BATTLE FINISH
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歓声は止んでいた。代わりに、どよめきだけがリングにさざ波のように打ち付けていた。
その中心で、数多の驚愕の目線を浴びながら、そのアバターは棒立ちのまま困ったように呟く。
「……失敗したな。もうとっくに忘れられたと思ってたのに」
それはやはり、高い男の声とも少し低い女の声ともとれるような中性的な声。清流の如き涼やかな響きなのに、蜂蜜のような色香が僅かに混ざっている気がする。これは彼(彼女?)の内心を写したというよりは、その美貌と同じように無垢のまま人を魅了する類のものだろう。実際彼――実際はどうあれとりあえず「彼」と呼ぶことにする――に魅了された人間は数多い。いつかのインタビューでその顔が「本物」と分かってからは勢いも加速し、いつしか電脳世界で最も人気のゲーマーと呼ばれるようになった。
それは外見だけが理由ではない……むしろ外見などオマケでしかない。
公式戦の総合勝率約80%、取りこぼした試合の半分は体調不良による不戦敗で、実際の勝率はもっと高いとさえ言われる。手にしたタイトルは2年足らずで8個、生涯獲得賞金は総額6億5000万
即ち、[
2年前流星の如く現れ電脳世界の黎明期のフルダイブeスポーツ界を牽引し、その実力による快進撃から多くのファンを得てフルダイブeスポーツ界の顔とまで言える存在になり……そして半年前に突如として引退した謎多きかの人物。一年半の活動期間で積み立てたタイトルの中にはコラボ武器の作成権を勝ち取った《ストスト》の世界大会の名もある。
つまり、《ストスト》においてこの世で最も強いゲーマー。
そんな人物が、今、裏闘技場のリングの上に立っていた。
カギヤは思わず唾を飲み込む真似をしてしまい、それすら気にも止めずに震える声で問う。
「……あんた、マジのEgoか? なりすましとかじゃなくて?」
その声に、美貌がこちらを向く。ぱちん、と長い睫毛の下の瞳と目が合った。整った顔の上で眉が下がり、困ったような雰囲気を纏う薄い表情と共に口が開く。
「えっと、一応本物ってことになる、のかな?」
やはりその声からは性別が読み取れない……特徴的な声だ。変声アプリなどを使って真似している可能性はあるが、それでもEgoの声ではある気がする――カギヤも当然、彼の事は知っている。
姿……こちらも特徴的。現実の彼をスキャンしたアバター、それを真似た
実力……今までの戦いから、少なくともプロゲーマー級の実力はある。が、意図的な手加減のせいか世界チャンピオンレベルの圧倒的な力があるとは思えない気もする。
ただ……オーラ、というのか。デジタルの世界に入り込む余地のなさそうなソレを、カギヤは全身に叩きつけられているように感じていた。
本物。なんとなくそう思う。どよめきがざわめきに変わり出しているのも、観客達がカギヤと同じ結論に辿り着き出したということなのだろう。
彼らの民意を代表するかのように、カギヤは疑問を口に出す。
「なんであんた程の人がこんなトコに――」
「あの、その」
言葉は、遠慮がちな声に遮られた。独り言のような小さな声なのに、押し負けるように声が出なくなり、発言の機会を譲ってしまう。
「そろそろ戦わないと、観客が飽きてしまうかもなので……準備、良いですか?」
そう言って、Egoはスッと拳を構えた。先程と同じ左構え。その姿からはやはり闘志が立ち昇っているように感じる。
そんな「《ストスト》最強のゲーマー」を前にして、しかしカギヤは眉を顰めた。
「……勝つ気かよ」
そんな意図からの声に、Egoは。
「はい。ちりょ――お金を稼がなきゃなので」
そう即答した。
その言葉にカギヤが渋面を濃くしたのは……己の土俵の上で大きな顔をされたからではない。
Egoという伝説級のゲーマーが、こんな裏舞台に金目当てで落ちてきて、その上依頼人の話ではチートまで使っているという。
何か裏切られたような、そんな気持ちに胸を切り裂かれるのは当然だった。
だから叫ぶ。怒りのままに。
「じゃあ来てみろよ
「分かりました……行きます」
涼やかに声は返り。
次の瞬間、その姿は掻き消えた。
刹那。カギヤは気付く。
彼は消えたのではない……身を低くして突進して来たのだということに。
「(これだ! この異常なまでに予備動作が無い動き!)」
現実で体を動かさないので、感覚に下地がない分アバターを効率的に動かしやすい……みたいなことをどこかのインタビュー記事で見た気がする。
カギヤが咄嗟にパリィマクロを発動させる――
Egoの拳が迫る――
黒翼がカギヤの体を覆うのが一歩早い。
システムの限界であるマクロの前では、人間の限界であるEgoの速度も追い付かないとカギヤは確信し。
がし、と腕が掴まれる。
「(投げ!? なら投げ返しで――)」
ぐい、と腕が引かれ、パリィ姿勢が崩れ黒翼が消滅する。だが同時に自動投げ返しマクロが発動、神速でEgoの腕を取りに動く――。
ぱし、とカギヤの手がEgoの手首を掴み返した。
だが「投げ返し」は発生しなかった。何故なら、Egoが既に手を離していたから。だから投げ補正は既に無く、発生したのはただの「投げ」。
「(こいつ――腕を引いて『崩し』ながら手を離しやがった!)」
「崩し」。ダメージを狙わず体勢を崩すことを目的に「投げ補正」を使う技術の通称だ。利点は掴んでいる時間が短いので「投げ返し」されにくいこと。欠点は当然、直後的なダメージが無いこと。
マクロは、速くはあるがあくまで「システムの限界」の速度。発動した瞬間に全ての動作が完了するワケではない。例えば……何かを掴み、そして離す。人間の限界レベルの速度でも、それだけの動作なら……離れた場所にある腕を掴みに行く際のシステムの限界速度よりも、一瞬速く完了することが出来るかもしれない……否、できる。そうだとたった今証明された。
Egoが再びカギヤの腕を……自分を掴む腕の手首をがっしりと掴む。
「これで僕が『投げ返し』、ですね」
瞬間、投げ補正が反転し――カギヤの腹に肘打ちが突き刺さる。腕を引かれながらの一撃故回避は不能、肘から生えた刃が背中から飛び出る程深々と体を貫いたためダメージも大きい。
投げ補正が解除、掴まれていた手首がすっぽ抜ける。
「(マズい、パリィを――)」
マクロでパリィ姿勢を取ろうとするが、発動するのとほぼ同時に体が浮いた。コンパクトな動きで足払いをかけられたのだ。空中ではパリィ姿勢が成立しない……が、マクロは発動しているためパリィ姿勢を取ってしまう。結果、その一瞬は反撃も回避も出来ず。
がし、と浮いた足を掴まれ強引に引っ張られる。投げ返しマクロが発動し相手を掴み返すが……投げ補正を使って何かするよりも、裏拳気味に放たれたEgoの拳が顔面を直撃する方が早かった。
今度は裏拳を放った拳が襟首を掴み体を引く。リングの床に叩きつけられながらも自動投げ返しは発動、相手を掴み返すが、ほぼ同時に腹部に膝がめり込んだ。ダメージにより投げ補正は解除される。
「――」
カギヤの背筋を怖気が走る。
――なんだ、これは。
床に倒れた状態ではパリィは出来ない。投げ返しは「崩し」と猛攻で対応されてしまっている。無敵の筈だった三つのチートの組み合わせが、いとも簡単に攻略されていた。
「
武器を取り出すため光輪に触れようとした腕が掴まれた。同時、もう片方も掴まれ投げ返しが不可能になる――さらに間を置かず頭突きが降り、起き上がろうとしていたカギヤの頭を再び床に叩きつける。
HP状況は既に五分……25:25であり、先程まであった有利が嘘のように追い付かれている。それどころか地面に倒されマウントポジションを取られた今、HPは同値でもカギヤの圧倒的不利と言わざるを得ない。
それどころか……。
「(こいつ、まだチート使ってねえ!!)」
Egoの動きにチートらしき部分は無い。このゲームで使えるチートを熟知しているカギヤだからこそ分かるのだ。こちらのチートに完璧に対応した今の一連は、純粋な本人の技量によるものだと。
――「敗北」。
その二文字が脳裏を過ぎる。
「(ふざけんな、負けるワケには……!)」
それは駄目だ。敗北すれば
「(こうなりゃ今すぐ奥の手を――)」
ぴく、と僅かに指が動くが……いや駄目だ、とそれもすぐに思い直す。その一撃が躱されれば最悪、この試合が意味を失い依頼も失敗となる。
故に、今使うべきは――。
「――ストームアーツ!!」
溜まっていたゲージを全て消費し、カギヤは叫ぶ。逆転の一手となる超必殺技の名を。
「『
『よかろう。終末の刻だ!』
まるで、闇が咲くように――。
漆黒の翼が光輪より溢れ、Egoを押し出し天へと昇った。空中にて停止したそれは、ばさりと翼をはためかせこちらを睥睨する。
それは、黒。
天使の翼の色も黒。後光を背負う光輪の色も黒。
非対称の五枚の翼を背負う堕天の徒は、金網に囲まれたソラにて死を叫ぶ。
「
光輪より引きずり出され、両手に納まる二つの死。
ひとつは2mを超える長さを持ち、近付くこと能わぬ長尺の突きと鎧を両断する斬撃の両方を放つことが出来る
ひとつは鉛玉を火薬にて撃ち出すことで遠距離から敵の体を貫き死に至らしめることが可能な
それを構えたカギヤは、正しく天より降り立った死の化身であった。
――ストームアーツ『
更に残効果時間を破棄して強力な範囲攻撃をすることも出来るが……今はまだ使わない。
「行くぜ!」
翼をはためかせ、カギヤは急降下を開始する。振るうは目一杯端を持った
円を描き迫る漆黒の刃を、Egoは冷静に見切り最小限の動きで回避。そのまま反撃をしようとして――。
カギヤは地上に下りることは無く、
『
「
両手に持った武器を捨て、光輪より
一撃、二撃。リング上で爆発が起き、Egoが逃げ回るのが見える。上手く躱しているのかHPは減っていないが、狭いリングでは逃げ回るのも限界があるだろう。
「(さすがの回避力だが……その武器じゃストームアーツ含めても飛行能力には無力! このまま決めてやるぜ!)」
次の手は
そんなことを考えていた彼の思考は、Egoの放った次の言葉で掻き消えた。
「ストームアーツ――」
リングの中心に立ち、Egoは涼やかな声で紡ぐ。無力な筈の超必殺技の名を。
「――『
『死ぬんじゃねェぞォ!? ぎゃはははは!』
瞬間、グローブを構成していた帯状のナニカが爆発する勢いで長さを増した。それは嵐のように渦を描きながらEgoの全身に絡みつき、細身だったその輪郭を変えていく。
元からグローブに覆われていた肘から先は、一回り太くなり怪物じみた禍々しいシルエットに変化する。足も獣を思わせる爪が形成され、背中には余った帯が翼のように流れる。唯一殆ど覆われていない頭は、しかし額だけは帯に覆われ、そこから鬼のように銀の角が二本生えていた。
それは端的に言えば、変身。あるいは怪人化か超人化か。
ストームアーツ『
だが。
「(その技は空が飛べるようになるわけじゃねえ……翼っぽくなる帯も飾りだ。効果を知らない? いやEgoに限ってそんなことあるハズねえ、武器のモデルになった奴だぞ。なら……ダメージを抑えるのが狙いか?)」
全身のガード判定で『
「(……上等だ。そうなっても俺の勝ちだからな。だから今は、俺の本当の狙いに気付かれないように全力で攻めて――)」
そう考え、
Egoが走る。リングの端目掛けて、全力で。だがそこには天井まで伸びる金網があり、パワーアップした状態でも脱出など叶うハズも無い。ゲーム内で与えられる武器は、電脳世界のオブジェクトを壊す力など無いのだから。
何故、というカギヤの疑問は、次の一瞬で氷解する。
そのままEgoは――ガシャン! と金網に蹴りを入れた……否。金網を蹴ったのではない。金網に飛び乗ったのだ。
Egoが走る。壁を、六角形の金網を螺旋状に走って上へ上へと駆け登る。
「はぁ!?」
カギヤの口から思わず声が飛び出た。確かに、《ストスト》プレイ中のプレイヤーアバターには高い身体能力が与えられる。だがそれでも、垂直の壁を駆け登るほどの馬鹿げた力は無い。ならばそれを可能にするチートなのか、とカギヤは考え……その思考はEgoが使用中のストームアーツの詳細に至る。
――『
握り拳のときのナックルダスターを思わせる四つの棘は、刃渡り20cmを超える刃に。
手刀のように指の間を閉じて手を広げたときの小指側から横に突き出た三日月状の刃は、日本刀のように長く鋭く。
また指の間を広げた場合、指先に獣の爪を思わせる鋭いかぎ爪も伸び、足の指や腕全体、額からも鬼の角のように刃が生える。
そして人差し指と中指だけを立てれば肘と膝から刺突用の刃が出るようになる。
正しく「全身凶器」を体現するのが、〈
金網の壁を駆け登るEgoを見る……彼の額を覆った帯から生えるのは、鬼を思わせる角。つまり刃の形状はかぎ爪――。
「(――足の爪! それを金網の隙間に引っ掛けて壁走りを?!)」
当然、足に生える爪はそんな用途を想定されたものではない。単純に蹴りのダメージを高めるためのものだ。だが金網の形状とEgoの機転により、それは壁登りのための道具となってしまった。ゲーム内の武器がオブジェクトを破壊できないのも、この場合は彼の有利に働く。
がしゃがしゃと足音を響かせながら金網を駆け登るそのアバターは、瞬く間にカギヤが飛翔する最高高度まで辿り着き――金網を蹴って空中に跳躍する。
それは飛翔だった。翼ならぬ帯をはためかせ、機転と脚力にて空を舞う。
「(こいつは――)」
目が、合う。視線が体の前に激突する。
藍色の瞳は真っ直ぐにこちらを捉えている。そこに喜びは無く、恐怖も無く。あるのはただ空に残光を残す程に燃え盛る闘志と、一秒先の未来の選択肢。
「(――マジの
今、腑に落ちた。腹の底から納得した。
目の前のアバターを操っているのは、電脳世界最強のゲーマーだ――。
「ま、」
嗚呼、口から勝手に言葉が漏れる。腹に落ちた納得に押し出されるように。
「けて、堪るかああああああ!」
絶叫が、迸る。
握っていた銃など捨て、光輪より二刀を抜剣する。構える時間など無い、飛び掛かってくるアバターに両手での無茶な居合を合わせる。
光を断つ漆黒の刃が振り下ろされ――
ギラリと輝くかぎ爪を備えた腕が迫り――
両雄、激突。
漆黒の二刀は相手の腕を体を切り裂き。
銀のかぎ爪は相手の胸を深々と抉る。
互角――そう、そこまでは互角だった。
だがカギヤが二刀を振り切ったのに対し、Egoはまだ振るえる刃を残している――。
交差の一瞬。
Egoが付き出した銀光纏う蹴りが、まるで胸に開けた傷を広げるように、カギヤの背中に突き刺さった。
「な――ッ?!」
一撃を浴びせたカギヤに対し、二撃を以て上回ったEgo。カギヤのHPが1割を切り、僅かな値だけを残して停止するのに対し、顔以外の全身にガード判定があるEgoのHPは殆ど減らない。数値で表せば5:23。今ここに趨勢は決した。
だが、彼だけがそこで満足しない。止まらない。
がしゃん! と反対側の金網に両手両足で着地したEgoが、すぐに体を反転させ、再び飛び掛からんと力を蓄える。
それを見て、カギヤの体を貫いたのは――恐怖。
獣。
その姿は獣そのものだった。勝利に飢えた、ゲーマーという名の猛獣。その中でも最も強靭な肉体と勝利への渇望を併せ持つ、最強の怪獣――決して同じ
ガシャン! と金網を鳴らしながらEgoが再び跳躍する。
対してカギヤは……翼をはためかせ後ろに下がる。それは相手から少しでも離れるため反射的に行われた動作、即ち、紛れもない逃げであった。
だが。
「(まだ負けてねえ――俺は諦めが悪いんだよ!)」
カギヤは下がりながら腕を天に掲げる。降参のためではない。その逆、限界まで抗うために。
剣が。
全て闇から削り出したかのような無数の剣が空中に出現し、金網に囲まれたリングの頭上を覆い尽くす。
「これは――」
見上げたEgoは、すぐにその正体を看破した。
『
その指揮棒を振るうように、カギヤの掲げた手を振り下ろす。皮肉にも一瞬の「逃げ」によってEgoの攻撃は紙一重で届かない。
「降り注げ、剣の雨!」
命令と共に、滅びが降った。
無数の剣が落ちる、落ちる。回避など不能、剣の一本がEgoにも突き立ち、その体をリングの床に撃ち落とす。
剣が降る。落ちる。叩きつけられる。
斬撃の雨。鉄の霰。死を浴びせる闇の合唱。
やがて雨が止む……同時、カギヤの背から出ていた五枚の翼も勢いを弱めた。翼はどんどん小さくなり、飛翔する力を失っていくことを示すように主の体を地上に運ぶ。
果たして……否、やはりと言うべきか、EgoのHPは残っていた。2割ほど残っている……が、その全身を覆っていた帯は消え、ただのグローブに戻っている。
『
2割のHPを削るには、クリティカルヒットでも一撃では足りない。
しかしカギヤの5%ほどの残HPは、どんな攻撃でもガードしそびれた時点で消し飛ぶだろう。
「(絶対絶命、か)」
ここに、カギヤの勝機はゼロになったと言って良いだろう。Egoとの技量の差を考えれば、彼がこの試合に勝つ可能性は無に等しい。
だというのに……Egoは構えた。いつもの、そのまま彫刻に出来そうな程美しい左構え。その瞳、立ち姿には油断も隙も、また勝利の確信も無い。
「……はッ。真面目かよ」
苦笑しながら言って、カギヤも構えた。選ぶのは
自分は勝てないと確信してしまったのに――格上の相手はそう思っていない。それが恥ずかしく、どこか嬉しくて、思わず口が軽くなる。
「悪いが、俺もまだ勝つ気だぜ
片手で銃を持ち、片手で
「……僕もです。では、行きます」
そこで交わす言葉は切れ。
Egoが最速で床を蹴った。
それは疾風。彼の
対し、迎え撃つは黒き刃。地を這うが如き神速の風を薙ぎ払うように、
轟、漆黒一閃。
しかして藍色は空に踊る。跳躍して刃を躱したその風は、拳を構えて眼下の敵へ飛び掛かる。
「そこォ!」
その回避方法を読んでいたカギヤがもう片手で銃を構えた。奈落の銃口が獲物の眉間を睨み、爆発した闇が弾丸を押し出す。
黒き銃弾は闇色の火花を引き連れて放たれ、Egoの眉間へと刹那を駆け迫る、迫る――。
ばちぃッ! と。
嗚呼、それは刹那の神業。空中に回避したことで継続された左構え……相手の攻撃に対応するための左腕が、弾丸の軌道上に割り込みそれを弾いたのだ。
弾丸を見切る。それに不思議と驚愕は無く、ただ刹那の攻防は終わりへ進む。
これにより、カギヤは両手を使い切った。だがEgoはまだ片手を、攻撃の為の右手を残す。
即ち、ここに勝負は決着した――カギヤがハッカーでなければ、そうなった。
「
それは半透明で僅かに光る
即ち、
確かに、「試合」には勝ちようが無い。だが「勝負」ならまだ分からない――否。
「(――俺の、勝ちだ!)」
勝利を確信した。黄金の刃が奔った。
だが。
ふわり、と。風が身を捻り、刃は見事に空を切った。
「――は?」
動きが止まったのはカギヤの方だった。
弾丸を見切った時は、衝撃こそあれ納得もあった。だがこれは違う。ゲーム中に
そうして疾風は到達し。
停止したカギヤの胸板を、藍色の拳が打ち抜いた。
残ったHPが消えていく。そんな中、カギヤは呆然と問うた。
「な、んで……」
「何かを狙ってる、ってことは気付いてたので警戒してました。それが何かは分からなかったですけど、ね」
嗚呼、その声はあくまでも涼やかに。
不正への嫌悪も、戦略を凌駕した快感も何もなく、ただ草原に吹き抜ける風のような声音で言う。少し照れたような響きと、薄く混ざる賞賛にも似た色がやけに強く耳朶を打った。
「……はは、マジかよ」
盤外戦術すら想定の内。
多腕などの異形アバターが許された裏闘技場で不敗のチャンピオンを張っているということを想定できていなかった……そう、想定が甘かったのはこちらだった。いや、だとすると、もしやチートを使っていたのは彼では無く……。
何かに気付くと同時HPがゼロになり、カギヤの体がリングに倒れた。
[KO!! NAMELESS Win!!]
そんなアナウンスが会場に響き、一瞬遅れて歓声が沸く。今まで聴いたどれよりも大きい、Ego復活を叫ぶ歓声の波。恐らくカギヤに賭けていた者すら、彼の戦いを見られたことに歓喜しているのだろう。
「(完敗、だな)」
システムによってリングに縫い付けられた敗者にすら笑顔を抱かせてしまう。それがEgoという伝説の凄さだ。
試合にも、そして勝負にも……全てにおいて、敗北した。
なのにそれに対する負の感情は湧いては来ず、ただ爽やかなものが胸を満たす。
だから、口の中に広がる苦い味はまた別のことが由来だ。
「(……ただ、話が違うなユーワンさんよォ。俺は基本依頼人ファースト主義だが、ソイツが悪人だったら話は別だぜ……?)」
歓声の中で倒れ伏した「正義のハッカー」は、立ち上がれるようになるのを待ちながら、しかし待ちきれぬとばかりに強く拳を握りしめた。
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