第4話 疑わしきは罰せず

 なぜ、被害者が殺されなければならなかったのか?

 要するに、

「動機」

 というものが何で、そして、殺害方法など、どのような計画だったのか、もちろん、そういうことをこれから捜査を行うのだが、まずは、

「犯人が誰なのか?」

 ということの確定が必要だった。

 被害者の身元が分かり、その人間に対して恨んでいる人をピックアップし、数人の容疑者の中から、アリバイや、動機の信憑性を確認し、そこから、犯人を絞っていくのが、仏の犯罪捜査というものではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「聞き込みなどの地道な捜査」

 と、

「防犯カメラの解析」

 であったり、犯人像を割り出すという、

「プロファイリング」

 という操作方法。

 前者を、

「昭和の、人海戦術や力業による、足で稼ぐ捜査」

 と言われるものであり。後者の場合は、

「平成の、いわゆる科学捜査」

 と言われるものを融合する形の捜査が並行して行われるだろう。

 いくら犯人に対して動かぬ証拠である防犯カメラの映像であったとしても、いかにごまかすかということを、弁護士側も考えているだろうから、裁判の際の検察側の材料としての、犯罪が行われた心理的、精神的な証拠固めというのも、当たり前に必要だということである。

 まずは、昭和の捜査であるが、殺された男の身元は、間宮隆二と名乗っていたということであった。

 ハーフ絵はあるが、見た目は外人、名前は日本人になっているので、国籍は日本人ということであった。

 そういう意味で、日本人として、生活をしていて、

「ええ、本人は日本人のつもりでしたよ。言葉は訛りのある日本語を喋っていたので、完全に、

「外人が日本人になった時の典型的な感じで、確か関西訛りだったと思います。本人が、関西に住んでいたのかどうかは知らないですが、ああいう、関西弁のやりとりを聞いていると、正直、私は胸糞が悪くなりますね」

 といっていたのが、被害者の住んでいるアパートの住人だった。

「仲が良かったんですか?」

 と、刑事が聴くと、

「いいえ、こっちは、そんなつもりはないですが、あいつがやたらにこっちに靡くような、へりくだった態度を取るので、利用してやったというくらいですかね。少なくとも対等だなんて思ったことはありませんよ」

 というのだった。

 確かに、K市というところは、他の地域にないほどの憎悪のようなものを外人に持っている。

 警察が外人どもに対しての組織を形成しているということを、本当は極秘のはずなのだが、何やらウワサとして漏れているのか、一部の、

「外人嫌悪集団」

 というべきか、そんな連中の存在が、市中の一部に、ウワサとして、実しやかに囁かれるようになったのだ。

 警察の方も、別に隠す必要などさらさらないと思っているので、ウワサを無理に打ち消そうとはしなかった。

 むしろウワサが広がって、それが、

「犯罪の抑止に少しでもつながればいい」

 という考えもあるが、まず期待はできないだろう。

 どうせ、犯罪グループも、

「警察に、そのような特殊組織があったとしても、犯罪をやめる気はないだろう。若干の用心はするだろうが、犯罪を思いとどまるようなら、最初からしない。しょせんは、外人の考えていることを、日本人に分かるわけもないということを、外人側も、日本側も思っている」

 ということなのだろうということであった。

 そもそも、犯罪の形態が、日本とは違っている。具体的には、文字にして起こすというのは、少し難しいところであったが、明らかに日本人であれば、危ないと思い、思いとどまるようなことを平気でやってみたり、日本人なら、ここは突っ走るということを、思いとどまってみたりと、そのパターンに、

「外人ならでは」

 というものがあり、それだけに、捜査も難しく、多様化しているということで、特殊部隊が設立されることになったという。

 やつらが、

「日本における犯罪」

 というものを研究し、わざと日本流の捜査を攪乱するような方法を考えているのか、それとも、

「あくまでも、自分たちの犯罪というものを貫いている」

 ということでの犯罪なのか、正直分かっていない。

 しかし、多様化してきた犯罪が減ることはなく、むしろ増えている。しかも、犯罪のパターンも多様化していて、あたかも、

「日本の捜査を煙に巻く」

 というような、まるで、日本をあざ笑っているかのような犯行が行われてきたのであった。

 日本という国が、

「外国から舐められている」

 というのは、周知のことであり、日本政府を見ていれば、誰にだって分かることだ。

 特に外人の目には、

「日本人と違う意味」

 においての、舐めた目があるのかも知れない。

 日本という国は、正直、大日本帝国と言われていた時代と、戦後、

「アメリカなどの連合国によって、戦争を引き起こさないようにするために押し付けられた民主主義と、戦争放棄、佐相軍備の撤廃という平和主義国家になった」

 ということであった。

 もちろん、悪いことばかりではなく、現在のような、

「平和国家」

 の最先端と言われていて、80年近くも、戦争というものがなかった国という意味では、

「日本国」

 というものになってからの、一定の評価は上げられるというものである。

 ただ、それらは、すべてが、

「お花畑状態」

 であって、日本国に、民主主義を押し付けてきた国が、今度は、

「日本に武器を売りつける」

 という理由で、

「再軍備」

 あるいは、

「自国を守ることのできる軍隊創設」

 という、それまでとはまったく違った考えを押し付けようとしていることも事実だったのだ。

 特に、

「外国からの武器を買わないといけない」

 というのが、

「憲法を改正してでも、国防を行う」

 ということで、日本政府が、国民に、

「周辺諸国からの脅威」

 というものを、必要以上に植え付けて、

「海外からの武器を買うことを正当化しよう」

 ということをしようとしているのであった。

 戦争前夜から、戦後から今までの歴史の推移を見ていれば、そういうことは分かってくるというものである。

 そもそも、日本人というのは、

「どこまで、歴史を知っている」

 というのだろうか?

 今までの歴史、特に、

「大日本帝国」

 というものをどのように教育されてきたというのだろう。

 たぶん、骨子は違わないと思うのだが、少なくとも、

「今の政府とは違う」

 ということ、

「主権は天皇にあり、天皇の命令で、国民がまるで玉砕をした」

 などという、

「間違った歴史認識」

 を抱くことになっただろう。

 その原因の一つとして、昭和の頃などに作られた戦争映画や、大日本帝国の歴史に関わることとして、玉砕であったり、処刑される時、必ず、兵士が叫んでいた言葉として、

「日本国万歳」

 そして、最後に、

「天皇陛下万歳」

 という言葉が叫ばれていたということであった。

 そこに間違いはないのだろうが、そこを強調することで、

「昔は、天皇のために、個人が犠牲になって死んでいった」

 ということを共通認識として持っているのではないだろうか?

 確かに、今の、

「国民主権」

 という考えからでは、信じられないことである。

 しかし、いい悪いは別にして、學校教育で、

「日本は神の国。そして、そこに君臨するのは、天皇陛下なのだ」

 ということを教えられてきた。

 ここで勘違いされやすいことであるが、大日本帝国というのは、

「立憲君主国」

 であり、

「専制君主」

 の国ではないということだ。

 専制君主というと、完全に、君主の意思によって国家が成り立っているというものである。

 昔の、

「絶対王政」

 などと言われているものがそれであり、

「独裁者として、国王が存在していた」

 ということになる。

 しかし、日本においての、君主は、前述のとおり、

「立憲君主」

 なのだ。

 立憲君主というのは、

「憲法に定められた君主の特権以外は、認められない」

 ということでもあるのだ。

 憲法にまさか、

「戦争になり、捕虜になったり、あるいは、敗北の際には、天皇陛下万歳と言って、自害をしなければいけない」

 などと、書かれているわけではない。

 あくまでも、軍人に対しての、

「戦陣訓」

 として、作られたものを、戦争前夜の政府が、

「生きて虜囚の辱めを受けず」

 という一言が課題解釈されてしまったことで、自決、玉砕という悲劇を生むことになったのだ。

 もちろん、最初から政府も軍も、そんなつもりはなかったのだろうが、立憲君主とはいえ、

「戦争に突き進んでしまったことで、戦争貫徹のためには仕方がない」

 ということで、憲法や法律を課題解釈するようになったり、

「治安維持法」

 などのような、

「政府や軍に都合のいい解釈が行われ、そのまま国民に強いることになったのは、間違いだったのかも知れない」

 と言えるだろう。

 しかし、日本が、大東亜戦争を引き起こしたわけではないのだ。

 日本は、安全保障の観点と、日本国内で人口が増えたためや、不況、不作などによる食糧問題などから、

「満蒙問題解決」

 ということは不可欠な問題であった。

 そこで行われたのが、

「満州事変」

 という強硬作戦であったが、これには、満州において、居留民が虐殺されたり、中国側からの政治的経済的な嫌がらせがあったことで、統治下にある居留民が、危険にさらされていたのである。本土の軍や政府としては黙って見ているわけにはいかないだろう。

 そういうことから引き起こされた満州事変であり、

「満州億設立」

 であったのに、それを国際連盟で否決され、孤立した日本は、

「国際連盟脱退」

 という、

「交際的なあ孤立の道」

 を歩まなければならなくなった。

 しかも、諸外国からは、資源に乏しい日本の弱点を突くように、

「石油や、鉄の輸出禁止」

 という、いわゆる、

「ABCD包囲網」

 を築かれたことで、日本はいよいよ窮地に立った。

 それでも、列強の中でも大国を相手に戦うということが、日本の命取りになると、政府の方では、外交面での対策を考えていたが、アメリカは最初から、

「日本を戦争に引きずり出すための作戦」

 というものを用意していた。

 なぜ、アメリカがそこまでするのかというと、

「アメリカ政府は、欧州での戦争に参加したい」

 という意思を持っていた。

 特に大統領はその意思が強かったのだが、いくら大統領とはいえ、

「戦争を行うには、上院、下院の議員の承認がいる」

 ということがネックだった。

 しかも、世論が、元々、

「アメリカに関係のないヨーロッパの戦争に巻き込まれるということを許さない」

 という伝統的な、

「モンロー宣言」

 というものがあるせいで、アメリカの世論が、戦争反対であることは当たり前のことだった。

 そこで、

「アメリカが攻撃を受ける」

 という、

「既成事実」

 を作ることで、アメリカ世論を味方につけようと考えたのだった。

 そこでターゲットに上がったのが日本だったのだ。

 徐々に締め付けられる中で、最後には、

「日本が絶対に承服できない条件を和平条件として叩きつけることで、日本を戦争に引き釣りだし、さらに、アメリカへ先制攻撃させることで、国民に、日本憎しという感情を植え付ける」

 という作戦を取ったのであった。

 日本は、

「まんまと引っかかった」

 というよりも、そうでもしないと、日本は、先ゆかなくなるということで、やむを得ないという、海軍による、

「真珠湾奇襲攻撃」

 さらには、陸軍による、

「マレー上陸作戦」

 が行われたのだ。

 日本軍と政府が考えていた青写真というのが、

「最初の半年一年くらいの作戦で、大いに勝ちまくって、アメリカ国民が戦意喪失したその時に、講和に持ち込み、有利な条件を引き出すことで、お互いに、妥協し合うということで、戦争終結を行う」

 というのが作戦だったのだ。

 しかし、実際にやってみると、真珠湾では、まるで、

「騙し討ち」

 をしたかのようになり、アメリカ国民を戦争に引き込むということに、まんまと成功したことで、日本がもくろんだ、

「アメリカ国民の戦意喪失」

 というものが、まったく功を奏しないものとなってしまい、それが、大統領の人気をさらに高める結果になったのは、まったく皮肉なことだった。

 ここの賛否両論があるのだが、アメリカの作戦勝ちということで、最初から、ここまで国民感情の高揚を、計画していたのかどうかというのは、大きな問題だった。日本としては、

「アメリカの作戦通りに嵌ってしまった」

 ということであれば、

「もうその時点で、勝ち負けは決していた」

 といってもいいだろう。

 今は専門家の間ではそれが定説になっているのだろうが、そのことを知っている国民は少ないかも知れない。

「アメリカから押し付けられた民主主義」

 というものを、

「アメリカの自由な考え方を日本国に取り入れてくれたことで平和国家になったのだから、アメリカ様様だ」

 というのとは雲泥の差だといってもいいだろう。

 確かに、アメリカは、日本の非武装化に成功し、

「第三次世界大戦」

 というものに対しての脅威を削ぐということに成功はしたわけであるが、アメリカは、戦後すぐに、

「新たな敵」

 というものの存在に、脅かされることになった。

 世界にこれだけたくさん国があるわけだから、それらの国がそれぞれの体制によって、分裂してくるというのは当たり前のことで、そもそも、戦争前から、

「社会主義」

 というものの台頭があったわけで、

「もし、第二次大戦が、ヒトラーによるドイツによって引き起こされたものでなければ、アメリカの敵として、社会主義国である。ソ連が台頭してきたといってもいいだろう」

 ということで、

「第二次大戦が、起こるべくして起こった」

 ということになるのだろうと思えるのだった。

 実際に第二次大戦が終わってすぐに、米ソを中心とした、

「東西冷戦」

 というものが、表面に出てきた。

「中国における内線」

「分割統治下であった朝鮮半島の情勢」

「東西ドイツの問題と、ポーランド問題」

 などから、戦争が終わってすぐの状態から、すでに、

「一触即発の状態になってきた」

 といってもいいだろう。

 それが、現実となったのが、日本が降伏してから、5年という短い間に勃発した、

「朝鮮戦争」

 だったのだ。

 その後、ソ連が崩壊するまでの30数年くらいの間の、

「東西冷戦」

 は、一触即発であり、アメリカも地理的問題から、日本に対しての方向転換を模索するという状況になってきた。

 今も残る、沖縄などにおける、

「基地問題」

 というものが、大きな問題として残っているのであった。

 そういう意味で、

「外国は信じられない」

 という意見が増えてきたのも、やむを得ないことであったのだ。

 そんな時代から、いわゆる、

「朝鮮戦争」

 と元に、

「戦争特需」

 というものから、日本は、復興の足掛かりとした。

 韓国は、

「ベトナム戦争」

 と元に復興したのと同じである。

 日本はいち早く復興したおかげで、昭和の末期から、バブルが弾けるくらいまでは、世界経済のトップを、日本企業が担うという時代が続いたのだ。

 実際に、日本が担っていた時代は、外国、特に中国や東南アジアに工場を築き、そこで現地の人間を安い賃金で雇って、経費を節減したり、南米の特にブラジルあたりの人間を日本に連れてきて、雇っていたりした。

 当時のベトナム系の人たちは、結構日本に来ても、自分たちの民族性を失うことなく、日本の風俗文化にも馴染もうとしていたところが好感が持てた。

 今の外人どもも、

「爪の垢でも煎じて飲め」

 と言いたくなるほどである。

 何しろ、今の外人受け入れは、

「日本で金を落としてもらうことを目的にしたもの」

 ということで、昔とは、大きく違ってきている。

 どこまで、あの腐った政府に分かるというのか、完全に、

「目の前のことに目を奪われていて、外人を受け入れていることが、日本侵略の足掛かりになっている」

 ということを、まったく分かっていないのだろう。

 何といっても、これはあくまでもウワサであるが、

「日本の個人情報と言われるものは、諸外国に、だだ漏れだ」

 と言われている。

 日本の持っている個人情報は、日本を

「属国」

 としている、某国に、すべてが筒抜けであり、ほとんどいいなりだという。

 何といっても、その国の借金をむりやり背負わされて、しかも、返してもらうことは永遠にないというわけで、

 完全に、

「我々の血税は、某国のための、捨て金に使われている」

 というウワサがあるくらいだ。

 どこまで信憑性があるのか分からないが、

「火のないところに煙は立たぬ」

 というではないか。

 それを考えると、なるほどと思える節もある。

「周辺諸国の動向を考えて」

 などと言って、やたらと政府は国民に有事を煽るが、実際であれば、

「できれば、隠したい」

 というのが、普通なら考えることであろう。

 しかし、それを敢えて煽るというのは、某国からすれば、

「日本に武器を売って一儲け」

 というところであろう。

 そんなことが、今では当たり前のようにまかり通っている政府である。

 自分たちは、主権国家であるにも関わらず、結果として、

「敗戦国として、占領されたという運命」

 と持っている国なのだ。

 そんな国が、そもそも、

「追いついて、追い越せるわけはない」

 のだ。

 それができていたと思っている人は、本当に、

「お花畑」

 にいる人間だったのだろう。

 日本において、今の状況は、そんな、

「某国の属国」

 であり、さらに、

「外人を雇わないといけないほどの、情けない国になってしまった」

 ということで、日本という国が以前は、

「世界でも、有数の治安のいい国だと言われていた日本だったので、それが、いつからか、こんな、外国並みも、無法地帯のような国になってきたのか。しかも、政府も分かっているのかいないのか、どちらにしても、政府の責任というのは、許されるものではない」

 ということになるであろう。

 そんなことを考えていると、日本の政府の考え方が、改まる必要があるのではないかと考える国民も少なくはないだろう。

 そこで最近考えられるようになってきたものとして、

「正しいのか、どうなのか、難しいとことではあるが」

 ということで提案されている考え方として、

「推定有罪」

 という考えが出てきた。

 日本の法律は、基本的に、

「疑わしくは罰せず」

 ということになっている。

 何と言っても、日本は昔の大日本帝国時代、さらには、もっと昔の時代から、

「治安維持」

 というものを、最優先としてきた。

 だから、国家が力を持ち、治安維持のためには、

「ある程度まで、国民の自由というものを制限する」

 ということになる。

 それが、かつての、

「戒厳令」

 であったり、

「特高警察」

 なるものだったのだ。

 しかし、今は、アメリカから押し付けられた民主制とはいえ、

「国民の権利は、永久に保証される」

 ということが、憲法で決まっているので、治安維持ということを最優先にはできない国家になってしまっているのだ。

 確かに、個人の自由は大切で、恒久的なものであるのは間違いないが、それをいいことに、

「法律を利用しよう」

 という輩が増えてくる。

 特に今のように、

「個人情報保護」

 であったり、

「コンプライアンスの問題」

 などは、そもそも、日本国が民主国家になった時点で、最初からあってしかるべきものではないのか。

 それだけ、民主国家と言いながら、まだまだ発展途上だったこともあって、実際に、

「個人を守る」

 ということがどういうことなのか分からない間に、

「悪い奴ら」

 に法律を利用されたり、詐欺のようなものが、横行したりということになる。

 だからこそ、今になって、いろいろなプライバシーや、モラルと言った。

「民主主義としては、基本となるべきもの」

 が、問題になる時代がやってくるのだった。

 つまり、民主国家というのは、反政府組織のようなところから見れば、下手をすれば、

「穴だらけ」

 ということで、

「個人の自由」

 ということを隠れ蓑にして、組織自体も、個人であるということを考えれば、ある意味、

「何でもできる」

 といっても過言ではないだろう。

 確かに、

「推定無罪」

 であったり、

「疑わしきは罰せず」

 という考え方は、

「冤罪を生まない」

 という意味では、一定の効果はあるかも知れない。

 しかし、もっと厄介なこととして、

「被告人の利益に従う」

 ということであるから、確かに冤罪を生みにくくするという意味では一定の評価はあるだろうが、

「実際に、被害者がいるわけで、被害者のことを一切考えていない」

 という意味で、どのような弊害があるかということである。

 犯罪というものが起こった場合に、

「被害者と加害者」

 というものがあり、それが、起訴され、裁判となると、

「原告と被告」

 ということになる。

 ただ、疑わしくは罰しないとか、推定無罪などというものが存在すれば、

「起訴に持ち込むこともできない」

 ということになるのだ。

 せっかく警察が捜査して、ある程度の証拠をまとめたとしても、

「裁判を起こしたとしても、有罪に持ち込むことは難しい」

 と言われることもある。

 もちろん、弁護士に有能な人がいたりすれば、裁判というのも、

「相手があることだ」

 ということなので、そう簡単に起訴に持ち込んだといっても、勝てるという保証があるわけではあない。

 明らかに検察側に起訴に持ち込むだけの材料がなければ、

「悔しいが、不起訴にするしかない」

 ということになる。

 不起訴となると、被害者側は、完全に、

「泣き寝入り」

 ということになる。

 中には、事件によっては、加害者側が、示談を持ち出して、被害者側の経済状況に揺さぶりを掛けたりして、起訴を取りやめるように、被害者側に迫ったり、下手をすれば、脅迫を用いることだってあるだろう。

 いろいろな方法で、弁護士側は揺さぶりをかけてくる。

 しかも、裁判を起こしても、

「被害者側には勝ち目はない」

 あるいは、

「起訴しても、被害者側の将来に対して、不利になる」

 さらには、

「裁判での証言やその他が世間にバレてもいいのか?」

 などという脅しなどがあって、被害者側の気持ちが揺らいだことで、裁判を起こさない方に傾くこともあるだろう。

 しかも、最後の脅し文句として、

「日本という国は、疑わしきは罰せずなので、中途半端な証拠であれば、通用しない」

 などということを言われてしまっては、被害者側も、

「告訴を取りやめる」

 ということしかないのだろう。

 そういう意味で、

「推定無罪」

 や、

「疑わしきは罰せず」

 というのは、加害者側にうまくできていて、後になって後悔した被害者側が、今度は、復讐という形の、

「新たな犯罪」

 に手を染めるということにならないとも限らないだろう。


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