第30話 二人きりの時間 後
花市場は以前のバザーと比べると大きな規模のイベントで、数多くの人によって出店がされていた。
ネックレスをいただいた後は、各所を見て回ったり、焼き串を食べたりしていた。中央の特設舞台では楽団による演奏もしていたので、それを聞くことにした。
「とても綺麗な音色ですね。特にバイオリンの響きが素敵で……」
「クロエさんはバイオリンの経験が?」
「幼い頃に少しだけ。今はもう弾き方を忘れてしまいましたが……やっぱり好みの音色です」
「そうだったんですね」
幼い頃、実家に古びたバイオリンを見つけた時に弾いてみたことがあった。楽器に触れるのは好きだったと思う。
(借金返済のために、売ってからは触れなくなっちゃったけど)
そう言えば長らくバイオリンも、楽団という立派な演奏も聞いてなかったことを思い出した。
「今日は演奏を聞けて良かったです。久しぶりに心が弾みました」
やっぱり私は音楽が好きなようで、自然と口角が上がっていた。
「……クロエさんさえ良ければ、今度演奏会に行きませんか?」
「えっ」
「鑑賞がお好きなら、是非」
オースティン様の新しいお誘いには言葉を詰まらせてしまった。彼の言う演奏会は、恐らく貴族限定の催しだ。そこに自分が足を運ぶのは、正直場違いな気がする。
「ありがとうございます、オースティン様。ですがーー」
「まぁ! レヴィアス伯爵様じゃありませんか」
「えっ」
「……?」
オースティン様の後ろから女性の声がした。振り向くオースティン様と一緒に、私も声の主を確認する。
「……ミンター男爵令嬢、ですか?」
「はいっ、お久しぶりにございます。覚えてくださったんですね。嬉しい……!」
声の主は私より若いご令嬢で、彼女はいかにも貴族らしい華やかなドレスを身にまとっていた。
「レヴィアス伯爵様は侍女といらしてるんですね。私も同じで」
侍女。それは間違いなく私のことだろう。確かに今の格好ではそう見えては仕方ない。しかし、ミンター男爵令嬢にそう言われて、いい気分ではなかった。
「お話が少し聞こえたのですが、レヴィアス伯爵様も今度の演奏会行かれるんですね。もしよろしければご一緒にどうでしょうか」
私がもやもやとする中でも、ミンター男爵令嬢は怒涛の勢いで話していく。ついには演奏会のお誘いもしていた。
(演奏会は……)
断ろうとした身として止めるわけにはいかない。しかし、彼女と一緒に行く姿を想像するのは嫌だった。
「申し訳ありませんがミンター嬢、お断りさせていただきます」
「そ、そんな」
「あと。彼女は侍女ではありません。彼女とは初対面にもかかわらず、そのような言葉を選ぶのはいかがなものかと」
「えっ」
ミンター嬢の視線は、侍女じゃないなんて嘘でしょう? とでも言いたげなものだった。
オースティン様がここまで言ってくれたのだ。私も何か言うべきなのかもしれない。ただ、私には自分の立場上、目をつけられる危険を侵すことができなかった。
(……子爵家とはいえ、今の私は没落貴族だもの)
社交場にも顔を出さず、学園の教師として働いている私は恐らく令嬢とは言えない。
虚しさともどかしさで、ぎゅっと手のひらを握りしめた。
「我々はこれで」
「あっ、レヴィアス伯爵様っ」
「行きましょう」
穏やかな声色をしながら、私の手を取って舞台から離れてくれるオースティン様。
私は結局、ミンター男爵令嬢に挨拶することができなかった。
「すみませんクロエさん、不快な思いをさせてしまって」
「オースティン様は何も悪くありません。……問題は私に」
「何をおっしゃるんですか。クロエさんこそ、何も悪くありませんよ」
「……ありがとうございます」
オースティン様の言葉が優しさ故のものだとわかっているからより自分が情けなくなってしまった。
「クロエさん、先程の誘いなのですがーー」
「ご一緒してもよろしいですか?」
「……も、もちろんです!」
「良かった。よろしくお願いします」
オースティン様はほんの少し驚きなからも、すぐに頷いてくれた。
本当は断るつもりだった。
自分が場違いなのだろうという気がしていたから。けれども、それは断る理由にならない。少なくとも、オースティン様は納得しないだろう。
それに、ミンター男爵令嬢を見て他の方と行かれるのが嫌だと思ってしまったのだ。
だからとっさに、誘いへの答えを変えることになった。
「すみません。断られるかと思っていたので動揺してしまいました」
「あ……色々と不安があったのですが、オースティン様と一緒に過ごしたいと思って」
「……!」
これは本心だった。
私の中で、間違いなくオースティン様がただの友人ではなくなってきていた。
「私もクロエさんと過ごしたいです」
「……ありがとうございます」
今までは何気ない言葉だと思っていたけど、今は胸によく響いている。
オースティン様の言葉に、私の胸はときめいていたのだった。
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