5.夕食の誘い



 ミリセントは半身を起こし、目を擦る。

 窓からはくすんだ朝陽が射していた。


 朝だ。


 ぼうっとしていた頭に昨夜の出来事が順に甦り、慌てて扉のあたりを見るが、魔王の姿はもうそこにはない。


 ミリセントはバッと両手に顔を埋めた。

 なんてことをしてしまったのだ。


 なんとかしてもっとここに置いてもらいたいのに、わざわざ入ってはいけない場所に行って手間をかけさせた。

 魔王はあんな性格なのに、ミリセントはストレスをかけるようなことばかりしている。もう嫌われていてもおかしくない。


 ミリセントは猛省した。そして、焦っていた。

 何か魔王が喜ぶこと、便利だと思うことを探さなくてはならない。

 関わらないでくれるのが一番だと言われても、それならそもそもいないほうがいいわけで、現状魔王が一番喜ぶのはミリセントが出ていくことだろう。


 でも、まだ挽回はできるかもしれない。ミリセントが必要だと、そう思ってもらえるようなことがきっと何かあるはずだ。

 そのためには魔王がどんな人で、どんなふうに生活しているのかをもっと知る必要があった。


 ミリセントは城内をうろうろと歩きまわり、考えた。

 大方の貴族が使用人にやらせている生活に必要なことなんてたくさんある。きっと何か自分にできることがあるはずだ。


 たとえば洗濯。


 洗濯室に行くと魔王が大きなタライに水を張って洗濯をしていた。


「あ、魔王様……」


 声をかけると魔王は一度顔を上げたが、また何事もなかったかのように洗濯を続ける。どことなく、様子がおかしい。何度か声をかけたが、夢中で洗濯をしていて応答がない。それに、この魔王はなぜかいつもより身体が小さかった。


 首を捻りながら二階の廊下に戻ると、魔王がいた。


「っ、ひゃあ!」


「うわああ!」


 驚いてあげた悲鳴に似たような悲鳴を返された。

 しばらく、のけぞりあった後の距離で揃って呼吸を整える。


「ま、魔王様、さっき洗濯場に……いませんでした?」


「あ、ドッペルを見たのか。悪い。説明しとけばよかった」


「ドッペル?」


「あれは俺の魔力を切り離して形状化しているだけだから、感情を持たないし、中の魔力が尽きたら蝋燭みたいに消えるんだ」


「へ、へぇ」


「本来は戦う時に分身して相手を惑わすための術だから会話や複雑なことはできないんだが、単純作業はできるからやらせてる」


 元の用途はそこまでピンとこないけれど、洗濯に使うようなものではないことだけはわかった。


 そして気づいた。ということは、魔王はその気になれば掃除だってドッペルにやらせることができる。そして、そこまでやる気がないからやらせていなかった。

 どちらにせよ使用人は雇うつもりがないし、その必要もないということだ。


 いや、ドッペルには複雑なことはできないと言っていた。

 どこまでを複雑というのかはわからないが、きっとドッペルにはできないことが何かあるはずだ。


 そう思って魔王をじっと見つめる。

 黙っていれば端整で知性的な顔立ちだ。瞳の虹彩には不思議な魅力さえある。


 困った。

 ただでさえ魔族のことはよくわからないのに、魔王。

 そもそも、この人は何歳くらいなんだ。性格も見た目も年齢不詳すぎる。


「あの、魔王様はいま、おいくつなんですか?」


「え? 確か三百二十……二歳くらいだったかな……あれ? 四百だったかも……悪い。あんまり興味なくて……」


「えっ、そんなに?」


 だいぶ上に見積もってもせいぜい二十後半くらいだ。それにしても忘れ方の桁が豪快で酷い。


「魔族の中ではまだ若造だよ。上は千以上がいる種族だから」


 魔族と人間では寿命が違うようだ。年齢の概念や成長速度も違いそうだ。


「でも、それだけ生きてたなら、これまで友人や恋人がいたこととかもあったのでは……」


「そ、そんなことが易々とできるならこんなとこでひとりで生活してない。俺は……そんな恐ろしいもの一度だって作ったことない」


「何がこわいんですか?」


「魔族の男は大抵粗野で暴力的だから友達になりたくもないし、魔族の女性も気性が荒いのが多い……幼い頃は大体いびられてきた……」


「はぁ……」


「それに、俺は他者となんらかのマトモな関係を結べるような精神構造じゃない……」


 そこのところはなんとなく、痛いほど伝わってくる。

 役立ちたいのに、彼を知るごとに、出ていくのが一番の貢献な気がしてしまう。


 はっと思いついて顔を上げる。


「魔王様は普段何を食べてるんですか?」


 厨房や貯蔵室には野菜や肉やパンがたくさん置いてある。しかし、ミリセント以外の者がそこを訪れた形跡はなく、魔王が普段何を食べてるのかは不明だった。


「ヒトやカエルは食べませんよね」


「そんなもの食べない。君は魔族をなんだと思っているんだ」


「す、すみません。では何を?」


 魔王は決まりの悪そうな顔で、ごく小声で言う。


「……菓子」


「え?」


「焼き菓子だ」


「まさか……毎日ですか?」


 来た翌日に部屋に置いてもらった菓子は確かにおいしかった。魔王の部屋にもたくさんあったあれのことだろう。しかしまさかあれが常食とは思わなかった。だいぶ呆れる。


 しかしながら魔王はかなりいい年した大人。好き勝手にしたいから独りでいるわけで、ちゃんとしたものを食えだとかそんな余計なことを他人に言われたくはないだろう。それならばせめて用意すべきだ。


 ミリセントはしばらく口を半開きにさせていたが、こくりと頷いて言う。


「わっ、わたし、ご飯を作ります!」


「い、いや、そんなことはしなくていい……」


「いいえ! 菓子だけでは栄養が偏りますもの! 大丈夫です。家では料理もしてました!」


 自分の食事がシャルロットのパン屑以外なくなってから、夜中に厨房に忍び込んで簡単なものを作って食べたりしていた。

 材料はクズ野菜ばかりだったので上手とまではいかないが、まったくやり方がわからないわけではない。


「本当に……悪いから遠慮するよ。君は自分の分だけ用意すればいい」


「え……」


 きっぱりと断られてしまう。

 断られてるのにしつこく頼むのは逆に迷惑だろう。諦めたほうがよさそうだ。


 結局ミリセントはまた城を掃除して一日を過ごした。

 さほど劇的な成果は感じられないが、それでも少しは綺麗になる。


 夕陽が傾き出した頃、ミリセントは厨房にいた。

 城は古いのでかまどは旧式だし、大人数用の慣れない調理場だったが、材料だけはふんだんにあった。

 ミリセントも、もう少しちゃんと栄養を摂ったほうがいいだろう。


 ミリセントは調理器具を手に、料理を始めた。

 やたらとたくさん置いてある食材もおそらくミリセントが来てから用意された“余計な手間“である可能性が高く、使わなければ処分されてしまうものだと思えば遠慮よりも使命感が増す。時間を気にせず作業できるのもよかった。


 それに、ちゃんとした材料で料理できるのは初めてで、そこには若干わくわくしていた。


 やがて、こんがりと肉の焼ける匂いがそこらにただよっていく。まぶした香草の香りと混じり合い、なんとも食欲をそそる。それから贅沢に具材を入れたスープからも温かな湯気が立ち上って癒された。


 それをひとりぶんテーブルに並べてみる。

 初めてにしてはなかなかよくできた。


 湯気を立てているそれを見ていたら、やっぱり魔王にも食べてほしいと思った。


 ミリセントはもうひとりぶん、作ったものを食事室のテーブルに並べてみる。


 ドキドキした。

 もう一度、勇気を奮い立たせて魔王の元へ行く。

 控えめなノックだったが、魔王は扉を開けてくれた。


「あの、お夕食、やっぱり魔王様の分も作ったので……できたら一緒に……」


 ミリセントの言葉を聞いた魔王は十秒くらい、なんとも言えない顔で無言で立っていた。


「……あ、うん……わかった」


 すごく元気のない声だった。


 これ以上断るのが心苦しいから承諾されただけな気がする。魔王はものすごくしょんぼりしながら食堂についてきた。


 嫌がる人を無理に食事に誘ってしまった罪悪感が半端ない。それでもここまで来たら、やっぱりいいですとも言いづらい。


 テーブルには先ほどミリセントが作った若鶏の香草焼きと野菜のスープ、パンが並んでいる。


「……お、おいしそうだなー」


 元気のない声に無理にお愛想で言ってくれてるのがわかり、いよいよ申し訳なくなる。


 どこかどんよりとした空気の中、これは最初で最後にしたほうがよさそうだとヒシヒシ感じた。


 どちらかというと気まずい空気の中、ふたりはテーブルに着いた。モソモソと食事を始める。


「あ、うまい」


 魔王がこぼした声に、びっくりして顔を上げた。


 今、うまいって言った? 言った気がする。それも、お愛想というよりは思わずこぼれた感じの言葉で。


 作ったものをおいしいと言ってもらえるなんて、まったく予想していなかった。


 思わぬ反応に頬がぶわっと熱くなっていく。


 嬉しい。嬉しい。こんなに嬉しかったことは何年振りだろう。


 魔王は苦手な食材があるようだったが、思っていたよりずっとハイペースでぱくぱくと食事をしている。

 ミリセントの萎れていた心がどんどん元気になっていく。


「魔王様はもっと健康的な食事をとったほうがいいです! リュウサイを除けて食べるのはおやめください!」


「……これだけは昔から苦手で……」


 魔王がリュウサイをまたそっと除けた。


「魔王様……あっ、また除けた。コラ魔王! 食べなさい!」


 うっかり叱るような口調になってしまった。

 しまった、と思った時には遅かった。魔王は苦み走った顔をしている。


「あ、あの……魔王様……」


 謝罪を口にしようか迷っていると、魔王はそのままの苦い顔で、えいとばかりにリュウサイを口に入れた。もしゃもしゃと咀嚼してごくりと飲み込む。そうしてケロリとした顔で言った。


「あれ? 思ってたよりうまい」


「そ、そうでしょう! 癖が強いんですけど、ちゃんと臭みを消せばおいしくなるんです!」


「うん……」


 魔王は黙って野菜スープを平らげた。

 多少気を使っているところもあるかもしれないが、それでもあれだけ嫌がっていたものを完食したのだから、本当にまずくはなかったのだろう。


「どうですか? 少しはお役に立ちましたか? お掃除だけでなく、お食事も使用人を雇ったほうがよくないですか?」


 ミリセントは思い切って自分を売り込んだ。


「い、いや、それはいい。俺はひとりが気楽なんだ」


「……そうですか」


 まだ足りない。ぜんぜん足りてない。どうにかして、自分がここにいることに得を感じてほしい。ここにいさせてほしい。そうでなければ……自分は……。


 それでも、魔王はおいしいと言ってくれた。ミリセントはそれをよすがに、結局翌日も夕食をふたり分作った。

 これ以上迷惑はかけたくないという思いはあったが、結局、おいしいと言ってもらえた喜びが忘れられなかった。


 そうして、その日以来、一日掃除をしたあとは夕食を作って魔王を呼びにいくようになった。


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