9.孤児院を訪ねた日

 散歩に出ようとして失敗した日から、ミリセントは少し変わった。

 微妙に目を逸らし続けていたこれからについて、少しずつ考えだしたのだ。

 もちろん魔王の役に立ちたい気持ちも健在だが、それは純粋に恩を返したいだけで、もう自分のための過剰な期待を孕んではいない。


 ミリセントは出ていくにしてもひとりでは何もできないことを改めて痛感した。それはきちんと魔王に相談して決めていくべきことだった。

 本来ひとりでやるべきことでも、そうしなければ逆に迷惑をかけてしまうのだ。


 婚姻契約をうっかり結んだだけで、それまではお互いどこか関係ない相手と思って遠慮していたかもしれない。ミリセントは魔王をきちんと頼るようになったし、魔王もミリセントが城を出るための相談をすると、きちんと聞いてくれるようになった。


 とはいえ人族と交流を持たない魔王がミリセントに人間としての家や、自活するための仕事を用意することはできない。彼に協力できることとできないことのすり合わせをして、双方いい形を考えていた。


 ミリセントの抱える一番大きな問題は、どこに行くにしても義母にだけは知られたくないことだった。あれだけミリセントを憎んでいた義母のこと。生きていると知れば追いかけてまた始末しにくるかもしれない。


 その日も夕食のあと、ミリセントはこれからについて、魔王に相談していた。


「魔王様、思い出したんですが、わたしの知る孤児院があるんです。そこに連れてってもらえませんか」


 ミリセントが昔、まだ両親が健在だった頃に一度訪れたそこは、教会と併設されていて身寄りのない子たちを引き取っていた。今の状況を相談して、素性を隠したまま置いてもらえればと思ったのだ。


 魔王はだいぶおののいた顔で首を横に振った。


「き、教会は……魔族とは確執が深すぎて……俺のことは絶対に知られないほうがいい」


「それでしたら、わたしだけ近くに送ってもらうことはできますか?」


「うん。それはできる」



   ***


 翌日、ミリセントと魔王はくだんの孤児院のある街外れにいた。

 母方の実家の近くにある小さな街だ。そこまで頻繁に訪れてはいないが、数が少なくても良い思い出がたくさんある。


 秋の只中で街路には枯葉が複数舞っていた。


「来たことはあるの?」


「すごく、小さな頃に。何かの手伝いで……両親と一緒に来ました」


 子供の笑い声が響く、明るくて温かな教会だったと思う。あそこなら、きっと受け入れてもらえるんじゃないだろうか。


「あの、魔王様は……どこに」


 その時に気づいた。もし、施設に置いてもらえることになれば、魔王とはすぐにお別れすることになる。契約の解除法がまだわかってないので二度と会わないということにはならないだろうが、今日までのような暮らしはもう終わる。

 もしそうなったとしても、そのまま別れるのは嫌だった。お別れくらいは言いたい。


「俺はしばらくこの辺にいる」


「はい。じゃあ、相談のあとにここに戻ってきます」


 魔王はどこか困った顔で俯いていたが、ぱっと顔を上げる。


「ミリセント……」


「はい?」


「……がんばって」


「はい!」


 確かにそこは昔一度来た場所だった。

 けれど、記憶の中とは雰囲気がだいぶ違っていた。

 年月が経過しているせいか、建物は経年劣化していたし、小さくも見えた。それに、しんとしていてさほどの活気も感じられなかった。ミリセントも幸せな頃の記憶として、少し美化してしまっていたかもしれない。


 中は薄暗い。掃除していた子供の一人に声をかけると小さな部屋へ通される。

 ほどなくして先ほどの子が丸い眼鏡をかけた痩せた青年と共に現れた。


「お待たせしました。私はここの管理をしております、ミュラーと申します。まだここを任されて間もないんですよ。ご用件は」


「あの……すみません。ここでお世話になりたいんですが」


 ミュラーは軽く目を見開いて動きを止めた。

 予想外だったのか、ミリセントを上から下までじっと眺める。


「お子さんがいらっしゃる……とかではない?」


「はい……わたし自身です」


「そうですか……それでしたら少しお待ちを」


 ミリセントは壁のシミを見つめながら、またぼんやりと心細い気持ちで座っていた。


「まずはこちらをお願いします」


 戻ってきたミュラーの手にあった見慣れたそれを見てゾッとした。中央の円に手のひらを当て、数値の針が動くのを測定するそれは――


「これ……魔測機ですよね」


 それは過去にミリセントから何度も何度も尊厳と価値を奪った魔力量を測定する機械だった。

 心臓がドクドクと鳴り始める。帰りたくなった。

 ミュラーの顔が少し明るくなる。


「ご存知でしたか? やはり、貴族でいらっしゃる?」


「いえ。違います。必要ありません。わたしには……魔力はありませんから」


「何か事情がおありなんですね。でも上流階級のお育ちですよね。所作を拝見していたらわかりますから」


「嫌です」


「一応、形式的なものですので」


「必要ありません……」


 部屋は沈黙に満たされ、結局ミリセントは震える手を魔測機に当てた。


 想像通り。針は少しも揺れなかった。


 ミリセントは目の前が暗くなった感覚で、しばらく呆然としていた。


「……ご協力、ありがとうございます」


 ミュラーの静かな声が響いた。


 ミリセントは最初に通された薄暗い部屋で、ところどころ当て布が禿げた椅子に座り、俯き、ぼそぼそとしゃべっていた。


「お名前をお伺いしても」


「…………ミリセントです」


「家名は」


「言えません……」


 先ほどのことで信用できなくなってしまったので、万が一義母に連絡でもされたらと思うと、苗字を名乗る気にはなれなかった。


「家出されたんですか?」


「…………いえ、少し違います。追い出されました。しばらくお世話になっていた人がいたんですが……これ以上ご迷惑をかけたくなくて……」


 ミュラーは目の前の机に座り、頭を掻いた。


「二年ほど前にお達しがあった国の条例で、ひとつの施設で受け入れる人数に制限ができたんです。私が引き継いだ時点でここはもう一杯の状況でして。魔力があれば、引き取り手の需要もかなりありますし、特例で枠も増やせるんですが……素性も明かせない、魔力もないとなると、うちではちょっと難しいです」


「…………」


「家出されてここに来られたのなら、お帰りになったほうがいいです」


「家には……帰れません」


「それでしたら家を出てから世話になっていた人のところにいたほうがまだ賢明ですよ。うちは食事も貧しい状況ですし、貴族の方には難しいかと」


 どうやら貴族の娘が我儘で家出したと思われているようだ。


「家に帰ったら殺されます! それに、その人は……魔族なんです。ずっとはいられません」


 ミュラーは顔色を変えた。きっぱりと言う。


「それでしたらなおさらお帰りください」


「え……」


「私はここの子たちを守る義務がある。やっかいごとを持ち込まれても困りますから」


「そんな人じゃありません! 助けてくれたんです!」


 正確には助けたわけではないが、悪く言われたくはない。それなのに、ろくに言い返せない。悔しくてたまらなかった。

 このままだとあまりに来た意味がない。仕事先の情報だけでも聞いて帰りたい。


「あの……それでしたら、仕事先を紹介していただくことはできますか?」


 ミュラーはため息を吐いた。


「この間、まだ小さい子をひとりここに引き取るために、あなたくらいの女の子が自ら志願して出て行きました。自分は娼館にでもなんにでも行けば、生きてはいけるからといって」


「…………それは、結局あなたがその人を見放したということですよね」


 国に向けるべき憤りをミリセントに八つ当たりされている気持ちになって、ミリセントはつい言い返した。

 そしてミリセントの言ったことは無神経ではあったが、図星でもあったのだろう。ミュラーは血気だった。


「っ、ここは子供がいるわけでもないあなたくらいの年頃の女性が来る場所じゃないんだ! 皆貧しいながら自分の持ってるものを切り売りして生きてます。自分でなんとかできる年齢の方の世話までしていたら、それこそ潰れます。お引き取りを」



 それから数分後。

 ミリセントは木の根にぽつんと座っていた。

 魔王が心配そうな顔でこちらに向かって来ていた。


「どうだった……?」


 しかし、返答を聞かずとも顔を見て結果は察したようで、近くまで来て立ち止まった。


「わたしの考えが……甘かったです」


 ミュラーが正しいとは思わないけれど、完全に間違ったことだけ言ってるわけではない。十八歳のミリセントに無条件に住む場所と仕事を与えてくれるなんて、甘い期待をすべきではなかった。


 もしかしたら今日行った場所がそうだっただけで、別の場所に行けば違う対応かもしれない。

 けれど、今日だって勇気を振り絞って行ったのだ。もしまた同じ目に遭ったらと思うとそれを確かめるのも怖くなってしまっていた。


 ぽつぽつとあったことを話すと、魔王は黙って聞いた。


「わたしに魔力があれば……違ったのかもしれませんが……」


 貴族だけでなく、人間社会は思った以上に実用性のない『魔力』にとらわれている。ミリセントはこの国のどこにいったとしても同じことかもしれない。


 黙りこんでいた魔王が口を開く。


「魔測機ではやっぱりゼロだったの?」


「はい」


「そんなはずないんだけど……精神が安定してないと発露しにくいのか……君の魔力についても、もう少し育てられるか調べてみようか」


「え?」


「俺は使いもしない魔力なんてあるだけ無駄だと思うけれど……君の自信になるかもしれない」


「自信、ですか」


「うん、君が、心の底からそんなものどうでもいいんだと思えるために、高い魔力を持つのは悪くない」


 確かに、持っていない状態でそれをいうのはどこか負け惜しみじみてしまう。


「あの、ミリセント」


「はい……」


「君が出ていこうと頑張ってるのはわかるけど……俺のほうは本当に、ゆっくりでいいから」


 魔王はどこか憤りを感じさせる声で、きっぱりとした口調で言い切った。


「……はい」


「帰ろう」


 手を繋ぐのは嫌がるだろう。それでも心許なくて、ミリセントは魔王のマントの端をぎゅっと掴んだ。

 ミリセントと魔王は、しょんぼりと肩を落として城に帰宅した。





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