30.『頂点へ』
周囲が紅蓮に燃えている。
熱と光が、アンブレアの機体に搭載されているセンサー群をことごとく撹拌し、狂わせている。
背中から伸びていた『銀の翼』はキューブの形に凝固して崩れ落ちていた。無論、失った『左腕』も同様に。
外部操作を受け付けなくなったのだから、当然のことだった。
「目が覚めましたか」
炎のなかで、佇む人影がいる。
エーデルグレンツェがそこにいる。
服や装飾などは全て燃え落ちて、白磁の肌をさらしながら立っている。
アンブレアも同じだった。
スポンサーのロゴや電話番号が所狭しと刻まれた装甲や衣装は、全て燃え尽きている。
ここにいるのは、ヴィクター&ヴィクターズの前年度チャンピオンの愛機ではない。
ただのアンブレアだ。
企業から与えられた武装も、支援ドローンも炎の海のなかでは機能しない。
「……エーデルグレンツェ。あなたは、なんのために戦っているんですか?」
絶対的な強者。エーデルグレンツェ。
その純白の機体は、本来誰にも傷つけるなど出来なかった。
だが──度重なる連戦が、観客のサポートが、企業の総力が、都市そのものが、エーデルグレンツェをここまで追い込んだ。
目の前にいるのは片腕を失ったエーデルグレンツェだ。
まだ、やれる。
「勝利を追い求めるのならば、戦う相手から眦を逸らさないことが肝要です。しかし、あなたの視線は、私に向いていない。ずっと──別の方向に向いている」
アンブレアは崩壊したアリーナの下から突き出した鉄骨を叩き折って、即席の剣とした。
「哀れです」
アンブレアはエーデルグレンツェを断じた。
「……スポンサーの道具と成り果てているあなたとチャンピオンに言われたくありませんね」
「過去を生きているあなたは、哀れです。そして、そんなあなたとともに生きようとする彼も、また哀れです」
アンブレアは鋭い刃のような、低い姿勢をとって構える。目線と剣先は平行に。
まるで、一つの槍のように。
「──行きます」
アンブレアは、炎のなかに佇むエーデルグレンツェに突貫する。
対するエーデルグレンツェは、今までのように手刀で迎撃してきた。
一度、二度。
閃く銀光に、鉄骨の削れる悲鳴が木霊する。
「ずっと、考えていました。あなたがなんのために戦っているのか」
交錯する。
エーデルグレンツェが突き出した足が、見事にアンブレアを転ばせる。
ゴロゴロと転がって、それでもなおアンブレアは立ち上がり、挑みかかる。
「私は、アレックス様に勝利を捧げるために戦っています。故郷を離れたアレックス様は、当初とても貧しい暮らしをされていました。私は、そんな折にアレックス様に拾われたのです」
「……あなたは不法投棄された自動人形だったと」
「彼は私を使ってくれました。すでに道具としての役割を剥奪され、壊れゆく私に意味と価値を与えてくださったのです」
機体に後押しされた超スピードの刺突をあっさりと目で追って、エーデルグレンツェはアンブレアが剣とする鉄骨を中ほどから掴み取る。
エーデルグレンツェは、そのまま力任せに握り潰して真っ二つにした。
しかし、頼みの綱である武器を失ったアンブレアは動揺しない。半分に折れた鉄骨を、エーデルグレンツェの顔に投げ飛ばした。
「私はアレックス様と同じ方向を向いています。……あなたはどうですか?」
弾かれるのを読んでいたのか、別方向からの銀色の円弧がエーデルグレンツェ目掛けて襲い来る。
がしり、とアンブレアの脚がエーデルグレンツェの手に掴まれた。
睨まれるが、アンブレアは双眸を睨み返す。
瞬間、銀閃がエーデルグレンツェに向けて迸った。
頬に切り傷が生じる。
アンブレアが拳を放ったのだ。
「そろそろですか」
エーデルグレンツェは、避ける素振りすらしなかった。
限界を越えて稼働していたアンブレアの機体が、機能を次々に停止していく。急速に抜け落ちていく力に、アンブレアは歯噛みした。
「……ここまで、ですか。我ながら、呆気ない……」
「私相手にここまで食らいついてきたのは、あなたが初めてです。あなたの言葉、留意するといたしましょう」
「……警告は、しましたよ」
アンブレアの首が、ガクンと落ちた。
機能停止したのだ。──『火砲』の自爆攻撃をまともに食らって、よくもここまで保ったものだ。
炎の熱と光に遮られた空間には、実況の声も観客の歓声も届かない。
それでも、エーデルグレンツェは『それ』がどこにあるか知っている。目覚めてから、一度たりとも目を背けたことはない。
真っ直ぐと、見つめるのみ。
「帰ってきましたよ、アマテラス。その腹のうちを裂いて、確かめる時はすぐそこに……」
炎が晴れていく。
◇
『ど、どうなっているのでしょうか!? 先ほど、アンブレアの攻撃がエーデルグレンツェを貫きました……しかし、エーデルグレンツェは負けじと……あれは自爆攻撃でしょうか……? アリーナには炎が回っており、危機管理班による必死の状況把握が行われています! 試合、試合はどうなったのでしょうか!? ……おい、生き残ったカメラはあるか!? こんなチャンス──』
実況が焦りを見せるなか、エリヤとアレックスは競技場に生まれた炎の壁をじっと見つめていた。
互いに一言も発さない。
やがて、炎が晴れてきた。
現れたのは──
片腕を失った白磁の少女だ。
彼女の後ろには、アンブレアが横たわっている。
エーデルグレンツェは、ゆっくりと手を挙げて──そして、力強く握り込んだ。
──────────────ッッッ!!!!
スタジアムが一斉に爆発したように思えた。
エーデルグレンツェ! エーデルグレンツェ! エーデルグレンツェ! エーデルグレンツェ!
割れんばかりと喝采と、鳴り止まない拍手。称賛の雄叫びが木霊する。
『な、なななんと〜!! 炎のなかから現れたのは、エーデルグレンツェ!! エーデルグレンツェです!! チャンピオンの機体はその後ろで倒れています!! つまり、つまりですよ? ……信じがたいことです!! 一般市民あがりの特別枠の選手、直角エリヤとエーデルグレンツェがこの決勝戦の勝者にして──第二十三回アマテラス・メジャーの優勝者として確定しました!!!!』
ここに、決着はついた。
第二十三回アマテラス・メジャー優勝者は、前チャンピオンを下し、特別枠を勝ち上がった一般市民。
直角エリヤとエーデルグレンツェ。
チャンピオンの座が塗り替えられた。
『皆さま予想できたでしょうか!? 予選期間後半に突如として現れ、瞬く間に地下競技場を制覇!! そのまま破竹の勢いで、一敗もせずにここまで勝ち上がってきた!! そして、今宵! 伝説が塗り替えられました!! スポンサーを持たず、圧倒的不利な状況から不屈の闘志を持ってして、チャンピオンが生まれたのです!!!! 今、ここでその名を称えましょう!!!! 直角、エリヤ!!!!
エーデル、グレンツェ!!!!』
エリヤは、実況の声に背を押されるように無意識に前に出た。
一歩、また一歩とエーデルグレンツェに向って歩みを進める。早足になり、途中から走り出して──何回も転びそうになりながらも前へ。
「エーデルグレンツェ!!!!」
「マス──」
瞬間、エーデルグレンツェにエリヤが抱きついた。そのままエリヤは自分よりも高い位置にある双眸を見つめる。
金色の瞳と白磁の肌。黒く焼け焦げた衣装の布切れがついていたり、煤けているが間違いなくエーデルグレンツェだ。
「勝った! 勝ったぞ!! オレたちはアマテラス・メジャーのチャンピオンになったんだ!!」
信じられない。夢のようだ。
幼少期から何度も夢を見た光景が、周囲に広がっている。
すでにエーデルグレンツェの片腕は循環液が凝固して、新しい腕が再生していた。アンブレアに貫かれた胸の傷も、多少外装に歪みはできているものの完治している。
「本当にオマエは──」
見上げたエーデルグレンツェの顔は、妙に引き攣っている。
「エーデルグレンツェ?」
「…………マスター。周囲の目を気にしたほうがいいかと」
「……へ?」
そして気づく。
エーデルグレンツェは、戦いの最中ほとんどの衣装を焼失している。彼女の肌はほとんど人間と見分けがつかない特別仕様だ。関節の継ぎ目なども最小限に抑えられている。遠目から見れば、人間と変わらない。
つまるところ、エリヤは全裸のエーデルグレンツェに抱きついているところを衆目に晒しているということに──
エリヤの頭が真っ白になった。
硬直したエリヤを、エーデルグレンツェはため息を吐きながらやんわりと引き剥がした。
「そ、そうだ……ほら……これで」
慌てたようにエリヤは、優勝時にスタッフから渡されたチャンピオンの赤いマントを渡す。
エーデルグレンツェはそのマントを懐かしむように眺めた後、身体に羽織った。
「ありがとうございます。……また、このマントを見ることになろうとは思っていませんでした」
「……それって。オレが優勝できないって思ってたのか? ……ま、オマエならどんなマスターでも優勝に導けるんだろうけどさ」
「いいえ。それは違います」
妙にはっきりと言われてエリヤは狼狽した。
「……それは、オレがじーちゃんの孫だから言ってんのか? それとも──」
鼻を思いっきり鳴らされる。
「マスターとフミヤ様を同列に並べるなど愚昧にもほどがあります。知力も戦術も、優しさもありとあらゆる性格もマスターはフミヤ様に及びません。クソザコです」
「な、な……!」
「そもそも、マスターにはフミヤ様の血を受け継いでいるとは思えないほど、愚かで、信じられないほどにどうしようもないです。魅力は皆無といったところでしょう」
チャンピオンになったにも関わらず、言葉で滅多刺しにしてくる。なんてやつ。
エーデルグレンツェは顔を背けて言い切った後、赤くなって俯いているエリヤの頭にそっと手のひらを乗せた。
「──だが、マスターはフミヤ様ではない。直角エリヤと直角フミヤを同列に並べようとするなど愚かしい。あなたは、あなたのままでいいのです」
「……オレ、ちゃんとやれてたか?」
「私に、最後まで一緒にいると約束してくれた。それだけで、私は……救われました」
「エーデルグレンツェ……」
「マスター。チャンピオンともあろう者がそんな顔をしていてはいけません。さあ、私の隣に立って──前をしっかりと向いてください」
いつの間にか濡れていた目をこすって、エリヤは不敵に笑った。
「ああ! ……これからだろ? 本来の目的──チャンピオンロードにオマエは行くんだ」
「……はい」
「見ていてやる。オマエが選び取った選択ってやつを。どんな選択でもオレはオマエを尊重する」
メディアのカメラ、マイクが押し寄せてくる。
アカリの犠牲。企業の陰謀。八百長の跋扈する競技場。どこまでも、どこまでも人間の欲望が凝縮した地獄。
それを跳ね除けて、掴み取った。
「────」
そんな彼は。
エーデルグレンツェが見るエリヤの横顔は、どこまでも透き通っていた。
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