3.城の掃除


 ここ二日ほど、魔王とは顔を合わせていない。

 ミリセントは貯蔵庫の食料を食べ、洗濯場を使い、昼は書庫の本を読み、浴室を使わせてもらい、部屋で眠っていた。


 父が亡くなってからは使用人に世話をされることもなくなっていた。家ではこっそり湯を使うのも、洗濯をするのにも常にビクビクしていたので、それと比べたらずっと自由に過ごせている。


 しかし、ミリセントは本来ここにいるべき人間ではない。

 今は魔王が間違えた責任を脅迫のように使って置いてもらっているだけだ。

 婚姻契約の解除方法は調べないとわからないと言っていたが、もしかしたら今日にでもそれは判明して追い出されてしまうかもしれない。


 そしてひらめいた。何か役立つことができれば自然にここに置いてもらうことができるかもしれない。


 ミリセントは二日ぶりに魔王の居室を訪ねた。

 トントン、と控えめに戸を叩く。


「魔王様」


 しばらく扉を叩いても反応がないのでカチャリと開けると、寝台にいた魔王が飛び起きた。


「うわっ、誰かいる!?」


 魔王はキョロキョロしたあと、ミリセントの姿を見て息を呑む。それから焦ったように指を弾き、またカエルにされた。


「あのう、魔王さま……」


 思わず恨みがましい声が出た。


 魔王はごく小さな声で「悪い……おはよう」と言った。


「何か不便でもあった?」


「いえ、置いていただく代わりに、ここでわたしがお役に立てることはありませんか?」


「え……? いや、なるべく俺に関わらないようにしてくれればそれで充分……」


「いえ、わたし、ただでここに置いていただくのは心苦しいです」


「それは元はと言えば俺が間違えて……」


「それでも……!」


 ミリセントは焦ってあたりを見まわしてから言う。


「そうだ! お掃除をします」


「え?」


「このお城、せっかく立派なのに、ところどころ汚れてます。なんていうか……禍々しい感じというか……」


「いやそれはここ、魔王城だから。禍々しいのは仕様っていうかむしろそれが自然な形というか……」


「わたしはお掃除は得意なんです! お掃除させてください!」


 もちろん普通の令嬢はそんなことはしない。ミリセントは魔力がないのだからそれくらいして役に立てと、家でやらされていた。ミリセントはやるとなるとわりと突き詰めるたちだったので消えにくい頑固な汚れも消せるし隅にある埃の塊も見逃さない。普通の令嬢にはまるで必要のない技術が身についた。


「……わかった。いいよ」


「はい!」


「でも、それならその分の給金は払う」


「え? そんなの悪いですよ」


「ただでやってもらうほうが気を遣う。金を払えばそれは仕事で雇っただけだから」


「……それなら、わたしもそのほうがありがたいです」


 使用人として雇われた体ならばミリセントも住み込むことに必要以上に気兼ねせずいられる。それに、行商人を呼んで買ったという衣服の代金も働くことで返すことができる。未来の展望が少し見えてきた。


「じゃあ、掃除道具があるとこに案内する……」


「いえ! とりあえず、ここを片付けます」


 見たところ、ほかの場所はあまり使われてないので、経年劣化と埃汚ればかりだ。この魔王の居室がおそらく一番生活感があって雑然としている。そして掃除道具以前にものが散らかっているので片付けが必要だった。見てるだけで掃除欲がふつふつと掻き立てられる部屋だった。


「え? この部屋はしなくていい……」


 ミリセントは床に散らばっている読みかけの本を手に取った。


「ひぃ、や、やめろ! それは一見ぐちゃぐちゃに見えて、どこに何が置いてあるのかが俺にはわかる配置なんだ!!」


「配置……ですか?」


 そう言われて見る。なるほど寝床の周りに円形にいろんな物が置いてある。

 これは……片付けなくては。ミリセントの目がきらりと光った。


「……これは、人をダメにする配置です」


 ミリセントはきっぱりと言い切った。


「い、いや、でも俺はヒトじゃなくて魔族だし」


「屁理屈を言わないでください。マゾだろうが魔族だろうがこれはダメです。片付けます」


 ミリセントはてきぱきと動き、お菓子を拾い上げ、本を書棚に戻していく。


「あああっ、ばか! 愚かなる人間の小娘が偉大なる魔王の聖域になんの権利があってそんなことをするんだ!」


 だらしなく人型に丸まっている毛布を綺麗に畳み、洗濯ものを集め、枕元にあるティーポットをテーブルに戻す。


「や、やめろやめろぉ! つ、爪の甘皮剥いて吊るすぞ〜!」


 魔王っぽい台詞が出てきた。しかし、内容はスケールが小さいし、声は力なく弱々しい。


 やがて片付けを終わらせたミリセントは、ぱん、ぱん、と手を打ってふう、と息を吐いた。部屋はすごく整然とした。


「この部屋はだいたい終わりました」


「うん」


「部屋を片付けたくらいで涙目にならないでください。掃除道具の場所お願いします」


「……うん」


 魔王の案内で来た部屋にはモップに箒に雑巾、ブラシ、バケツに脚立も揃っていた。思っていたよりもずっとたくさんある。


「あまり使ってなかったけど、揃えてはあるんだ」


「ありがとうございます! これだけ充実してればはかどります」


 ミリセントは掃除計画を考察する。

 これだけ広い城を一日で掃除するのは無理がある。まずは使用頻度の高い場所から。エントランスや外壁なんかは後まわしだ。次は自分の部屋周辺の廊下と……考えながら部屋を出て、振り返ると魔王が大きな体を丸めてしょんぼりとしながらついてきていた。


「あら? 魔王様も来てくれるんですか? お忙しいならわたしひとりでも……」


「ここは構造が一部迷路だし、あと、まだ変なもの出るから……掃除するなら初回だけ一通り案内しておくよ」


「変なもの?」


「何度も言うけど、ここは一応魔王城だから」


 その時地下へと続く通路の奥から、何かドロドロしたものを身にまとった大型の犬のような生き物が出てきて、ぎょろぎょろした目でこちらを見ていた。魔王が指をさす。


「ああいうの」


「なんですか? 今のは……」


 ミリセントは眉を顰める。犬はすぐに地下に戻ったが、そちらに行くとヘドロが落ちていた。時々床に血のシミのようなものがあると思っていたが、あれの仕業だったのか。あんなのがいるから余計に汚くなるのだろう。


「基本は地下に棲みついているけれど、あいつだけたまに一階まで出てくる。会ったことなかった?」


「……なかったです」


「汚すけど害はない。君は俺と婚姻契約してるから襲われたりもしない。でも、地下にはああいうのがまだたくさん棲みついてるから、行かないようにしてくれ」


 たくさん。

 あんな汚すやつがたくさん?


 ミリセントの掃除欲に使命感が加わった。


 城は広く、大きな円卓のある食事室、使われてない客室や倉庫もたくさんあった。軽くやるだけでも何日もかかるだろう。

 今日はよく使う廊下を中心にざっくりまわることに決め、バケツにモップを沈め汚れをせっせと拭き取っていった。


 魔王は移動しながら壁や床をゴシゴシするミリセントから少し離れた位置にずっと控えていた。


 小さな汚れはすぐに落ちたが、壁の途中に血の手形みたいなものがあり、なかなか落ちない。


「なんで落ちないの……」


 小さくごちたミリセントの声を聞きつけた魔王が言う。


「ああそれ、父が使ってたときについたんだと思うけど、なかなか落ちないんだよ。たぶん無謀な冒険者が来たときに……」


「…………え」


 血の手形みたいなものじゃなくて血の手形だった。ゴシゴシゴシゴシ。忌まわしい。余計に落としたくなった。

 しかし、一箇所に囚われていると掃除は進まない。ある程度で諦めて次へと進む。


 一階の細い通路の先に来た時に魔王が口を開いた。


「この先は中庭に出る」


「中庭ですか……」


 どうせ草が伸び放題だろうから、それを刈るだけで数日かかるだろう。後まわしにしたほうがよさそうだけれど、先に一応見ておこうと、そちらへ入った。


 ミリセントはそこで自分の心配が杞憂だったことを知る。

 中庭には小さな池があり、短く刈られた草原には花が咲き、穏やかな風が吹いていた。少し離れたところにはガゼボとテーブルベンチ、近くには木製の可愛らしいベンチもあったのでそこに座る。


「全体的にどこかおどろおどろしかったですけど、ここはとても魔王城とは思えないですね。美しいです!」


 魔王城はどこもかしこも薄暗い。ここも朝日というより夕方のような色合いではあったが、それでも眩しい陽が射していて開けていた。日中ならここに来れば気持ちが少し晴れやかになるかもしれない。


「この城は父がいた頃の名残があって、おそらくなんらかの呪いがかかっている。ずっと調べてはいるけど、まだ解けてない。それで……ここだけ俺が来てから聖域にして改装したんだ」


「まぁ……素晴らしいです」


「そこの池はもともとは瘴気の沼で、骸骨とか腐った死体とか、カジュアルにたくさん落ちてたんだけど……なんだか落ち着かなくて」


 魔王が少し照れたような顔をして言う。


「そ、そうですよね……」


 落ち着かないなんてものではない。もし改装前に入っていたら盛大に悲鳴を上げていただろう。


「俺は……家出して……父の別宅であるここに逃げてる間に実家は勇者にやられて……自動的に現魔王になってしまった」


 魔王は、はぁと息を吐いた。小声でぽそりとこぼす。


「……向いてない」


 向いていないのは痛いほど伝わってくる。


「あ、じゃあご家族は……」


「いつの間にか皆いなくなってた……まぁ、生きていると、村焼いたりとか、ろくなことしない人たちだから……」


 確かにろくなことしない。そうとしか思えなかったので、ミリセントはそれ以上口をつぐんだ。


 中庭で一息ついたミリセントは再びバケツを持って城内に戻った。


「一階と二階はだいたい把握しました。三階は何があるんですか?」


「三階は俺も使ってないから立ち寄らない……地下と違って変なのも出ないけど……ただただ広くて古くて汚れてる」


「なるほど……後日にします」


 城内は壁も床も石だ。元は灰色なのかもしれないが、どこも嫌な感じに黒ずんでいる。

 しばらくやると、部屋の前の廊下の汚れは取れてバケツの水が真っ黒になった。


「それにしても……なんだか掃除した感じがしませんね。汚れは落ちてるのに……あまり成果を感じません……」


「まぁ、ここ、魔王城だしなぁ」


「掃除というものはすればするほど埃が出ていき、やがて空気の流れが清涼に変わるはずなんです」


「い、いやでもここ魔王城だから……」


「まだ足りないということですね! きっと、ぱっと目につく場所だけじゃダメなんです!」


「めげないその前向きさ……いっそこわい」


 魔王はそう言ってから急にぼんやりした顔で頭を小さく振った。


「魔王様……?」


「悪い。そろそろ今日の限界値がきた……」


「限界値ってなんですか?」


「たまにしか人と話さないから……少し話すと、あとからこんなこと言ったとか言われたとか脳内反芻がうるさくて……これ以上話すと寝れなくなる」


「わ、わかりました」


 ミリセントはもくもくと、存分に、掃除をした。

 魔王はひとこともしゃべらなくなったが、少し離れた場所で本を読みながらずっといてくれた。


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