8.ミリセントが消えた朝


 ミリセントは思い悩んでいた。

 何か役立とうとしても、まったくうまくいかない。失敗してばかりだ。


 いや、そもそもミリセントがやったいろんなことはすべて、魔王が望んでいたことではない。掃除も食事も縁談の邪魔も、ミリセント自身がここにいる理由を作るためでしかない。それを喜んでもらえなかったからといって落胆するのは傲慢だし自分勝手だ。


 魔王の性格だと、人が自分のためにしてくれたことに迷惑とは言わないだろうし、彼はきっと行くあてのないミリセントを放り出したりはしない。けれど、そこに甘え続けるような迷惑な存在にはなりたくはなかった。


 はっきり迷惑とは言われていないが、魔王は最近時々「困った困った」とブツブツ言っている。本当は早く出ていくべきなんだろう。間違いの婚姻契約だって、本当は離れた場所にいて離婚方法が見つかったときに会えば済む話だ。


 ミリセントは魔王の平和なひとり暮らしを阻害していることに罪悪感を抱いていた。

 ミリセントがいることに得を見出してもらえなかった以上、どうにかして出て早く出ていかなくてはと思っている。


 今となればミリセントは自分の家ももっと早く出ればよかったと思っている。そんな方法はなかったけれど。望まれていないのにその場所にいるのはとても辛いことだから。


 もしかしたらどうでもいい嫌いな家族に望まれなかった時よりも、今、善人である魔王に望まれていないことは辛く感じられるかもしれない。だからやっぱりここを出ていきたい。


 ミリセントは重ねて迷惑ばかりをかけてしまっていることで、そろそろきちんと外で生きていく術を見つけなければならないと焦っていた。もちろん今すぐと言うわけにはいかないが、そのために何かしなければならない。


 自分は魔王の人の好さに甘えて結局ここに居続けるためのことばかりして、出ていくために何もしていなかった。


 とはいえこの国は女性がひとりで暮らしていくのに適した仕組みができていない。知識がなければそれこそのたれ死んでしまうかもしれない。そこは慎重に動くべきだった。


 ミリセントは何かできる範囲でやれることがないか考え、とりあえず城の外へ出てみようと考えた。

 もし街が近くにあれば、雰囲気だけでも見て、仕事を探してる店を見つけられるかもしれない。

 もちろんすぐにうまくいくなんて思ってはいない。まだできることは少ないけれど、一歩を踏み出すことできちんと出ていく方向に心の舵を振りたかったのだ。とりあえず頑張ってみて、頑張ったという事実で少しだけでも焦りを抑えたかったのかもしれない。


 ミリセントは早朝に思い立ち、はやる心のまま、城門の前まで来た。


 重い城門の端に通用門があるのを見つけ、内側から開ける。そろそろと一歩外に出た。


 城の周りは背の高い茶色の岩がそびえるばかりで、荒涼としていた。地形のせいなのか、埃を含んだ乾いた風が吹いている。


 とりあえず、まっすぐ歩けば迷うことはないだろう。ミリセントは散歩くらいの気持ちで歩き出した。

 外はひんやりした風が吹いていた。ミリセントは上に羽織ってきた長いローブの前を合わせた。


 しかし、どこまで行っても荒涼としていて、何もなかった。


 もしかしたら、あの引きこもり気質の魔王が住む場所に選んでいるのだ。周りに人里なんてないかもしれない。


 でも、もう少しだけでも歩いてみよう。

 何かしなくてはならないのだ。

 その気持ちだけでどんどん行く。

 まっすぐ行けば、迷うことはないのだから。


 振り向くと魔王城が砂埃に塗れて姿を消していた。




   ***




「ああ、困った困った……」


 魔王フーミュルは困っていた。


 フーミュルがもともと退屈なひとりの生活を楽しんでいたかというと、性格の暗さから常にどんよりはしていたし、とりたてて幸せだとも思っていなかった。


 それでも、妙な自作の歌を作って歌っても笑われない空間は貴重だし、ひとりきりで温かいお茶を飲みながら夜の星を眺めて寂しくなるのはちょっと好きだった。

 好きな時間に起きて、買物に行ったはずが散歩だけして帰る適当さが許されるひとりの生活は心が無駄に波立つこともなく、安定が保たれる。生きてく上でとても大事にしていた。


 その安定的な生活に、ミリセントという他人がぽんと入り込んできたというのに、無理に追い出したいとまでは思っていなかった。

 他人が自分のテリトリーに入り込むなんて死ぬほど嫌なはずなのに、これはものすごく不可解なことだった。


 フーミュルは基本押しが強くないし温厚だが、ひとりの時間に入り込もうとする者にははっきりと邪魔をするなと言える。

 きちんと拒絶をできなければとことんつけ込まれる環境にいたからだ。

 だから本気で出ていってもらいたければ、はっきりとそう言っていただろう。


 ミリセントのことをひとりの個人として認識してから、好ましいとは思っている。

 彼女はカエルの時ものすごく可愛いが、ヒトの時も明るくて可愛い。

 顔も可愛いし、鈴を転がすような甘い声も、ものすごく可愛い。性格も明るく前向きで、世話焼きではあるが、肝心な部分の遠慮はあり、そこまで横暴じゃない。いい子だ。


 あと、ミリセントは嘲笑してこないし、殴ってこないし、怒ってこないし、襲ってこないし、嫌がらせもしてこない。

 今まで自分の周りにいた魔族の女性たちとは全く違う。追い出したくならないのはそのせいだろうか。


 いや、ミリセントにはおそらく家に帰れない事情がある。

 おそらく同じ年頃の令嬢が知っているようなことも知らない。なぜか料理も作れる。掃除が得意と言っていた。カエルになる呪いをどこでかけられたか。それも想像がつく。彼女はそこまで語らないけれど、きっと行き場に困っている。

 だから本来ならすぐに逃げ出したくなるような、こんな不気味な城に置いてくれと言うようなはめに陥っているのだろう。


 彼女は可哀想な子だ。城を追い出すまではしなくていい。それはやりすぎだ。ぽんと外に放り出しても、きっと彼女は生きていけない。

 きっと、自分は彼女に同情しているのだろう。だから出ていってほしいとまでは思えずにいる。


 けれど、フーミュルは最近ではだんだん、ミリセントとあまり一緒にいたくなくなっていた。一緒にいるだけでざわざわするし自己嫌悪に陥りやすい。

 それは、理由のぼんやりした危機感で、見る間に膨れ上がっていく。


 ミリセントが来てから何かが変わろうとしている。このままでは百年を超えて守っていた自分の大切な核に亀裂が入れられてしまう。自分の嫌う『変化』が訪れてしまう。


 ミリセントを追い出したいとまでは思わないのに、同時に早く追い出したい。フーミュルは矛盾した感情に苛まれて、焦っていた。


 せめて生活をもう少し分けたほうがいいかもしれない。たとえば食事は別にする。自室の掃除はやめてもらう。

 住む場所を奪わなくても、関わりを持たなければそれでいい。もう少し距離を置いてもらわないと自分の中の一部が変質してしまう気がする。


 フーミュルは珍しくミリセントを訪ねることにした。


 そこですぐに違和感を覚える。

 ミリセントは城の中のどこにもいなかった。

 婚姻契約を結んでいる相手で、おまけにミリセントは魔力持ちだ。城は広いが、近くに気配があれば大体の位置くらいはわかる。


 フーミュルは考え込み、城の中を歩きまわった。

 そうして、あることに思い当たった。

 昨日、ミリセントに初めてのお給金を渡した。


 その時の嬉しそうにしているミリセントの顔が思い出される。


 ミリセントは働いたお金を軍資金に、ずっと出たいと思っていた不気味なこの城を出たのだ。


 昼過ぎになって、ようやくその答えに至ったフーミュルはショックを受けていた。そして、ショックを受けている自分にまたショックを受けた。


 何も困らないはずなのに。


 ミリセントに心をかき乱されることにも危機感を感じていたのに。


 ひとりの生活に戻ることを望んでいたことのはずなのに。



 それなのに、なぜだかミリセントに捨てられたような気持ちになった。




  ***




 ミリセントは魔王城のほうに向かって帰るため歩いていた。

 風が強く、本当に方角が合っているかはわからない。けれど、とにかく歩くしかない。こんな荒涼とした何もない場所では夜を越せない。


 前方に人がいた。ふたり連れの男だった。旅人の格好をしている。


 このまま誰からも見つけられずに朽ちるしかないと怯えていたミリセントは安堵の息を吐いた。もし、向こうにいる旅人が同じように迷ってるのだとしても、ひとりと三人では気の持ちようが違う。


 そちらに向かって小さく手を振ってみる。

 すると、男達はミリセントに気づくと、わぁっと声をあげて駆け寄ってきた。


 助かった。そう思ったのも束の間だった。

 息を切らして全力でミリセントの目の前まで来た男のひとりが興奮した声を上げる。


「よっしゃああ! こんなとこに女がいるなんてツいてるぜ!」


「え?」


「あぁ! 三日前娼館に入る金がなかった時は悔しくて泣きそうになったけど、助かったなあ!」


 思っていたのと違う反応をされた。娼館、女、そんな単語から彼等の目的を察したミリセントは自分の身を抱いて後ずさった。


 一瞬だけ助かったと思ったのに、あっという間に状況は悪化していた。


 目の前の男たちを強く睨みつける。


「おい、どっちが先だよ」


「俺からだろ!」


 しかし、まったく意に介していないようで、会話は男たちの間だけで行われている。


 彼らはミリセントをヒトとして見ていない。

 同じ人間なのに。ミリセントは彼らにとってただの獲物だった。ぞっとして、恐怖を感じる。


「お前はいつもそうだよ!」


「何言ってんだよ!」


 喧嘩が始まったのでその隙に踵を返して逃げようとする。


 けれど、まったくこちらを見ていないと思ったのは間違いだった。ミリセントはフードを掴まれてその場に倒れ込んだ。

 乾いた黄土色の土が口に少し入り、膝を擦りむいた。


 片方の男がミリセントが逃げないように馬乗りになった。


「あっ、結局お前かよ!」


「うるせえ! さっさとすますから文句言うな!」


 怖い。

 どうして誰も自分をヒト扱いしないんだろう。

 魔王の顔が一瞬浮かび、消える。


 その瞬間、パァンッと鋭い破裂音がして、男が弾き飛んだ。


「……っ、なんだ?」


 近くの岩場に叩きつけられた一人が首筋を押さえて起きあがろうとしている。もう一人は怪訝そうにしながらもにじり寄ってきている。


 まだ危機は去っていない。周囲を確認すると、知っている姿が空にあった。


「ミリセント!」


「ま、魔王様……」


「何があった?」


「わかりません。急に弾き飛んで……」


 ミリセントの声にごろつきたちがざわついた。


「魔王って……あの、伝承にある……首ちょんぱ百人斬りの……?」


「血まみれ股裂地獄の……まさか、あの女は罠……?」


 ごろつき達は「ひいぃぃっ」と悲鳴をあげて逃げていった。


「魔王様、ものすごいあだ名あるんですね……」


「全部父のことだ。それよりあいつらは……?」


「知らない人たちでした。急に乱暴されそうになって……」


「なるほど。婚姻契約の力が働いたのか……無事でよかった」


「……っ、はい」


 ミリセントはほっとして魔王に身を寄せた。

 普段はビクリとして避けられるが、今日はそのまま、動かずにいてくれた。魔王はごろつき共が走っていった方向を睨みつけている。


「魔王様は、わたしが怖いときに、いつも来てくれますね」


「え、あ……給金が部屋に置いてあったから……もしかして散歩にでも出て、迷ってるのかもしれないと思って……」


 魔王はそこから少しためらったあと、また口を開ける。


「迎えに……きたんだ……」


 風が吹いて乾いた土埃がざざ、と魔王の足元を撫ぜていく。


「ありがとう……ございます」


「また、伝えておかなかった俺が悪いんだけど、ここの周りは本当に何もない。もし出たいとしても、相談してくれたほうが……安全だから」


「いえ……そんなつもりではなかったんです」


 ミリセントは首を横に振る。

 外の世界は自分が思っていたよりずっと危険だったし、きちんとした手順を踏まなければ散歩にすら出るのは難しかった。


「出ていこうとしたわけじゃ、ないんです」


 ただ、自分が思った以上に無力で、何もできない存在であることがわかった。


「……そうなのか」


 魔王がいくらかほっとした顔をした。


「でも、もし、城を出たくなったら……その時は先に言ってほしい」


「ごめんなさい。早く出てほしいですよね」


「そんなことはないよ」


 魔王はきっぱりと言った。もしそれがただの気遣いだったとしても……いや気遣いを感じたからこそ、嬉しくて涙が出てくる。


「さっきの人たち……わたしのこと、ヒトだと思ってなかった……」


 その目は扱いの種類こそ違ったが、家の人間たちと同じものだった。


「魔王様が……あなただけが、いつもわたしをヒトとして扱ってくれる……」


 そう言うと、魔王は悲しそうに笑った。




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