31.『アギトは開かれた』
メディアのカメラやマイクに囲まれるなか、その人の塊が二つに割れた。
称賛の声や質問の声が、一瞬で沈黙に取って代わる。
現れたのは、腕に機能停止をしたアンブレアを抱いたアレックスだった。
そのままエリヤたちのもとへ真っ直ぐに歩み寄ってくる。
両者の間五メートルといったところか。距離を空けて、前回大会優勝者は口を開いた。
「見事だった」
真っ直ぐな言葉。
思いも寄らない称賛だった。あれほど傲慢だったアレックスの口からそんな言葉が出てくるなど信じられない。
「互いの力を結集し、信じ、任せ──お互いの信頼がなければなせなかった勝利だった。俺の完敗だ」
「……ああ」
「貴様は、以前──俺になりたいと言っていたな。そうして、確かめたいことがあるのだと」
それは、試合直前の話だ。
あのときは軽くあしらわれてしまった。
「俺の答えは変わらない。自分で確かめろ。チャンピオンになった貴様には、その権利がある」
「アレックス──」
エリヤとアレックスの会話を聞いたメディアが再び騒ぎ立てる。
その喧騒に、エリヤの声はかき消された。
◇
「はぁ。……じゃ、始めてちょうだい」
女は端末に向って静かに囁いた。
◇
『……えっ? そんな……しかし、もう試合は終わって──』
唐突に競技場の実況スピーカーからノイズと困惑した声が漏れる。
走り出す音。混乱した囁き声。スピーカーをミュートにしていないのか、そうすることすら忘れてしまったのか──実況の混乱が競技場全体に伝播し、ざわめきがあふれる。
エリヤがエーデルグレンツェのほうを向くと、
「エーデルグレンツェ?」
白い自動人形は、静かに実況席の方向を睨みつけていた。
やがて、実況が困惑を隠しきれないような声でマイクに声を乗せる。
『え〜……ここで皆さんにお知らせしなければならないことがあります! 先ほどの第二十三アマテラス・メジャー決勝戦ですが、大変残念ながら──アレックス・ライトの自動人形の違法改造および違法武器使用により、無効試合となることをお知らせしなければならなりません!! これはAI倫理管理法に基づく判断です!!』
空気が凍りついたように思えた。
どういうことだ?
無効試合?
アンブレアが、違法改造を受けて……違法武器を使った……?
ざわめきがどんどんと拡大し、疑念と困惑がメディアに囲まれているアレックスのもとへ降り注ぐ。
アレックスは、アンブレアを抱いたまま静かに実況席を見つめていた。
『え〜……この試合が無効試合になったということですが、安心してください! 直角エリヤとエーデルグレンツェの順位は変わりません! チャンピオンのままです!』
チャンピオンのままであることは、変わらない。
なら、何が変わるんだ……?
エリヤの混乱をよそに、エーデルグレンツェは歯を噛み締めて呻き声を出した。
「やられました……! これは、過去に私とフミヤ様がチャンピオンになったときと同じ手口です!」
「ど、どういうことだよ……?」
「印象を薄められました。先ほどの決勝戦の内容が無意味であると断じられたのです。……つまり、私たちの評価は、決勝戦を不戦勝で勝ち上がったチャンピオン。……印象は、間違いなく微妙になるでしょう」
「でも、あんな凄い試合だったのに……」
「関係ありません。先ほどの試合がなくとも、私たちがチャンピオンになることは確定していた。そう、観客たちに印象づけられた。それだけで、観客の熱気は冷め、全てが茶番になった……」
アレックスはメディアからの質問攻めに合っている。未だに一言も発していないが、それがさらに疑惑を強めていた。……いや、弁明や抗議をしても無駄だろう。
──完全に空気を変えられていた。
チャンピオンを祝福し、先ほどの試合を振り返る熱気のあった余韻から──無気力に鎮静し、アレックス・ライトとアンブレアを非難する論調へ。
「なんでだよ……さっきまであんなに皆」
「……連合会の常套手段です。情報で民衆を操作することに慣れている。……六十年前、私たちも奴らの手に踊らされました」
ぞろぞろと運営スタッフたちがアレックスを取り囲み始めた。その様子をまるで餌に群がるイナゴのようにメディアが追いかけてマイクを向けて、フラッシュが連続して焚かれる。
これが、前回までチャンピオンだった者の末路だというのか。企業から捨て駒にされ、最後の話題を集める材料にされて、舞台から引きずり降ろされていく。
そこに尊厳も何もない。
アレックスは全てを受け入れているかのように、メディアには構わずに実況席の方へ視線を向けていた。……エリヤは見た。アンブレアを抱く腕に力が入っている。
「……奴らのもっとも悪辣なのは、真実を利用することです。きっと、アンブレアの違法武装も違法改造も全て真実なのでしょう。企業ぐるみでやっていたことですから。都合の良い真実を都合の言い時期に流して……そうして、連合会はアマテラスを支配してきた」
エーデルグレンツェは、手のひらを握りしめた。
「フミヤ様を葬ったあの時と、同じように」
「……まさか」
アレックスの視線が一瞬だけこちらを向いた。
口元が微かに動いて、声にならない言葉を伝える。
──これが、俺だ。
「……アレックス」
アレックスを取り囲むスタッフとメディアが去った後、競技場は雑然としていた。
決勝戦が不戦勝扱いになったことで、今までの熱狂はどこへやら。観客たちがぞろぞろと列をなして解散していく。
文句や罵倒を残して。
「第二十三回アマテラス・メジャー、チャンピオン──直角エリヤ様にアマテラス連合会よりお誘いが届いております」
運営スタッフの一人が足早にこちらに近づいてきた。
「チャンピオンロードへお進みください。優勝、おめでとうございます」
黒と金の模様が入ったカードキーを胸ポケットから渡すと、エリヤたちをまじまじと見つめる。
エリヤとエーデルグレンツェは思わず顔を見合わせた。
「……あっけない」
本当に、その通りだった。
◇
深夜の連合会ビルは、とても静かだった。
いついかなるときも不夜城のように煌々と電灯がついているアマテラスでもっとも高いビル。
しかし、エレベーターを乗り継いで高い階層に上がるにつれて、人の数はどんどん少なくなり──エレベーターに乗り込む人たちは消えてしまい。
そして、ついにはエリヤとエーデルグレンツェだけががらんどうのエレベーターホールに立っていた。
このエレベーターで上に行けば、チャンピオンロードだと案内を受けた。
ついにここまで来たのだ。
「……エーデルグレンツェ」
「行きましょう」
エーデルグレンツェは連合会ビルに入ってからいつにもまして無口だった。
そのままエレベーターに乗り込む。
静かな駆動音と案内の電子音声が鳴って、エレベーターは動き出した。
エレベーターの中でもエーデルグレンツェは口を開かない。
かつてのメジャーチャンピオンであり、連合会によって闇に葬られた直角フミヤ。
その隣で戦い、そして連合会に裏切られ、チャンピオンロードに眠っていたところをエリヤの父によって盗み出されたエーデルグレンツェ。
フミヤの目的、父の真意、エーデルグレンツェの復讐──訊ねたいことは山ほどあるのに、口が開かなかった。
全面ガラス張りのエレベーターからは都市の夜景が良く見える。上に登っていくことで、みるみる小さくなっていく灯り。
それら一つ一つが都市に暮らす人々の生活の証なのだ。
まるで銀河のように輝き、血管に流れる血のように伸びていく。そして、その流れは黒い海面に遮られて止まる。この人工島の限界だ。
アマテラスは、こんなにも小さいのか。
「……こんなにも、早く辿り着けるとは思いませんでした」
「え?」
唐突にエーデルグレンツェは言葉を発した。都市の全景が金色の瞳に反射して輝いている。
エリヤは思わず見惚れてしまった。
「こんなことを言うのは間違っていると、私の中の演算回路は繰り返して警告を出しています。……それでも、私は……あなたと一緒に、アマテラスという都市をもっと巡ってみたかった」
「そんなの、これからすればいいだろ。チャンピオンになってから賞金も貰える。きっとこれからスポンサーもたくさんつく。金も時間も有り余ってる。だから──」
エリヤの言葉にエーデルグレンツェは微かに頬を緩めた。
「そうですね。知っていましたか? アマテラスの外には多くの観光名所があるのですよ。どこまでも広がる草原に、銀色の雪景色。灼熱の砂漠に、砂浜海岸……」
「そうだなぁ。オレ、アマテラスの外に出たことがねーんだよなぁ……スカイダイビングも、バンジージャンプもしたことねーや」
まだ見たことのない景色をエーデルグレンツェと一緒にどこまでも巡る。きっと、どれも思い出になるほどに楽しいのだろう。
「だからさ──」
「今夜、私はここで──復讐をします」
「……」
エーデルグレンツェがエリヤを真っ直ぐと見つめた。そこに宿った真剣な光。
先ほどの柔らかな雰囲気ではなく、覚悟の塗り込められた固いものを感じた。
次の瞬間、エレベーターが轟音を立てて止まった。
エレベーターの電源が止まり、スイッチや階数を表示していたスクリーンから光が消える。
真っ暗闇に取り残された、そう思った瞬間──ガラス張りのエレベーターの外から強烈なライトが照らされた。
羽根の回る音。
ヘリコプターが、こちらに向かってライトを当てていた。
「まさか!」
エリヤが叫んだ瞬間、エレベーターの天井のガラスが破られ、黒尽くめの男が降ってきた。
手には電撃を放つ警棒を握りしめている。まさかこんな狭いところで──
男はエリヤとエーデルグレンツェの二人を見渡して、迷うことなくエリヤに向かってスパークを散らしている警棒を振り下ろしていた。
激突。
警棒とエーデルグレンツェの手刀がしのぎを削っている。
「マスター! 早く脱出を!」
「でも、エレベーターの扉が開かないんだ!」
狭いところの戦闘には男のほうが慣れているのだろう。警棒を縦横無尽に振り回して、エレベーターの隅に追い詰めていく。
「……っ、!」
手刀を解いての蹴り払い。
男は──なんと音速にも届くであろうエーデルグレンツェの蹴りを見切って、逆に掴み返していた。
「それだけか? チャンピオン」
そうだ。あの男はオペランド社のサイボーグ。
サイボーグの改造を受けた強化人間だ。それに特殊な状況に対応するための隊員なのだろう。明らかに手慣れている。
脚を掴まれてしまったエーデルグレンツェは、エレベーターの隅に押し込まれる。
そして、そのまま首に真正面から警棒を突きつけられた。
不味い。今、電撃を放たれればいくらエーデルグレンツェといえども──
そう考えるより先に、身体は動いていた。
「その手を離せぇええええええ!!!!」
勢いに任せた突進。大人にも満たない体重を持つエリヤの決死の攻撃。果たして──
男は煩わしげに、腕を振り回した。
腕の一撃が腹に食い込んだエリヤは、猛烈な吐き気を覚えながら、吹き飛ばされる。
そのままエレベーターの壁面に叩きつけられ、床に転がって、咳き込みながらえづいた。
だが、エーデルグレンツェの首を真正面から捉えていた警棒は軌道がずれて──壁面ガラスに電撃が当たる。
サイボーグは完全な自動人形とは違い、脳神経や感覚器官は人間の器官のままだ。
真っ白な光が迸り、男は反射神経の促すままに一歩下がった。
そこで男は気づく。
腕や足が自由に動かないことに。
「……こん、チクショウ!」
エリヤが鼻血を垂れ流した状態で、男を押さえつけていた。
「エーデルグレンツェ!!!!」
次の瞬間、男はエレベーターの扉に叩きつけられていた。
目を見開く。
エーデルグレンツェが、まるで大型の火器でも扱うような格好で『手のひら』を突き出している。
あれは、決勝戦でアンブレア相手に放った──
赤い紋様が一瞬で腕を覆う。
「……ブラボー」
「死ね」
──爆炎が迸り、男の下半身ごとエレベーターの扉が吹き飛ばされた。
◇
「お疲れさま。後はこちらで引き継ぐわ」
◇
ヘリコプターは相変わらずこちらにライトを向けている。
赤く溶融した大穴を覗き込むと、向こう側に空間が見えた。運が良かった。
「エーデルグレンツェ……! 早くここから逃げ──」
「ご同行を願います、エーデルグレンツェ」
下半身を吹き飛ばされ、循環液を垂れ流していた男の口が不自然に蠢いた。
「なっ、」
次の瞬間、サイボーグの断面から銀色の色彩が溢れ出した。見る見るうちに体積が膨張して、エレベーターの空間そのものを埋め尽くしていく。
流体マイクロマシン──アンブレアの武装に使われていた超常の機械。
エレベーターに空いた穴が銀色に塞がれていく。
エリヤは鼻血を垂れ流して呆然と尻もちをついている。
火砲はこのような空間では使えず、ショックウェーブも流体マイクロマシン相手では役に立たない。
エーデルグレンツェの演算回路は瞬時に答えを導き出した。
「マスター」
「なにを────グハッ!?」
振り返った瞬間、エーデルグレンツェに蹴り飛ばされた。
塞がれつつある穴を飛び出して、向こう側の壁に叩きつけられる。
激痛に視界が白飛びする。
明滅する視界に映されたのは、エーデルグレンツェの微笑みと瞬時にそれを隠す銀色の膜だった。
ノイズがはしって、全ての電灯が復旧する。
「エーデルグレンツェ……? エーデルグレンツェ!! 答えてくれ、エーデルグレンツェ!!!!」
よろよろと這い寄って、銀色を叩く。
しかし、あれほど液体じみた挙動を見せていたにも関わらず、まるで分厚い氷を殴っているような感触が返ってきた。
エーデルグレンツェは、自分の身を顧みずにエリヤを逃がしたのだ。
「……!」
あばら骨でも折れたのか、呼吸するたびに引き裂かれるような痛みを感じる。
「クソッタレ……!!」
エリヤは振り返って、目を上げる。
『認証中……IDが一致しました。ようこそ、チャンピオン。ここはチャンピオンロード。あなたの栄光が永遠となる場』
電子音声が降ってくる。
大きな扉が重々しい音とともに開かれ、その向こうには──
「……チャンピオンロード」
様々な人物が映っている等身大の写真。その隣には、ガラスケースに眠る自動人形たち。
ずっと向こうまで白い空間が続いている。
時間を凍らせて、永遠を保存する──博物館。
あるいはなぜそう思ってしまったのだろうか。
エリヤには、チャンピオンロードという輝かしい名前に似つかわしくない単語が脳裏に浮かぶ。
──墓場。
どれも似たような表情を浮かべた写真の群れが、アマテラスという底なしの都市に飲み込まれた者たちの墓標のように思えたのだ。
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