11.ラブラブ大作戦 再戦

 ここのところのフーミュルはミリセントがいながらも無理なく自分の生活を送ることにすっかり慣れつつあった。


 フーミュルは数日調べ物に没頭していた。

 この城の呪いをすべて解けば今充満している陰鬱な空気はきっとなくなるだろう。数年かけて聖域は作ることに成功してるし、父がかけた呪いだろうから、息子である自分には解けるはずだ。


 並行して、婚姻契約についても調べている。

 いつからあったのかわからないくらい古い契約に関しては、記録がきちんと残っていない。特に、婚姻契約なんてものは魔族にはそう使う者がいないので、付記としてあるのを期待して使い魔の契約についての古い文献を漁っていた。

 よくわからない文献というものはいくらでも存在していて、大抵は持て余されているので手に入りやすい。中には解読し難い言語のものもあったが、フーミュルは基本勉強熱心なので語学も得意で読み解くのは苦にならない。


 ミリセントは毎日城を掃除して、夕方には身体によさそうなおいしい食事を作ってくれる。夕食は一緒に食べるが、そこまで無理して会話をしようとはしない。


 調べ物に煮詰まって中庭に出たところで会えば一緒にベンチに腰掛けたりはする。ほどよい距離感だ。


 清潔な城も健康的な食事も、フーミュルにとって特別必要なことではないが、鬱々としていた生活が少し明るくなって健やかな気持ちにさせてもらえている気がしている。自分が他人といて自然に過ごせていることに感動もしている。


 何か情報がまわったのか、縁談の申し込みの手紙はがくんと減った。主に、先日断りを入れた地域からだ。縁談は国中の貴族から来ているのでごく一部ではあったが、それだけでも少し気持ちが軽くなった。


 そんなで、しばらく平和な日が続いていた。

 フーミュルは終わったこととして貴族からの縁談のことを忘れることにした。


 そうして大きく伸びをして部屋を出る。

 通りすがりに姿見を見ると、見知らぬ親子が写っていた。


「え? ええ?」


 今忘れようと決めたところだったのに。


「縁談クラッシュのお時間ですね!」


「ミリセント、いつの間にそこに!!」


「ちゃちゃっと追い払いましょう!」


「いや、そんな急に言われても」


「今度こそ! 仲睦まじい夫婦を演じるんです!」


 ミリセントの瞳はなぜか燃えている。嫌な予感がビシビシした。


「急に来られても……今日は人と関わるつもりなかったから、もうそういうモードじゃないんだよ。誰かと会うのなら最低でも前の晩くらいから覚悟を決めて調子を整えておかないと……悪いが今日は居留守で……」


 ミリセントは拳を握ってかぶりを大きく振った。


「大丈夫です! わたしがついてます! 任せてください! 今日はわたしが悪女になります」


「どういうこと?」


「魔王様には悪い妻がいるんです!」


「え?」


「悪い妻です!」


 強い語気できっぱりと言い切ったミリセントをまじまじと見つめる。

 この、前向きで頑張り屋で、働き者で優しくて気遣いもできて笑顔も可愛い女の子が…………悪妻? どう考えても無理がある。


 しかしならミリセントは張り切っていて、今冷静な意見は聞いてくれそうにない。


「魔王様を悪にするわけにはいきません。ですから今日はその方向性で見せつけてやります!」


 ミリセントはもしかしたら次来たらどう迎え打つか、ずっと考えていたのかもしれない。


「いや、どちらかを悪にしないとダメなの?」


 ミリセントはキッと強い目で睨んで言う。


「魔王様がラブラブ夫婦やるの無理だからじゃないですか!」


 その通りだったので黙った。


「縁談を持ちかける方たちに、少しでも関わりたくないと思ってもらわなくてはなりません。わたし、急いでお通ししてきますね! さあ門を開けてください」


 ミリセントの勢いに押され、フーミュルは指をパチンと弾いて門を開けた。


 そこからミリセントの動きは早かった。前回の流れを見ているからだろう。フーミュルにはえらそうな魔王の服への着替えを指示して、さっと来訪者を迎えにいった。その背中はやる気に満ちていた。


 そうして、数分後にフーミュルは再び大広間で客人たちと向かい合っていた。

 フーミュルはとりあえず、足を組んで頬杖をついてやる気のなさと偉そうな感じを出していた。


 ひとりだと嫌な奴を装うというのは、本当にただ嫌な奴に思われてしまうが、それが演技だと知ってくれている仲間がいるというのはそれだけで心強い。


 男性は異様に整えた髭が目立つ、よくいえばお洒落な、悪くいえば胡散臭い風体だった。それとも、フーミュルから見ると胡散臭いだけで、貴族同士ではこれが最先端なんだろうか。


「私はカーク・エンドローグ。百五十年を超える歴史を持つエンドローグ伯爵家の者です。系譜といたしましてはレイヌー沖海戦のおりに指揮をとり、勝利に導きました将軍の子孫で、こちらは娘のセラ。稀に見る魔力の高い子でして……魔王様としましてもやはりそこらの娘よりは魔力の高い者をお望みと存じております」


 存じてない。まったくもって存じてない。

 魔王様はヒトに放っておかれるのを一番に望んでいる。フーミュルはいい加減、はっきりとそう返したかった。


 しかし、ミリセントが張り切っているのでそんな形で作戦をぶち壊すわけにはいかない。もとより放っておいてほしいなんて理由では聞いてくれるはずもない。

 前回来た貴族の娘はあからさまにどんよりと一歩下がっていたが、今日来た娘はすっと前に出てきた。


「いくつか落ち目の貴族が婚姻を申し入れていらっしゃるようですが、そんな者どもを魔王様が相手になさらないと確信しております」


 きっぱりと言い切るその瞳は自信に溢れている。以前来た親子の娘とは違い、娘も野心家であることか窺える。

 その名誉欲の強さだったり、自尊心の高さだったり、そのために他の人間を下げたり、ときに利用しようとする攻撃性も、すべてフーミュルの最も苦手とする“他者“そのものだった。


「まず、わが伯爵家には伝承が御座います。代々受け継がれている属性は『火』ですが、これは強さと熱意の象徴的な……」


 それにしてもミリセントはどこに行っているのだろう。この長い話を早く終わらせてほしい。


 待ちくたびれた頃、わざわざ真っ赤なドレスに着替えたミリセントがカツカツと足音を響かせて入ってきた。


 もしかして、これがミリセントの思う悪女スタイルなんだろうか。


 化粧道具の類が城にないせいか、真っ赤なドレープのドレスを着ても、そこまでけばけばしくはなっていない。可愛らしいお人形のようだった。


 伯爵は現れたミリセントに気づかず、話を続けていたが、娘のほうが気づいて視線をやり、ようやく話は止まった。


 ミリセントははきはきと言い放った。


「わたしたちは結婚しているんです!」


 普通の夫婦はわざわざそんなことを宣言するだろうか。

 言い方もまったく悪女っぽくない。しかし、そんな間抜けさをちょっと可愛いと思ってしまう。

 案の定、親子はぽかんとしていた。

 フーミュルは少し笑いそうになったけれど、こらえて、ちょっとほのぼのとした気持ちにさえなっていた。


「魔王様はわたしのものです!」


 しかし、血気だったミリセントが首元に元気よく縋り付いてきて、慌てた。

 そちらを見ると大きな水色の瞳と目が合って、心臓がばくんと揺れる。


 フーミュルは急速に危機感が膨らむのを感じた。何かわからないけれど、これはまずい。


 ミリセントは抱きついたまま、頬と頬がくっつくくらいに顔を近づけてきた。顔面が熱を持つのを感じてそれに恥じらいを感じる。


「ミリセント、もう少し距離を」


「ダメ。もう少し我慢してください」


 そう言ってぴったりと頬を合わせた。柔らかな感触とふわりと香りがして、息が苦しくなってくる。


「……ダメだって」


「魔王様、ちゃんと、ぎゅってして」


 可愛らしい声で耳元でささやかれて倒れそうになった。小声でいさめる。


「ミリセント、前回の反省を活かすんだ……」


「魔王様、それはこっちの台詞です!」


 なぜか怒っている。怒ってる顔も可愛い。

 まずい。こわい。


 急速に膨れ上がる危機感にフーミュルはプルプルしながら指を弾こうとした。耳元にミリセントの小さな低い声が響く。


「いま、わたしをカエルにしたら全てが水泡となりますよ」

 

「んぎゅっ」


 背中を思い切りつねられる。その痛みでカエルにしてしまうのはなんとか耐えた。しかし、このままだとまたすぐに限界がくる。


「ミリセント、頼むからもう少し……離れてくれ」


「……っ、そんなに嫌ですか?」


 ミリセントが傷ついたような目で見てくる。


「え? 嫌とかそういうわけではないんだ。誤解しないでくれ。俺はただ……君が……」


「嫌じゃないなら……」


「え?」


「わたしのこと、嫌いじゃないなら、もっと、ぎゅってしてください」


 ミリセントの目が潤んでいる。確かに、自分の態度は拒絶が強く、見ようによっては嫌われてると思う人もいるかもしれない。ミリセントにそう思われるのは本意ではない。


「……わ、わかった」


 フーミュルの脳内に警鐘が鳴らされていた。


 抱き寄せたら、終わる。


 ……好きになってしまう気がする。


 だから絶対に、それはしてはならない。


 それでも、ミリセントの空色の瞳に、抗えない吸引力を感じて腕を伸ばす。


「……あの、もういいです」


 伸ばした腕がミリセントの背に触れる直前に声が聞こえてハッとする。


 完全に忘れていたが、人前だった。


「帰りますね」


 目の前でイチャつかれた親子は呆れた顔をして帰っていった。

 ミリセントは飛び上がって喜んだ。


「わぁ! 縁談一件撃破成功ですね! この調子でいきましょう!」


「え……」


「わたし、悪女でした?」


「う、うん。そうだね」


「きっと関わりたくないと思ってくれたんですね!」


 ミリセントがきゃっきゃと喜んでいて我に返る。

 当たり前だが、今さっきのは彼らに見せつけるための芝居だ。


 危なかった。うっかり本当に落とされるところだった。気を引き締めなければならない。


 自分のような男に恋をされたらミリセントは気持ち悪いだろうし、不快だろう。たとえ人からの好意を不快に思わない人種だったとしても、期待したあと振られるのは辛い。なんにせよろくなことにならない。気をつけろ。演技に騙されるな。


 フーミュルは大きなため息を吐いた。


「魔王様、わたし、お役に立てましたか?」


「ああ、ありがとう……」


「はい!」


 ミリセントがあまりに嬉しそうにするので、くらくらした。


「久しぶりに初対面の人と数分話したら、落ち込んできた……もう寝る」


 フーミュルはフラフラと自室にひきこもり、寝台に大きな身体を埋めた。


 寝床に入ってからも何度もミリセントの笑顔がちらついて離れなかった。



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