規則無用の大乱戦へ

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 周囲を喧騒が取り囲む。それを縫うように響くのは、鉄を叩く鍛冶の音。

 どこからか流れて来る肉を焼く匂いと、薄れたこれは麦酒の芳香か。

 道を往く軽装備の2人組は、間に獣の死体を吊った棒を担いでいる。近くの建物の煙突からは白い煙が空に吐き出されていた。


 《BOTG》のロビーは、秘宝の入手を目指すトレジャーハンターたちが準備を整えるキャンプ地をイメージしたものだ。キャンプ地とは言ってもちょっとした集落のようになっていて、ジョブを変更する武器屋や課金をするためのショップなどが用意されている。またゲーム的には意味のない店やオブジェクト、NPCなどが多数配置され、その全てが中世ファンタジーの世界観を忠実に守ったデザインで統一されていた。世界観を大切にするゲームと知ってはいても、対戦ゲームでここまでロビー画面を作り込むことに意味はあったのだろうか、なんてことを、カギヤは道の真ん中で考えていた。


「……この3戦でゲームの雰囲気はだいたい分かった。そろそろ問題のランクマッチに行くか」


 そんな作り込まれたロビーの中でカギヤは呟き、移動を開始。

 道の先、集落の出入口にはアーチ状のゲートが並んでおり、それぞれ「アンランク」「ランクマッチ」「イベント」というゲームモード用の3つのゲートが。そしてアーチ前に立っている立て看板、もしくは馬車の御者っぽいNPCに話しかけることで「ソロ」「デュオ」「トリオ」のパーティーの人数を選ぶことが出来る。

 フルダイブ型VRゲームでは、当然「野良」のパーティーメンバーとのコミュニケーションは現実でするように行う必要がある。カギヤはそれを苦に思う性格では無かったが、目的がゲームを楽しむことではないため「ソロ」を選択。当然ゲームモードは「ランクマッチ」だ。


 集落から出るようにゲートを潜る――すると視界が暗黒に切り替わりロードが始まる。360度どこを見ても暗黒の世界、その中で黄金の輝きを放つ「秘宝」がこちらを誘うように浮かんでいた。先の王冠……廃都ラオールの秘法「亡国の冠」ではない、巨大な宝石を思わせる「賢者の石」だ。

 他に見るものも無いのでそれをぼうっと眺めていると、不意に渋い男のナレーション音声が脳内に響く。


『石を黄金に変え、死者すら生き返らせるという「賢者の石」……かつて錬金術師の都と呼ばれたその島は、賢者の石を作り上げた事により一夜にして滅び去った――』

「はいはい、スキップ。気になったら公式サイトで見るから」

『……』


 雰囲気づくりの解説音声が押し黙ると同時、カギヤの体を浮遊感が包む。転送だ。

 そうして瞬きの間に暗闇は去り、その足は枯葉の積もった土を踏みしめる。


『――強欲が齎すは、栄光か、破滅か』


 そんな言葉がおどろおどろしく頭に響き。

 アバターが自由に動くようになり、試合が始まった。


 ゲームモード「ランクマッチ・ソロ」。

 マップは「帰らずの孤島ボーニドゥム」。鬱蒼とした森や剥き出しの山肌を晒す岩場、自然に半ば呑まれた古い廃墟など様々な顔を持つ高低差の激しいマップだ。

 カギヤがスポーンしたのは島南側の森の中。立ち並ぶ木々は名は知らないが針葉樹のようで、緑というには暗すぎる葉の色と真っ黒な幹は生命の息吹などまるで感じさせない。葉の隙間から覗く空は曇天。薄暗く視界の悪い森の中はひんやりとした空気が淀んでいて、そこかしこの影の中からこちらを見つめられているかのような不気味さがある。今ぬるりと頬を撫でたのは、湿った風かそれとも亡霊か何かだろうか。


「これがランクマッチか。気のせいだろうが、なんか空気がピリついてる感じがするなぁ」


 呟く声も、すぐに森の深さに掻き消されるようだった。

 しかし「作り物」と分かっている以上律儀に怖がったりしないカギヤは、セオリー通り地面に落ちているアイテムを探しながら探索を開始する。欲しいのは二本目の剣、回復ポーション、魔法瓶、そして魔法結晶マジッククリスタルだ。

 魔法結晶マジッククリスタルは武器に埋め込むことで性能を強化できるアイテムで、レアリティは白→青→紫→赤、そして特殊効果を持つ金の順である。魔法結晶マジッククリスタルにより武器のダメージなどは大きく変わるので、試合を左右する重要なアイテムであると言える。

 それらを探していたカギヤは、ふと目的のアイテムのひとつを発見した。


「お、剣あった。ラッキー」


 拾ったアイテムの名は「フランベルジュ」。波打つような刀身を持ち、現実世界では斬りつけた相手に癒えぬ傷を、そしてこのゲームの中では持続ダメージを与える効果を持つ剣だ。個人的には「レイピア」や「青龍刀」よりもお気に入りの剣である。

 カギヤはそれを左手で掴み、背中に回して装備する。カラン、と背中から盾が落ちた。最大装備数を超えたため自動的に地面に落とされたのだ。


「ま、盾剣士より二刀剣士の方がカッコいいし」


 と呟き盾をそのまま捨て置き漁りを再開する。近くに落ちていた弓や短剣も、彼にとっては盾と同じ不用品であり、それを避けてポーション類や魔法瓶を拾ってポーチに格納していく。途中かなりレアなアイテムであり戦士の最強装備とも呼ばれる「騎士の大盾」を見つけたが、カギヤは趣味じゃねえなとそれを一蹴した。


 《Battle of the Greedyバトルオブザグリーディ》、略して《BOTGビーオーティージー》では、プレイヤーは中世ファンタジーの世界観に則って「剣と魔法」を中心に戦うことになる。

 初期実装のジョブ――初心者が無課金の状態で使えるジョブの一覧はこちら。


―――――――――――――――――――――

・「戦士」

 両手に剣と盾を持つことができ、攻守のバランスに優れる。


・「狩人」

 弓の使い手であり、遠距離攻撃に長ける。接近戦は苦手。


・「魔術師」

 魔法で敵を攻撃したり味方を癒したりすることが可能。MP管理などのテクニックが必要。


・「盗賊」

 身軽で斥候・暗殺などの隠密行動に秀でている。防御力は低い。


・「僧侶」

 メイスによる近接戦闘を得意とし、回復など補助系の魔法を扱える。小さな盾なら持つことが出来る。

―――――――――――――――――――――


 この中からカギヤが選んだジョブは「戦士」。MP管理やエイム能力の必要が無くHPが高い初心者向けのジョブだ。普段から使い慣れている電脳兵装プログラム・ツールが剣型であるというのも戦士を選んだ理由のひとつである。

 ちなみに本来盾を持つ左手に剣を装備して二刀流などをやっているのは、完全に彼の趣味である。攻略サイトでも「弱い」と明言されている戦術ではあったが、そこにあるロマンが彼を惹きつけたのだった。


 暫くして周囲を探索し終わり、カギヤはふぅと額を拭った。アバターが汗を掻くはずも無いので、あくまで「一仕事終えた」というジェスチャーに過ぎないが。


「アイテム収集はこんくらいで良いか。そろそろ移動をしないとな」


 呟き、音声認識でマップを取り出し両手で開く。

 マップによると、この森は次の安置(行動可能エリア)に入っていない。つまりエリアが狭まる前に移動をしなければならないのだ。

 カギヤは鬱蒼と茂るじめじめとした森の中、ぬかるんだ地面をブーツを汚しながら歩き、そして視界の悪い森から出る――。


「!」


 ざす、と弓矢がカギヤの足元に突き立った。

 咄嗟に弓の飛んで来た方向を振り向くカギヤ。


「『狩人』か――」


 そう言ってこちらを狙っていた敵の位置を把握する――前に、風を切り二の矢が飛んで来た。否、二の矢だけではない。三の矢四の矢五の矢と、矢が1秒数本というペースで此方に飛んで来る。


「はぁ!? (なんだこの連射速度!?)」


 驚愕し、咄嗟に来た道に横っ飛びして避けるカギヤ。だが、それを追って矢はレーザービームのように彼を追う。ドスドス、と下手な鉄砲数撃ちゃ当たるの言葉通りにカギヤの肩と足を矢が穿ち、その10倍もの矢が地面に突き立ち、ようやく彼は木の陰に隠れることに成功した。FPSゲームで学んだ遮蔽物の利用だ。これで射手の視界からカギヤは消え失せただろう。

 しかし、射撃は止まなかった。

 木を穿ち続けドドドドドドと釘打ち機のような音を響かせ続ける無限連射の矢。その音を木ひとつを挟んだ背中から感じ、思わず肩を寄せるようにして体を縮めてしまう。木の陰から指一本もはみ出ないように注意していると、カギヤは気付く。

 ――音が一定、かつ等間隔。

 その事実に、己を襲っている攻撃の正体を悟った。


「(これは『マクロ』か! 弓を番えて射る、その一連の動きを自動で無限に出来るようマクロを組んでやがるのか……確か狩人の矢は残弾無限、こんなんほぼガトリングガンじゃねーか!)」


 マクロ。旧来は特定の操作を自動化するプログラム。そして電脳世界ひいてはフルダイブ型VRゲームにおいては、アバターの操作を自動化するプログラムもこれに含まれる。今回の場合は弓矢を番え射る一連の動作を自動化、それを何千何万と繰り返しているのだ。自動化した動作の速度・効率は人間の限界を超えたシステムの限界、当然人間が太刀打ちできるものではない。

 ガスガスと木を穿つ矢のガトリングガン。現実がどうかは知らないが、少なくともこのゲームの狩人の矢には木を破壊する性能は無いため何千発撃ち込もうが幹を倒すことは出来ないが……脅威なのはその弾幕であった。こちらを押さえつけるような矢の群れに、反撃や逃走はおろか木の陰から手足を出すことも出来ずカギヤは歯噛みする。

 尋常な手段では、永遠にここに釘付けだ。あるいは「不正には不正」と無敵になったりテレポートでも出来たら良かったのだが……。


「(下調べ中だからな、こっちはまだチート組んでねえどころか適応されてるアンチチートシステムすら知らねえ……どうする? イチかバチか電脳兵装プログラム・ツール出してみるか?)」


 チートとは当然ルール違反。アンチチートシステムに検出されれば即BANもあり得る。そのしがらみを潜り抜けるにはいくら天才ハッカーと言えども事前の調査と準備が必要だが、今のカギヤはまだその調査中で準備も出来ていない。電脳兵装プログラム・ツールも対チーターには強力な武器だが、ファイルから出して具現化した瞬間にシステムに検知されBANされる、という可能性もある。


 カギヤが迷っていると……木を穿つ音に紛れて、ガシャガシャという異音が耳に入り込んで来た。なんだこの音は、と思っていると、それはどんどんと大きくなる――否、近づいて来る。


「なんだぁ!?」


 ガシャガシャと何かが擦れるような音。そして地響き。その方向を振り向けば、すぐに音だけでなく、異常が目でも把握できるようになる。

 最初、それは波のようなものに思えた。だが違う、それは「群れ」だ。人と同じサイズのナニカが、大量に並びこちらに走ってくる。

 それは髑髏だった。

 それは骸骨だった。

 しかしそれは肉の無い骨格だけの腕で剣を握り、死者であるのに生者のように地を走っていた。

 黒く染まった人骨の群れ……一言で言えば「死者の兵団」だろうか。だが、ありえない。そんなものが存在するのが、ではない。


「(『死霊使い』の骸骨兵、なのか……!? だが数がおかしい! こんな量出せるスキルじゃないだろ!?)」


 カギヤは内心で驚愕を嚙み殺しながら呻く。

 『死霊使い』はシーズン2、つまりひとつ前のシーズンで実装されたジョブ。あまり単騎での戦闘能力は高くないが、固有能力として、味方NPCユニットである骸骨兵を作り出すことが出来る。何もない場所でも骸骨兵は作れるが、死霊使いの名の通りプレイヤーやNPCの死体がある場所でスキルを使えばより強力な味方を作り出せるのがウリだ。

 だが死霊使いのスキルのクールタイムは120秒、消費MPは最大値の半分ほど。更に詠唱に10秒くらい掛かったハズだ。MP回復ポーションを使い続けたとしてもこの量の兵が出るのはおかしい。


「(消費MPの無料化とスキルクールキャンセルってとこか……にしたってやってることヤバいがな!)」


 「マクロ狩人」も骸骨兵の大軍に気付いたのか、そちらに狙いを変え速射による矢の雨を降らせた。大量の矢が骸骨兵の大軍に降り注ぎ、そのHPを削り取って元の動かぬ死体に返す。だが全ての骸骨兵を倒すことは出来ず、生き残った骸骨兵は仲間の屍を踏みながら狩人に肉薄せんと群がっていく。

 降り注ぐ鏃の雨霰。構わず進む地獄の兵団。


「妖怪大戦争かよ!」


 もはや別ゲー、戦争ゲームさながらの光景に、カギヤは思わずそう叫び。

 ぐるり、と。それを察知した骸骨兵の一部がこちらに進路を変えた。眼球の無い髑髏の顔がはっきりとこちらを捉えているのが分かる。その手には例外なく、鈍い光を放つ傷だらけの剣。

 カギヤに走り寄ってくる骸骨兵は10体ほどだが、不正チートが使えないカギヤでは手に余る数だ。


「くそッ」


 思わず木陰から飛び出し骸骨兵に背を向けて逃げる――弓兵は骸骨兵への対処で手一杯でこちらを狙っては来ない――と同時、不意に視界を赤色が満たした。

 今度はなんだと見れば、骸骨兵たちを包む魔法の炎。『魔術師』の範囲攻撃魔法だ。だが……範囲が有り得ないくらい広い。通常魔術師の範囲攻撃魔法は直径3mの円の内部に燃焼ダメージを与える技なのだが、これは攻撃範囲が直径20mはある。しかもスキルの再発動時間リキャストタイムなど無いかのように、円の範囲が幾重にも重なるほど連発されている。


「今度は魔術師のチーターかよ!?」


 叫ぶ声よりも速く、じめじめした昏い森が燃え盛る灼熱地獄に変貌し。

 炎が大量の骸骨兵を、無限連射してきた狩人を、そしてついでのように近くに居たカギヤを巻き込み、そのまま全てを焼き尽くした。


「ぬわあああああああああああああ!!?」


 悲鳴と共にカギヤのHPが全損、糸が切れた人形のように地面に倒れ、真っ黒になった視界には「You are dead.」の文字。

 試合から退場し、ロビーに戻って来たカギヤは、とんでもなく重い声で言葉を吐き出す。


「……なるほど。ランクマが『終わってる』ってのはよーく分かった」


 最早チーター大戦争であった。そこに硬派な中世ファンタジーバトロワの姿は無く、あるのはインフレし過ぎた少年漫画の終盤みたいなチート技とチート技のぶつかり合い。成程、一般プレイヤーが萎えて止めていくハズである。


「……ゲーム体験はこのくらいで良いや、ウン。後は情報収集と『準備』だな」


 一般プレイヤーたちと同じようにプレイする気を削がれたのかは不明だが、カギヤはメニュー画面を開きゲームを終了。今回の依頼人であるシクハを迎え入れたのと同じ、殺風景な電脳空間に移動する。

 ソファに座り、そのまま素早い操作で多数のウィンドウを展開。浮遊する半透明な四角い画面であるウィンドウには、それぞれ違うサイトが表示されていた。

 様々な意見が書かれたネット掲示板、《BOTG》運営の公式サイトや公式SNSという誰でも見れるものから、チートの販売サイトなどのいわゆるダークウェブ的なものもある。

 それらに同時に目を通しながら、カギヤは素早く情報を収集する。


「……チーターへの不満の声はやっぱり多いな。特にランクマッチがゲームとして成り立ってないのを大体のプレイヤーが感じている。だが運営は『我々も頑張って対応している』の一点張りで特に革新的な対応策を打ち出してはおらず、プレイヤー間では不満が高まっているって感じか……。ちょっと気になるのは異常なほどに活気づいた《BOTG》用チート販売サイトだな。この品揃えの良さと価格の高さはなんだ? そんなにチートの需要が高いのか?」


 必要な情報は色々あるが、最たるものは「使われているチートの種類」。敵の手の内を調べるのは重要なことだ。


「確認されてるチートは『無敵化』、『弓マクロ連射』、『広範囲魔法』、『スキルクールタイム無効化』、あとは……なんだこれ、『ステータス書き換え』? 攻撃力や移動可能距離を書き換える、か。移動距離を書き換える、ってのがよく分かんねえな。それと、触った感じ絶対に『MP無限』と『ウォールハック』は居たな。視界の悪い森の中で俺の姿をハッキリ捉えてたんだ……やっぱりあった、《BOTG》対応ウォールハックチートの販売サイト」


 カギヤはぶつぶつと独り言を呟きながら思考を整理する。どうもカギヤには独り言を言うきらいがあった。

 色々と気になるところはあるが、チーター退治の依頼の場合出す結論は同じだ。


「とにかく、チーター討伐のためには俺もチートを組まないとな。その為にも、評判の悪いアンチチートシステムの詳細な解析結果が欲しい……よし、に頼むか」


 そう呟いた彼の表情は、さながら別のクラスの友人に会いに行こうと思い立った学生のようだった。




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 そこは不思議な空間だった。

 まず地面が無い。次に空が無く、そして背景も無い。

 上下左右の判別が付かないという意味では宇宙空間にも似ていた。うっすらと赤紫色を纏う黒が空間を満たしていること、時折目立たない程度の光が彼方を滑る流星のように通り抜けていく様が見られることもその印象を後押しする。しかし宇宙のように空間が広大かは分からない……無限の奥行きを持つようにも、ごく狭い場所の壁や天井にそういう背景をくっつけたような空間にも見えるからだ。

 そんな空間の主が誰かはすぐに分かった。何故って、空間内の目立つものが「彼女」しか居ないからだ。


「……」


 それは椅子に座った女性だった。椅子――背もたれと肘置きを持つ近未来的なデザインのそれは空間に浮かんでおり、まるでロボットアニメのコクピットのようである。そんな椅子に座った女性……少女、と言ってもよさそうだが容易い判別は出来ない。顔の目元から上を覆うヘッドギアを被っているためだ。ヘッドギアも椅子と似て黒を基調とした近未来的なデザインであり、所々ゴツゴツしていながらもスタイリッシュなそれは隙間から赤い光を放っている。

 女性が纏う服装もまた赤と黒。基調となる色は黒で、赤は縁取りや装飾に使われている。眩しい素肌が露出しているのはヘッドギアに覆われていない口元、スリットから出た肩、袖口から覗く手のひら、そしてスカートとブーツの間の太股くらいか。それでも服のデザイン上、彼女の細く美しいスタイルを見る者に一目で理解させるだろう。


 そんな彼女が何をしているかと言われると、それは一見して演奏のように見える。空中にオルガンの鍵盤だけが浮いたような、半透明のナニカを白魚の如き指で叩いているからだ。だがそれは演奏ではない。空間には何の音も響いていない。それは当然だった……何故なら彼女が叩いているのは、音を奏でるためのオルガンではなく文字を打ち込むためのキーボードなのだから。

 大量に展開したウィンドウをバイザーの奥の眼で睨みながら、改造されたデザインのキーボードを五指で叩く。叩いて、文字を書き込み続ける。見る者が見れば分かっただろう……それが「プログラミング」という行為であることに。

 己以外に誰もいない空間で、椅子に座ったままプログラミング作業をする女性。その黙々とした光景は、その作業がこの先何時間も続けられるだろうことを思わせる。だが、実際にはそうはならなかった。静かな空間に変化が起こったからだ。


  [CAUTION!] [ERROR!!] [ERROR!!] [ERROR!!]

  [Intruder detection] [Firewall activation]


 多数展開される警告ウィンドウ、けたたましく鳴るアラート、ぎゅんぎゅんと空間を満たす色とりどりの凄烈な光。

 まるでパレードのようなその光景に女性は作業の手を止め、それらの異常事態に対応しようとして……しかし騒ぎは収まった。それはトラブルが解決したというワケではない。何故なら誰も居ない空間がノイズと共に歪み、そのアバターが姿を現したからだ。

 現れたのは――虹色の光に彩られた黒髪黒目の少年。その手には黄金の剣――空間への侵入に使用した電脳兵装プログラム・ツールが握られている。個人用の作業空間にセキュリティを突破することで侵入して来たそのハッカーは、道端で友人に会ったときのような気軽な態度で手を上げた。


「よーうロゼ」

「……カギヤ」


 「ロゼ」と呼ばれた女性は乱入者の名を忌々し気に呟き、ヘッドギアをワンタップで外す……ばさり、と解放された長い金髪が踊った。

 赤いメッシュの入った滑らかな金髪のツインテールに白い肌。色白の上で鮮烈な赤色がこれでもかと映える。線の細い顔立ち、ほっそりと伸びた華奢な肢体は、触れればたちどころに折れてしまいそうなほどに少女的な可憐さを彼女に与えていた。その華のかんばせを彩るは、ツンと出た形の良い鼻に真珠の歯をちらりと覗かせる桜色の唇、そして翠玉エメラルドを嵌め込んだが如き透き通った瞳。最高級の白磁人形ビスクドールを思わせる精緻な造形が、しかし作り物ではなく現実の彼女そのままだというのだから驚かせる。

 そんな少女は、形の良い唇を開き言葉を放つ。


「何の用?」


 それは自動翻訳機能オートトランスレーションを通して尚妖精の調べのように美しく、また大国の姫君を思わせるほどの高貴さを纏う声だったが、答える少年の声に緊張や遠慮は無かった。


「依頼だよ。今暇?」

「……」


 そこで、遂に少女はハッキリと怒りを表した。

 少年の方を向いた宝石の瞳が、ぎらりと苛烈な光を帯びる。途端に白磁人形ビスクドールは、呪いの人形も裸足で逃げ出す鋭利な刃物の迫力を得た。これでは姫というより女帝だ。美人が凄むと怖いと言うがこれはその最たる例だろう……問題は彼女が常に凄んでいる点だ。カギヤはこれまでの付き合いで、彼女の笑顔どころか機嫌が良い所を見た事が無い。

 それは今日も変わらず、少女が放つ雰囲気はどこまでも剣呑で、カギヤを睨みつける目つきは今にも彼を殺しそうな勢いだった。舌打ちと共に手元のキーボードを叩く姿はその印象を加速させる。きっと耐性が無い者なら、恐怖の余りこの場から逃げ出してしまったことだろう。


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Rosevelt/プログラマー

@rosevelt_program

フリーランスのプログラマー、電脳防壁技師 依頼は下記サイトから受付中[clone.net/businessspace_rosevelt]

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 彼女の名前ユーザーネームは〈Roseveltローズヴェルト〉。ここにカギヤ以外の者が居たなら思っただろう。なるほど確かに、その美しさと近寄り難さは茨を持つバラRoseに似ている、と。

 ローズヴェルト……カギヤ曰くロゼは、剣呑な空気を纏ったまま半ば独り言のように呟く。


予約アポも取らずに来た事とか、なんでココに入って来れたのかとか、そういう言葉はええ、断腸の思いで呑み込んであげるわ。アポイントメントなんて高尚な文化が、電脳法ひとつ碌に覚えられないアンタのガラクタハードで覚えられるなんて思わないもの。ただし――」


 彼女は乱れつつも気品が薄れない口調でそう言って。

 そこで、空間に変化が起こった。

 ――「赤い茨」。瞬きの間に現れた真紅の茨が、カギヤの首に巻き付いたのである。

 人の腕ほどに太い茨が持つ、ナイフのように鋭い棘が、カギヤの首に触れるか触れないかの位置で止まっていた。その茨はカギヤが持つ剣と同じ、文字コードにて形成された電脳兵装プログラム・ツール。それを文字通り喉元に突き付け、キーボードのエンターキーの上に指を置きながら、ロゼはカギヤを睨んで告げる。


「――この私相手にびた一文値切ってみなさい。全力で『この世』から叩き出してあげるから」

「分かってるって」


 凄絶な宣告に対し、しかしカギヤの態度は軽かった。彼が「降参」とばかりに両手を挙げてそう言うと、ロゼはフンと鼻を鳴らして茨の電脳兵装プログラム・ツールを引っ込める。


 赤い茨が喉元から去ったことで、カギヤはふぅと安堵の息を吐いた。

 プログラマー、ローズヴェルト。「表」よりも「裏」で名の通った、『鉄壁の赤薔薇姫アンタッチャブル・ローズ』と恐れられるプログラマーだ。

 そんなローズヴェルト――カギヤは長いのでロゼと呼んでいる――とカギヤの関係は、正直な所良くない。彼女から激しく敵視されているのをカギヤは薄々感じていた。まあ出会い方もそこまで良い方では無かったし仕方がないのかもしれないとカギヤは思う。

 それに、蛇蝎の如くこちらを嫌っているような素振りの彼女だが、問答無用で攻撃してくるようなことはない。ロゼが固執する関係の形、つまり商売ビジネスの上であれば話も聞いてくれる。普段あんまり話が通じない奴らを相手取っているカギヤにとって、それは相手を友好的と判断するには充分だった。


 そんなカギヤから簡単な依頼の説明を受け、ロゼはその形の良い眉を顰めた。


「ゲームに使われてるアンチチートシステムの解析ねぇ……これを私に?」


 《BOTG》に使用されているアンチチートシステムのデータ――一般公開されてないため本来カギヤが所持しているのはおかしいのだが――をカギヤから渡されたロゼが確認でそう問うと、カギヤは問題ないと言いたげに頷く。


「ああ。5万でいいか?」


 この場合単位はCクレジットだ。それを理解しているロゼは首を横に振る。


「冗談。その倍寄越しなさい」

「げ……いつにもまして割高だな――」

「あらお客サマ、文句をお言いになるおつもりかしら?」

「はははまさか(そしていつにも増しておっかねえな……)」


 にっこりと微笑んだロゼに対し、カギヤもまた笑顔で返した。だがロゼのそれは憤怒を隠す仮面のような笑みであり、カギヤのは小物がおべっかをいう時の冷や汗を流しながらの作り笑いだ。それを見抜いているだろうロゼが、不自然な笑顔を消して素の口調で言う。


「言っておくけど、口止め料と私の感情代含めたら妥当だから。高いと思うなら他を当たればいいでしょう……てか自分でやればいいでしょ『天才ハッカー』サマ。なんでわざわざ私に依頼するのよ」


 それはどこか拗ねるような、どこにでもいる少女の声だった。

 そんな声で放たれた問いに、カギヤは小物の笑みを消し真顔で即答。


「だって俺、おまえ以上のプログラマー知らねえし」


 それは、紛れもない事実。カギヤが知る中で最高の電脳防壁技師ファイアウォール・プログラマーこそがロゼだ。防御のみに限定すればその電子戦の腕前は己を凌ぐだろう……と「自称・天才ハッカー」のカギヤは彼女の腕を見積もっている。

 そんなカギヤの言葉に、ロゼの喉から「ぐ」という言葉にならない音が漏れた。衝撃に二の句を告げない彼女に畳みかけるように――本人にそんな意図は無いが――カギヤは続ける。


「それに俺、ゲーム関係は正直専門外でね。そもそもの専門は電子戦、しかも電脳世界が出来る前のだ。こういうチーター退治の依頼が増えたのは最近だからまだ勉強中なんだよ。その点ロゼは電脳防壁ファイアウォールからアンチチートシステムまで、あらゆる防壁のプロフェッショナルだろ?」


 「ローズヴェルトは金さえ積めばどんな防壁も組み上げる」――界隈で囁かれているその言葉は、その実彼女への賞賛が多く込められた言葉である。

 ハッキングからユーザーを守る電脳防壁ファイアウォール、チーターからゲームを保護するアンチチートシステム、オブジェクト衝突によるデータ破損を防ぐ保護システムに果ては強固な電脳物理防壁オブジェクトウォールまで。おおよそ「防壁」と呼べるものなら、彼女はどんなものさえ持ち前のプログラミング技術によって組み上げてしまう。そんな卓越した技量に、欠点である「代金が高い」というのがくっついた結果が例の言葉だ。

 そんな凄腕プログラマー・ローズヴェルト――ロゼは、カギヤの言葉を受けてなんだか鼻白んだように顔を引くと、打って変わってか細い声で言う。


「……フン、1万まけとくわ。……何よそのカオ」


 対するカギヤは驚愕。


「(マジ!? 守銭奴ロゼが自分から値下げとか鯖落ちかなんかの前触れか!? でも言ったら絶対キレられるから――)イヤなんでもないですヨ~」


 再び小物の作り笑いで揉み手をしだしたカギヤに、ロゼも苛烈さを取り戻しフンと鼻を鳴らした。


 ……ロゼは、確かにカギヤを嫌っている。だがそれは出会ったあの日、己が絶対の自信を持つ「ローズヴェルトの防壁」を彼が破ったからだ。つまり彼女のプライドが、己と同年代にして己以上の力を持つカギヤの存在を許せないのである。しかしロゼは同時に、悪いのはカギヤではなく彼以上の技術力を持たない自分であるとも理解していた。ただ人間である以上どうしても飲み下せないものはあり、それがロゼがカギヤを嫌う理由だ。

 なのだが……カギヤの持つハッカーとしての圧倒的な天稟を、技術屋プログラマーとしてのロゼが強く認めているのも事実だった。そこには自覚こそないが憧憬のような感情も含まれる。故にロゼは、己が「天才」と認めた男から自らの技術を褒められると、喜びや怒りなど色々な感情が綯い交ぜになって言葉に詰まってしまうのである。


「(……考えるな私。仕事は仕事、報酬を貰った以上はキチンと全力で働くのがプロよ)」


 そんな感情からも脱したロゼは、すぐにカギヤからの依頼に取り掛かることにした。今までの作業は完璧なスケジューリングにより納期に余裕がある。それよりは己の心を無自覚のまま千々に振り回すカギヤという男を、心の平穏のためにさっさと追い出したいというのが彼女の本音であった。


 そして渡されたアンチチートシステムのデータを確認し……ロゼは思わず眉をひそめる。


「……ざっと見ただけだけど、これはゴミ以下ね」

「そんなにか」

「舐めてるとしか思えないわ。電脳世界は従来の技術ノウハウが通用しないとはいえ……ここ半年アップデートも無いってどういうこと? 職務怠慢にも程があるでしょう。私なら3日あればこれよりマシな防壁を組める、それくらい穴だらけよ」


 あまりに鋭い物言いに、カギヤは己が責められている訳でもないのに思わず首を縮めてしまう。

 ロゼという人間は、自分にも他人にも厳しい性格をしている。そして歯に衣着せるということを知らない。結果、とんでもない毒舌モンスターが爆誕してしまっていた。

 よって彼女の言う評価は二段階ほど上げて妥当だろうとカギヤは密かに思っていた……その場合「ゴミ以下」は「プロの仕事とは思えない」だろうか。

 そんな風に脳内変換していると、ロゼは容赦ない発言を繰り返した。


「無いのはむしろやる気かしら。こんな不完全な防壁ひとつだけでチートを対策したつもりなんて……いえ、寧ろ言い訳に使っているとすら思えるわね」

「言い訳?」

「『アンチチートシステムはちゃんとあるのだからチーターが現れても仕方ない、我々は対策をしている』……そういう運営の言い訳。コストがかかるから防壁は最低限でいい、なんて考えが透けて見えるようだわ。そうだとしたら運営企業はプログラマーの敵ね、いけ好かない」


 そう言うロゼが掲げる理念は「高価格・高品質」。それがあるべき商売の姿だと彼女は信じている。そんな彼女にとって、安価で適当な仕事をしているように思われる《BOTG》運営は怒りの対象だったようだ。

 彼女はやはり苛烈な物言いをカギヤに向ける。


「カギヤ、アンタが受けたのはチーター退治の依頼なんでしょ? だったらこの怠慢企業もついでに潰すなり脅すなりすれば?」


 その言葉に、カギヤは困ったように頭を掻いた。


「いやー……まあ、そうしなきゃチーターが撲滅できないってんならそうするが」

「歯切れ悪いわね。どうせ違法なことをしまくってる電脳犯罪者クラッカーでしょアンタ。遠慮することなんてないじゃない」


 ロゼからすればなんのことはない、勢いに任せただけの言葉だった。

 だがカギヤにとって、その言葉は無視できないものだったらしい。彼が纏う雰囲気が、吐く声音が、普段のおちゃらけたものとは違う真面目な色を纏う。


「……ああ、俺は確かにハッカー、いや電脳犯罪者クラッカーだ。電脳の世界じゃ大体なんでもできちまう。他人を笑わせることも……そして泣かせることも。だから俺は善悪の基準をできるだけ自分の中に置かないことに決めてんだよ。つまり俺がハッカーとしてするのは『誰かに乞われたこと』だけ。この場合はチーター問題をどうにかする、だな」


 カギヤは笑う。それは軽薄な笑いではない静かな微笑。その瞳に宿るのは――信念という名の光。


「俺は『正義のハッカー』で在りたいのさ。そんで依頼人のために動くなら、外野からどう言われようとも『正義』で居られるだろ? 少なくともたったひとりにとっては、な」


 まあそのために必要なら大企業を脅すのも辞さないが、と付け加える彼に、ロゼは意外だという感想を隠さず言う。


「……アンタにそんな信念みたいなのあったのね。無思想の快楽主義者だと思ってたわ」

「一体なんだと思われてんだよ俺は!」

「え、力を持ってしまったバカ」

「酷すぎねえ!? たまに来る暴言DMだってここまで胸を抉ってはこねえぜ!?」


 傷ついたー! とわざとらしくわめく彼を無視して、ロゼはふうと息を吐き。 


「2時間」

「?」


 首を捻る彼に、ロゼは努めて平坦な口調で続ける。


「2時間で解析を終わらせるわ。私の仕事はそこまでで良いのよね。なら、後はチーター退治なり企業脅迫なり、ご自由に」


 冷たい言い方だった。依頼ビジネス以外で関わる気はないと明言したのだから当然だが。

 が、それでもカギヤは満足げに笑う。


「ああ、助かる! またなんかあったら頼むぜ、ロゼ」


 その笑顔の源泉がプロ同士の信頼なのか、それとも友人へ向ける信頼なのか――。


「……その時は別料金で請け負うわ」


 冷たく返すことで考えないようにして、ロゼは鍵盤のようなキーボードを指で叩いた。

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