6.かたまりから剥がれ落ちたもの


 人間の娘が城に来た。


 というか、うっかり自分で連れてきてしまった。

 毎日フーミュルに話しかけてくる。

 城の掃除をして、夕方には食事を用意したと言って呼びにくる。


 久しぶりに他者とまみえたせいかもしれない。フーミュルはミリセントが城に来てから昔のことをよく思い出す。


 魔族の多くは腐の樹海と呼ばれる不毛な地に集落を形成し、その一帯は魔界と呼ばれていた。昔から魔物が多く、ヒトは寄り付かない。

 そこで数を増やし、小規模な国家を形成したのが魔王の一族で、フーミュルも昔はそこにいた。


 まだ魔族が周りにたくさんいた頃から、フーミュルは友達がいなかった。友達以外にも、心を許せる相手もいなかった。


 魔族というものはある意味わかりやすい。大体悪辣で、暴力や略奪を楽しみ肉欲や金儲けに溺れやすい。そして他者を服従させる『力』が強ければ強いほど敬意を集める。ヒトよりは野生動物に近い。そのわりに悪知恵だけは持っている。


 そんな中、温厚なフーミュルはひとことで言うと、浮いていた。


 魔族は成長がかなりゆっくりになる十八以上は、すべて成体とみなされる。フーミュルは幼い時期は魔王である父の陰に隠れて目立たず過ごしていたが、成長してからは目をつけられることが増えた。


 魔族の中でも細かな序列があり、ボスを中心とした小さな群れを形成していることが多い。本来なら気の弱い魔族は食い物にされて駆逐され、淘汰されていく。


 しかし、フーミュルはある時からしつこく絡んでいた高位魔族から喧嘩をふっかけられ、易々と返り討ちにしてしまった。ろくに発揮させていなかっただけで、実際のところ、魔力だけは家族の誰よりも持っていたのだ。


 そうすると今度はフーミュルを群れのボスに据えて傀儡しようとする魔族が幾人も寄ってきた。


 けれど、フーミュルは単純な力や強さだけはあったが、上に立ち人を束ねる性格ではまったくなかった。

 父は魔王としての教育しようとしたが、まるでうまくいかない。周りはフーミュルを扱いにくく、いびつな存在である彼は身の置き場がなくなっていった。


 そういう訳でフーミュルが魔界を出奔したのは彼がまだ百歳にも満たない頃だったが、とても自然な流れだった。


 それでも身ひとつで出てきたため、食い扶持は稼がなければならない。

 フーミュルは、人がおいそれと入り込めない地形にある鉱山から希少な鉱石を採取し、それを売ることで金を得ることにした。


 魔族と関わりを持ちたくなかったため、当初それらの売買は人間の商人相手に行っていた。

 初めてヒトと関わった時には穏やかで話の通じる相手というものに感動したものだ。


 フーミュルと取引主は時間をかけて商売における信頼関係を築いた。やがて市井に魔族が出没し始め、ヒトの生活が脅かされる時代が来ても、それは変わらなかった。


 けれど、時が経ち取引主が世代交代した。引き継いだ息子は以前からフーミュルが魔族であることを嫌悪していた。


 息子はやがて突然、鉱山の権利者と名乗る者を連れて現れ、フーミュルは大勢の人間に詰められ、突然投獄されそうになる。

 その地帯にずっと前から権利者が存在しないことは知っている。フーミュルを捕まえるために、そして採掘した鉱石や貯めた資産をすべて奪うためにでっちあげたものだ。


 彼らの言い分ではそもそも、地上はすべてヒトのものであり、彼らの価値観では何をしたとしてもヒトは正義で魔族は悪だった。彼らは何もしていないのに魔族というだけで、フーミュルを攻撃した。


 それも魔族全体が犯した罪の代償といえるのかもしれないが、フーミュルはすっかり人間不信に陥ってしまった。


 フーミュルは結局その取引から撤退した。

 ヒト族は魔族ほど悪辣でないと思っていたが、あからさまに見せないだけで、腹の底は知れない。それに、信頼を築いたとしてもすぐに年老いて取引相手が変わってしまうのも難しい。


 おりよく同じ年の魔族が商人を始めるといって訪ねてきたので、貯めていた金で彼と契約をして、それ以降ヒトとの取引は止めた。魔族の商人も苦手な奴ではあったがもうヒトと関わりたくなかった。


 それからフーミュルは、過去に父が使っていた辺境の地にあるこの城を訪れ、ひとりでひきこもり、他者と関わらない生活を始めた。


 魔界を離れれば意外にも興味のあるものがあったフーミュルはまず住処を整えることに熱中した。


 何十年かかけて中庭を整え、一時は花を育てることに興味を持ち、増やして飾り付けていた。ヒトの集落で見かけた木彫りの置物に興味を惹かれ、何年も彫刻に熱中していたこともある。


 また、印刷技術の進化と共に、ヒト族の作る書物は莫大に増えていたため、フーミュルはそれを入手してやたらめったらに読み耽るようになった。


 そこから何年経ったのかはよくわからない。

 昨日と今日に取り立てて区別がない、変化のない日々は飛ぶように過ぎていく。寂しいと思ったことはない。最高に楽しいというわけではないが、それなりに平和に暮らせている。ただ、一生は自分には長過ぎると感じていた。


 ある日、訪れた勇者の子孫に、いつの間にか勇者が魔王を討伐したことでかつていた魔族はほとんど根絶されたと聞かされた。


 生きていても一生会わないであろう者たち。けれどどこかに今もいるのだと思っていた者たちがすでにいなかったと聞かされるのは不思議な喪失感だった。


 フーミュルの中ではまだ、忌々しいのに懐かしい、あの頃の彼らがいる世界が続いている。

 ろくに城の外に出ていないまま、来訪者によって外部の変化を聞かされたフーミュルは、言葉だけの情報に実感が湧かない。


 それで、フーミュルは城の外の世界がきちんと存在しているのかを確かめるために街に出た。


 市街は見事に様変わりしていた。

 昔は見なかった鉄道が走っていて、一部地域には工場が建設されている。軒を連ねる店々も昔より圧倒的に多く、すべて書物の中で知ってはいたが、実際にそれらが存在しているのを目にするのは驚きがあった。


 街を歩いていても昔ほど嫌な目で見られなくなっていた。ニコニコしながら『あら魔族なんですね』などと言われることすらあった。

 いつの間にか時代が変わったのだ。


 そしてフーミュルは魔王として、勇者の子孫と協定を秘密裏に結んだ。


 残っている魔族が度を越えた悪事を働くようなことがあればフーミュルが対応する。フーミュルとしてもせっかく差別意識がなくなったこの時代の価値観を維持したい。

 しかしながら生き残った魔族は勇者との最後の戦に参加しなかった変わり者たちで、ヒトへの適応力の高い奴ばかりなので、当面の対応は放置のみですんだ。


 やがて来ていた勇者の子孫は息子に代わり、さらに幼い少年へと代替わりした。幸い世代交代で急に方針が変わることはなくここまで来ている。


 フーミュルの小さな変化として、気に入りの菓子店を見つけた。大量に買い込んで、食べ切ってしまうとその店にだけは行くようになった。きっと百年も経たずにあの店は潰れてしまうだろうから、あるうちは毎月行くだろう。


 そしてそれは外になど出たくないフーミュルが重い腰を上げるためのいい口実となった。菓子を取りにいくついでに一応、魔族による妙な変化がないか、月に一度、市井を見まわっている。



 カエルの姿で城に連れてきた少女、ミリセントはフーミュルが今まで会ったことがない、『普通の女の子』だった。

 もっとも、フーミュルにとってはそれは『普通』ではない。彼にとっての『普通』は魔族の女性たちのそれだ。

 ミリセントは遠慮がちにものを言うし、こちらに気を遣う。困った時は困った顔をするし、弱さも隠さず見せる。目の前で泣くし、怒るし、笑う。フーミュルにとってはひとつも普通ではない。


 ミリセントだって、腹の底で何を考えているのかはわからない。

 けれど魔族への嫌悪は特に感じられない。そして少なくとも悪巧みをして近づいてきた人間ではない。それどころかこちらが一方的にさらってきた相手だ。

 本来フーミュルとは無関係で、知り合う予定はなかった相手だが、敵にはなり得ない。だからこそ扱いに困っていた。


 城に来たミリセントが毎日何をしているのかといえば、掃除である。彼女は姿が見えなくても、大抵どこかで掃除をしている。

 その姿は懸命で、義務感にかられているのかと思いきや、ときに楽しそうにしていたりもする。

 城は呪いがかかっていて全体に薄く瘴気を纏っていたが、ミリセントが掃除すると不思議とくすみがほんの少しほどけて健康的な色合いになる気がしていた。


「魔王様、夕食をいただきましょう」


 最初の日においしいと素直な感想をもらしたからか、ミリセントは毎日夕食を作って遠慮がちに呼びにくるようになった。


 少し面倒で。少し憂鬱で。だけど、わざわざ断るほど強烈に嫌ではない。おいしいは、おいしいのだ。


 部屋を出ると、前を歩いていたミリセントがつまづき、あっという間に転んだ。

 目を離した隙にもう膝をついていた。


 フーミュルは最初『転んだな』と冷静に思って、そのあとびっくりして駆け寄った。

 一瞬、自分とは関係ない光景として処理してから、本当に目の前にいる人間が転んだのだと結びつけるのに時間がかかってしまったのだ。


「大丈夫?」


 そう言うとミリセントは「大丈夫です」と起き上がる。それから、早足で食堂に向かった。


 ふいに前を歩くミリセントの小さな独り言が聞こえてしまった。

 誰に聞かせるわけでもなく、ぽろっと溢れてしまったかのようなその呟きは生々しく、彼女自身の本当の心に感じられた。


 ミリセントが言っていた言葉、それは。


「ひぇ〜、転んじゃった。恥ずかしい……」


 そんな他愛のないものだった。

 それまで感覚がどこか現実と乖離していたフーミュルはその瞬間に、この子が生きて意思を持ってそこにいるのだという当たり前のことをガツンと認識した。


 それまでずっとミリセントは『他人』だった。

『他人』というのは『怖いもの』であり、『馬鹿にしてくるもの』であり『裏切るもの』すべて『外のもの』であり、どれも緊張するけれど、ただ『外側にいる誰か』の大きな集合体でしかない。


 それが急に、大きな塊からぽろりと落ちた小さなものが女の子の形になり、あっという間にきちんとした輪郭を持つ『ミリセント』という個人になってしまった。


「おいしいですか?」と言って心配そうに覗き込んでくる。

「よかった」と言って嬉しそうに笑う。

「おやすみなさい。また明日」と言う。


 どれも昨日までと同じなのに、急にミリセントが生きだした気がした。



   ***



 少しだけ外の空気が吸いたくなり、中庭に出ようとしたとき、先客がそこにいるのに気づいた。


 ミリセントだ。ベンチに腰掛けてぼんやりしている。


 通常ならば人がいる時点で部屋へと取って返していただろう。それでも、フーミュルは少しドキドキしながら近くに行った。


「あ、魔王様。どうぞ」


 フーミュルに気づいたミリセントは顔を上げて、やわらかに微笑んだ。そして、ごく自然にベンチの端に移動した。

 あまりに自然な仕草だったので、フーミュルも人ひとり分空いた横に、すとんと腰を下ろしてしまった。


「綺麗ですね」


 ミリセントに言われて庭を見つめる。

 とろけそうな大きな夕陽が落ちている真っ最中だった。


「……ああ」


 フーミュルは頷いた。

 自分がこんなに穏やかな気持ちで誰かと夕陽を眺めることができていることに、不思議な気持ちになった。


 そうか。

 ここにいるのは、『他人』ではなく『ミリセント』なのか。


 そう思うと、なぜだか少し安心するような気持ちになった。


 フーミュルはきっと、『他人』の塊から剥がれ落ちた『ミリセント』のことをわりと好ましく思っている。


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