっぱいに甘い焼き菓子のお店の匂いをかぎたいし、街の空気を感じてみたい。きちんと外の生活を見たい。
いっそカエルにして一緒に連れていってもらえないだろうか。
そう思っていたらいつの間にかカエルに姿を変えていた。
今、魔王は離れた場所にいる。ミリセントは今、はっきりと自分の力でカエルになった。
カエルになったり戻れたりしかできないなんて役に立つ能力とは言い難かったが、魔力ゼロといわれていたミリセントからしたらそれだけでも嬉しいことだった。
それはともかく、魔王を追いかけなければ。
ミリセントは慌ててピョコピョコとエントランスに向かった。
魔王は足が速い。全力で追いかける。
そして、飛び立つ瞬間の魔王の背中に張り付き、そこからコートのポケットにしゅっと滑り込むことに成功した。
しばらく、魔王のポケットの中は揺れていた。ミリセントは中でしばらく、くるんくるんひっくり返っていたが、やがて身を安定させて顔を出す。美しい風景が目に入った。
頭上から調子っぱずれなメロディが聞こえる。魔王が鼻歌を歌っている。出る時にはだいぶ憂鬱そうにしていたけれど、なんだかんだ青い空と山々に心を癒されたのだろうか。
やがて、眼下に街が見え、魔王は少し手前の小高い丘の上にふわりと降り立った。そして、街へと向かって歩いていく。
通りの石畳は人々で賑わっていて、看板には見たことのない文字が使われていた。パン屋、仕立て屋、雑貨屋、帽子屋、装飾品の店、通りはいろんな看板の店が立ち並ぶ。美味しそうな匂いをさせる屋台もあった。
想像以上に素敵だった。ミリセントの心がわくわくで満たされていく。
「魔王様」
「…………」
魔王が足を止めた。あたりを見まわしている。もう一度声をかけた。
「魔王様、あの店は何を売っているんですか?」
「うわぁ! ミリセント、なんでそんなとこに!」
魔王がポケットの中から頭を出しているカエルに気がついた。
「ごめんなさい。ついてきちゃいました」
魔王は少なくとも見知らぬ街にミリセントを放り出すような御仁ではない。ここまで来れば大丈夫と、正直に言って謝った。
「な、なぜ……!?」
「来たかったんです」
「そ、そうか……まぁ、その格好でいいなら……あれ? それはともかく、どうやってカエルの姿に?」
「わかりません。でも、なぜかなれました」
それどころか、今なら戻ろうと思えば自分の意思で戻れる感覚があった。
「……へぇ。魔力が育っているのかもしれないね」
「そうでしょうか……あ、甘い匂い! もしかしてあのお店ですか?」
「そ、そうだけど……焼き菓子の店にカエルなんて持ち込めないから、ちゃんと隠れてくれ」
「あ、はい!」
魔王は店に入るとまっすぐに店の人間の前に行き、注文してあったらしい袋を受け取り、そのほか陳列されていた菓子もいくつか買った。
「いつもありがとうございます!」
「あ、は、はい、どうも」
はつらつとした店員に気圧されるようにペコペコとした魔王はすぐに店を出た。
ミリセントはポケットからひょっこりと目の部分を出して魔王に言う。
「魔王さま、わたし、もう少し見てみたいです。この通りを歩いてください」
「え、えぇ?」
ミリセントは十三までは父と共に街に出たことがあったが、子供の頃に来た街ともここは違う。ここはおそらく、自分がいたところとは言語の違う区域だ。見たことのない外国の街に興奮していた。
「あれはなんですか?」
「宝飾店」
「なるほど。あっ、あの店も見たいです」
「えっ」
ミリセントが指示したのは大衆食堂だった。
「入ってみてください」
「ものすごい難易度高いこと平然と言ってきてるけど……俺にあそこにひとりで入って飯を食えって……?」
「ひとりじゃありませんよ。わたしがいます」
「今、カエルだけどね!」
魔王はハァ、とため息を吐き、それでも気重な表情で店内へ足を踏み入れた。
「どうしたんですか」
「馴染みの店以外の店に入ると精神が疲労するんだよ……」
「そうなんですか?」
「初めての店は……店員が横柄かもしれないし、まずいかもしれないし、勝手がわからず粗相をするかもしれないだろ」
「心配症すぎませんか……みんな楽しそうにしてますよ」
幸い昼時で混み合う時間より早かったため、店内はほどほどにすいていた。
やがて、魔王のテーブルに魚介のスープとニンニクを効かせた肉料理が並んだ。甘いアップルパイもある。すべて、ミリセントが選んだものだ。
魔王は特に表情なく、料理を口にはこんでいく。
「おいしいですか?」
「おいしいよ……こんなことになるなら、もうヒトの姿で一緒に来ればよかった」
「え?」
「せっかく君が選んだおいしいものを、俺が食べたって仕方ないだろ」
魔王はちょっとブスッとした顔で言う。
「仕方ないことないと思いますけど」
「俺がおいしいよりも君が……」
魔王はそこまで言って、妙な顔になり、アップルパイをもごりと口に詰め込んだ。無言で咀嚼している。
「魔王様、おいしい? どんな味?」
「おいしい。味は甘いよ」
「そんなんじゃわかりません」
「だから一緒に食べたほうが早いんだって」
店を出るとミリセントはまた顔を出して通りを眺めた。
「魔王様」
「うん?」
「楽しいです」
「それはよかった……」
「あっち行きたいです」
ミリセントの指示に従って魔王はくるんと右折した。
「あっ、こんどはあっちの通りに入ってみたいです」
魔王は今度は左折した。
そしてしばらくはミリセントの操り人形のように、右や左、突然引き返したりした。
見たいものがたくさんあって、目移りしているミリセントは、魔王が挙動不審な動きになっていることにも気づかない。夢中になってあちこちを見せてもらった。
「魔王さま、あれ買ってみてください」
「あれ?」
「あれです! いい匂いしてるの、あそこからですよね」
ミリセントが言ったのは屋台の串焼きだった。
獣の肉を串に刺してスパイスをふりかけて焼いただけのものだが、非常に食欲をそそる匂いをさせていた。
「持って帰るのは難しいんじゃないか」
「いえ、買ってるところと食べてるところを見たいです」
「えぇ? さっき食べたばっかり……」
「入りませんか?」
「……入るけど」
魔王は屋台で串焼きをひとつ買った。
道の端でそれをミリセントに掲げて見せてくれた。
「……串焼きですね!」
「ああ……見るからに串焼きだよ……」
「魔王様おいしい? どんな味?」
「うまい。味はしょっぱい」
やがて賑やかな通りは終わり、魔王はそのまま街を出た。
街から少し離れた、草ばかりが茫漠としている場所で、ミリセントは大きな丸太に腰掛ける魔王の隣に座っていた。
赤くとろける大きな夕陽が沈んでいく。
ミリセントは充足感を噛み締めていた。
「わたし……こんなふうに街を見て歩いたこと、ほとんどなくて……」
「え? そうなのか」
「すごく楽しかったです……あ、まぁ、歩けてはないんですけど」
ミリセントはふふ、と笑って言う。
狭い家の外には広い世界が広がっていて、それを知れただけでもミリセントは満足だった。
「あの、いつか出ていくためにも、外の世界をもっと見ておかなければと思っていたんです」
魔王は無言でミリセントの顔を数秒見た。
それから夕陽のほうに顔を向けて言う。
「じゃあ……やっぱり今度はヒトの姿で一緒に行くといい」
「え? いいんですか?」
「うん……そのほうがいい」
確かに、カエルで来てもさほど社会勉強にはならないかもしれない。自分の足で歩いて、食べて、店の人とも話して……その横に魔王がいたら余計に楽しいだろう。
ヒトの姿で魔王と一緒に街に出るところを想像すると胸が高鳴った。
まさか一緒に来ていいと言ってくれるとはまったく思っていなかった。魔王はミリセントにどんどん慣れてきている。それがすごく嬉しかった。
ミリセントは以前、魔王城で役に立つことで必要とされたいと望んでいた。これ以上迷惑はかけられないから。ずっとそう思っていた。
けれど、いつの間にか、魔王に“ここにいてもらいたい“と、そう思ってほしい気持ちが育ってきている自分に気づいた。
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