第2話 タブレット

 安祐美が私の手を引いて、さっさとお店の暖簾をくぐっていく。仕方なく、私も安祐美に続いて『癒し処 爽風』の暖簾をくぐった。


 入ってみると、10m四方ぐらいのお部屋があった。木の床に木の壁。しかし、喫茶店なのにテーブルや椅子がなかった。がらんとしたお部屋だ。これでは、『爽風』というお店の名前にふさわしくない。


 「なに、ここ?」

 安祐美が首をかしげる。

 「安祐美、これ、どうしたの? どうして、テーブルがないの?」

 私が焦って安祐美に聞いた。安祐美が笑いながら答えた。

 「花楓かえで。あんたねえ。何でも私に聞かないでよ。ちっとは、あんたも考えなよ」

 「だって、このお店は喫茶店なんでしょ。どうして、何もないの?」

 安祐美が私に何か言いかけたときだ。

 奥から人が出てきた。


 出てきたのは、中年の男性だった。目鼻立ちの整った顔をしている。頭を整髪料できれいになでつけているのが眼を引いた。薄い茶色のシャツに茶色のベスト。焦げ茶色のパンツ。焦げ茶の靴。茶色で統一した服装だ。渋くて、ちょっとダンディー。いかにも、喫茶店のマスターという雰囲気がした。


 マスターが言った。


 「あ、さっそく、来てくれたんだね。私がマスターの早乙女さおとめみかどです。えーっと、君たち、名前は?」


 えっ、何で喫茶店で名前を聞かれるの?

 

 私たちがどぎまぎして何も答えないでいると、早乙女さんがさらに言った。


 「かわいい子をお願いしたけど、それにしても君たちは特別かわいいね」

 

 私たちは『かわいい』という言葉に弱い。『特別かわいい』と聞いて、私たちの口から条件反射のように声が出た。

 「大原安祐美です」

 「三千院花楓かえでです」


 早乙女さんが笑った。さわやかな笑顔だ。

 「安祐美君に、花楓かえで君だね。じゃ、よろしくお願いしますね」

 そう言うと早乙女さんは奥に消えた。


 私は首をかしげた。

 「ねえ、安祐美。どうなってんの? 私たち、何をお願いされたの?・・・」

 安祐美も頭をかしげている。

 「さあ?・・・」


 そのとき、玄関から人がお店の中に入ってきた。若い男性だ。私たちより少し年上だろう。くたびれたシャツに、アイロンの当たっていないズボン。肩を落としている。私たちを見ると口を開いた。

 「あのう、予約した者ですが・・」

 「えっ・・・・」


 何? これ? この人誰なの?


 声を聞いて、早乙女さんが奥から出てきた。

 「あ、ご予約の山田和夫様ですね」

 「あ、はい、そうです」

 「ようこそ、『癒し処 爽風』へ。当店は、お客様の心が帰る場所。お客様のささくれた心を癒します」


 山田さんが早乙女さんを見た。

 「あのぅ・・・どんな心も癒していただけるんですか?」

 「はい。どんな心も癒して差し上げます」

 山田さんが早乙女さんをじっと見つめた。


 山田さんが口を開いた。山田さんの眼から涙がこぼれた。

 「あの、ぼ、僕は先月に会社をリストラされまして、どうしたら、いいのか、途方にくれているんです。もう何もかも嫌になってしまって・・・。もう死んでしまいたいんです・・・・」


 早乙女さんが優しく言った。

 「それは大変な思いをされましたね。でも、もう安心ですよ」

 山田さんがすがるような眼で早乙女さんを見た。

 「そんな僕の心を癒していただくことができるんですか?」

 早乙女さんが優しく笑った。素敵な笑顔だ。

 「はい、癒して差し上げます」

 「癒しって?・・・ど、どうするんですか?」

 「まず、山田様の今の心の中を見てみましょう」

 「ぼ、僕の心の中ですか?」


 早乙女さんがポケットから、小さなタブレットのようなものを二つ取り出した。青色とピンク色をしている。

 「この青色のダブレットを使うと、山田様の心の中に移動することができます」

 「・・・」

 「で、ピンクのタブレットを使うと、山田様の心を癒す場所にご案内します」

 「・・・」

 「やってみましょう」

 早乙女さんが青色のタブレットに何かを入力し始めた。


 私たちは呆然と二人のやりとりを聞いていた。私の頭は疑問符クエスチョンマークで一杯だ。


 何をやってるの? 癒しって何なの? 移動するって何なの?


 私の疑問は長く続かなかった。周囲の景色が急に薄くなった。隣の安祐美の姿も薄くなって・・・・消えた。


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