10.ラレイルの来た夕方

 フーミュルは夕方にミリセントと食卓についていた。

 ミリセントは毎日少しずつ料理の腕を上げている。もともと凝り性なんだろう。その進歩は品数に顕著に表れていた。最近では書庫から料理の本を持ち出して新しいレシピの研究まで始めている。

 フーミュルから見てもわかる。ミリセントは紛れもなく頑張り屋だ。


「魔王様、味もう少し薄いほうがいいですか? 酸っぱいのは平気ですか?」


「好き嫌いは特にない」


 自分なんかの好みに合わせなくていいという意図だったが、ミリセントは少し不満げだ。


「どうせなら、おいしく食べてほしいじゃないですか」


「うまいよ」


 素直にそう言うと、ミリセントはえへへと嬉しそうに笑った。


「あの、魔王様は……甘党じゃないですか」


「え? そうだけど」


「わたし今度、焼き菓子を焼いてみようと思うのですが、そしたら食べてもらえますか?」


 ミリセントが焼いた焼き菓子。


「……食べたい」


 そう言うと、ミリセントは目を丸くして動きを止めたあと、両手にぱっと顔を埋めた。


「え、どしたの」


「嫌がるかなって思って……でも、べつにいいよって言ってくれるかもって……期待してたから……思ったより甘味に積極的な魔王様に感動してます……」


「…………」


「嬉しい……」


 フーミュルがミリセントと共に夕食を食べ終えた時だった。


「フーミュル、俺だよ。遊びにきたぁ〜!」


 急に声が聞こえたと思ったら、赤くて長い髪で、八重歯の覗く紅いつり目の男が突然そこにいた。


「ラレイル……」


 ラレイルは昔からよく知る生き残りの魔族だ。フーミュルはげんなりと息を吐いて言う。


「……今日来るなんて聞いてない」


「なぁんだよぉ! フーミュルが呼んだんだろぉ? も〜もっと早く来たかったのに忙しくてなかなか来れなかったぁ!」


 ラレイルは昔からふらふらしていて、つかみどころがない。明るくて、周りからどう思われても気にしない。自意識が薄く、他者との交流を好む根が陽キャな魔族。フーミュルは彼を昔からずっと苦手としていた。


 夕食の場だったため、当然ミリセントもいた。びっくりして目を白黒させている。


「あ、オレこいつの友達ぃ!」


 ラレイルはにこにこしながらフーミュルの肩をガシッと組んでくる。


「違う」


「あっはっは。照れんなってもー」


 ラレイルは非常に社交的で、人間とも平気でまみえる器用な魔族なので、商人として必要なものを用意してもらうことはよくあった。実際ミリセントが来てから衣類や食料などの必要なものは全てラレイルに手配を頼んでいる。彼の仕事は正確で驚くほど早い。


 しかしフーミュルはラレイルのことを友達だなんて思ったことは一度もない。どうあってもただの商人と客だ。それは再三伝えている。

 けれど話が通じたことはないし、まったく気にした様子もない。繊細さは皆無なので、会うたびズケズケと嫌なことも言ってくる。正直ものすごく苦手なタイプだった。商人じゃなければ間違いなく縁は切っていただろうし、こんなことがなければ仕事以外の相談なんて一生しなかっただろう。


 ラレイルはニコニコしながら言う。


「このかーいらしいお嬢さんはぁ?」


 片付けようとした皿を持ったまま目を丸くしていたミリセントが慌てた顔で口を開く。


「あ、わたしはミリセント・ベルと申します……」


「あー、なーにぃ? 急に女の子の服用意しろとか、食材買うとか言い出したのも全部この子のためなんでしょ? ねぇ、何? どういう関係? まぁフーミュルには魔族の女よりは人間の女のほうが合ってると思うけどさ……一体何があったの?」


 ああ、こうなることはわかっていた。

 好奇心が無駄に旺盛で、何かひとつ言うと妄想を加味して百返してくる。何を言っても嫌な予感しかしないので、フーミュルは黙り込んだ。


 嫌そうな顔で沈黙しているフーミュルを見てニンマリ笑うと、すぐにミリセントへと質問の矛先を変えた。

 

「君はフーミュルとはどんな関係?」


 ミリセントはぽかんとしたまま答えた。


「わたしは……魔王様の……契約上の……妻です」


「え? えぇ? フーミュル、結婚したの? おめでと! いつの間に? どうやって? どこで会ったの?」


「間違えたんだよ……」


「は?」


 ラレイルは口から尖った犬歯を覗かせて大きく開ける。


「何を間違えるとそんなことがおこんだよぉ!」


「呪いで超可愛いカエルにされてたんだ……」


「それで? あー、もしかして使い魔にしようとしたとか……? ぶははッ」


 ラレイルはまた腹を抱えて笑った。ツボに入りやすいのか、なかなか笑い止まない。


「あっはっは! カエル! カエルに惑わされて! そんな魔族フーミュルくらいだよぉ! ってかニンゲンの姿のほうが絶対可愛いじゃん! まじでありえない! バカ! バカてんこ盛り!」


 ラレイルは涙を流してケタケタ笑っている。こうなるから知られたくなかった。やっぱり呼ばなければよかった。


「あの……そんなにありえないことなんですか?」


「だぁってそもそも普通の魔族は魔物でないただのカエルやらトカゲやらを愛玩の使い魔にしようとしないもん。それ自体が暗い奴の趣味なんだよ! あっはっはー」


「あ、そうなんですね」


 フーミュルは忌々しい気持ちを押し殺して聞く。


「ラレイル、婚姻契約を解除して離縁する方法は知っている?」


 ラレイルは片眉を上げて少し考えた後に答える。


「さぁ、知らないなぁ。そもそも婚姻自体あんま必要がないじゃあん? 魔族同士だとまずそんなクソな契約結ばないもん。気分が乗って口約束することはあっても翌日には気が変わって浮気も乱行も日常茶飯事だしぃ」


「そうなんだよな……」


 婚姻契約そのものが古の魔術契約であり、今では魔物を使い魔にする時にしか使われていないのだ。

 ほぼないことだが、万が一使い魔が暴走することなどがあれば、魔族は自分の手でそれを殺してしまうので、契約解除の方法なんて必要とされない。


「でも、フーミュル、結婚しちゃってなんか困ることあるのぉ?」


「こ、困るに決まってるだろ。ミリセントとは彼女が呪いを受けてカエルの姿でいた時に偶然会っただけだ。それなのに彼女の寿命は強制的に引き延ばされるし、このままだと彼女は普通の結婚もできないんだぞ」


「えー、にしたってさぁ。それも縁なんだから、深く考えずに適当に楽しめばいいのに、真面目だよねぇ」


 ラレイルはフーミュルに向き直って薄く笑った。


「どーせ、手も出してないんでしょ?」


 フーミュルはとっても苦々しい気持ちになった。ミリセントが目の前にいるというのに、なんて下劣なことを直球で聞いてくるんだ。だから魔族は嫌なのだ。


「……そんなことするわけないだろ。お前らと同じにするな」


「まぁ、フーミュルはそこ潔癖だもんねぇ。昔から下ネタになると黙っちゃうし」


 大抵の魔族は奔放だ。集まる機会があればいつもだいたい四対四で盛り上がっただとか、一晩ごとに相手を替えてもうすぐ一か月、だとか下品な話題でやたらと盛り上がっている。相手の素性も気持ちもまったく気にせず目の前の欲に忠実で享楽的。関わりたくない。


 ラレイルの言う通り、以前、魔族がまだ周囲にたくさんいた頃、フーミュルはそんな話題になるといつも口をつぐみ、そっと席を外していた。

 魔族は欲望に忠実なことが美徳とされるが、フーミュルからいわせればそれは虫と同じだ。


 以前、ミリセントに一晩一緒にいてくれと言われた時に、正直に言えばフーミュルはすごく驚いたし、ほんの少し警戒もした。


 それというのも魔族の女は奔放で、そうやってしおらしくしてフーミュルを騙して強引に閨を共にしようとする輩がよくいた。それもべつに好意があるわけではない。完全なる悪ふざけでしかなく、からかって味見して楽しみたいだけなのだ。


 ミリセントはそういう魔族の女とは違う。フーミュルはそう信じて、かなりの葛藤のあと一晩側にいることを承諾した。そして、それがきちんと証明された時、救われたような気持ちにさえなった。


 ラレイルはすっかりくつろぐ格好で椅子に腰掛けてテーブルに足を載せている。それを見てまたため息を吐く。

 ミリセントに魔族を関わらせてよかっただろうか。


 ただ、ラレイルはゴミのような魔族ではあるが、仕事だけはしっかりやるし、約束を違えたことはない。商人としての信用を損なうと金が稼げないので、そこだけはしっかりしている。意外に仕事の仕方だけは真っ当なのだ。それがフーミュルが彼の店を使うただひとつの、しかし大きな理由だった。


「そうだ。ラレイル、ミリセントの魔力について、お前はどう思う」


「ん?」


「魔測機だと出ないようなんだけど、俺が見た限り確実にあるんだよ」


 ラレイルはとにかく商人向きの特性が高く、ものや人を見る慧眼も持っている。


「貴族なんだ? なぁるほどねぇ。そしたら話してみないと」


「話、ですか」


「ラレイル……お前にそんなの必要ないだろ……」


「いやいや、魔力はその人の性質に依存するからねぇ。属性とかは話せばだいたいわかるんだよぉ。オレとお話しよ」


「が、がんばります」


「あ、フーミュルは外しててもいいよぉ」


「……ここにいる」


 フーミュルは椅子に座ったまま頬杖をつき、すがめた目で答えた。

 目を離すと何をするかわかったもんじゃない。

 フーミュルはラレイルに限らず魔族を信頼していない。ミリセントが魔族ならともかく、善良なヒトであるのだから、目を離すことはできない。


「んでは質問でぇす! ご趣味は」


「掃除です!」


「大変結構! 好きな食べ物は?」


「最近は焼き菓子で……でも野菜も好きです!」


「健康的ぃ!」


 ミリセントがくすくす笑っている。

 教会に行ってからどことなく元気がなかった彼女が久しぶりに笑顔を見せているのはよいことなのだが、少し面白くない。

 いつもそうだ。この男は異様に馴れ馴れしくて、すぐに誰とでもすぐに打ち解けてしまう。


 フーミュルはラレイルが嫌いで、けれどほんの少し小さな憧憬が奥底にあるのを認めていない。


「もし、地面に肉と武器が落ちていたらどっち拾いますかぁ?」


「え? 道に落ちてたものはどちらも拾いたくないんですが……」


 フーミュルは、ミリセントとラレイルに交わされるわりとしょうもない会話を最後まで見届けた。


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