第39話 その親子は成長する


 ルルメリアを起こさないように声を出さずなく私に、オースティン様はそっとハンカチを渡してくれた。


「……ありがとうございます」

「泣いているクロエさんとお別れするのは凄く心苦しいのですが……今クロエさんに必要なのは私ではなく、ルルさんと話す時間だと思いますので」

「……はい」


 どこまでもオースティン様は、私達のことをしっかりと見続けてくれている。

 優しく思慮深い彼に、私は頭が上がらなかった。


「クロエさん。ですので明日、もう一度ここに来てもよいでしょうか。お伝えしたいことがあります」

「オースティン様……」


 熱のこもった眼差しは、私の胸の奥深くまで届いた。嬉しさを感じながら、口元を緩めた。


「お待ちしております」


 そう約束すると、私とルルメリアはオースティン様によって自宅に送り届けられるのだった。


「それではクロエさん、おやすみなさい」

「おやすみなさい、オースティン様」


 ぺこりと頭を下げると、まだ眠るルルメリアを抱えながら私は自宅に戻った。


「おかーさん……?」

「ルル、お家についたよ」

「あっ。おーさんにばいばいいえなかった」

「明日もまた来てくれるから」

「そーなの……? やった!」


 段々と重たい目が開いてくるルルメリア。ひとまず本格的に眠ってしまう前に、ドレスから普段の服装に着替えさせた。


「ルル、起きてる?」

「……おきてるよ!」


 ウトウトとしているルルメリアに尋ねれば、バッと目を開けて私の方を見た。


(聞きたいこと、話したいことがあるけど、今は無理かな)


 ブルーム男爵ではなく私を選んでくれたのは純粋に嬉しかったし、今でも胸が震えている。ただ、それと同時にルルメリアの中で今〝ヒロイン〟がどうなっているのか確認しておきたかったのだ。


「……おかーさん」

「うん」

「わたしね、おかーさんのことだいすきだよ」

「ルル……」


 私が一人どうしようと悩んでいると、ルルメリアがポツリと言葉を漏らし始めた。


「ほんとうにだいすきだよ。あたしのじまんのおかあさんなの」

「自慢の……」

「うん。ごはんつくってくれるでしょ、いっしょにあそんでくれるでしょ、おひめさまごっこしてくれるでしょ。それに、がんばってはたらいてるのもかっこいいんだ」


 まさかそんな言葉が出てくるとは思わなかった私は、驚きのあまり言葉を失ってしまった。


「みんなのおかーさんもすごいけど、あたしのおかーさんがいちばんすごいの」

「……皆のお母さん?」

「うん。このまえはんなちゃんとあそんだでしょ? そのときにじまんしあったんだ」

「自慢って……母親自慢ってこと?」

「うん!」


 話を聞けば、ハンナちゃんのお母さんの作ったカップケーキが美味しかったことから話題が始まったらしい。ルルメリアが自分から自慢した、というよりは周りの子が「るるちゃんのおかーさん、おしごとしてるんでしょ? すごいかっこいい!」と言ってくれたことで、ルルメリアの自慢が始まったそうだ。


(そんな可愛いことをしてたなんて……!)


 嬉しさと同時に、最近は会話不足だったのだと思い知らされた。自分のことでいっぱいになっていたことを反省する。


「あとね、おかーさんひろいんじゃなくていいのってきいたでしょ?」

「うん……ブルームはルルが言うにヒロインのお名前でしょ? だからルルは男爵の元に行きたがるかと思ってたんだけど――」

「わたし、ひろいんやらない」

「…………え?」


 私の声を遮って、ルルメリアはハッキリとした口調で断言した。


「ル……ルル? ヒロインは逆ハーができてすっごくいいんじゃなかったの?」

「うん。でもひとからうばうでしょ?」

「それは……そうなんだけど」


 何度か教えて来た、略奪はロマンスではないということ。

 これをルルメリアに理解してもらうのは、至難の業だとずっと思っていた。


「はしってたひと、いたでしょ?」

「走ってた……ミンター男爵令嬢かな」

「おーさんにはなしかけたひと」

「うん、わかるよ」


 ミンター嬢が一体どうしたのだろう。まさか嫌そうな顔をしていた理由を教えてくれるのだろうか。


「わたしね、すっごくやだった。みんたーさん? がおーさんにはなしかけるの」

「どうして嫌だったの?」

(友達が取られるって思ったのかな)


 ルルメリアは頑張って自分が考えていたことを、一つずつ吐き出してくれた。


「だって、おーさんはおかーさんときたんだよ? それなのにうばおうとするんだもん」

「……確かに、割り込んでは来てたね」

「わりこみはだめだよ。ひとのものをとるのもだめ。……それでね、みんたーさんのしてることって、ひろいんとかわらないなっておもったんだ」

「‼」


 あの一幕で、そこまで考えていたとは。

 私が伝えたかったことに、ルルメリアは自力でたどり着いた。


「それはやだなっておもったの。ひとのれんあいをじゃまするのは、よくないなって」

「ルル……」


 最初は母親を守ろうとして生まれた感情なのかもしれない。それでも、そこから〝人の物を取ってはいけません〟という教えが生きるとは夢にも思っていなかった。


「だから、ひろいんにはならないの。わたしはおるこっとがいいんだ」


 清々しいほど晴れやかな笑顔に、私は涙が込み上げてきた。


 あぁ、この子はちゃんと成長しているんだ。


 そう強く思えた。その瞬間、私はルルメリアを強く抱きしめた。ルルメリアの視界の外で、私は一筋の涙を流した。

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