32.『怪物』

 何の音もない静かな空間。

 ずらりと並ぶ等身大の写真とガラスケースに包まれた自動人形たち。


「これは……あの時の」


 そして、気づく。

 自動人形たちを包むガラスケースは、家の地下室で見つけたエーデルグレンツェの入っていた箱と同じものだということに。

 つまり、本当にエリヤの父はチャンピオンロードからエーデルグレンツェを盗み出したのだ。


「いったいどうやって……」


 その答えは、連合会ですら分からないと言っていた。当然、エリヤに分かるはずもない。

 分かるのは、ここに並べられている『チャンピオン』たちが一度は都市の頂点に立ち、次へ次へと交代していったこと。


 ざっと、二十二の額縁が並べられている。スポーツ雑誌やニュースの式典などでよく目にした名前、顔、人物たち。


「初代チャンピオン、アルベルト・ローレンシュタインとアーベント二号……二代目チャンピオン、エクタ・ロウとシーラ……三代目と四代目を兼任する史上初の連覇を成し遂げた木原希乃と桜葉三号……」


 呆れるほど夢に見て、そらんじて、全ての名前を覚えてしまった。彼ら彼女らが目の前に並んでいる。

 しかし、エリヤは歴代チャンピオン『全員』を覚えているわけではない。


 並ぶ額縁に入っているはずの写真が真っ白な無地のものに入れ替わっているものがところどころにあった。


 歴史に名前を残せなかったチャンピオン。公式には、大会記録を不慮の事故で紛失した結果だというが。

 果たして、そんなことありえるのだろうか?


 ふと、足を止める。

 白い無地の額縁。ガラスケースがここだけない。

 もしや──


「その白の奥にいるのが、君の祖父である直角フミヤだ。本来はエーデルグレンツェだけでもそこに眠っていたはずだったのだが……どういう因果か、今の彼女は、君の隣で戦っている」


 ぱっと前を見ると、そこには白スーツの老齢の男が立っていた。

 アマテラスの頂点に立つ大企業ブランド・マーニーのCEO。


「……デイビッド」


「ここまで来てしまったか。若者の熱気というものを少々侮っていたようだ」


 男はそう言って、なぜだか──寂しそうに笑った。


 ◇


 ──深い水底に沈んでいくような感覚があった。

 エーデルグレンツェは仰向けのまま、深く、深く──誰の手も届かないようなところまで沈んでいく。


 視覚センサーは何の反応も示していない。そもそも自分は今、目を閉じているはずだ。

 ──くるくると様々な色彩を持った光がエーデルグレンツェの周囲を回り始める。


 やがて、一つの光がエーデルグレンツェの身体を包みこんだ。


 ──揺らめく色彩が、情景として影を結ぶ。


 そこは夜のアマテラス都市部、その郊外。

 雷雨が降り注ぎ、高架線を通り過ぎるモノレールの轟音が響き渡る。


『……なんだ? こんなところに自動人形なんて』


 自分は仰向けに倒れている。触覚センサーが、ぬめぬめとした循環液と頭の下の不快な砂利の感触をリアルに伝えてきた。


 雨に打たれて、横たわっているエーデルグレンツェを覗き込む男たちがいた。


『……こいつ、見たことのないタイプの自動人形だな。型番は──』


 男たちが無遠慮な手つきで身体中を弄り始める。昔は感じることはできなかった。だが、今なら感じることのできる──嫌悪感。


 やがて、興奮したように男の一人が叫ぶ。


『こいつ、電子局に登録されてねぇぞ! モグリの自動人形だ!!』


『マジか!? 今どきそんなことあるのか!?』


『間違いねぇ! ついてるぜ! まともな自動人形さえあれば、都市に行ける……! 『壁』に弾かれることもねぇ!!』


『これで奴らをぶちのめせる!!』


 男たちは下品な笑い声を上げながら、エーデルグレンツェの身体を持ち上げた。

 そのまま古びたトラックのトランクに手足を折り曲げられて、押し込まれる。


『……見てろよ、見てろよ……! バカにしやがって……! ぶっ殺してやるよ、あの野郎……!』


 男たちは、哄笑をあげて車に乗り込み、エンジンを吹かした。


 そうだ。

 これはエーデルグレンツェが世界を認識し始めたころ──ギャングまがいの連中に捕まり、そのまま奴らの道具として過ごした期間。


 人の醜さと、人を殺した感触を知った。


 ◇


 次に現れた世界は──揺れる車の中と、口論する二人の男。

 古びた車には、アマテラスで標準搭載されている自動運転機能などというものは無い。

 ハンドルを握りながらラジオから流れる古臭い歌に鼻を鳴らしているのは、──直角フミヤだ。


『まだ言ってるのか? あっははは! 相変わらずストリートギャングの荷物持ちとは思えねー心臓だ! まるで小さい!』


『う、うっさいですよ……! オペランド社に喧嘩を売るなんて……! あの会社は、大抵の場合は大企業からの指令で動いていますから、もしかしたら何かヤバいことに巻き込まれたかも──!』


『なあ……なんでそういうこと、今更言うんだ?』


『フミヤさんが俺の口をガムテープでぐるぐる巻きにして連れてきたからでしょうがっ!! それもわざわざボスのところから──』


『あっはははは!! もう戻れねーなぁ!! 今頃、ベイランの奴はカンカンだろ!! ひゅう! いいねぇ!』


『あ、あんたぁ!!』


 笑うフミヤに、助手席から取り付いて泣きわめいているのは──若き日のデイビッドだ。

 フミヤはいたく彼のことを気に入っていた。ただのストリートギャングの荷物持ちであったデイビッドは、度々フミヤに誘拐され、今のようなはめに陥る。


 ギャングのボスはフミヤの行いに腹を立てており、今にも抗争が始まりそうだが、そこをデイビッドが仲裁に入っているという。

 不思議な関係だった。


『いやあ、でも今回も助かったよ。まさかデイビスストリートにあんな抜け道があったなんてなぁ。デイビッドにはいつも大助かりだよ』


『それは、ポリ公の連中を巻くためには一つや二つくらい──って! 話を逸らすなっ!!』


『あっははははは!! なあ、エーデルグレンツェ。こいつのこと、どう思う? めちゃめちゃ役に立つだろ? 仲間に欲しくねーか?』


 フミヤは、自分のほうをルームミラー越しに見てニヤリと笑う。


『なっ、エーデルグレンツェさんもこの車に──』


『最初からいるぜ? どうした、惚れたのか?』


『そ、そんなわけ──』


『正式に俺たちの仲間になってくれるのなら、エーデルグレンツェと毎日おしゃべりできるんだ。いいだろ? な?』


 デイビッドは耳まで赤く染めて、黙り込んでしまった。

 そんな彼を見て、またもやフミヤは笑う。


 若い日の二人は、仲が……良かったのだと思う。少なくとも、死んだことを嘲笑するような関係ではなかったはずだ。


 ◇


 白い──どこまでも白い空間でエーデルグレンツェは眠っていた。

 等身大の写真と、ガラスケースがいくつもあるそんな空間でエーデルグレンツェは主人の帰還を待ちわびていた。


 やがて、ガラスケースが割れて、カプセルが開かれる。

 エーデルグレンツェが目を開けて最初に認識したのは、彼女の主人──直角フミヤに全く似ていない人物だった。


 安物の外套は、端が擦り切れてボロボロ。頬は痩せこけて、唇は切れている。鼻につくようなアルコールの臭いを嗅覚センサーは検知した。

 震える背中は、丸まっており、全身が濡れているのか水が滴っている。

 髪の毛は、濡れてぴったりと張り付いており、まるで下水のドブネズミを彷彿とさせた。


『……は、はは……親父は……間違ってなかったんだ……!』


 何を言っているのだろう。

 フミヤ以外の人物に触られることは、もう二度とごめんだった。

 目を閉じて、スリープモードに移行する。

 身体の反応を検知したのか、エターナル・カプセルが再び閉じ始めた。


『っ、クソ……! やっぱり俺じゃあダメなのか……! なあ、答えてくれよエーデルグレンツェ!!』


 構うものか。

 自分はここで主人を、フミヤを待ち続けるのだ。

 約束を果たすその日まで。


『……クソ……クソ……! このまま、連合会に渡してなるものか……! これは、親父が遺した最後の──』


 そこで、色彩はほどける。

 また次の色彩が身体を覆うまでの暗闇の中でエーデルグレンツェは思考する。


 あれは、誰だったのか──と。


 ◇


 ──鋭い蹴撃が顎を掠めた。


 次の世界に降り立った直後に感じたのは、全身を押し潰すような周囲からの熱気と歓声。

 そして、視覚センサーを塗り潰す光だ。


 アマテラス・メジャーの会場にエーデルグレンツェは立っていた。

 

 対戦相手は人間アイドルのアカリ、その自動人形だ。

 ユウの攻撃が次々と身体を掠めていく。


 その攻撃はヴィクター&ヴィクターズの戦闘プロセッサーに従って、凄まじいスピードで繰り出される。


 しかし。

 戦闘プロセッサーに動かされた動きにはキレはあっても、簡単に予測できてしまう。最適化を重ね過ぎたせいで読みやすいのだ。 

 アレックスとアンブレアのペアが繰り出す攻防一体の動きに比べて、あまりにもお粗末だった。


 だから、エーデルグレンツェは観客に悟らせないように試合を長引かせることができた。

 

 ユウの発している信号は、まるで悲鳴をあげているようだった。本来は登録情報や機体の状態などを電波に乗せている──自動人形特有の信号波。

 しかし、無理な改造を施されたユウの信号波は引き伸ばされ、情報がノイズに引き裂かれている。


 もはや、ユウは自動人形ではなくなっていた。企業の命令に従って動いている兵器に成り果てていた。


『……?』


 いや、違う。

 何か妙だ。


 これは……。


『あなたは……まさか』


 風を切る音とともに拳が打ち込まれる。


 ユウの信号波は無造作にノイズを散らしている。そのノイズの隙間──意識すると、そこからファイルが流れ込んできた。

 一瞬、電子ウイルスかと警戒したがどうやら違うようだった。


 ユウは、戦闘プロセッサーに操られながらもエーデルグレンツェに託そうとしているのだ。


 受け取るべきか、否か。

 迷う余地はなかった。


 ユウから流れ込んでくるファイルは雑然としている。視界情報の記録ファイルに、感情メモリー。長年連れ添ってきたアカリのこと。

 それらに必ず付与されていたのは、一つの感情だ。


『……あなたは、親代わりとして振る舞っていたのですね』


 それは、家庭用自動人形だとしても過ぎた感情だった。メーカー産の自動人形が抱くには過ぎた感情。

 愛。親愛の情。

 家族愛。


 ユウはどこまでも自分の役割を全うし続けたのだ。そうして今、彼はアカリのために競技場に立っている。


『……これは』


 そして、最後のファイルがエーデルグレンツェに転送された瞬間、ユウが直前の戦闘機動を停止させ、真っ直ぐに突っ込んできた。


 直感する。


『……さようなら。ユウ』


 青い血が飛び散った。


 ◇


 色彩がほどける。

 またもや、次の色彩が身体を覆う──直前。


「もういいでしょう」


 エーデルグレンツェは、身体を包み込む色彩に目を向けず、真っ黒な空間を睨みつけた。

 鉛に包みこまれたかのように重い手のひらを無理やり動かして何もない黒い空間に向ける。


「──これ以上、私の記憶に触れるな。愚図が」


 真っ赤な紋様がはしった瞬間、空間が引き裂かれて光が迸った。




「…………、」


 ──パラパラと黒く焦げた銀色が空間から剥離する。

 流体マイクロマシンで埋め尽くされていたエレベーターからエーデルグレンツェが飛び出した。


 銀色はざわめくようにして、エーデルグレンツェを取り込もうと蠢くが、伸ばした触手を雷撃に撃退されて、ようやく動きが止まった。


「チッ……」


 舌打ちする。

 危うく記憶メモリーの全てを抜き取られるところだった。


『ふぅん。これに抵抗できるなんてね。流石はエーデル・シリーズといったところかな』


 流体マイクロマシンが細かく振動して声を伝えてくる。ゆっくりと銀色が持ち上がってヒト型を作っていく。

 やがて現れたのは、流体マイクロマシンで全身が構成された銀色の女だ。


『はじめまして。こうして、遠隔で挨拶することになることを許してくれ』


「初対面にしては随分な挨拶ですね。品性を疑います」


『機械のメモリーを調べるのに品性なんていらないよ』


 この女は、完全に割り切っている。

 自動人形は自動人形であり、いくら人間に近づこうと本質的に人間と同じになれないと。


 警戒心を一段上昇させる。


『私はリナステラ。リナステラ・サヴィルバーグ』 


 メモリーに残されている。

 それは。


「……サヴィルバーグ。それは、ヴィクター&ヴィクターズの創業者の姓だと記憶していますが」


 銀色の口が笑ったように見えた。

 そうだ。

 彼女は──


『──そう。私が代表だ。君のマスターであるエリヤ君とは妹が仲良くさせてもらっているよ。色々とね』


 ──フミヤの仇だ。


「────────────ッ!!!!」


 次の瞬間、銀色に向かって凄まじい大きさの雷撃が迸った。

 連合会ビルの上層が照らし出され、大音響が響く。地上にいる市民が何事かとビルの方向を見た。


 雷撃に当たった流体マイクロマシンは、表面が焦げたものの損傷した表面を剥離させて再び女のヒト型を作り出す。

 まるで効いていない。


『エネルギーの無駄だよ。考えなさい』


 当然だろう。

 彼女はここにいないのだから。


 激流の如く荒れ狂う感情を整理し、整合させる。何度もやってきたことだ。それが、こんなにも難しいことだなんて。


「……あのとき、マスターがホテルで出会ったとされる連合会の使者とやらが、まさかあなたの妹だったと?」


『ローラは私と同じ姓なはずだけどね。もしかして、君のマスターから伝えられていなかったのかな?』


「…………」


『ふぅん? 随分と君は感情表現が豊かなんだね。エーデル・シリーズのなかでも特に君は……』


 流体マイクロマシンで形作られた虚像はエーデルグレンツェの目の前に立った。そして、しげしげと彼女を観察する。


『君を作ったライラット博士はとても尊敬できる人物だ。彼女亡き今でも、定期的に死を悼む集会が行われているそうだね』


「……私は把握しておりません」


『酷いね。仮にもあなたの頭のなかのプログラムコードを書いた人──いわば、あなたにとって母親も同然でしょうに』


 エーデルグレンツェは無言で腕を銀色の虚像に向けて構えた。


『不愉快にさせてしまったかな』


「私の前に現れたのならば、用件があるはずです」


『せっかちは嫌いじゃないよ。じゃあ本題だ。──君のメモリーを精査させてもらった。アカリの自動人形であるユウ。夏正ロボティクスの第六世代自動人形。彼に渡されたファイルがあるだろ。それを扉の外にいるオペランド社の社員に渡しなさい』


「……なにを」


『本当は君をヴィクター&ヴィクターズのものにしたかった。でも、それは叶わない。無理やりに言うことを聞かせてもよかったけれど、それでは今は亡きライラット博士に礼を失することになる』


 ユウの遺したファイル。確かにエーデルグレンツェは持っているが、わざわざエーデルグレンツェとエリヤを引き剥がしてまで要求することなのか。

 そこまでの価値がファイルにあるとは到底思えない。


『もし、取引に応じてもらえなかったならば、君をオペランド社の部隊が包囲することになる。今さら止められるとは思えないけれども……君と分断されたエリヤ君にはデイビッドを向かわせているからね。彼がエリヤ君に対してどのような判断をするのか──そこまでは責任を取れないよ』

 

「脅しですか。それこそ礼を失する行為だと思いますが」


 銀色は気だるげに息を吐いたように見えた。


『……あのさ、勘違いしないでくれ。私は君の向こうにいるライラット・コシンスキーに礼儀を示しているに過ぎないんだ。これは譲渡なんだよ』

 

 すでに時間経過からして、エリヤはチャンピオンロードにいるのだろう。

 そこはフミヤが殺された場所であり、ローラはデイビッドを向かわせたと言っていた。


 エリヤの命が危ない。

 マスターの命とユウに遺されたファイルを天秤にかけさせられている。


 ヴィクター&ヴィクターズの代表が欲しがるほどのファイル。エーデルグレンツェにはさっぱり分からないが、もしかすれば致命的な弱点になるかもしれない。

 フミヤを殺した女の弱点。


 そんなファイルとマスターの命。


 復讐とマスターの命。


 過去と未来。


 私は──


『──アマテラスは、私たちのものだ。いい加減受け入れてもいいんじゃないか? エーデルグレンツェ』


 銀色の虚像が背負うのは、まばゆいばかりの都市の光だった。

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