KAGIYA vs NAMELESS CHAMPION

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 そんなこんなで試合当日、試合開始数分前。

 そこは名前の無い闘技場に用意された控室。薄暗い空間は学校の教室よりも少し広いくらいのサイズを持つが、端の辺りに長椅子が置かれている以外の内装は無い。これは《ストスト》の練習プラクティスモードに使えるように、障害物を極力排除しているためだ。

 そんな控室の中、特にウォーミングアップなどをする様子もなく長椅子に座って、ホログラムウィンドウ内のデータファイルや謎のアプリを弄っている少年に、丸っこい化け猫のようなアバターが不安げな声をかける。


「ほ、ホントに大丈夫なのねカギヤ先生? あのチャンピオンに勝てるのね?」


 そんなユーワンの不安を、しかしカギヤは気にも留めず片手間で受け流した。


「まー任せとけって。最近似たような依頼で慣れたからな、『チーター退治』はお手の物ってやつよ」

「……そ、そうなのね」

「なんか反応微妙じゃね? 応援してくれよ応援。依頼人でセコンドだろ?」

「そ、そうね……」


 何故か歯切れの悪いユーワンに「心配性だな」と笑い、カギヤは調整が完了したのか全てのウィンドウを閉じる。するとタイミング良く通知が届いた。


[KAGIYAさん 試合開始時間です。準備がよろしければリングへの転送を開始してください]


 当然準備はOKだ。貰ったパスワードを入力してリングへの転送を開始する。


「まあ見てなって! ハッカーがチーターに負けるワケないってことを教えてやるから!」


 そんな言葉を微妙な顔をしたユーワンに言い放ち、同時に転移が完了する――。


 ――わっ、と。

 溢れんばかりの照明が、歓声が世界を覆った。金網越しに容赦なく叩きつけられる光、期待、そして欲望の群れ。

 それらが降り注ぐリングの中心にて、カギヤは……。


「いえーい! 俺は正義のハッカー、カギヤ! 無敗のチャンピオンぶっ倒しまーす!」


 ノリノリであった。回転しながら手を振ってアピールしていた。

 と、リングの先、中心を挟んで向こう側に別のアバターが現れる。黒いレインコートのようなもので全身を隠した、身長170cm程のアバター……無敗のチャンピオン・NAMELESSネームレスだ。

 わっ、と溢れんばかりと思われていた歓声が爆発し、先の倍ほどの勢いを以てチャンピオンに注がれる。その正体不明の風貌は、しかし観客たちにすっかりその魅力を覚えさせているらしい。

 自分よりも大きな歓声を浴びる彼(彼女?)にちょっぴり嫉妬しつつも、ネット弁慶のカギヤは笑顔で手を上げて挨拶する。


「よろしくな、チャンピオン!」

「……」


 声は返ってこなかった……が、フードを深く被った頭が小さくぺこりとお辞儀をしたのが分かった。無礼というワケではなくシャイなのだろうか、とカギヤがなんとなく思っていると、視界内に通知のウィンドウが現れる。


[挑戦者が現れました  NAMELESS さんと対戦を開始しますか?]


 それはマッチング準備をしていた《ストスト》の通知。

 答えは当然、


「YESだ!」


 相手も同じ選択をしたらしく、試合のマッチングが成立する。


[戦いに使用する 武器 を選択してください]


 次に現れたのは武器の選択画面だ。プレイヤーはここで試合に使用する武器を――キャラクターごと仕様する場合はキャラクターも選択する。

 《ストスト》の武器(とモチーフキャラクター)全21種の中から、カギヤが選ぶ武器は決まっていた。いわゆる「持ち武器(持ちキャラ)」と言うヤツである。


選択セレクト、武器オンリー……〈-Haloヘイロー ofオブ Deathデス-〉!」

『よかろう、我が死の光輪を貴様に。天国でも地獄でも、好きな方へ人類を導くがいい』


 カギヤの声に続き、低く陰のあるバリトンボイス――〈-Haloヘイロー ofオブ Deathデス-〉のモチーフキャラ、闇堕ちイケメン堕天使にしてストーリーモードラスボスである『へルシファー・ヘブンズ』の声が響く。同時、カギヤのアバターの背後には出現した。

 ソレは名前の通り、漆黒の光を放つ直径1m程の輪だった。背中にくっついたワケではなく空中に浮いている天使の輪ヘイロー、五つの棘が生えた輪が出現と同時にひときわ闇を放ち、その輪郭が動き出す。そんな光輪からばさりと生えたのは四枚二対の漆黒の天使の翼。その両翼が羽ばたき、漆黒の羽根が宙に舞う。

 人を殺す――否、死へ導く五つの武器と、四枚の翼を際限なく取り出せる死の光輪が、今カギヤの背中に納まった。


 〈Lævateinnレーヴァテイン & Gramグラム〉を「強武器」とするなら、〈-Haloヘイロー ofオブ Deathデス-〉も同格以上の「強武器」だろう。押し付けるには十分な手数とリーチの長さ、使いこなせれば最強格の遠距離攻撃、幅広い対応力に強力な超必殺技ストームアーツ。「ぶっ壊れ武器」時代から何度かナーフを経験しているが未だ「強武器」の、環境最前線を突っ走るトップティア武器なのである。

 そんな武器の選択を誇るように、カギヤが挑発するように対面するチャンピオンに視線を送る。それに応えたのかは不明だが、深く被ったフードの下で口が動く気配がした。


「――選択セレクト、〈Ego[F]istエゴフィスト〉」

『OK! オレサマとウチのEgoエゴがオマエに力を貸すぜ!』


 昨日聴いたのと同じ、涼やかな声。それは高い男性の声にも少し低い女性の声にも聴こえ、フードの下の人物像の神秘性を保って伺わせない。続く声はおどけた男の声――コラボ武器である〈Ego[F]istエゴフィスト〉の武器セレクトの時の声は、コラボ先であるGhostGamingゴーストゲーミングマスコットキャラクターのゲームゴーストくんだ。

 同時、チャンピオンの横にぽんと何かが現れる。それは鎌の代わりに剣と盾を持った死神……を可愛らしくデフォルメしたようなキャラクター。先程の声の主、ゲームゴーストくんである。それが不定形の塊となりネームレスの両腕に飛びつく……次の瞬間、彼の腕には藍色のグローブが装着されていた。

 指先から肘までを覆う藍色の包帯を巻いて作ったようなグローブは、所々が幽霊を思わせる半透明で、炎のように揺らめいている。拳部分には打撃の威力を上げそうな四つの棘があり、銀色のそれは途端に小指側から飛び出る三日月状の刃、獣のソレのように指先から飛び出すかぎ爪などに形状を変え、そして元の棘に戻る。それは武器の性能である、拳の形によって銀色の突起の形状が変化することを強調するようであった。

 幽霊あるいは死神が纏う布で組んだような、伝説のゲーマーをモデルとしたグローブは、ネームレスの腕に装着され勝負が始まる刻を待つ。


 その様子を見ながらも、カギヤは怪訝な顔を隠さない。観客席からもどよめきが上がったように思われた。


「(〈Ego[F]istエゴフィスト〉だぁ? Egoエゴの信者しか使わない弱武器じゃねえか。ていうか……)」


 「人類にはまだ早い」と言われる超絶高難易度武器〈Grimoireグリモワール:CHAOSカオス〉が「超複雑で性能を引き出すのが難しい代わりにカタログスペックが高い武器」なら、〈Ego[F]istエゴフィスト〉は「性能を引き出すのにもそれなりの腕が必要なのにカタログスペックが低い武器」だ。

 操作が最も簡単と言われる〈Stormストーム Bladeブレイド〉にリーチも攻撃力も劣っていて、そのくせ難易度は二回りほど高い。強みと言えばインファイトくらい。そんな玄人向けの弱武器が、GhostGamingゴーストゲーミングの公式大会優勝賞品、〈Ego[F]istエゴフィスト〉なのである。

 ただその大会で優勝の立役者となりそのまま武器のモデルとなったゲーマーに熱心なファンが多いため使用率はかなり高いらしいが……それでも微妙な性能は変わらない。そもそも、だ。


「……持ち武器は〈Crimeクライム/Ripperリッパ―〉じゃなかったのか?」


 チャンピオン――NAMELESSネームレスが昨日の試合で使っていたのは別の武器。しかも投擲技術やストームアーツでの崩しなど、様々な部分にかなりの練度を感じた。普通格闘ゲームはひとつの武器(キャラ)を極めた方が効率が良いハズだ。それなのに複数武器を扱うというのは、珍しく複数武器を極めたプレイヤーなのか、それとも――。


 そんなカギヤの独り言を、チャンピオン・ネームレスは聞き逃さなかったらしく。少し迷う素振りを見せてから再び小さく口を開く。


「ごめんなさい、『今日はこの武器を使え』って指示なんです。観客が飽きないようにしろ、って」


 美しい声だった。涼やかで、清らかで、美しい声。純粋な天使の睦むような響きはするりと耳に入り込んできて、しかし褥にて囁く悪魔の妖艶さも兼ね備えて脳を揺らす。一言二言では性別さえ判然としない中性的な声だが、それが逆に男女関係なく魅了できるという罪深い性質になっているのは容易に推測できた。

 そんな美声に囁かれて、しかしカギヤは眉を顰める。その声をどこかで聴いたことがあるような気がした……というのもある。だがそれは理由の一割にも満たない。彼の表情を歪めたのは……怒り。


 複数武器を使う理由。

 それとも――こちらが舐められているのか。本気を出す程の相手でも無い、と。


「(……まあ最初からボッコボコにするつもりだったけど? なんかやる気出てきちゃったかな?)」


 ビキビキと額に青筋を浮かべたカギヤは、ぱしんと己の拳を受け止め闘志を滾らせる。


「(――チーター風情に舐められちゃあ、正義のハッカーの名が泣くってもんだぜ!)」


 ……ただ、相手がチーターだとしたら、解せない点がひとつ。

 《ストスト》では、というかVR格闘ゲームでは基本的に、武器ごとにチートを変えなければならない(勿論、良い子はチートなんか使わないでね)。例えば〈Ego[F]istエゴフィスト〉のチートと〈Crimeクライム/Ripperリッパ―〉のチートでは仕様上別のツールが必要になるハズだ。それとも、チャンピオンに指示を出すスポンサーがそれも用立てているのか。


「(……ま、考えるのは後で良いな。まずは証拠の確認だ)」


 頭の冷静な部分が感じた疑問を、しかしカギヤは奥へと追いやる。

 カギヤの目的はひとつ。圧倒すること。そして相手の使っているチートを見極め、電脳兵装プログラム・ツールを刺す。それが彼の「勝利」だからである。

 最初からそうしないのは逃走の危険性があるからだ。電脳兵装プログラム・ツールを見せた瞬間何らかのチートあるいはツールで逃げられたらたまったものではない。だから電脳兵装プログラム・ツールを出して相手に刺すタイミングは慎重に見極めなければならないのだ。理想はゲームが決着した瞬間……相手がKOノックアウトして倒れ伏し、数秒間強制的に動けなくなるあの瞬間だ。


[ルール、BO1ビーオーワン1Rワンラウンド。HP、ゲージ増加率200%]


 ゲームのルールが決定する。先にラウンドを取った方が勝ち……つまりHPが無くなればその時点で敗北KOだ。普段はあまり使用されないルールだが、こういう裏興行だと「デスマッチ」的な雰囲気のルールが合っているのだろう。つまり、やることは非常にシンプルだ。


「(ようするに、で試合に勝てばいい!)」


 そもそもそれが依頼だしな、と思うと同時に、カウントダウンが始まった。

 視界の中心に現れた「5ファイブ」は瞬く間に4フォー3スリー2ツー、を経由して1ワンへ。


 カギヤが前傾して身を低くし、背に吊った剣の柄に手を添えるように光輪の近くに手を構える。

 ネームレスは左手左足を前に出したオーソドックスな構えでぴたりと静止する。


 そしてカウントはゼロになり、[Fight!!]の文字が視界に広がって消え――。


「――ソード!」


 叫んだカギヤは地を蹴った。同時、その黒い光輪の輪郭が蠢き、柄のようなものが肩辺りから突き出す。カギヤはその柄を迷いなく掴み――眼前に迫ったネームレス目掛けて振り下ろす。

 ズルリ、と光輪から分離したのは、影から鍛ったかのような漆黒の西洋剣。光を反射しない刃は、しかし光によって示されるまでもない鋭利さを以て敵を襲う――。


 つい、と。

 ネームレスの左手が即応し、振り下ろされる刃に横から手を添え軌道を逸らした。


 神業――。

 空恐ろしいものを見せつけられたカギヤの背筋を戦慄が駆け昇る。だがもう遅い。

 剣は振り下ろした力のままに床へ。体勢を崩したカギヤに迫るのは、ネームレスがまだ使っていない右の腕。

 左手で対応し、右手で仕留める。基本的なのに、武器を止めるのではなく逸らすという恐ろしい技量によって強力無比となった構え……その防御が流水のそれなら、そこから繰り出される反撃は稲妻の速度と威力を持つ。

 だが、誤算がふたつ。

 ひとつ。剣と拳ではリーチに差があり、ネームレスがカギヤに拳を叩き込むには足を一歩前に出さなければならない。

 ふたつ。両手を使うことは彼の専売特許ではない。そしてカギヤの左手も空いている。

 反撃に反撃するため、背筋に走ったものを掻き消すようにカギヤは叫んだ。


戦槌ハンマー!」


 腰の後ろに回された左手は、黒い光輪から柄の短い戦槌を取り出す。それもやはり影が立体となったよう。カギヤはそんなノックバック効果を持つ槌を逆手に持ち、上体を回転させながら横薙ぎに振るう。踏み込んで来たネームレスに向けた痛烈な反撃の一撃が、彼の腕ごと体を吹き飛ばす――。


 ぴたり。ネームレスの前進が、突き出されようとしていた右腕が止まる。空を切る戦槌。同時、刃をいなした左手が蛇のように超速で跳ね上がりカギヤの顎を打ち据える。


「――ッ!?」


 拳が顎にクリーンヒットしようとも、電脳世界に脳震盪は無い。だが視界が突如としてズレる感覚は、刹那の攻防にとって致命的な隙をカギヤに与えた。


 世界が二度揺れた。

 否、腹に一撃、そして腹を掴まれて引き寄せられ再び顎に一撃。神速の二連撃がカギヤを襲い、そのHPの1割を奪う。


「(あ、ヤベ――)」


 がくん、と揺れる視界。カギヤは己のアバターに無慈悲な連撃が突き刺さる1秒後の未来を予知させられ。


手榴弾グ、レネードォ!」


 叫ぶ。瞬間、ネームレスの攻め手が一瞬止まった。


「(かかったなバカ)、がぁ!」


 その隙を見逃さず、カギヤは叫びながら雑な前蹴りを放つ。即応したネームレスは肘先でガード……だが蹴りはダメージを与えるのが目的ではなく、その体を強く蹴りカギヤの体を後ろに飛ばす――即ち距離を取るのが目的だ。

 跳躍、着地。ネームレスが追撃してこないことを確認し、カギヤはようやく冷や汗を流す余裕を得た。両手の剣と槌の柄を握りしめながら内心で叫ぶ。


「(あ、っぶねええええええ……! マジでボコられるとこだったぞ今! ブラフが刺さらなきゃHP何割持ってかれてたか……甘く見てたぜチャンピオン!)」


 カギヤは戦慄していた。無敗のチャンピオン、ネームレス。その技量は卓越しており、今の所チートを使っている気配はないにも関わらず己の5倍は強いとカギヤは断ずる。そんなネームレスは、油断なくカギヤの様子を伺いつつも、足元を気にしている気配を見せた。


 〈-Haloヘイロー ofオブ Deathデス-〉――その正体は、人類が戦争で使用することで「死のカタチ」となったあらゆる武具を取り出せる、という設定の武器である。ゲーム的に取り出せるのはソード戦斧槍ハルバード戦槌ハンマー小銃ライフル手榴弾グレネードの五種類である。

 先の一瞬。カギヤに光輪から武器を取り出す余裕は無かった。だがカギヤが手榴弾グレネードと叫んだことで、ネームレスは自爆を含めた爆発による反撃を警戒、攻め手を緩めざるを得なくなったのだ。


 1秒に満たない確認で手榴弾グレネードがブラフと気付いたらしいネームレスは、その全神経を再びカギヤへと向けた。それが分かったのは、カギヤに相手の意識を察知する力があるのではなく、相手から放たれる圧力が凄まじいからだ。それは悪寒となってカギヤの臓腑を冷たくかき乱す。

 

「(く、様子見とかしてる場合じゃねえ、で行かねえとボコられて終わる!)」


 先と同じ左構えのネームレス、彼我の距離は3m程か。距離を詰める機会を伺っているようにも、こちらの出方を待ち反撃を狙っているようにも見える構えだ。

 カギヤもまた全神経で相手を注視しながら、剣と槌から手を離して光輪に手を添える。床に落ちた剣と戦槌は闇の煙となって掻き消え、一秒後には何もなかったかのように影も形も残さなかった。それと入れ替わるように、光輪から先の二本よりも長く、石突の付いた柄が現れる。


「……戦斧槍ハルバード


 ズルリ、と取り出されたのは、2mを超える長さの戦斧槍ハルバードだ。槍の先に斧が付いたリーチの長いその武器は、リーチの短い相手からするとかなりの重圧を放つ武器だろう。それか、卓越した技量の前では鈍重なだけの武器なのか。


「(? 攻めて来ねえな)」


 戦斧槍ハルバードを両手で構えたカギヤだが、正直ここまでで相手が距離を詰めてこないことを訝しんでいた。グローブとそこから突き出た短い刃以外の攻撃方法を持たないネームレスからすれば、戦斧槍ハルバードは戦いにくい武器のハズ。リーチの差、というのは強力だ。日本刀とナイフ強い方を選べと言われて、「近づけばナイフの方が強い」というヤツは居ない。その間合いに入る前に日本刀に斬り殺されることなんて誰にだって想像できるからだ。「リーチの差があっても近づけば強い」なんて理論は「リーチの差のせいで近づけない」という現実の前に崩れ去るのが普通。だからこそ〈-Haloヘイロー ofオブ Deathデス-〉の弱点である「武器取り出しの隙」を突くのが、グローブの短いリーチしか持たない相手が取るべき最善手だったハズである。

 それなのに槍が出るまで攻撃しなかったのは、対応型の戦い方が得意なのか、それとも……スポンサーの意向で「圧勝するな」とでも言われたのか。


 何となく後者な気がして、カギヤは苛立ちに眉を顰める……同時、それを待っていたかのようにネームレスが飛び出して来た。


「(はやい!)」


 《ストスト》で出せる限界速度ほぼ目一杯――だが問題はその予備動作の無さ。警戒していなければ反応できず間合いに入れてしまったに違いないと思わせられる驚嘆すべき動きだった。

 だがカギヤもなんとか反応、牽制のために細かく戦斧槍ハルバードを突き出す。


 穂先の槍が、敵の脳天目掛けて疾走する。初撃での命中を狙わず牽制の為に突き出された刃は、しかし二撃目の余力を残しておいて尚、瞬きの間で2m先の相手の頭蓋を貫通せんと迫る。

 刹那。自身の限界まで引き伸ばされた体感時間の中、カギヤは槍の命中を確信し。

 瞬間――粘度を増した時間の中、しかし霞むような素早さで、ネームレスが腕を交差させた。

 ガキン、という音が振動として手元に伝わる。


 握り拳から手刀の形に変えられた手元、その小指側から長さ10cm程の三日月状の刃が付き出している。

 〈Ego[F]istエゴフィスト〉の形態変化のひとつ、その独特な形状の刃が鋏のように交叉することで、戦斧槍ハルバードの柄を断ち切り穂先を奪ったのだ。


「――は、あ?」


 思わず呆けた声が出る。

 確かに、〈-Haloヘイロー ofオブ Deathデス-〉は無限に武具を取り出せる代わりにひとつひとつの耐久力は脆く設定されている。防御に使えば2、3合で壊れてしまう時もある。

 だが、こんなのは――突き出した槍の穂先を断ち切るなんてのは完全に想定外だ。自分が待っていたアクションは防御か回避かであって、攻めたのに武器を壊されるなんてパターンは思考の端にも存在していなかったのに。

 当然だろう。突き出された槍の穂先を正確に見切り、最小限の動きで回避しながら、槍に合わせて両腕を交差させて柄を切り砕く……そんな一連の動作を、此方への突進を緩めることすらなく実行されたのだ。そんな規格外は通常想定すらしない。だが、目の前でされてしまった。


 ただの棒となってしまった戦斧槍ハルバードの柄に左手を添わせながらネームレスが突っ込んでくる。戦斧槍ハルバードの柄は攻撃判定が弱い――昔は強かったがナーフされた――ので、腕を添わされるだけで攻撃が封じられてしまう。本来なら穂先を引き戻したりして攻撃できるのだが、今は肝心の穂先が無い。


 想定もしていなかった状態に、カギヤは混乱し、迷う。

 そして電脳世界では、迷えば命令が混線してアバターの動きが止まってしまう――。


 ごしゃ、と。

 カギヤの顔面に、跳躍したネームレスの神速の右拳が突き刺さった。


「ぶぎゃ――」


 次いで空中に居るまま流れるように繰り出された右足による上段回し蹴りが顔面を叩く。《ストスト》では武器以外の拳や蹴りにも攻撃判定があり、クリーンヒットすればノックバックも発生する仕様だ。

 流麗さを纏う拳と蹴りの二衝撃にHPを更に1割5分減らし、間抜けな声と共に回転しながら吹き飛んだカギヤがようやく意識を取り戻したときには、既に手の中に戦斧槍ハルバードの残骸は無く、その体はリングの金網を背負っていた。

 がしゃり、と金網が鳴る。わざわざ効果音仕込みやがってという思考が0.1秒以上脳の隅っこに居座れるほどの余裕は既に無い。


「(ぐ……画面端、ってか)」


 見れば、ネームレスはこちらに追撃せんと迫っていた。その拳がアバターに突き刺さる前に視認出来たのは、単純に運が良かったからに過ぎない。金網に背中からではなく前面から突っ込んでいたら成すすべなく追撃を喰らっていただろうから。


 ネームレスの構えた拳、四つ並んだ銀の棘がギラリと光る。ここからどれだけ容赦ない端コンボが叩き込まれるのか、想像するだけで恐ろしい。


 だから、カギヤは

 それは比喩でも何でもない。バックグラウンドで用意していたチートツールを起動したのだ。


「(本当は相手のチート発動を見てからにしたかったが、このままじゃボコられて終わりだし……ええい依頼だ、仕方ねえ!)」


 そして――カギヤのアバターは、彼の意思を無視して最高効率で駆動する。

 迫る拳よりも速くカギヤが取ったのは、両手を開いたまま交差させる変則的な防御姿勢。システムの限界速度で完成させた気取った構えに反応し、背後の光輪から四枚の翼が体を覆う。それはゲーム内で「パリィ」と呼ばれている、通常のガードとは違う防りの構えだ。


 パリィとは、「武器ごとに設定された特定の姿勢を取る」ことで発動する防御技。発動・維持にアクションゲージ(※必殺技用ストームゲージとは異なる)を消費し、攻撃を受けるとゲージが回復する。

 利点は腕で相手の攻撃を受けるガードと違い、パリィ姿勢中は全身に防御判定が発生すること。そして後述する「ジャストパリィ」の存在だ。


「――!」


 ネームレスの見通せないフードの下から、微かに驚愕の気配が伝わった気がした。それはカギヤが通常あり得ない速度でパリィ姿勢を成立させたが故。


 カギヤが使用したチートは――マクロ、『ワンボタンパリィ』。

 自動操作マクロによりシステムの限界速度で即パリィ姿勢を取る事が出来るチートである。


 ネームレスの拳がカギヤをの体を庇うように覆った黒翼に命中。

 瞬間、何かが砕けるような爽快な音が響き――ネームレスの動きが硬直する。驚愕故ではない、システムによる拘束。

 その隙を見逃さず、カギヤは翼を翻しながらネームレスの顔面に一撃、反撃の拳をお見舞いした。ダメージ的には全体の1割にも届かないが、頬に一撃を受けた相手のHPが試合開始から初めて減少し、その体勢がぐらりと崩れる。


ソード!」


 好機を前に叫び、光輪から漆黒の刃を取り出す。

 《ストスト》では武器を使わずとも、単純な殴り蹴りなどにも攻撃判定は発生する。だがダメージは武器を用いた方が大きい。

 変則的な居合のように取り出した武器をそのまま横薙ぎに振るい……首に吸い込まれるように奔った斬撃は、しかし割り込まれたグローブによって止めらガードされた。


「(はぁ!? その体勢で防ぐかよ!?)」


 ネームレスの体勢は頬を殴りつけられたことにより背後に少し仰け反り、崩れている。だが横目でこちらの攻撃を察知したのか、刃の軌道上に正確に腕を割り込ませて一撃をガードしていた。

 しかも同時に、殴られた側の足である左足が跳ね上がり、こちらの側頭部を狙った鋭い蹴りが放って来ている。冷静、なんてレベルではない。体勢が崩れる勢いを利用して蹴りを放ち、なおかつ相手の攻撃はガードする……異常なまでに合理的な動き。


 だがカギヤが脳内で「発動」と念じれば、蹴りが届く前に体は1秒前の姿勢に戻り、四枚の黒翼が光輪から飛び出して彼を覆う。これにより反撃の足刀は翼に受け止められ勢いを完全に殺される――だけではない。再びあのガラスを割るような音が響き、ネームレスの体が硬直する。


 ――「ジャストパリィ」。「パリィ発動から2F以内に相手の攻撃を受け止める」とジャストパリィ判定となり、相手の動きが一瞬硬直するので反撃のチャンスとなるのだ。


 カギヤは笑う。

 パリィ姿勢を解除し、翼が高速で光輪に吸い込まれて消えていく……その漆黒が覆い隠していた影から現れたのは、やはり同色の西洋剣。先程ガードされた際、消さずに持ち越した剣だ。

 〈-Haloヘイロー ofオブ Deathデス-〉のパリィ姿勢は両手を開いて交差させるため武器を持ち越すことは出来ない……と思われがちなのだが、何故か武器を持っていると「拳を閉じていない状態」と見做されパリィが成立する。何度もバグを疑われ、その度に公式が「仕様です」と言い張るので「運営がミスをミスと言い出せず仕様ということにしたのでは」と噂されている謎仕様である。


 光を吸い込む漆黒の刃が、逆光の中にて禍々しい存在感を放ち。

 直後、振り下ろされた刃が、ジャストパリィの影響で動けないネームレスの体を袈裟切りに切り裂いた。斬、という悦びの声を上げながら、肩口から入った刃は胸の中心を通って反対側の腰から抜ける。それはあるいは、実体のない幻影の闇が体を通り抜けたような光景だったが――。


 がくん、と。

 視界内に表示されているネームレスのHP、それが目に見えて減少する。先の拳と合わせて2割ほど失われただろうか……カギヤを75とすれば相手は80と言ったところだ。彼の追い上げに歓声と悲鳴が同時に上がる。


「まだまだァ!」


 カギヤが追撃のため影の刃を翻す――と同時、ダメージを受けたことでネームレスの硬直が解除。その体が大きな予備動作無く超速で駆動するのを見た。

 殺気。のようなものがカギヤの全身を貫く。


「(やべっ!)」


 途端にマクロを発動、不自然な動きでパリィ姿勢を取るカギヤ。黒翼を避けてその顔面に迫るのは刃物さえ思わせる神速の貫手――の横から突き出した、本物の刃である銀色の三日月。それが両目を両断するだろう軌道で迫るのは恐怖以外の何物でもないが、《ストスト》のシステムの上ではどこを殴られ斬られようと同じダメージであり部位欠損なども発生しない。また、黒翼を避けて顔面を攻撃しても防御判定自体は全身にあるのだから結果は変わらない。

 カギヤはそんな理論武装で相手の刃を受ける覚悟を決め――それを嘲笑うかのように、命中する直前で銀の刃が掻き消える。


 〈Ego[F]istエゴフィスト〉、その特性は、グローブに付いたブレードの形状が、手の形と連動して変化すること。

 握り拳ならナックルダスターを思わせる四つの棘。

 手刀のように指の間を閉じて手を広げれば小指側から横に突き出た三日月状の刃。

 また指の間を広げた場合、指先に獣の爪を思わせる鋭いかぎ爪が生える。

 そして人差し指と中指だけを立てれば肘から刺突用の刃が出現する。

 以上のように半実体幽霊金属(という設定の)ブレードの形状を変化させて戦うのが〈Ego[F]istエゴフィスト〉の特徴だ。が……如何せん武器取り出しなどと比べて地味であり、玄人好みを通り越して控えめ過ぎるという点が人気の無さの所以だった。


 だがその特性が、今見事にカギヤの虚を突いた。

 ジャキン! とこめかみを掠めた手が開かれ、その指先に獣のかぎ爪が生える。異形の生物が歯だらけの口を開いたような光景。それに恐怖を覚える暇もなく、五指それぞれから伸びる五つの刃は、野性的な動きでカギヤの横面を抉る。

 ネームレスの目的はパリィのタイミングをズラすこと。現にカギヤのパリィは発動から2F以上……少なくともその倍は経っている。

 故にネームレスはジャストパリィの可能性を捨て、コンボを組み立てながらかぎ爪を突き立て――。


 何かが割れるような音。硬直するアバター

 止まったのはやはりネームレス。だが、何故。何が起こったのか理解が出来ない彼の硬直の隙を突き、カギヤはその腹に雑な前蹴りヤクザキックを入れる。ダメージは80が75になる程度の少ないものだが、相手を吹き飛ばノックバックし間合いを取ることが目的だ。


 インファイトはネームレスの間合い。それは今までの攻防から両者とも理解している。だがネームレスは即座に距離を詰めようとはしなかった。ただ警戒しながらカギヤを見つめる――フード越しの視線をカギヤは確かに感じていた。その姿に、カギヤはネームレスの中に疑念があるのを察知する。


「(もうバレたか。俺の2個目のチート)」


 ――チート、『確定ジャストパリィ』。

 このチートの使用中は、パリィ姿勢を取ってもゲームに「パリィ中」と判定されなくなる。それだけだとただ自分のパリィを封じる利敵チートだが、このチートの肝は攻撃命中時の「パリィ状態か否かの判定」は邪魔しないことにある。

 つまり、相手に攻撃を受けた瞬間ゲームは「攻撃を受けた側のKAGIYAくんはパリィ状態だね」「でも彼は今までパリィしてなかったからジャストパリィだね」という判定になりジャストパリィが発生……ということになる。更に攻撃を受けない限りパリィ中と判定されないため、いくらパリィを使ってもアクションゲージが消費されない。ジャストパリィはゲージ消費量±ゼロなため、永遠にパリィ姿勢でいることもできる。


 先程からのジャストパリィ量産は、カギヤの実力ではなくこのチートとマクロによるもの。その違和感を三度の攻防で感じ取ったのだろう、ネームレスの動きには隠しきれない警戒があった。

 が。

 ネームレスの足が再び床を蹴った。その体は黒い風となってカギヤに迫る。


「(判断早!?)」


 カギヤはその判断速度に舌を巻いた。確かに、間合いの外で迷えばカギヤに武器取り出しの時間を与えることになる。だが三連続でジャストパリィを決められておいて攻め手の勢いが衰えないというのは予想外だ。先のガードしながら蹴りを放った時と言い、ネームレスの行動は合理的に過ぎる。言うなれば「超・合理的」だろうか。

 ぐわ、と顔面に迫る左掌。その先には先ほどと同じようにかぎ爪があり、目を鼻をずたずたにしてやると叫んでいるかのようにぎらりと鈍く光る。


 だが自動操作マクロによりパリィ姿勢は一瞬で取れる。カギヤの体を庇うように覆う四枚の黒翼。顔面はやはり空いているが、先の一例のように防御に支障はない。


 だが先と同じなのは相手もだった。腕が顔に触れる直前にピタリと止まる。

 それは攻撃ではなく目隠しが目的。出来た死角の中、ネームレスの右腕が翼の隙間を縫ってカギヤの手首を掴む。

 瞬間、その腕が巨人の如き力でカギヤの体を強引に引っ張った。パリィ姿勢が崩れ、判定と共に黒翼が消滅する。

 ふわ、と宙を舞う体。


「(投げ――)」


 刹那、カギヤは回転する視界でそう悟る。

 実際にネームレスの腕力が上がったのではなく、「投げ補正」により投げられやすくなっているのだ。

 それは、相手を掴んで扇状の軌道を描きながら振り回し、反対側に叩きつけるだけの技。だがリングと衝突した際の衝撃はカギヤのHPを減らすには十分だ。


 ――ネームレスの判断は正しい。

 パリィやガードでは「投げ」を防ぐことは出来ない。これは開発側も意図して作ったパリィの弱みであり、いかにジャストパリィチートがあろうともパリィである以上投げには無力。


 故に。

 カギヤは「投げ」にも完璧な対策を講じている。


 がしり、と。

 カギヤの左手首を掴んでいたネームレスの腕、その手首を、カギヤの右手が掴んだ。

 空中に叩きつけるため持ち上げた直後、腕の角度が床から90度くらいの時だった。掴んでから0.2秒といった所か。


「!」


 補正が切り替わる。カギヤの体は山の如く不動に。ネームレスの体は羽根の如く軽く。既にカギヤの体は空中だというのにその勢いは液体の中に居るように止まり、逆にネームレスの足がふわりと床から浮く。


「う、おりゃあ!」


 あまり決まらない声と共に、カギヤがネームレスを振り回し――その体は金網に叩きつけられた。がしゃん! という音と共にネームレスのHPがさらに1割減少。同時にカギヤがなんとかといった具合で着地する。


「……け、計算通り」


 内心バクバクのカギヤは誰に向けてか分からない謎の強がりを小さく溢す。その胸中の焦りの残滓は、空中の一瞬で相手を投げるのに必死であった名残だ。

 というのも、今の出来事は彼の思考を超越したものによって引き起こされていた。


 マクロ、『自動投げ返し』。

 相手に掴まれ「投げ補正」が発生した瞬間にAI処理を組み込んだ自動操作マクロが発動、即座に相手を掴み返し「投げ返し」を発生させる。


 だがマクロがやってくれるのは掴み返すまでで、相手を投げるのは自分がやらなければならない。そして「投げ返し」も無敵ではない……投げ補正はどちらかがダメージを受ければ解除されるのだ。故にカギヤは焦って相手を投げる必要があった。


 金網に叩きつけられたネームレスのアバターが床に落ち、そして即座に立ち上がる。本当は追撃が出来れば良かったのだが、残念ながら投げと着地でいっぱいいっぱいのカギヤにその余裕は無かった。

 だが、ネームレスの足も止まっている。合理性の塊のような敵は、しかし警戒ゆえ足を踏み出しては来ない。

 当然だ。薄々彼(彼女?)も察しただろう。カギヤを守るたち違法なツールたちを。


 パリィ姿勢なら確定ジャストパリィで回避不能の反撃。パリィ姿勢も脳内のワンアクションから0.1秒以内に完了。更に、それを嫌って投げを選んだら自動投げ返しが発動して確定反撃。


 鉄壁。故に無敵。それがカギヤが持って来た三種類の不正チートによる必勝の戦術である。

 分かり易く攻めあぐねる相手を前に、カギヤは思う。

 勝利条件はシンプル、で試合に勝てばいい。そして。


「(俺の全力は当然、全力!)」


 ――《ストスト》のアンチチートシステムは強力だ。HP書き換えによる無敵化など、強力なチートはほぼ不可能。また今回のリングは興行という思惑が絡む故、そこまであからさまなチートでは試合中断もあり得るだろう。

 だがバレにくいマクロとちょっとしたチートを組み合わせることにより、それを疑似的に再現することも出来てしまう。

 どちらかと言えば彼の言う電脳小悪党チーターのような姑息さではあったが、とにかくカギヤは天才ハッカーなので無敵というワケだった。


 HPの最大値を100とすれば、現在カギヤは75でネームレスは65。ここに体力状況は逆転した。


「(よっしゃ、このまま攻める!)」


 悲鳴の方が多い声の雨を無視し、カギヤは剣を捨て両手を光輪に触れさせる。取り出す武器の名は。


小銃ライフル!」


 ズルリ、と同時に二丁取り出されたのは小銃ライフル

 小銃ライフルの形状はボルトアクションの単発狙撃銃で、有識者によるとスプリングフィールドM1903という銃がモデルになっていると言われている。コッキングこそ必要ないがリロード時間ならぬクールタイムがあり、マシンガンのように連射することは出来ない。これは格闘ゲームである《ストスト》のゲームバランスを保つための当然の設定だ。

 だが。実はこの「次射までのクールタイム」は銃個別にかかるものであるため、二丁取り出せば当然同時に二発の弾丸を放つことが出来る。


 何も写さない奈落の銃口がふたつ、しかと獲物の体を凝視し。


「オラ!」


 ダダン!! と重なった銃声が響き、鉛玉が瞬く間に彼我の距離を跳躍しネームレスを穿つ。

 命中弾の片方はそのグローブに包まれた腕にガードされ……そしてもう片方は、その肩を貫いていた。


「……ッ」


 フードの下から声にならない声が漏れる。

 飛び道具故、弾丸が削るHPの量は多くない。そこまで早く連射も来ない。だが問題は――。


「まだまだ行くぜ――」


 カギヤが両手の銃を捨て、再び光輪から小銃ライフルを取り出す。リングに触れた銃が幻のように消える前に、新たな銃が闇を吹いた。

 再びネームレスを襲う銃弾。一発は外れたが、もう一発はその膝を射抜いた。

 その結果を確認するや否や、カギヤは再び両手を開け新たな小銃ライフルを取り出す。


 そう。発射後にかかるクールタイムは銃個別なため……発射した銃を捨て光輪から新しい銃を取り出せば、普通に撃つよりも高速で連射することが出来るのである。

 このテクニックは『大量廃棄撃ち』と呼ばれており、〈-Haloヘイロー ofオブ Deathデス-〉使いなら必須の技術だ。ちなみにこれも「仕様ということにしたバグ」と一部のプレイヤーたちから噂されている。


「オラオラオラオラァ!」


 ダダダダダダダダ! と銃弾の雨あられがネームレスを襲う、襲う。〈Ego[F]istエゴフィスト〉の特性に、グローブ部分でガードすればダメージを完全にゼロに出来るというものがあるが、両腕だけで飛来する銃弾を防ぎきれるハズが無い。そもそも銃弾を見切ることすら不可能だ。撃たれた、と思った時には鉛玉は体を貫いているのだから。

 ネームレスのHPが減る。1割、2割……遂にそのゲージが半分を切ったことにより、悲鳴と共にどよめきが上がる。不敗のチャンピオンが負けるのか、と。


「(これが〈-Haloヘイロー ofオブ Deathデス-〉が強武器たる理由、圧倒的遠距離の『固め』性能! このまま弾幕で圧殺して――)」


 だが、名無しのチャンピオンはそう甘くない。

 彼は腕を交差させて前に出し、迷うことなくこちらに突進して来た。


「(身を低くして被弾面積を減らし、それを腕でガードか! 合理的だな相変わらず!)」


 被弾覚悟の突進。それもまた合理的。何故ならゲームの銃弾は現実と違い、一発二発受けても致命傷には成り得ないのだから。

 銃弾が交叉した腕に受け止められる。肩を穿ち腿に掠る弾はあれど、それはHPを僅かに削るだけで突進の勢いは落とせない。

 覚悟の吶喊は、銃弾では止められない……だから。


「今度こその手榴弾グレネードォ!」


 カギヤは銃を捨てて取り出し手を繰り返す中、不意に銃以外のものを取り出した。腕の中に納まっていたのは、漆黒の果実にも似た手榴弾グレネード

 それを、投げる。思いっきり床に叩きつけ、バウンドさせてネームレスの眼前に。


 手榴弾グレネード。それは床などのオブジェクトに触れてから0.5秒で爆発する、ノックバック属性のある武具。


 漆黒の閃光が迸った。


 爆発。轟音。

 世界を飲み込むような闇が花が咲くように炸裂し、そして萎むように掻き消える。

 爆炎が消えた後に残ったのは……。


「……く」


 爆風によって突進を押し戻された、防御姿勢を取るネームレスと。


「チャンス継続だぜ――小銃ライフル!」


 再び両手で銃を取り出すカギヤ。

 HP状況、カギヤ75:ネームレス30。そしてHP状況以上に戦況は傾いている。


 二丁の銃の銃口を向け、引き金を引くカギヤ。対するネームレスは再び距離を詰めたいが……。


 距離が開けば小銃ライフルの弾幕。距離を詰めようとすれば手榴弾グレネードで押し戻される。

 その上、距離を詰めても確定ジャストパリィと神速の投げ返しでまともにダメージが通らない。


「(絶体絶命、だろ? 分かったらさっさと使チャンピオン!)」


 名前の無い闘技場で試合をしたプレイヤーにはファイトマネーがある。だがここのファイトマネーは高額な代わりに、勝者しかもらえないらしい。チートを使ってまで勝つには十分な理由だろう。

 だからこそ、カギヤは待つ。相手がチートを使うのを、己の手札を全て晒すのを。そして相手の手札が全て暴かれるか、もしくは勝敗が付いた時……そこが最強にして違法の武器プログラム・ツールの出番だ。


 銃を撃つ。捨て、取り出し、また撃つ。連射する。数発は外れたりガードされたりしてしまうが、それでも数発は防ぎきれずHPを削る。ネームレスのHPがさらに減り、全体の四分の一を切る。

 弾幕を展開しながらも、カギヤは相手の一挙手一投足を見逃すまいと弾丸の雨を耐えるネームレスを凝視し――。


 ――黒が、視界を覆った。


「!?」


 カギヤは一瞬、自分に何かをされたのかと――チートに準ずる何かを喰らったのかと疑った。だから反応が遅れた。

 それは、服。

 チャンピオンがすっぽりと纏っていた、正体を隠すかのような黒いレインコート……それがカギヤの目の前に投げられたのだ。


「(脱いだコートで目潰し――!?)」


 通常、アバターの外装は投げたり出来ない。脱げばファイルの中に戻るだけだ。だからこの黒頭巾は外装スキンではなく道具オブジェクトだったのか――そんな思考が脳裏に過ぎるも、すぐにそれを脳の中に留めておく余裕は無くなった。


 拳が。

 黒を貫いてカギヤの頬を打ち抜いた。


「(しまッ――)」


 想定外の事態にパリィを忘れたカギヤに拳が突き刺さり……がくん、と仰け反りかけた体が止まる。拳が手刀に形を変え、突き出した三日月状の刃の峰が首に引っかかったのだ。

 ぐん、と首が押されて体が傾く。腹を衝撃が貫くと同時、足が払われ姿勢が崩れる――背に衝撃。


「ぐぇッ!?」


 蛙が潰れるような声が漏れる。自分がリングに叩きつけられたことに気付いた時には、踵落としが隕石みたいに降ってくるのが見え……無防備な腹に、そのまま踵が突き刺さった。痛みは無い筈なのに、落雷を喰らったみたいな衝撃が体を貫いた。

 ばさり。視界の端で藍色の髪が揺れる。同時に見える、冴え冴えと怜悧に光る藍色の瞳――。


 ――死ぬ。荒唐無稽な筈の言葉が直感として脳髄を貫き、弾かれたように体は動く。


「(手榴弾グレネード!)」


 床にくっついた光輪からそれを取り出す。相手の攻撃よりも速くそれが出来たのは運が良かったからに――相手の突進に対して手榴弾グレネードを当てようと構えていたからに過ぎない。

 取り出したそれを、落とす。投げる余裕などない。

 こつん、と床に爆弾が転がり……爆発。


「ぐ!」


 爆風に乗ってゴロゴロと転がり、精一杯の速さで立ち上がる。自爆により爆風を推進力として逃げる作戦は上手くいったらしく、距離を取れたのは分かった。

 だがHPへの被害は大きい。今のコンボと自爆とでカギヤのHPは半分近くまで削られていた。


「(クソ……だがもうコート目潰しは使えねえだろ。折角だ、そのツラ拝ませてもらうぜ――)」


 爆炎が収まる。その向こう側に居たアバターの姿が視界に飛び込んでくる。


 ――誰かが、息を呑んだ。いいや、きっと誰もがそうなった。


 ばさりと揺れる藍色の長髪。微睡むように細められた同色の瞳は、ともすれば夢を見ているよう。蒼玉サファイアの瞳を飾る長い睫毛は艶やかな肌に引き立てられ、完璧であれと作られた人形の美すら思わせた。すっと通った鼻筋に薄い唇、線が細く美しい顔立ちは、その性別を判断するのをためらわせる程に美麗である。

 チョーカーで覆ったほっそりとした首に細身の体躯もまた中性的。立ち姿は野に揺れる一輪の花のような、風が吹けば倒れてしまうのではないかという不安を煽るほどに頼り無い。

 男にしろ女にしろ、その儚く美しい造形を誇る姿はとても強そうには見えなかった。むしろ繊細、柔和という印象を強く受ける。深窓の令嬢、あるいは薄幸病弱の天才芸術家――人以外で例えるならば、花瓶にただ一本飾られた、青空の全てを己が花弁に吸い込んだが如き藍の造花か。

 だが――違う、と対面した全身が叫んでいる。

 夢見るようなまなこに宿るは、蒼炎を思わせる闘志の火。

 か細い草花のように見えた姿勢は、しかし天井から糸で吊られているのではと思うほどに安定していて隙が無い。

 ゆるりと動く視線ひとつ。ぴくりとも揺らがない指先ひとつ。それがどうしようもなく目を引くのは、きっと危機を前にした肉体がその一挙手一投足を見逃さないようにするためだ。

 嗚呼、花瓶の造花などとんでもない。その佇まいは戦士のソレであり、可憐な容姿は兵器の外殻であり、放つ迫力は餓えた猛獣そのものである。


 その、外見と内面が余りにもアンバランスな特異なる姿を、カギヤは知っていた――否、知らない者など、きっとその空間には居なかった。

 

「……Egoエゴ?」


 喘ぐように呟かれた声は、一体誰のものだったのか。観客か、依頼人か、それとも己か。

 明かされた正体はそれ程に信じがたい姿であり、名であった。


 [Egoエゴ]。もしくは[Egoエゴ-000ゼロカウント]。


 《ストスト》の公式大会においてGhostGaming優勝の立役者となり、優勝賞品であるコラボ武器〈Ego[F]istエゴフィスト〉のモデルとなったプロゲーマー。

 格闘ゲーム以外でも一線級であり、フルダイブ型eスポーツの顔とさえ言われる人気を誇った性別不詳。


―――――――――――――――――――――

✕[NAMELESS CHAMPION]→Ego 

@ego_000

元GhostGaming所属プロゲーマー

24フォロー 1031万フォロワー

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 半年前に突如として引退、以後表舞台から完全に姿を消していた伝説的ゲーマーが、カギヤの前に立っていた。

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