[003] NAMELESS STREET FIGHT !!
CHALLENGER APPROACHING
[1]
時は西暦2074年。インターネットを可視化・体験化した「電脳世界」が発明された時代。
そんな電脳革命の時代において、人々の娯楽たる電子ゲームもまた、VRの究極系とも言うべき「フルダイブ型」に進化していた。
ゲームがフルダイブ型に進化し、また電脳世界即ちオンラインサーバー上の仮想空間が発達したことで、eスポーツは現実世界のスポーツと同等以上に隆盛した。選手と観客が現実世界での距離に関係なく同じ空間に存在できるという要素は、eスポーツが盛り上がるには十分な要素であったのだ。
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[2]
そんなeスポーツ史において、最も有名な選手と言えば誰だろうか。
電脳世界完成より以前からVR格闘ゲームの象徴的存在である[
フルダイブMOBAの生きる伝説、[
はたまたフルダイブFPSの最強スナイパーと名高い[
今挙げた名前はそのどれもが超級のスター選手だが、今現在において最も有名と言えばやはりあの人ではなかろうか。
総合勝率約80%、取りこぼした試合の半分は体調不良による不戦敗で、実際の勝率はもっと高いとさえ言われる。手にしたタイトルは2年足らずで8個、生涯獲得賞金は総額6億5000万
即ち、[
2年前流星の如く現れ電脳世界の黎明期のフルダイブeスポーツ界を牽引し、その実力による快進撃から多くのファンを得てフルダイブeスポーツ界の顔とまで言える存在になり……そして半年前に突如として引退した謎多きかの人物こそがその称号に最も相応しいと
[ERROR!!]
ザザッ
「――はいはいドーモこんにちは! 正義のハッカー超☆参☆上!」
mmもm、トとtもmoo、???
縺?≧縺薙→縺ォ逡ー隲悶?辟。縺?□繧阪≧縲
「俺は[
[接続確認中……]
「おっと時間か。まあ今回はそんなカンジで! 正義のハッカー・カギヤをよろしくね~――」
ブツン。
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仮想空間に0と1で創られた新たな世界――
あらゆる国と企業を巻き込んだ一大プロジェクトによって約3年前に完成したCLONEは、環境問題と未来への不安に疲れ切っていた大衆にとって格好の娯楽となり、また新たなテクノロジーの塊にビジネスの匂いを嗅ぎつけた企業たちにとって巨大な市場となった。
CLONEの特徴は、意識を現実から切り離し仮想の世界に没頭できる通称フルダイブ・システムにより、現実感を保ちながら現実ではありえない体験を気軽に味わえるというもの。そしてその体験の舞台たるデジタルで構成された仮想空間——いわゆる「電脳世界」は、まるでインターネットを可視化・体験化したようなものだった。
音声通話の代わりに、アバターの顔を突き合わせてのコミュニケーション。
写真を見て行うネットショッピングは、仮想空間に再現された商品を試して購入する電脳ショップが台頭し。
ビデオゲームは進化して、電子の武器と体とを振り回すかつてない体験型の電脳ゲームに。
自動翻訳機能によって世界各国の子供たちと質の高い教育を受けられる、国際的かつ画期的なヴァーチャルスクール。
大人には個人から企業まで賃貸・購入可能な電脳作業スペース「ヴァーチャルオフィス」で、リモート会議や国際企業のハードルをぐっと低く。
TV番組やアニメを始めとした映像作品は、キャストがそこにいるかのような立体映像や物語に入り込める主人公視点など娯楽としてのレベルを大きく上げ。
ダイエットには食べても太らないヴァーチャルフード、オシャレな夜には肝臓を傷めない電脳酒。
大気汚染によって気軽な娯楽ではなくなった旅行も、世界各国どころか過去の風景さえ再現された電脳街で安価に安全に楽しめる。
他にもイカサマや暴力の心配が無い電脳カジノ、仮想空間ゆえ「収容人数」という概念が無くなりチケットを買った全員が参加できるミュージック・ライブ、老若男女・身体的ハンデ関係なしに自由に動けるサポートシステム――。
上げていけばキリがないが、そのような特徴から多くの人間が電脳世界CLONEの虜となり、そこに政治的・経済的な思惑も絡むことによって、CLONEはサービス開始から発展を遂げ続け、ついにはユーザー総数20億を超える莫大な影響力を得た。
そんな
電脳BAR《
ごくり、と虹色の液体を嚥下する。途端に口内を柑橘系の甘さが駆け巡った。舌をとろかせるような重厚な甘味は、遅れてくるすっきりとした酸味が加わることによって絶妙な後味だけを残して喉の奥に消えていく。しかし腹に何かが入った感覚は無く、喉が潤った感覚も極めて薄い。ただ舌に残る甘酸っぱい後味だけが、今飲んだ液体が幻ではないことを告げていた……いや、見方によっては幻かもしれない。と少年は考える。
電脳世界上の食事は、味覚に直接情報を送る娯楽以上の意味を持たない。つまり今飲んだ液体も、「美味しい」という感覚を脳に与えるだけの電子データだ。それは人によっては幻と呼べるかもしれない。
そんな事を考えながら電脳BAR《
「――いやあ、なんか悪いねオゴって貰っちゃって。それとも『やっぱナシ』にしとく? 俺はそれでも良いぜ」
透明なグラスの中に入った、虹を思わせる色とりどりの相が重なったドリンク――半分ほど無くなっている――を机に置き、皿にこんもりと積まれたピーナッツのようなものを口に放り込みながら放たれた少年の言葉は、その態度も相まって中々真剣に感謝しているようには見えない。
だが失礼とも言えるその態度を、相席者は手もみしながらの笑顔で受け流した。
「いえ、いえ。これから仕事を依頼しようとしているから当然ね。投資を惜しむ商人は二流ね。つまりこれは投資、お勘定代も含めて働きで返してくれればいいね」
「そう? じゃあ遠慮なく」
少年はそう言って半分ほど残っていた虹色の液体を一気に飲み干し、メニューウィンドウを出現させて追加注文。するとグラスになみなみと注がれた「レインボーファントム」が、ぱっとテーブルの上に出現した。データ故注文すればすぐに出てくるのが良い所だよな、と思いつつグラスに口を付ける。
―――――――――――――――――――――
KAGIYA
@kagiya_tennsaisaikyou
正義のハッカー 電脳世界でのお困りごとから対戦ゲームのチーター退治まで 電脳警察では解決できない悩みもお任せあれ!
310フォロー 291フォロワー
―――――――――――――――――――――
一見無礼な少年・カギヤは、どかりと個室のソファに座り直して、グラスを片手に目の前のアバターに問いかける。
「そんで、『投資』してまで頼みたい依頼って? ユーワンサン、だっけ」
カギヤの言葉に、『ユーワン』と呼ばれたアバターは毛むくじゃらの頭を掻いた。
その姿を一言で言い表すなら「まん丸な猫の化物」だろうか。でっぷりと太った体は球形に近い形状をしており、首は無く――あるいは判別できず、頭と体が直接繋がっているようにも見える。丸いシルエットから突き出た耳の生えた頭を掻くのは、肘がどこか分からないマスコットのような腕。テーブルの死角にある足も同じようなものだ。
耳の間に被った中華帽。大きい目に大きい口、鼻には目にかかっていないちょこんとしたサイズの丸い眼鏡が乗っている。太い髭はくるんと回転しているのが一対だけ。そんな、スーツにも似た服を丸い体で無理矢理着た化け猫のアバター・ユーワンは、外見と合っていないこともない甲高い中年男性の声を出す。
「その前に。カギヤ先生は賭博は好きかね?」
「ちょっと待った、『先生』はやめてくれ。むずがゆい……いや、
「多分そうね。ワタシ敬語使っただけね」
「んで、賭博が好きか、だっけ? まあ好きだけど、それが?」
ユーワンは再び言いにくそうな仕草で頭を掻く。見た目のせいか、なんとなくワザとらしい動きだ。会話が途切れない程度の僅かな時間迷った後、彼は毛むくじゃらの太い指を一本、口の前で立てた。
「それは良かったね。その、ワタシが持って来た案件はちょっと公になるとマズい問題ね。だから受ける受けないに関わらず他言無用でお願いしたいね」
後ろ暗さを匂わせる言葉に、しかしカギヤは微塵も怯まない。彼に遵法精神など無いし、「ユーワンのものらしきSNSのアカウントが見つからなかった」のもそう言う理由か、と納得したからである。そもそもユーワンという名前が本当の
だが、カギヤは気にしない。
「ふぅん? まあ良いけど」
ぐび、とジュースを飲みながら軽く答えるカギヤに、ユーワンはやはり「本当に分かっているのかね」と不安を見せる。気弱そうな仕草で汗を拭うように額を触り、そして意を決したように彼は口を開いた。
「……名前の無い闘技場、っていうのがあるね。言ってしまえば運営非公認の賭場ね」
「名前の無い闘技場?」
その余りにも引っかかる言葉に、カギヤは思わず胡乱気な声で繰り返した。「闘技場」、というのは良いとして、「名前の無い」とはどういうことか。そんな声に込められたニュアンスを感じ取ったのか、ユーワンはそうね、と捕捉する。
「発覚を避けるために本当に名前が無いね。知ってる人は裏闘技場とか秘密闘技場て呼ぶね」
「なるほど。で、俺はそいつを潰せばいいのか?」
そう訊くと、ユーワンは即座に腕を前に出して否定した。
「ち、違うね。落ち着いて欲しいね。闘技場を潰されたらワタシ困るね」
「……なんだ、利用者側かよ。それで、じゃあ何をして欲しいんだ?」
「えっと、その闘技場では『格闘ゲーム』で賭けるね。どっちが勝つかとかね。観戦するだけで賭けない人もちょっぴりいるけど、基本は賭け試合が目的ね」
格闘ゲーム……電脳世界でかなりの人気を誇るゲームジャンルだ。かつてFPS等に押されていた人気は、今や完全に逆転したと言っても良い。それを使って賭博を目論む人間が居てもおかしくない。当然許可の無い賭博行為は電脳法違反だが。
だがカギヤはそれを気にしない。問題は依頼の内容だ。
格闘ゲームで違法に賭博を行う施設、依頼人も利用者側……こうくると依頼の内容は大体ひとつだ。
「オイ、まさか俺に『
びく、とユーワンの体が硬直した。図星か、と溜息を吐きつつ、カギヤはじろりと気弱な化け猫を睨む。
「あのなぁ。俺は『正義のハッカー』だっての。チーター退治ならともかく、悪趣味な金持ちの道楽の種になるためにチートなんぞ使えっかよ。そういうのはそれ専のヤツに頼めよな。居るだろ、裏専門の闇ゲーマー」
「ち、違うね。ちょっと待って欲しいね」
依頼を受けて貰えないと見るや、ユーワンの顔色は獣の姿でも分かる程悪くなり、慌てたようにこちらを呼び止めて来る。
じゃあなんだよ、というカギヤの視線に怯みつつ、ユーワンはこほんと咳ばらいをして続ける。
「その……闘技場にチーターが居るね。今の闘技場のチャンピオン――無敗の男ね」
チーター、という響きにカギヤの目が興味を帯びた。ユーワンはおどおどしながらもそれを見逃さず、畳み掛けるように言葉を重ねる。
「ソイツは3ヶ月前に闘技場に現れて、それ以来無敗ね。ワタシもどれだけ大損させられたか……ともかく、あれほどの強さ、チートを使ってるのは確定ね。だからソイツを倒して欲しいね」
「……えーと、チーター退治の依頼、ってことで良いんだよな?」
カギヤが確認すれば、ユーワンは丸い頭をこくんと下げて頷いた。
「その通りね。アイツを倒して欲しい……ただその、試合の上で倒して欲しいね」
「……」
じとり、とカギヤの目が再び冷える。やっぱり見世物目的で呼んでんのか、という目線に責められ、ユーワンは慌てて疑惑を否定するべく舌を回す。
「その、ソイツは正体を隠してるのね。リングの上以外では見つけれないね。誰かも分からないからね。だから試合をするのでしか戦えないね」
だから仕方ないね、と上目遣いで必死に訴えてくるユーワンに、彼を疑っていたカギヤは疑念MAXで詰問する。
「本当かぁ?」
「ほ、本当ね」
「嘘ついてないよな?」
「ヤツは本当に正体不明なのね! 名前の無い闘技場にちなんで、みんな『
ユーワンは必死で叫ぶ……その様子はとても演技には見えず、その言葉には真実味があった。
それを理解したカギヤは、途端に疑念を引っ込め、ニヤリと楽し気な笑顔を覗かせた。
「まあ、そういうことなら良いけど。裏闘技場で試合なんて、派手でちょっと楽しそうだし……それに無敗のチャンピオンを倒すチャレンジャーなんて、こんなに有名になれそうな響きは初めてだしな!」
それは実に楽しそうな声音だった。ワクワク、という擬音が相応しいほど跳ねた口調だ。
了承を得られてほっと胸をなでおろすユーワン。そんな彼に対し、カギヤはワクワクした口調のまま問う。
「それで、その闘技場でやってる格闘ゲームの
そうして、正義のハッカー・カギヤの新たな依頼が始まった。
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「名前の無い闘技場にはパスワードが無いと入れないね」
そう言うユーワンにパスワードを教えて貰い、とあるサイトのリンクも貰う。そのリンクのページを開き、そこでパスワードを入力することでアバターの転送が始まる。CLONE内外問わず、こういう裏サイトは少なくない。特に裏興行などは、検索してもヒットしないリンクに、管理人やそれに近いユーザーから頻繁に変わるパスワードを教えてもらわないと入れない、というような形態はよくあるものだ。これは当然、グレーもしくはブラックな行為の発覚を防ぐためであり、管理人の眼鏡に叶った人間――興行の邪魔をしなさそうな人間しか入れないいわゆる「一見さんお断り」状態に出来る。最も、ネットの中にはそういうサイトへ訪れる情報を高値で売買しているサイトもあるだろうが。
幸いにも無料……正規の方法で『名前の無い闘技場』に転移できた彼は、果たしてどんな場所かなとワクワクを胸に目を開き――。
ぶわ、と歓声が体を飲み込む。
体温が伝わる空気など無いネット越しの仮想空間なのに、燃えるような熱狂の気配が渦巻いているのがハッキリと分かった。雄叫びのような歓声、それに混じる野卑な罵声。欲望の坩堝、という言葉がカギヤの脳裏をよぎり、その口角を上げさせる。
「――良いね、文句なしに派手で激アツな
そこは、現実世界における地下クラブにも似た空間だった。巨大な黒い箱の中を思わせる空間の中、高い人口密度でアバターが密集している。天上には剥き出しの鉄梁や配管……電脳世界で通電などの必要は無いのであくまでそうデザインされているだけだが、そこから匂い立つアングラ感は雰囲気づくりに一役買っているのだろう。
目にうるさいくらいに眩しく動き回る照明、人の騒ぐ声の隙間から漏れ聞こえてくるヒップホップ系のBPMの早い音楽。そんな空間は、しかし根本の構造がクラブとは違った。
空間の中心。主役とも言えるその場所には、金網に囲まれたリングが鎮座していた。
上から見ると六角形のリングで、大きさはボクシングリングより一回りほど上。奥にあるものを見ようと注視すると透明になる黒い金網は、中に入れたものを逃さないために天井まで伸びている。
そんなリングを中心として取り囲むように配置された客席は、その殆どが埋まっているように燃えた。席を取っていないのか立ち見しているアバターの姿も散見される。試合が動くたび、そして実況が声を張り上げるたび、観客たちも勇んで野次を飛ばした。
構造、空気感――少し手狭ではあるが、どうせネット配信もやっているのだろうし――正に地下格闘技場、と言ったところか。
「《
――《
「(当然俺もプレイしたことあるしな。下調べが無くて良いってのはラッキーだね)」
そんな金網に囲まれたリングの中で戦っているのは、当然だが2人のアバター。
まず目が行くのはふたつのうち大きい方の影だ。体長3mはあるだろうか、その体は内側からはちきれんばかりの筋肉で盛り上がっており――当然そういうデザインというだけだが――肌は黄緑がかった灰色で、至る所に縫合痕がある。腕は丸太よりも太そうで指も太く、巨岩のような逆三角形の胴体、体のサイズからしたら小さく見える足が続く。顔はぎょろりとした目に牙の突き出した口、鬣のような金の髪とクリーチャー然とした印象をより強めている。一言で言えば、フランケンシュタインをモチーフにした改造人間といったところか。
だがカギヤが注目したのは、そのアバターの凶相ではなく、腕。
「多腕アバターか。成程、裏闘技場ってワケだ」
大型の方のアバターは、腕を四本有していた。両肩から二本ずつ、合計四本の腕が生えているのである。
多腕などの異形アバターは電脳世界では普通に使用されている。操作に癖はあるが、慣れれば便利と愛用する人も多い。
だが多腕などの異形アバターは、eスポーツの公式戦において禁止されている場合が多い……それは《
だがこの裏闘技場ではそれが許されているらしい。闇の興行としては良い判断だろう。「決して表舞台では見れない戦い」……そういう宣伝文句は人を惹きつける。
さて、そんな四つ腕の巨漢に対し、もう1人、彼と対戦するアバターは小柄だった――否、3m越えの巨漢と並ぶとどうしても小柄に見える、標準的な
身長は170cmほどか。一般的な二本腕二本足の人型……公式戦にも出れそうなアバターだ、とカギヤは思った。それは、それ以外の感想が抱けなかったからだ。
そのアバターは、艶の無い黒いレインコートのようなもので全身を隠していた。顔も、体も見えない。見えるのは肘から先の腕、膝から先の足だけだ。それも長袖で隠されているので、外見からは年齢や性別などの一切が読み取れない。ただ手足が複数あるようには見えなかったので、コートの下はカギヤと同じような一般的な人型アバターだろう。
「四つ腕」と「黒頭巾」……あらゆる面が違う両者は、やはり全く異なる武器を手に戦っていた。
《
これはVRゲーム隆盛の時代から生まれた流れだが、それより前の格闘ゲームの伝統に倣って武器にはそれぞれ「モチーフキャラクター」が設定されており、そのキャラクターごと使う(変身する)ことも可能ではある。だが今回戦っている2人は、大多数のプレイヤーと同じようにどちらも「武器」だけを選んでいた。
四つ腕改造人間が使っている武器は、彼の横に浮遊する双大剣。片方は炎を、もう片方は青白い魔力の光を纏っている。その武器の名前は経験者なら誰でも知っている……カギヤにもすぐに分かった。
「〈
それはプレイヤーの両側に浮かび追従する二銘の大剣。刀身から揺らめく炎を放つ「レーヴァテイン」は攻撃を当てた相手に継続ダメージを与え、青白い魔力の光に包まれた「グラム」は僅かだが与えたダメージの一部を吸収する力を持つ。両方とも普通の剣として使える他、相手を指さしたりなど特定のモーションを取ると自動的に敵を攻撃してくれるという便利な特性もあるのがウリだ。『ストームアーツ』……いわゆるゲージを使った必殺技も強力な文句なしの「強武器」で人気武器である。ちなみに人気な理由はもうひとつ、モチーフキャラにもあるのだが……それに思考を挟めるほど目の前の試合展開はぬるくは無かった。
大剣が飛翔する。四つ腕が振るわれる。
双大剣による自動攻撃、それと同時に放たれる四つ腕の連打。空を滑る刃が突撃し、遅れて拳が雨あられと眼下の黒頭巾に降り注ぐ。巨岩のような拳によって放たれた連撃は、間隙を埋める刃も相まって豪雨というよりは土砂崩れだ。
その猛攻は圧倒的な密度により回避も防御も許さず、黒頭巾のアバターを圧殺する――幻視したそんな光景は、次の一秒で否定された。
銀閃、奔る。
四つ腕の猛攻の中を、激流を泳ぐ魚のように潜り抜け昇る黒い影。その手に光る鈍い銀色の輝きが、一瞬で三度半円を描き、丸太の腕と巌の胸板を浅く切り裂く。タン、と胸板を蹴る音は、そのアバターが空に舞い上がる音。
バッ、と黒いコートを翻し空中に躍り出た黒頭巾――フードに覆われた顔は相変わらず分からない――は、虚空を切り裂くように右手を振り下ろす。するとその手から放たれた複数の銀の光が四つ腕にぐさりと突き立った、かに見えた。惜しくも太い腕に防御され弾かれた三本のそれは、どれも同じような片刃のナイフだ。
くるん、と跳躍の最高地点に到達した黒頭巾が回転しながら落下する。見上げた四つ腕が傍らに浮く双剣の柄を両方とも掴む。
上と下、それぞれから刃が振るわれ――。
ガキィン!! と激突と同時に火花が散った。刹那の鍔迫り合いに押し勝ったのは四つ腕。地面を踏みしめた異形の巨漢は、剛腕を以て相手を吹き飛ばす。
だが黒頭巾は再び空中でくるんと回転して姿勢を保ち、スタ、と手も使わず綺麗に着地した。猫科の肉食獣を思わせる、しなやかで美しい動きだった。隙を見せない黒頭巾に四つ腕の攻め手が止まり、試合は膠着する。と同時に意識が追い付いた観客たちが、今の攻防に対してのはちきれんばかりの歓声を上げた。
試合が膠着したことで、黒頭巾の方の武器が明らかになる。いや、試合の流れからカギヤも何となくは察していたが。
黒頭巾は右手の刃渡り15cmほどのナイフを持ち、左手首に片側が繋がっていない銀色の手錠が、そして右足首に鉄球の付いた鉄の枷が付いている。囚人を思わせる三種一対の武器、その名前も既プレイのカギヤは知っている。
「〈
それは一見して「
思案を蹴散らすように四つ腕が仕掛ける。
傍らに浮かぶ大剣――レーヴァテインを黒頭巾に向かって撃ち出し、対応を迫りながら隙を突くためにグラムを掴んで突進する。大剣であるグラムも3mの巨漢が握ると小さく見え、170cmに迫るとより巨大に見える。
柄の根元から刀身の先までの長さが2mに届きそうな大剣に、身長3mの四つ腕の異形巨漢。
無限に投擲ができるとしても刃渡り15cmのちゃちなナイフ、そして普通の人型アバター。
どちらが有利かなど明らかであるように見えた……が。
黒頭巾が床を蹴って前に出た。
眼前に迫るレーヴァテインの切っ先。それを――まるで高跳びでもするように、背面飛びで飛び越える。刃が掠るほどスレスレの無駄のない動きだ。
お互いがお互いに向かって走ったことにより、一瞬で縮まる両者の距離。四つ腕は動揺によって僅かに動きが揺らぐが、それでも彼は剣を構えている。それを振り下ろす方がどうやっても速い……と思われた。
瞬間、四つ腕の顔をナイフが襲う。なんと黒頭巾は、背面飛びで飛来する大剣を避けると同時、四つ腕目掛けてナイフを投擲していたのだ。体の回転を活かして勢いを増した刃、そのうちのひとつが四つ腕の顔面に突き刺さり、HPを奪うと同時に動きを止める。慮外の一撃に思考が空白となり、一瞬アバターが硬直。その隙を黒頭巾は見逃さなかったのか、流れるように右足を振るった。
右足の足払い、地を這う蹴りが四つ腕の左足首に迫り……僅かに届かず外れる。だがそれは目測を誤ったのではなく、寧ろ逆。空恐ろしい程の空間把握能力による空振り。
空振った右足に繋がっていた鉄球が、一瞬遅れて四つ腕の左足に直撃した。ゴガン、と鈍い音と共が響き、四つ腕のHPががくんと削れる。それにとどまらず、衝撃によってノックバック判定が適応され四つ腕の左足が払われ、巨漢の体勢がぐらりと崩れる。
そんな隙だらけの彼に、黒頭巾は刃を閃かせて襲い掛かった――。
そう。驚くべきことに、というべきか、試合展開はむしろ「四つ腕」が押されているように見えた。
リングの上部に設置されたHPバーの残量は、黒頭巾が8割に対し四つ腕が5割ほど。そのHPも黒頭巾が叩き込むコンボ攻撃によって現在進行形でガリガリと減っている。まるで銀色の風が巨体を切り刻んでいるようだ。
剛腕剛力を誇る、巨大な四つ腕を振り回す怪物。その攻めを軽やかな動きで躱し反撃を叩き込む黒頭巾の英雄。カギヤはリングの上の両者にそんな印象を抱いた。
「(多腕怪物と英雄戦士、ってとこか。さてさて、どっちに賭けようかなぁ!)」
視界内に現れたポップアップを触り、現れたベットウィンドウに指を近づける。
カギヤは賭博に嫌悪感を持っていない。昔、今は仲たがいした知り合いに勧められ、その後見事にハマったからだ。というかカギヤは基本、違法行為自体への抵抗感が少ない。彼が問題とするのは、合法・違法問わず無辜の誰かが苦しむときだけだ。賭博で苦しむのは金を賭けた本人だけなので、カギヤからすればそれは自己責任の範疇だった。
―――――――――――――――――――――
NAMELESS odds:1.21 [_BET_]
vs
ALTRU odds:2.03 [_BET_]
―――――――――――――――――――――
賭博用のウィンドウによると、今戦っている選手の片方は
そしてもう片方はALTRU……読み方はアルトゥル、だろうか。オッズ的にはこちらが大穴だ。
ただ驚くべきことに、と言うのか。リング上部のHPバー、そして名前の横に表示されたホログラムフォトグラフが
「マジィ? 今は押され気味だが、どっからどう見ても四つ腕クンのが強そうだろ?」
カギヤは迷わず四つ腕、アルトゥルに1万
それを証明するように、アルトゥルの隕石じみた拳がネームレスに入る。
「よぉし!」
やっぱり、と言わんばかりにカギヤは歓声を上げ……しかしアルトゥルの拳は、ネームレスの腕で「ガード」されていた。《ストスト》では腕で相手の攻撃を受けるとガード判定となり、受けるダメージやノックバック効果を大きく減少させることができる。
だが追撃はアルトゥル。右下腕で拳を放った体勢のまま、右上腕で黒頭巾の襟首を掴む。
「よっしゃ、今度こそ!」
《ストスト》では相手の腕や服を掴むと「投げ」判定が発生し、掴んだ側に「投げ補正」が入る。簡単に言うと自分が鉄塊のように重く、相手が羽根のように軽くなって簡単に投げ飛ばせるようになるのだ。
ふわり、とネームレスの体が持ち上げられる。そのまま地面に叩き付ければダメージだ。
だが。ネームレスの空いた左手が、自分を掴んでいる腕の手首を掴む。するとネームレスの持ち上がっていた体がリングに戻った。
「投げ返し」――掴まれた側のプレイヤーが相手を掴むと「投げ返し」判定となり、「投げ補正」がそっくりそのまま入れ替わる。つまり今鉄塊のように重いのはネームレスで、羽根のように軽いのがアルトゥルだ。
ネームレスが腕を引けば、冗談のように巨体がリングに倒れ込んだ。投げの叩き付けダメージによりアルトゥルのHPが2割まで減る。
「うっそォ!?」
カギヤは悲鳴を上げる。「投げ返し」には投げ返し出来ない……つまり「投げ」は仕掛ける側にもリスクがある行動だ。だがあの一瞬で投げ返しの判断をするのは尋常ではない。
「四つ腕クン負けんな! こっちはアンタに賭けてんだよ!」
金を賭けたかいあってか大分あったまってきたカギヤが叫ぶ。
言われるまでもないとばかりにアルトゥルが立ち上がり、その雄々しい叫び声と共に試合が動いた。
「ストームアーツ――『
『承認、魔剣合体』
巨漢が牙を剥き出して叫ぶと同時、どこからか熱の無い少女の声が響き、そして彼の両脇を浮遊していた双大剣が眩い輝きを放つ。そのまま赤と青、二色の光の塊となったそれらは持ち主の頭上でぶつかり、混ざり合い、鉄が鋳融けるように融合を果たした。
その色は黄金。形状は槍。神気と言うべき輝きを纏うその大槍の名は「グングニール」。レーヴァテインとグラム両方の性質を強化した特性を持ち、自動操縦の攻撃パターンが強化され、ダメージは双大剣の2倍、ガードの上からでも手痛いダメージを与えられる。
更にゲージ全てを消費するストームアーツにより生み出された
逆転するには十分な「超必殺技」に会場が盛り上がり、そしてカギヤも盛り上がる。
「いいぞ、やったれー!」
そうして、常勝謳う神の槍が振るわれる――刹那。
「ストームアーツ、『
『現行犯逮捕です!』
窮地にあって涼し気な、そして性別を判断するのを躊躇う綺麗な声だった。瞬間、いかにも好青年じみた爽やかな声が重ねて響き、同時にネームレスの左手にかけられていた手錠、その繋がっていない片側が蛇のようにひとりでに動き出す。それは瞬く間にアルトゥルの右手――下右腕とも呼べるだろう腕の手首にがちゃりと喰らい尽いた。丸太のように太い腕にかけるには手錠は小さすぎるように見えたが、ゲームなので鉄の輪は自動的に相手に嵌められるサイズに変化している。
これにより二人は手錠で繋がった状態になった。チェーンデスマッチ、というのか。しかしこの場合、それとは違うことがひとつ。これは相手を逃がさないだけの技ではないのだ。
ぐん、とネームレスが左手を引けば、アルトゥルの体勢がぐらりと崩れた。突き出された槍の軌道が逸れ、ネームレスの頬を掠める。
こちらも全ゲージ消費の
だが、ネームレスの技量はその難易度を物ともせずアルトゥルの体勢を崩して攻撃を無力化した。
そのままぐいと手が引かれる。アルトゥルの巨体がつんのめり――右足の蹴り上げが神速を以てその顎を貫き、追従した鉄球が胸を強打する。ノックバック効果によって浮き上がる巨体は、しかし左手に繋がった手錠によってネームレスから離れることは許されない。
がくん、と巨体の浮上が止まり。
ザクザクザク!! とアルトゥルの首・胸に突き刺さるナイフ。残っていた彼のHPがみるみるうちに減っていく。歓声を上げる観客たち、そして反対に悲鳴を上げるカギヤ含めた彼に賭けただろう観客たち。
だが減っていくHPに最も恐怖したのは、アルトゥル本人だっただろう。
「――ぐ、うおおおおお!!」
悲鳴を押し殺した雄叫びを上げ、彼は不安定な体勢も無視して右下腕に掴んだ槍を必死に投擲する。
『
そんな槍が放たれ、異常な曲線軌道を描きネームレスに迫る。神話に謳われる必中必殺の神槍、その名を冠する必殺技の中の最たる奥義。空に軌跡だけを残し相手に突き立つ黄金の閃光を回避することは、流石のネームレスにも不可能だ。
だから、彼は避けようとも防ごうともしなかった。その代わりしっかりと床を踏みしめ、ナイフを持った右手を振るう。
右腕が霞と化し――ぴっ、と斬撃が奔った。
歓声も、罵声も、槍も、全てを置き去りにしたような一撃だった。投擲された槍がネームレスの横腹に突き刺さる前に、アルトゥルの顔面を刃が縦に両断し。
神槍、炸裂。
リング内を黄金の爆発が包み込む。
観客たちが思わず固唾をのんで見守る中……黄金の光のエフェクトは去り、リングの様子が露わになる。
立っていたのは――当然のように黒頭巾、
HP差……8割弱対0。その圧倒的な差は、槍が当たる前に勝負が決まった結果、敗者の最後の抵抗すらネームレスの体に傷を付けられなかったことを示していた。
―――――――――――――――――――――
[NAMELESS CHAMPION]
@unknown
アカウント不明、年齢・性別すら不明。「名前の無い闘技場」で3か月前のデビュー以来無敗を貫いている謎の格闘ゲーマー。
?フォロー ?フォロワー
―――――――――――――――――――――
遅れて歓声が爆発したように吹き上がる。
「うおおおおおおおおおおおお!」
「流石ネームレス・チャンピオン! これで23連勝だ!」
「やっぱ手堅いぜチャンピオン!」
その影では罵声や野次も飛ぶ。
「何やってんだー!」
「引っ込めデクノボー!」
「俺の1万Cがああああ!!?」
が、歓声の方が圧倒的に多く、カギヤたちは自分の声が圧し潰されているのを悟ってかやがて一人また一人と押し黙った。代わりに不平不満を独り言として溢す。
「俺の1万が……」
「楽しんでくれたようで何よりね、カギヤ先生」
「……」
非難するようなカギヤの視線に、ワタシを責めるのはお門違いねとは言えない気弱なユーワンは、ただ誤魔化すように笑顔を作った。
「……にしたって、タダ者じゃねえだろチャンピオン。元プロゲーマーとかか?」
気分を誤魔化すようにそう言えば――まだ非難のニュアンスは微妙に残っていたが――ユーワンは会話に乗ってくれる。
「あ、ありえなくはないね。
「引退後、ねえ……まあプロゲーマーって若さが居るとかいうもんな。いやでも、四つ腕くんの方が強そうに見えたけどなぁ……」
「この人まだ言ってるね……い、いや何でもないね。えっと、四つ腕の彼、アルトゥルは裏専門のゲーマーってハナシね。色んな異形アバターを使いこなすって噂だったけど、チャンピオンには歯が立ってなかったね……」
と、ユーワンがその人物の視線に気付く。盛り上がる観客達の中、我関せずの微笑で人混みを割りながらこちらに歩いて来る1人のアバター。
白いスーツに白い仮面で顔を隠した男だ。顔全体を隠した仮面――舞踏会で使うようにも、もしくは石膏で作ったデスマスクにも見える、美しくも不気味な白一色の仮面だ――の口が本物であるかのように動き、それと連動して丁寧な口調で言葉が発せられる。
「やあユーワン君。今の試合は見てたかい? また彼の圧勝だよ」
そんな言葉と共に、仮面の顔がおどけるようにウインク。果たして表情が動く仮面アイテムなのかそういうアバターの
「
「いやいや。いつも言ってるが、胴元の立場としてはこうもワンパターンだと観客に飽きられないか不安だよ」
と、ここで仮面のアバターはユーワンの後ろに居たカギヤに目をやった。
「お。その少年が次の――」
「先生、その話は……とにかく、チャンピオンとの試合を組んで欲しいね」
しかし彼の言葉をユーワンが食い気味に遮る。その様子にカギヤが腑に落ちないものを感じる前に、ユーワンがこちらを振り返り丸っこい腕で仮面のアバターを示しながら口を開いた。
「紹介するね。こちら、闘技場の胴元
「――へえ。よろしく、カギヤ君」
どこか面白がるような口調で言いながら、
「まあよく分かんねえけど、俺は依頼のためにチャンピオンと戦えればいい。その辺、任せて良いんだよなユーワンさん?」
「と、当然ね。
「ああ。カギヤ君の都合が良いなら明日にでも。ネームレス君は原則、休日に一日一試合だけだからね。明日を逃せば来週になるけど、どうする?」
「なら明日で。別に時間をかける必要もないだろ」
その言葉に困った声を上げるのはユーワンだった。彼は焦りを全面に出しながらカギヤに縋り付く。
「か、カギヤ先生、チャンピオンを舐めすぎね。絶対来週までコンディション整えたり、明日の試合を見て対策したりした方がいいね」
「いや、俺ゲーマーじゃなくてハッカーだから。《ストスト》は前に依頼でやったときに色々組んだし、そもそもどんだけ強かろうがチーター相手じゃ負ける気しないね」
依頼人の焦りを笑って受け流すカギヤ。そんな彼等に仮面の顔で笑みを溢し、
「では、試合はカギヤ君の希望通り調整しておくからユーワン君から時間を聞くと良い。私はこれで失礼するよ」
己の希望が通らなかったユーワンの愕然とする顔に苦笑と共に謝るカギヤは、ふと耳に飛び込んで来た、
「……なるほど、ユーワン君も面白いことを考える。いや、なりふり構わなくなったというべきかな? なんにせよ次は『良い試合』になりそうだね」
「?」
去り際に残した意味深な呟きは次の試合が始まる歓声に掻き消され、そこに宿った真意を読み取ることは出来なかった。
あるいは……それに気付いてさえいれば、あんな後味の悪い結末にはならなかったのかもしれないが。
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