不正蔓延る殲滅戦へ

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 ざざーん、と。荒波が断崖にぶつかり飛沫となる、そんな潮騒の音が聴こえる。

 「帰らずの孤島ボーニドゥム」、島の北東部分にある「灯台跡地」にそのプレイヤーは居た。


 灯台跡地……文字通り壊れた灯台の立つ、海沿いの崖の上だ。他の場所と比べて高く、また灯台の周囲には木々などの物陰が少ないので、遠距離攻撃の使い手が籠城すれば接近してくる相手を一方的に攻撃出来る「強ポジ」となる。故に、ここに居座るプレイヤーは遠距離攻撃を得意とする『狩人』か『魔術師』のジョブを選んだ者が多い。

 今回灯台跡地に身を置いているのも、例にもれず『狩人』のプレイヤーだった。

 彼は壁の壊れた灯台の3階――立ち入れる最上階にて、僅かに残った壁という遮蔽を睨む。幸運にも次の安置にも入っているので移動の必要は無く、ただ強ポジであるここを守り切ればいい、と狩人の彼は考えていた。

 ただ、妙なのはその行動だ。周囲を警戒するなら、遮蔽かべからこまめに顔を出して周りの様子を確認するしかない……だが彼はそんなことをせず、遮蔽の陰に隠れたままじっと壁を見つめていた。罅の入った動かない壁面に、動く何かを見るように。


 と、ここで狩人が動く。矢を取り出し弓を番え、壁から身を乗り出す……そこには、灯台に近寄らんと木々の隙間から何もない平地に身を躍らせたプレイヤーの姿。

 地面のプレイヤー、『戦士』の男は目を剥いた。誰も居ないと思っていた高台から狩人が現れたのだから当然の驚愕だ。だが戦士は同時に思う。何故、こんなにもタイミングが悪いのか。まるでこちらの位置が初めから分かっていたような――。


 戦士の疑問に答えるように矢が放たれる。戦士が盾を構える――結果から言えばそれは無駄だった。

 盾は矢の一本目、二本目を防ぐ。だがそこまでが限界で、三本目四本目が戦士の体を抉り、五本目以降が容赦なく突き立つ。

 そう、それは弓の弾幕。人間では不可能な、矢を番え放つ動きを自動化することでようやく到達できる規格外の連射速度。

 マクロによって矢の弾幕を降らせた弓兵になんらかの感情を抱くも、戦士はそれを口にすることは出来ず――二十本目の矢が脳天に刺さったのがトドメとなり、そのまま儚く地に臥した。HPがゼロになった彼は空気に溶けるように消滅し、後には彼が持っていたアイテムのみが残る。


 弓兵に敵を倒した感動は無かった。当然だ。不正チートを使用している彼にとって、敵を倒すのは作業のようなもの。原始人相手にマシンガンを持ち出すようなものだからだ。最初がどうであれ、幾度となく繰り返した今となっては虫を潰すとき程の感慨も覚えない。

 故に、彼は「次」の為に再び壁に身を隠し、壁を凝視する。否、彼が見ているのは壁ではなく、その奥の敵……遮蔽物の奥に居る敵を発見するチート、「ウォールハック」によって視界内に映し出された赤い人影だ。

 それを見て周囲に敵が居ないことを確認し、チーターの弓兵はふぅと一息を吐く――。


 その油断、意識の弛みを嘲笑うかのように。


 どす、と。

 彼のアバターを、半透明の黄金の剣が貫いた。


「よう、初めまして電脳犯罪者クソチーター。悪いがここで『GAME OVERゲームオーバー』だぜ」


 その声に弓兵は思わず振り向く……そこに居たのは戦士風の格好の男。だがフードを被ったその男には顔が無く、ただ鬼火のような三つの光が闇の中で目と口のように踊っている。

 ありえない。そう弓兵は脳内で喘ぐ。ウォールハックを使用している自分に気付かず、背後に回り込むのは透明化能力を持っている『盗賊』だって不可能だ、と。しかし現に顔の無い男はそこに居て、そして自分に黄金の剣を突き刺している――。


「色々言いたいことはあるが、次が閊えてるんでな……全情報破壊データデリート


 その剣がゲーム内の武器ではなく電脳兵装プログラム・ツールだと気付いた時には遅く。

 剣が、巨大な鍵のようにがちりと捻られ。

 弓兵のチーターは、内から全データを自己崩壊させるウイルスを送り込まれてそのまま電脳世界から姿を消した。断末魔ひとつゲーム内に残す暇も無かった。


 散るポリゴンの欠片を眺めながら、顔の無い男、カギヤは呟く。


「次」


 瞬間、彼の姿が掻き消えた。

 そのアバターはゲーム内の距離を無視し、仮想の空間を跳躍――森の中の屋根のない廃墟の陰で座り込んでいた『死霊使い』のプレイヤーの元へ。

 その死霊使いの近くには、50体は居るだろう骸骨の群れが群がっていた。

 それらの前で、死霊使いがやや不自然な挙動で杖を掲げると、早回しのように高速回転する魔法陣の中から同じく早回しの挙動で骸骨兵が現れ、兵団に加わる。それは発動工程の早回しとスキルクールタイムの無効化、ふたつのチートによって異常な速度で増え続ける死霊の兵団。


「ほいアウト。あんたも『GAME OVER』でーす」

「!?」


 そんな死霊使いのチーターに、カギヤは背後から剣の電脳兵装プログラム・ツールを突き刺す。死霊使いの手下たる骸骨兵が襲い掛かってくる前に、先程と同じように剣を捻る――すると黄金の剣プログラム・ツールはファイアウォールを突破してウイルスを注入し、死霊使いのアバターを破壊する。ゲームデータだけではない、PCの中のあらゆるデータがボロボロになった後の苦労は想像もつかないが、チーターに対する遠慮などカギヤには無かった。


 主が世界から消えた事により、カギヤに迫ろうとしていた骸骨兵たちも消滅。骨を動かしていた力が消えバラバラになって地面に転がり、プレイヤーが死亡したときのように空気に溶けるように消えていく。

 その光景は幻想的で美しいといえなくも無かった――少なくとも普通にゲームをしていてば見られないレアな光景だったが、カギヤにそれを楽しむ余裕はない。

 彼は再びその場から一瞬で姿を消す。


 今度は遮蔽の無い切り立った山肌。そこに居たのはローブを身に纏い杖を構えた『魔法使い』。魔法使いが突如として現れたカギヤに驚愕し、反射的に魔法を発動する。

 それは炎の範囲攻撃魔法……ただその範囲は前回カギヤが見たものと違い、直径3mほどの範囲を焼くもので連発もされない。

 そんな範囲魔法の中で焼かれながらも、カギヤは動かない。彼のHPはチートにより減らないため、攻撃を避ける必要が無いのだ。ただ彼は慎重に魔法を、それを放った魔法使いを見つめる。

 魔法使いはカギヤが範囲魔法の範囲から出ようとしない事に困惑を、そしてすぐにダメージを負っていないことを察し「またか」と言いたげな表情を見せた。

 そんな魔法使いに……カギヤは燃やされながらも勢いよく頭を下げた。


「ゴメン、普通のプレイヤーだったか! 俺はやることやったらすぐ出ていくから、そのままゲームを楽しんでくれ!」


 それだけ叫んだカギヤは、困惑の表情を見せる魔法使いの前からも掻き消える。高速移動の軌跡なども描くことなく、彼は文字通りその座標から居なくなった。


 カギヤの使っているチートのうちのひとつ、「座標書き換え」。

 これはサーバーに送られるプレイヤーの座標データに介入し、それを直接書き換えることで瞬間移動とでもいうべき移動を行うことが出来るチートだ。これと全プレイヤーの位置を知るチートを組み合わせ、カギヤは「全プレイヤーの元に瞬間移動しチーターであるなら退治する」という方法を取っていた。誰がチーターかを確かめるチートは無いため、地道な手段を選んだのである。


 次に移動したのは森の中。

 そこでは二人のプレイヤーが戦っていた……『戦士』と『修道士』だ。だがまっとうな戦いではない。戦士が異常な挙動と共に在りえない速度で突進し、すれ違いざまに修道士を切り裂く。1歩踏み出すだけで10m先まで体が運ばれるような、そんな奇妙な挙動だ。修道士はそんな高速移動による猛攻に振り回されるばかりで防戦一方となっている。


「(高速移動チートか!)」


 カギヤはそう察し、自身も「座標書き換えチート」を発動する。

 戦士が再び高速で修道士に突進する――そんな戦士と修道士の間に割り込んだカギヤは、戦士の剣を受けながら電脳兵装プログラム・ツールを突き出した。

 剣と剣、見た目も機能も全く異なる二本の刃が交錯する――。


 ざしゅ、と剣がアバターを切り裂く音。

 戦士も修道士も驚愕する。戦士は、ゲーム内の武器ではない黄金の剣プログラム・ツールを持つ顔のない男が突如として現れたことに。そして修道士は、そんな男が瞬間移動によって己を庇ったことに。

 すれ違いざまに斬撃を浴びせられた――当然チートによりHPは減っていない――カギヤは、離れた場所にてこちらの様子を伺うチーター戦士を睨む。


 先の一瞬。戦士と修道士の間に割り込んだカギヤは、その斬撃を体で受けながら電脳兵装プログラム・ツールで反撃。すれ違いざまに一刀を浴びせた。だが目の前の戦士が何らかの異常を示す様子はない。


「……流石にすれ違いざまの一瞬じゃ、アバター内部の防壁ファイアウォールを破れなかったか」


 電脳兵装プログラム・ツールによって相手に影響を与えるには、相手のアバターに接触させ、更にアバター内部の電脳防壁ファイアウォールを突破する必要がある。これは電脳世界全体のルール――「マテリアルデータリンクシステム」によって、データと見た目が紐付けられているためだ。あらかじめウイルスなどを仕込んでいない限り、相手をハッキングするにはアバターに電脳兵装プログラム・ツールを接触させるしかない。つまり現実の、あるいはゲームの武器と同じだ。

 今回の場合、相手に接触させることは出来たがその時間が短かったため、相手の電脳防壁ファイアウォールを突破することができなかった。


 カギヤは再びツールを当てんと構え、眼前の戦士を睨む。


「ゴメン、下がっててくれ。あいつチーターを倒すのはハッカーの仕事だ」


 背で庇った修道士にそう言い、カギヤは「座標書き換え」を発動。その体が一切の動作・時間差無く5mの距離を移動し、戦士の背後に回り込む。

 瞬間移動と共に振るうは黄金の剣。力ある文字プログラム・コードによって形成されたその違法の刃は、正義の名の下に振り下ろされる。

 だが――戦士の姿が残像を残して掻き消え、黄金の剣は空を切る。見れば10m程先に移動した戦士の姿アバター。「高速移動」により攻撃を回避されたことを理解し、カギヤは剣を手に再び「座標書き換え」を使用しようと構える。

 だがそれより早く、戦士は背を向けて異常な挙動と速度で駆け出した。一歩踏み出せば10m進み、もう一歩踏み出せばまた10m進む。彼も流石にカギヤが尋常ならざるプレイヤー――チーターであり、そして己を狙っていると理解したらしい。


「逃がすかよ!」


 みるみるうちに遠ざかっていく背を「座標書き換え」で追うカギヤ。戦士のすぐ背後に出現すると同時にツールを振るうが、戦士の異常な速度のせいでその一撃は再び空を切った。


「クッソ、逃げ足だけはいっちょ前だな……!」


 そう吐き捨て追うが、また先程と同じ光景が繰り返されるだけ。カギヤの反応速度、そして剣速では、一歩で10mを移動する相手に刃を当てられない。


「(追い付いて追撃じゃ駄目だ、前で構えて迎え撃たねえと……だがどうやって相手の動く先を予想する? クソ、とにかく相手がログアウトする前に手を撃たねえと……!)」


 戦士のチーターは今はカギヤから逃げ回っているが、それは冷静では無いからだ。ハッカーに襲われたことなど無い故の混乱を覚えているだろう。だが冷静になれば、ログアウトすれば――アバターごとこの世界マップを去れば電脳兵装プログラム・ツールを当てるのは不可能だということに気付く。ゲームのマップから退出するのはボタン一つで行える。故に相手が混乱している間がカギヤに与えられた猶予時間だ。


「(これだから高速移動系は厄介……落ち着け、そんなこと考えてる暇はねえだろ俺!)」


 ツールを当てる必要がある以上、高速移動系のチートを相手にする場合、カギヤはまず相手の行動を制限させることが多い。例えば《ムンイベ2》にてマッドハッターを倒したとき、彼は最初から電脳兵装プログラム・ツールを当てようとするのではなく、電脳酔いを誘発させて動きを封じた。それは高速移動によってツールの間合いの外に逃げられるのを防ぐためである。

 だが今回は遭遇戦、前のような手段を取れなかった。湧き上がる焦りを抑えながらカギヤは全力で思考する。


「(どうする、一か八か相手の前に『書き換え』て……いやそんなことしても、相手からすれば立ち止まって反対側に逃げればいいだけだ。せめて相手の動く先が分かれば……)」


 焦りながら「座標書き換え」の移動先をどこに設定するか悩んでいたカギヤは、そこであることに気が付いた。


「(『書き換え』……? なんだ? 何か引っかかる。そう言えば。あいつの挙動、何か変じゃね? 速度も一定じゃないし)」


 戦士が一歩足を踏み出す。するとその体は一瞬で10m先へ。まるで体が引き伸ばされ風になったかのようだ。そして10m先で減速し、また一歩踏み出せば再びその体は10m先へ。

 その速度が一律では無いことは、落ち着いて観察すればすぐに分かった。約10mを一瞬で移動する時間と、普通の移動速度にも見えるほどの鈍足の時間が交互に繰り返されている。そしてそれは足を踏み出して地面を踏むまでが高速、そして次の足が踏み出されるまでが鈍足、という風に切り替わっているようにも見える。


「(――そういうことか!)」


 観察で得た情報と下調べで得ていた情報が結びつき、カギヤの脳に稲妻のように閃きが走る。

 そして彼は「座標書き換えチート」を構え、を待った。狙いは一瞬、戦士が踏み出すその瞬間――。


 戦士が踏み出した、その体が風になり10m先に運ばれる刹那。彼の10m先、つまり移動先にカギヤのアバターが出現する。その手には黄金の剣を模した電脳兵装プログラム・ツール。戦士はそれを知覚するも、踏み出した足をなかったことには出来ず。

 ドス、と。

 風になった戦士のアバターが、自分から切っ先に突っ込む形で黄金の剣に貫かれた。


「見切ったぜ。最初は高速移動だと思ったが違う、正体は『移動可能距離の書き換え』ってヤツだな? 下調べの時に見たぜ。一歩で進める距離を1mから10mにしてるとかそんな感じだろ。それが分かれば先回りして電脳兵装ツールを当てるのは簡単だ。そして……」


 動きを封じられた戦士のチーターを突き刺しながら、カギヤは種明かしのように言う。


 突き刺した瞬間、剣に設定されたハッキングプログラムが発動していた。接触したアバター内部の電脳防壁ファイアウォールを突破し、アバターの操作権限を乗っ取っジャックしてその動きを停止させる。


「この電脳兵装ツールは突き刺した相手の動きからプログラムの使用まで、ありとあらゆる抵抗を封じる。つまり『GAME OVER』だぜクソチーター」


 その言葉と共に剣ががちん、と回る――そしてウイルスが起動、戦士のアバターがデータをボロボロにされ崩壊、電脳世界から姿を消した。


「……ふぅ、焦ったぜ。良かったー逃げられなくて。下調べってのは偉大だな、まったく」


 そうしみじみと呟くカギヤは、流行っているチートの調査をした時を思い出す。その中には「ステータス書き換え」というのがあった。その時はどういう意味かよく分からなかったが、戦士の異常な挙動を見て「なるほど、こういうことか」と納得、その仕組みを看破して先回りすることが出来たのだった。

 達成感に浸るのもほどほどに、今ので全員分の確認を終えたカギヤはマッチから退出する。チーター退治のためとはいえ、チートを使った以上「秘宝」の奪い合いに参加する資格はないだろうし、何よりが閊えている。

 このマッチには3人のチーターが居た。その全ては斬り伏せたが、彼の仕事はそれで終わりではない。まさか《BOTG》で問題になっているチーターが3人だけではないだろうということで、すぐに新しい試合に足を運ぶ。


 その後は同じような「チーター狩り」が続いた。


 盗賊の「透明化スキル」の消費MPをゼロにするチートを使い、永遠に透明化して逃げ隠れしていたチーター。

 HPが減らないチートと攻撃の威力を10倍にするチートを使って無双していた侍のチーター。

 魔法瓶を無限に増殖させて無差別無限爆撃を行っていたチーター。

 そして見た事あるチートを使っていたチーターたちと、それを組み合わせていたチーターたち。しめて5試合で11人。


 それらを一人残らずゲームから追い出し、カギヤは荒い息と共に悪態を吐く。


「クソ、どんだけいんだよチーター……! キリがねえぞ……!」


 5試合11人という数はハッキリ言って異常だ。それに、それだけ倒したというのにまるで減っている気がしない。またそれ以外にも、もしかしたらウォールハックのみなどのぱっと見では分からないチートを使っているが故に見逃してしまったチーターが居たかもしれないことを考えるとこの数字が更に増える可能性もある。

 今度チート検知のプログラムを組まないとな、とカギヤは思いつつ、それよりも重要なことに思考の容量を割く。


「ていうか、なんでこんなにチーターが多いんだ?」


 それが、カギヤの頭を捻らせる疑問だった。アンチチートシステムの脆弱さももちろんあるのだろうが、《ムンイベ2》や今まで触れて来たゲームとは根本的に何かが違う、とカギヤは感じ始めていた。


 最初は、普段と同じようにチーターを退治すればいいのだと思っていた。PC内のデータの無差別破壊による対処は、チートの罰としては十分な代償だ。中には電脳口座のデータを破壊され財産の大半を失う者も居るだろう。それだけすれば普通の人間なら懲り、二度とチートに走ることはない、ハズだ。

 だが《BOTG》のチート問題は、そういう場当たり的対処では解決できない……もっと根深い問題がある気がする。と、彼の「自称・天才ハッカー」の勘が言っている。

 その勘に従って、カギヤは方針を「チーター退治」から「一旦再調査」に切り替え、再びネットサーフィンを始めた。今度は先よりももっと広く、深く情報を集める。

 そして1時間ほどかけて、SNSにて呟かれた苦言、ネットの競売サービスなどから、彼はその答えを入手した。


「……なるほど、そういうことか」


 《BOTG》は人気のゲームだ。基本プレイ無料の自由課金制ということもあって、特に依頼人・シクハの住むインドから中東にかけて大流行しているらしい。それはちょっとした社会現象とでもいうもので、《BOTG》からフルダイブVRゲームを始めたプレイヤーも少なくないのだという。《BOTG》の人気は幅広い層に及び、流石に若い男性がボリューム層ではあるものの老若男女問わずプレイされている。

 そんな流行地域では、《BOTG》の高ランクであることは一種のステータスとなっていた。シクハが高ランクを目指しているのもそういう理由があるのかもしれない。


 そんな人気のゲームだからこそ、チートという電脳犯罪が流行る理由がある。

 それは「買い垢」や「ブースティング」などの問題が原因だ。


 買い垢……他人のアカウントを――この場合は自分の実力以上の高ランクに達したアカウントを購入する行為。

 ブースティング……自分のアカウントを自分以外の他人に預け、そのプレイヤーに分不相応な高ランクにまでランクを上げてもらう行為。


 これらはゲームの規約で禁止されていることである。違反すれば当然、アカウントのBANという罰が待つ……だが《BOTG》の運営は余りやる気がない。摘発が追い付いていない状況なのだろう。

 故に、《BOTG》にはチートが蔓延った。後ろ暗い規約違反者、通称「業者」が、手っ取り早く高ランクのアカウントを作るために。アンチチートシステムの出来が良くなかったこともそれに拍車をかけたことは想像に難くない。思えばチーターがランクマッチにしか出没しなかったのも、彼らが快楽目的ではなく金銭目的の業者だったからだろう。


「ちッ……何処にでも湧くな、承認欲求を拗らせたバカ野郎とそれを利用して金稼ぎするクソ野郎は」


 言うまでも無いことだが、買い垢やブースティングによって得られた高ランクはかりそめだ。分不相応なものを汚い金で得た、正に恥の象徴と言える。それでも望む者がいるから買い垢などの商売は成り立ってしまっているのだ。

 高ランクのアカウントを「仕入れる」ためにチートを使う業者。そこからアカウントを買う者は、言ってしまえばその片棒を担いでいる。それに自覚的か無自覚かは関係なく、だ。

 分不相応な高ランクを望むプレイヤー。チートを使って金を稼ぐ業者。彼等を内から操るその感情の名は。


「(――強欲、か)」


 知らず、その言葉を胸中で呟く。ここ最近で妙に聞き慣れた言葉。

 ――強欲が齎すは、栄光か、破滅か。

 ああ、なんと皮肉なことか。強欲にも栄光を手に入れるため秘宝を奪い合うという設定のゲームは、強欲に金銭を求める業者たちによって破滅させられそうになっているのだ。

 真に恐れるべきは、虚構の上でも現実の中でも、争いと不和を産み破滅を齎す「欲望」の魔力ということなのかもしれない。

 しかし。

 カギヤは、強欲それ自体が悪だとは思っていなかった。


 そも欲望とは、人間を導く指針に他ならない。

 欲望が無ければ人間は歩く事すら出来ないだろう。人生を無限の荒野に例えるならば、欲望とは即ち方位磁石コンパスなのである。無ければ途方に暮れてしまう、人生における必需品。

 だからカギヤは、欲望を抱くことそれ自体に責を求めない。現に己も欲望まみれであると彼は自覚する。それは悪い事では無く、むしろ己の欲と正面から向き合い受け入れるのは人として必要なことだろう。

 欲望は悪ではない。

 例えば。

 「普通にこのゲームを楽しみたい」―― シクハたち普通のプレイヤーが抱いているであろう欲望が、悪であるハズが無いのだから。


 しかし欲望とは、それが強く大きい程、時にあらゆるくびきを破壊してしまうものだ。それは己自身の限界であることもあれば、理性や法律であったりもする。欲望とは不可能を可能にする程の力があるが、同時に善悪の分別をできなくしてしまう魔力も持つのだ。

 故に。彼が憎むのは欲望それ自体では無く、そこから派生する、ルールを破り無辜の他者を傷つけてでも己の欲望を優先することを選んだ、その人間の救いようの無い弱さである――。


「別に、他人が栄光を掴もうが破滅しようがどうでも良いんだがな。でも、に吞まれちまったヤツが大勢を、俺の依頼人を傷つけるってんなら話は別だ」


 そう、彼にとっての重要なことはただ一つ。


 ――シクハは苦しんでいた。ランクマッチにチートが蔓延し、友人とゲームを楽しめなくなったことに嘆き、藁にもすがる思いでカギヤに依頼した。彼はきっと、純粋に己の腕前を試し上へ昇り詰める、そんな「普通の」ランクマッチが好きだったのだろう。いや、そんなプレイヤーが大半だったハズだ。

 そんな彼らの楽しい遊び場を、そうあるべきだったものを、欲に呑まれた少数の人間が壊してしまった。

 それがカギヤには、許せない。

 そんなのは間違っている、と心の底から断じれる。


「ああ、絶対に間違ってんだよ……良い奴が損をして、悪い奴が得をする世界ってのは……!!」


 吐く言葉は、まるで炎そのものだった。

 彼の中で義憤が種火となり、その胸中を激しい炎が駆け巡った。その熱の名は「使命感」。人間を動かす心、それを最高効率で駆動させるエネルギー。

 燃え上がる激情の余剰熱をそのまま吐き出すように言葉を紡ぐ。


「『正義のハッカー』の面目躍如だ。俺の専門が電脳世界外の電子戦だってことを教えてやるよクソ業者共……!!」


 心のエンジンに火が付き、カギヤの肉体は己の使命を達成するため全力で活動を開始する。

 目的は《BOTG》に蔓延るチーターの撲滅。そのために倒すべきは「買い垢」などを行っている業者。

 彼等を懲らしめるにはどうすれば良いのか……正義のハッカーは、幸か不幸かその手段を熟知していた。

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