第4話 オブラート

 気がつくと・・・そこは、きれいなお部屋の中だった。私は周囲を見回した。お部屋の中は薄いピンクで統一されていた。床も壁も天井も、どこも薄いピンクなので・・・壁と床、壁と天井との境がよく分からないぐらいだ。


 まるで、無限に続くピンクの空間の中にいるようだった。


 横を見ると、早乙女さんと安祐美、それに山田さんが立っていた。安祐美と山田さんは呆然とお部屋の中を眺めている。


 私たちの眼の前には椅子が4つあった。椅子は壁や床より少しだけ濃いピンクだ。


 早乙女さんの声がした。

 「さあ、座りましょう」

 私たちは椅子に座った。

 私たちの服は濡れていた。さっきの海で、波と雨を浴びたのだ。


 すると、どこからともなく、とっても暖かい風が吹いてきた。その風が私を包み込んだ。まるで・・・暖かくて柔らかいお布団にくるまっているようだ。何故か、服がたちまち乾いていく・・・


 すると、早乙女さんの声がした。とっても優しい声だった。

 「ここは、山田様の心が帰る場所です」

 山田さんが早乙女さんを見た。

 「心が帰る場所?」

 「そうです。この空間は、何があっても山田様の心が帰ってこられる場所です。ここは、山田様の傷ついた心、ささくれ立った心を癒す空間です。何かあったら、いつでもこの空間に来て、心を休めてください。今まで、山田様は心が帰る場所をお持ちでなかったのです。でも、もう安心してください。これからは、ここが山田様の心が帰る場所です。いつでも、ここに帰ってくればいいんですよ」

 「ぼ、僕はここで何をすればいいんですか?」

 「何もしなくていいんです。何も話さなくていいんです。山田様が何も言わなくても、この空間は、山田様が苦しんできたこと、そして、その内容を全て知っています。そして、それらをそっと包み込んでくれるのです。オブラートのように・・・」


 すると、お部屋の中に、明るいピンクの球が現れた。その球が、私たちの眼の前の壁に移動して、壁の前でゆっくりと左右に動き出した。ピンクの玉がゆっくりと左右に往復する・・・


 早乙女さんが言った。

 「この球を眺めてください」

 私は、その球のゆっくりとした動きを眼で追った。


 すると・・・私の心が軽くなってきた。今まで起こった嫌なことが・・・早乙女さんが言ったように、なんだか、オブラートに包まれたように思えてきたのだ。それは・・・今までの嫌なことの記憶が・・・忘れてしまうとか、無くなってしまうというのではなくて・・・ここから、その記憶があるのは見えているのだけれど・・・なんだか、その表面に薄い膜が張ったように見えているという感じなのだ。


 やがて、その嫌な思い出が・・・なんだか、ボンヤリしてきて・・・だんだんと、もうどうでもいいことのように思えてきた。


 それは、とっても気持ちのいい感覚だった。私はその感覚に浸った・・・


 とっても気持ちがよかった・・

 

 ・・・


 突然、早乙女さんの声がした。その声で、私は我に返った。


 「山田様。如何ですか?」


 私は横を見た。山田さんも安祐美も、何だか夢から覚めたような顔をして、ぼんやりしている。きっと、私と同じ感覚になっていたんだ。


 山田さんが早乙女さんに言った。

 「はい。・・・なんだか、すっきりしました。もう、会社をリストラされたことなんか、どうでもいいことのように思えてきました」

 早乙女さんがにっこりと微笑んだ。

 「それは良かった。では、現実の世界に戻りましょう」

 すると、山田さんが強い口調で言った。

 「お願いがあります。僕をもう一度、あの海に連れて行って下さい。癒された心で、もう一度、世間の荒波を見てみたいんです」

 早乙女さんが、山田さんを見た。ちょっと、鋭い眼だった。

 「もう一度、あの海に行きたいのですか?」

 「はい。ぜひ・・・」

 山田さんが早乙女さんを見つめた。


 早乙女さんは、ゆっくりとうなずくと、再び青のタブレットを操作した。


 

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