33.『答え』
「君の祖父のことは、よく覚えている」
チャンピオンロードは壁も天井も白い大理石で囲まれている。白いライトに照らされた数多の額縁とガラスケース。『チャンピオンロード』なとという華美な名称とは違って、酷く無機質な部屋だった。
「めちゃくちゃな男だったよ。あいつはどこかで拾ったエーデルグレンツェを従えて、この都市で色んなことをやった。善行も、悪行も余すことなく……自由だった」
デイビッドは薄く目を上げる。
「もちろん、フミヤは連合会に目をつけられた。ああ、そうだ。まだ特別枠なんてものができる前の話だ。フミヤはメジャーを勝ち進み、遂にはチャンピオンまで登りつめた! 連合会が張っていた罠を全て避けて、壊して、登りつめた!」
「……じーちゃんが」
「だが、チャンピオンロードで命を落とした。フミヤは、チャンピオンロードで死んだんだ。罠が仕掛けられていて当然の場所に、フミヤはのこのこと歩いて、そうして死んだ。──なぜだ? なぜ、フミヤは死んだ? 今まであんなにも連合会を出し抜いてきたフミヤが、なぜだ!?」
目の前のエリヤが見えていないように、デイビッドは激昂し、自動人形が収められたガラスケースを拳で殴った。
しかし、ガラスケースはびくともしない。すでにデイビッドは老齢だ。それに、オフィスチェアに座って人に指示を出してばかりの環境が──若い頃の活力を奪い去っていた。
赤黒く内出血した拳を振り上げて、デイビッドは震えている。その姿は、都市の頂点に立つ人物とは到底思えなかった。
「私はフミヤが死んだと知ってから、必死につてを辿り、連合会に潜り込んだ。すでにチャンピオンの座は塗り替わっていた。歴史から消されていた……そんな影を追い求める私はさぞ滑稽に皆の目には映っていただろう」
デイビッドは六十年もの間、フミヤを奪った連合会で働き、そうして今の地位を手に入れたと語った。
「……六十年だ。六十年間、私は連合会で働いた。ときに、人の栄誉を塗り替えたこともあった。ときには人の命を間接的に奪ったこともあった。都市の人々をビルの窓から操り、人生を操作して、株価を調律する……私は、そんなことに六十年もの歳月を捧げてきた。全てはフミヤの死の真相を探るために」
その過程で今の立場を手に入れた。
デイビッドは、金のバッジをシワの目立つ指で弄りながら呟いた。
エーデルグレンツェと同じだ。デイビッドは復讐に取り憑かれていた。でも、なぜそんな人が連合会の命令に従っているのか。
「……それで、何か分かったのか」
「フミヤの死は、偶発的なものだった。つまり、事故だった。──原因はエーデルグレンツェ。彼女を手に入れようと企んだヴィクター&ヴィクターズの代表は、フミヤをチャンピオンロードに招き、そこで契約を迫った。チャンピオンロードに足を踏み入れた瞬間に扉を閉じて、オペランド社の部隊でフミヤを囲んだ」
「……」
「そうして銃を突きつけられたフミヤは抵抗を試みて、銃に掴みかかった瞬間──暴発によって、死亡した。そういう記録が見つかった」
「そ、そんなの……おかしいだろ!! 絶対、奴らが隠蔽したに決まって──」
デイビッドの瞳は不気味なほどに輝いている。思わず、エリヤは一歩下がった。
「ああ、その通り。誰もが分かるようなことだ。真実を薄っぺらいカバーストーリーで覆ったところで、いつか気づく人が出る。──だが、私はそこで追及することを諦めた。納得させられたからだ」
「……?」
「このアマテラスを動かしている工業機械と先端技術の何割にヴィクター&ヴィクターズの関連企業が関わっているか知っているか? オペランド社は平和維持の対テロ業務で年にいくつの命を守っているのか。それらの企業が行っている、あるいは行う予定の未来の事業計画書が何枚存在していることか。そうした事業が、これからの人類の発展を推し進めるか。医療技術の発展によって何人の命を救うのか。企業に勤めている人たちが何人いるのか。その家族が何人いるのか。関連する人々が何人いるのか。知っているのか?」
「…………そんなの」
「すでに、深くまで食い込みすぎている。私たちの生活を提供しているのは彼らだ。元々ヴィクター&ヴィクターズがエーデルグレンツェを求めた理由は、医療技術の発展のためだったという。……今は知らないがね」
六十年の間に、デイビッドは社会を知った。
フミヤの影を追いかけて連合会に入ったデイビッドは、フミヤの真実とそれを正当化するに足る理由を見つけてしまった。
「告発したら、どうなる? 私の小さな声など大企業の足元にも及ばない。握り潰されて終わりだ。それにもしも声が通ったとして、ヴィクター&ヴィクターズが連合会から追放でもされたら? 私はヴィクター&ヴィクターズの全社員の食い扶持の責任を持てない」
「……だから、諦めたんだな。デイビッド。社会の歯車の一つになって、お前はオレの前に立っている」
「社会を敵に回すことは、怖いのだよ。私は大人になった。六十年もの歳月をかけて、ようやく大人になったんだ」
デイビッドは、ようやくこちらに目を向けた。
懐から──小さな自動拳銃を取り出し、こちらを照準する。
「────、何を」
「エーデルグレンツェをこちらに引き渡せ。あれは連合会の手に渡ることで価値ある存在になる。君のような子供には過ぎた代物だ」
間違いない。あれは本物の拳銃だ。
昔つるんでいた連中が持っていた、おもちゃとは違う。
人を殺せる、本物の銃だ。
「フミヤのような真似はするな。君が二回目になる必要はない」
「何を言っているのか、分かってるのか……?」
両手を挙げて、静かに後ずさる。
だが、拳銃の照準はぴたりと張り付いたようについてきた。
「……ようやくこの日がやってきた。フミヤ、君を殺させはしない。俺がエーデルグレンツェを手に入れて……それで、」
「意味が分からないぞ……」
「エーデルグレンツェを渡せ!!」
銃声が響いた。
直後に焼けるような痛みが頬を通り過ぎる。
たらりと流れる赤い血──。
血は、赤いものだ。
青白いものじゃない。
青白い血を見過ぎて、忘れていた。
デイビッドは錯乱しているのか、らんらんと輝く目でこちらを睨みつけている。
もう、自分は見えてはいないのだろう。
デイビッドが見ているのは、狂気そのものだ。
この都市の狂気。
自分自身の狂気。
「オレは……じーちゃんじゃない! それに、同じじゃないか! エーデルグレンツェを奪うのは連合会の連中と一緒だぞ!」
「俺は……違う……エーデルグレンツェに認めてもらうんだ!!」
引き金に指がかかっている。
もう、ここまでなのか。
こんな狂った老人に、命を奪われるのか。
エリヤの姿さえ見ておらず、過去の幻影を視ている──こんな人に。
エーデルグレンツェは──
「ハハハハハハハハハハハハ!!!!!」
デイビッドは歪んだ哄笑をあげて、躊躇いなく引き金を──
「エーデル、グレンツェ?」
デイビッドの持つ拳銃が火花とともに弾け飛んだ。驚愕した顔のまま、手を押さえて──折り重なるように崩れ落ちる。
暴発? いや、違う。誰かがデイビッドの銃を狙ったのだ。
これは、一体……。
「……何が起きて、」
「マイ・マスター、エリヤ。Type.L──エーデルグレンツェ。遅ればせながら参上しました。あなたの身体に傷をつけるなんて、誠に申し訳ありません」
エーデルグレンツェが扉から姿を現した。
エネルギーが切れかけているからだろうか、足を引きずりながらエリヤの隣に並ぶ。
「エーデルグレンツェ……! 無事だったのか!?」
「このザマを見て無事と判断するとは、随分と頭がお花畑のようで──」
「無事だな! 良かった!」
「ち、ちょっと!」
あんなにすらすらと毒舌が吐けるのならば、間違いない。エーデルグレンツェは元気いっぱいだ。
「それよりも……どうやってここに──」
「窓を見てください」
エーデルグレンツェの視線に沿って、窓を見る。
次の瞬間、窓が光に覆われた。ヘリコプターの羽ばたく大きな音が耳を塞ぐ。
黒いヘリコプターが、連合会ビルに向かってライトを当てているのだ。
チャンピオンロードの窓ガラスが次々と割られて、黒いタクティカルアーマーを着用した集団が入ってくる。
それぞれが小銃を持っており、まるで軍隊のような──
「……軍?」
「私が呼んだの。ヴィクター&ヴィクターズとブランド・マーニーの不祥事を夏正工業側に共有して、軍と裁判所の関与できる余地を作ったんだ」
エーデルグレンツェの後から続いて、澤井が入ってくる。
黒いスーツは、もう着ていなかった。
「ユメさん……?」
「こんなことに巻き込んで、ごめんね」
軍の部隊員は、地面に倒れて呻くデイビッドに手錠をかけている。
「デイビッド・ヒューイット氏。収賄、違法取引、殺人及び汚職等の多数の容疑により、警察に代わりあなたを逮捕します」
デイビッドは信じられないように己の手を見つめて、そしてエーデルグレンツェを見上げた。
その瞳に浮かんでいた感情は、エリヤには理解しがたいものだ。
しかし、エーデルグレンツェは小さく頷いた。
「──お疲れ様でした、デイビッド。今まで良く頑張りましたね」
彼の瞳から涙が一筋こぼれ落ちた。
意識を失ったのか、デイビッドは、がくりと項垂れる。
その場にいる誰もが、彼の姿を見ていた。
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