7.ラブラブ大作戦


 その日、ミリセントがエントランスホール二階の拭き掃除をしていた時のことだった。

 入口の来訪者を写し出す姿見に、年頃の女性とその父親くらいの男性のふたりが写っていた。


 思わず前に行ってまじまじと見ているといつの間にか背後に魔王がいた。ミリセントが振り返ると、首を横にブンブンと振る。


「いない」


「え?」


「俺は今いない! 君も物音を立てない! 息は殺す!」


「こんなに広いんだからわかりはしないと思いますけど……」


 魔王は頭を抱えて上体を伏せている。ミリセントは必要性を感じなかったが、とりあえず同じ格好で伏せた。


 ガンガンガン。


「いらっしゃるのはわかってますぞー!」


 手に持ったステッキで門を叩いている。

 とても聞こえない距離だが、姿見から音まで来る。この姿見、防衛のためのようだが、魔王には逆効果のようだからなくせばいいのに、とミリセントは思う。


 山に囲まれたこの城は魔力があってもなかなか気軽に来れるような場所ではない。せっかく来たのだから面会したいのだろう。門を叩く音はなかなか止まなかった。


「ひぃ……!」


「借金でもしていたんですか?」


 魔王はプルプルと首を横に振る。


「ちょっと来て」と言って階段を登った魔王は自室の隣の扉を開けた。棚には大量の手紙が積まれている。ほとんどは封も切られていない。


「これを見てくれ」


「なんですか? この大量の手紙は……手紙、ここに届くんですか?」


「普通の郵便屋には届けられない。私書箱があって使い魔が毎日取りにいっている……本当はそんなもん設置したくないんだけど、しないとこうやって来る人間がもっと増えるからドッペルが毎日取りにいってる」


「それにしたって……こんな量の手紙……」


 尋常ではない。比較的書簡のやり取りの多い貴族の屋敷だってここまでの量は受け取らない。なにか恐ろしいことがおこっているのだろうかと身構える。


「これは、すべて縁談の申し込みだ」


「魔王様にですか?」


 魔王はため息をひとつ吐いて頷いた。


「近年の貴族の人間は魔力をステータスにしてるところがあるだろう。手段を問わず、他者から抜け駆けするため、高い魔力を持つ者を探している」


「そうですね……」


「過去にあった勇者の討伐により、魔族は激減した。もう人間族を駆逐できるほどの数もいない。希少な存在となった。そして俺は……数少ない魔族の生き残りで現魔王だ。高い魔力を持つ者を家に入れたい、その血を取り込みたい貴族たちはそこに目をつけたようで……ここ数年貴族からのしつこい縁談がひっきりなしで……とても困っている」


 確かに魔族に求婚する家があるというのは聞いたことがあったが、まさかここまでの状況になっていたなんて。見境のなさに驚く。


「つまり、魔王様はモテモテなんですか?」


「モテてない。顔も合わせたことないのに……だいたい嫌だよ。見知らぬ貴族と結婚なんて。あいつらやたらと夜会とか開きたがるだろ。シャンパン片手にチース! とか言って一晩中踊りくるったりしてるだろ。俺は家にこもってお茶飲んで甘いお菓子食べながら本読んでるほうがいい」


「……断りの手紙を出してみてはいかがでしょう」


「最初は丸一日かけて……文面を精査して返事していたんだけど……すごい疲れるし、あとからあんなこと書かなきゃよかったとか後悔するから、三日ほど使いものにならなくなるし……気を遣い過ぎた文面のせいで断りが伝わりづらくなったりもして、結局また来る。そのうちにどこかから情報が漏れたのか、とても返せる量じゃなくなった」


 他人との交流を苦手としている魔王がこの状態を望ましくないと思っているのは非常によくわかる。

 そのとき、ミリセントはひらめいた。


「あ……そしたら! もう結婚してるって言えばよくないですか?」


「……ん?」


 拳を固く握り言い放ったミリセントを、魔王は困惑した表情で見ている。


「その、来たら入っていただいて……わたしたちのラブラブを見せつけて追いかえせばいいんです!」


「え? 何言ってんの? 正気?」


「ラブラブ大作戦です! それしかないです!」


「なにその猟奇的な作戦名……こわすぎるだろ!」


「何もこわくないです!」


 これは、ようやく魔王にミリセントがいたほうがいいと思ってもらえる好機かもしれない。

 ミリセントは熱弁した。


「そうです! わたしは縁談クラッシャーとして、今度こそお役に立ちますよ!」


「ク、クラッシャー……いや、遠慮しとく!」


「では、こんなのが定期的に来てもいいんですか?」


「それは……かなりの精神的負担だけど」


 しかしミリセントが提唱した方法も、それはそれで負担なのだろう。魔王は渋っている。


「嘘はついてないんですよ?」


 婚姻契約を結んでいる以上、嘘ではない。今だからこそ使える手だともいえる。


 魔王は難しい顔でウロウロと廊下を歩き、唸っていたが、不意に顔を上げる。


「帰った!」


 姿見を指して、実に嬉しそうな声で言った。

 確かに、姿見には先ほどまでいた親子の姿はもうなかった。しかし。


「でも、何か置いていきましたよ」


「え?」


 ミリセントが外に出てみると、手紙が挟んで置いてあった。拾い上げて文字を確認する。


 三日後にまた来る。魔王様は娘を絶対に絶対に気に入るはずだ。


 要約するとそんな旨が長々としたためられていた。

 背後から手紙を覗き込んだ魔王が「ヒッ」と息を呑む音がした。


「ちゃんとお断りしたほうがいいですって」


「あああ……そうかもしれない……でもなぁ」


「じゃないときっと、いつまでも何度も来るかもしれませんよ」


「いつまでも何度も……?」


「諦めてもらいましょう!」


「あ……ああ」


 だいぶ渋っていた魔王もついに折れた。


「じゃあ今のうちに準備しておきましょう! わたし、作戦を考えますから!」


「……作戦?」


 ミリセントは張り切った。


「魔王様は……そうですね、もう少し嫌な感じの奴を装うといいです」


「うん?」


 一般的な魔王ならば、会いにきて結婚しようなどと思うはずがないが、フーミュルは会えば温厚だし悪辣さもない。話も通じるし、そういう意味では人間との結婚生活ができてしまいそうなのだ。おまけに黙っていれば知性的で格好いい、目を見張る美形だ。きっぱりと断るのならば悪い魔族と思ってもらうにこしたことはない。


「魔王様、もっと悪そうな服ありません?」


 魔王は普段から黒づくめではあったが、ほとんど装飾のない簡素な衣服を着ていた。


「悪そうな服か……父のものがあったかもしれない」


 そう言って衣装部屋に入った魔王が、おどろおどろしい格好で出てきた。


「ど、どう?」


「素晴らしいです!」


 全体的に黒いのにゴテゴテギラギラしている。変なところにトゲトゲもたくさん付いていて、最高に悪趣味だ。返り血がシミになってるのもすごくそれっぽい。道を歩いていて正面からこんなのが来たらとりあえず逃げる。


 けれど、向こうは魔王に会いにきているのだから、前知識がなければ、こんなものかと思うだけでさほど驚かないかもしれない。


 大広間に彼の父が使っていたという大きな玉座があった。

 普段は布がかけられ、隠されているそれを外し、座ってもらった。少しでも悪の総領ぽさが出ればいい。


 魔王は玉座に両手を揃えて姿勢よく座った。


「魔王様! 姿勢がよすぎます! もっと偉そうにしててください!」


「……こんな感じか?」


 魔王は行儀良く膝に揃えて置いていた手を横に退け、少し脚を開いた。


「まだ緊張しすぎですよ! 猫背になってます! もっとふんぞり返って! 長く生きてたら周りに偉そうな人いませんでしたか? その人の真似をしてみてください」


「父だ……」


 魔王は低くそう呟いてから、脚を組んでふんぞり返った。


「こうか?」


「すごくいいです! 傲慢な感じ出てます! 魔王の素質ありますよ!」


「えぇ……なんだそれ複雑」


 あとはちゃんと夫婦を装えるかだ。装うも何も契約上は夫婦なのだが、現実の距離はまだ友達にも届いてない感じだ。


「魔王様……夫婦ってどう装うんです?」


「え、そこ……? 仲睦まじい夫婦なんて俺が知るわけない」


「そうなんです?」


「俺の両親は血で血を洗う強烈に暴力的な喧嘩ばかりしていたし……そもそも魔族は大抵奔放だから誰が誰の子かわからないことのほうが多いくらいで……睦まじいとは程遠い」


「なるほど」


「君の両親は?」


 ミリセントは自分の実の両親を浮かべた。それからぽつりと言う。


「身を寄せ合って」


「え?」


「微笑みあったり」


「……ひぇ?」


「手を繋いだり……」


 何か言うたびに魔王が怖い話を聞いたみたいな声をあげて怯えた顔をする。


「わたしの両親は、そんな二人でした」


 ミリセントの両親は特に何も言わなくても、互いを見つめあっているだけで、愛し合っていることが伝わってくるような二人だった。


 母が亡くなったあと、周りの勧めで再婚してからも、結局父はずっと母を愛していたと思う。そして、それこそが義母がミリセントを憎む原因にもなってしまっていたのだろう。


「……そういう、難易度が高すぎる一般的な夫婦を装うのは諦めよう」


 魔王が妙に潔く言い切った。


「え?」


「ほどほどに、夫婦であることがわかればそれで十分だろ」


「ほどほどって……逆に難しくないですか?」


 ミリセントは本物でないからこそそれっぽさがないと不安になってしまう。


「うーん……やっぱりやめておかないか?」


「未来の安息のため、少し頑張りましょうよ」




   ***




 三日後、手紙の通り親子は再び訪ねてきた。姿見でそれを確認したミリセントは急いで魔王を呼びにいく。


「魔王様! 作戦始めますよ! 配置についてください!」


「お、おー……」


 魔王はだいぶ嫌そうに門を開け、広間の奥でけばけばしい玉座にふんぞり返って座った。


「魔王様、やっとお目に掛かれて光栄です。私はカイン・エクロイドと申します。こちらは娘のハンナ」


「…………」


 魔王はしゃべらなかった。ぴくりとも動かない。

 不審に思った父親が声をかける。


「魔王様……」


「……そうか。大丈夫だ」


 魔王は最低限の意味不明な返答だけした。あまり饒舌にしゃべるとボロが出やすいので、安全策だ。ついでに感じが悪くなるので一石二鳥だと思ったが、ぽろんと出てくる言葉がどうにも人が好いのは仕方がない。


「余と婚姻をとのことだったが……すでに婚姻はしている」


 ハラハラしながらミリセントが見守っていると、魔王が打ち合わせ通りの台詞を吐いた。ほどほどに抑揚がない棒読みだったが、こういう喋り方の人もいなくはないとギリギリ思える。


「魔王様が婚姻を……? そんな話は聞いておりませんが」


 ミリセントはさっそうと出てきて、親子の前でペコリと一礼した。


「初めまして、わたくし、魔王・フーミュル様の妻のミリセントと申します」


 そうして座る魔王にそろそろと近づき、どうだ! という顔をして見せた。


「婚姻は本当です。人間の世間に知らせる必要などありませんから」


「いや、しかし……」


 急な話に父親は怪訝な顔をしている。

 ミリセントは焦って魔王に身を寄せる。魔王がビクッと震えた。そしてミリセントにだけ聞こえる小声で言う。


「ミリセント……そんなくっつかなくても……」


「ダメです! 夫婦なんですから! 疑われてるじゃないですか」


 ミリセントは耳元で小声で言って、さらに身を寄せた。魔王はまた、思い切りびくりと震えた。


「ち、近い……」


「近くなきゃ仲睦まじく見えないでしょう! もっと堂々と! そうだ。わたしの肩に手でもまわしてください!」


「い、いやそれはちょっと……」


 こんなに張り切って役立とうとしているのに、どうして本人がこうも非協力的なんだ。

 ヒソヒソ声でやりとりするふたりを、親子は不審な目で見ている。


「もうっ!」


 焦ったミリセントは魔王の腕にぎゅっと抱きついた。


「だぁっ、無理だって……!」


 魔王はミリセントの思う以上にすぐに限界を迎えたらしい。ぱちん、と音が聞こえ、次の瞬間、ミリセントはカエルの姿でそこにいた。


「なっ……か、カエル?!」


 大きく目を見開き、驚いた父親が気色ばんだ声を出す。


「魔王様、もしや、カエルを嫁と偽って断ろうとしていたんですか?」


「…………」


 魔王は固まる。しばらくして、真顔で言い切った。


「いや、これはカエルではない」


「どう見てもカエルじゃないか!」


 即座に切り返されている。これはまずい流れだ。ミリセントはそのまま叫んだ。


「わたしは……隣国からさらってこられて、手籠にされて、用がなくなるとカエルにされたんです! この城には同じようなカエルが百匹はいます!」


「な、なんだって?」


 さっきまで強気だった父親がたじろいだ。魔王もかなり驚いた顔をした。


 ずっと黙っていた娘が声を上げる。


「お父様! わたくし嫌です! 家のためとはいえ、こんなのひどすぎます!」


「ハンナ、何を言い出すんだ」


「そもそも、わたくしはもともとケイン様と婚約するはずでしたのに……なぜですか?!」


「そ、それは……少しでも家の格を上げなくては……」


「そのためなら、娘の命はどうだっていいっていうんですの? わたくしとて貴族の娘です。せめて、人間の相手なら我慢もしましょう……でも……こんな……こんな……うっ」


 娘ははらはらと泣いた。

 ミリセントは気の毒になってきた。こんな、女を連れ込んで手籠めにして用がなくなるとカエルにして閉じ込める悪辣な魔王の元に嫁がせようとするなんて……ひどすぎる。魔王を見るとやはり、ひどすぎる……という顔で父親を見ていた。


 父親は考え込むようにしばらく黙っている。

 冷静に考えれば、そのシナリオでなぜ最初縁談を断ろうとしていたのかが腑に落ちない。細かなところは穴だらけだった。

 だからミリセントはダメ押しに悲鳴をあげた。


「ううっ、この間壁に思い切り投げつけられたところが痛い!」


 父親と令嬢と魔王がビクッと揺れた。


「毎食虫を食べさせられるのも辛いです……!」


 ミリセントの声を聞いた娘がわっと顔を覆い、父親がついに折れた。


「や、やはり、この話はなかったことに……!」


 ミリセントの脳裏に勝利のラッパの音が高らかに鳴り響いた。

 親子が大急ぎで帰っていってからミリセントは満面の笑みを浮かべ、魔王に言った。


「断れましたよ! 魔王様!」


「こ、断れたけど……あまり俺が悪辣に思われると……問題が……」


「え? ダメなんですか?」


「あまりやりすぎると魔族とヒトとの間の均衡が崩れる。今の時代は互いになるべく平和に、関わらないでいられるのが一番だから……」


「あ……」


 やってしまった。

 確かにまかり間違ってヒトが魔王を襲撃でもしたら大変だ。ミリセントは責任を感じて反省した。よもや魔王が悪に思われることに問題があるとは想像が及ばなかった。


「そ……そうですね。ごめんなさい、わたしったら……浅慮でした」


「い、いや、僕も言ってなかったし、そこまで気にしなくていいけど……この方針はやりすぎないようにしよう」


 いや、ものすごく気にしたほうがいいところではないだろうか。


 ミリセントはがっくりと項垂れて「はい」と答えた。



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