25.『落花』
「さて、エーデルグレンツェ。話をしようか。かけてくれ」
「話すことなどありません」
「フミヤに関することだ」
エーデルグレンツェの金色の瞳孔が激しく明滅した。動揺を隠すように、エーデルグレンツェは言葉を選ぶ。
「……今更どのような話をしようというのですか。フミヤ様を裏切ったあなたが」
「時に思うのだが、エーデルグレンツェ。君の身体は限りなく人間に似せて造られていると思わないか?」
デイビッドは緑色のソファーにゆっくりと腰掛ける。……今、この瞬間にエーデルグレンツェが腕を振るえば彼の首など吹き飛ばせるだろう。
だが、その警戒もなしに簡単に背を向ける。
「……………………チッ」
エーデルグレンツェは自分の論理回路を恨めしく思った。自分はデイビッドを殺せない。
フミヤの情報をデイビッドが知っている。ただそれだけで身体は彼を傷つけることを躊躇する。
人間が羨ましい。
刹那的かつ感情的に世界を捉えている人間が。
人間ならば、殺せたはずだ。
なにが、人間に似ている。
こんなにも違う。
「安心しろ。君は確実に人間に似ている。ある部分においては、人間よりも人間らしい」
「……ありえないことを」
「まあいいさ。本題はそこではない」
デイビッドはそう嘯いて、ポケットから電子煙草を取り出した。リラックスした様子で脚を組んで上下に揺らしている。
目線が自分もソファーに座るように促していた。
エーデルグレンツェは睨みつける。
「……あなたはいったい何がしたいのですか。あなたの行動は曖昧で、不明瞭です」
「私は君がこちら側に来てくれることを願っているに過ぎない」
「なぜ? あなたはブランド・マーニーのCEOであり、マーニーグルーブの統括理事でしょう。ブランド・マーニーはファッションブランドであり、マーニー・グルーブは現在、事業の拡大を試みているものの、自動人形の研究開発はしていません。つまり、ブランド・マーニーCEOとしてのあなたが私を求める理由はないはずです」
白いスーツの老人は沈黙している。
空調の音と、電子煙草の稼働音だけが清潔な大理石に吸い込まれていく。
「私は、あなたが別の理由を隠しているのではないかと推測しました。そう、ブランド・マーニーはヴィクター&ヴィクターズと業務提携を結んでいる。決算報告の数値から、多額の資金がメジャー期間中の連合会管理事業の予算案を通してヴィクター&ヴィクターズに流れていることが分かりました。様々なルートを通じて、秘匿、改竄されて」
エーデルグレンツェは身を乗り出した。目を閉じるとデイビッドの端末から着信音が響く。
眉を上げるデイビッドに、エーデルグレンツェは静かに端末に手を指し示した。
「今送ったメールに添付した資料……それが証拠。マスターが集めた資料です」
「あの子どもが……」
「勘違いしないでください。私が高性能なので秘匿されたルートを発見できたのです」
デイビッドは、しかし、首を振った。
「機械も嘘はつくものだな。確かにそのファイルに収まったものは、私とヴィクター&ヴィクターズが違法収賄に関わっていた証拠だ。だが、子どもがインターネットを少し調べただけで、そのような証拠にたどり着くようなデータを得られるわけない。……青さを被った傑物か」
「…………」
「まるで、出会った頃のフミヤのようだな。……確か、直角エリヤだったか。あの子を自由に泳がせていたことが、間違いだったか……私も耄碌したものだ」
「あなたが耄碌していないときなどありましたか?」
「止めてくれ。私は今年で七十なのだ」
デイビッドは深々とため息をつくと、エーデルグレンツェは鋭い光を目に浮かべて追い詰める。
「大方、また踊らされているのでしょう、デイビッド。ヴィクター&ヴィクターズのあの女狐に。私を差し出せば、莫大な富を交換するとでも言われましたか?」
「ヴィクター&ヴィクターズの女狐……あの女はもうアマテラスにいない。今は彼女の娘がグループの全権を握っている。デイビスストリートを再開発で更地にし、その上に巨大な商業ビル群を建てたあの女。思うに、今のヴィクター&ヴィクターズはあの女の執念深さと欲深さを嫌というほど見習っている……本当に教育の才能が恐ろしい」
「……娘」
全てが嫌になった、と彼はせせ笑った。
「今のヴィクター&ヴィクターズの代表は、怪物だ。連合会の中でも、最大派閥というポジションに収まっている。……そんなやつから渡された契約書にサインを書かないことなんてできるか? ヴィクター&ヴィクターズは、君にご執心のようだ。同情を禁じ得ないな」
「……その話とフミヤ様との間に、何の関係があるのですか」
「まだ気づかないのか? ──フミヤを殺したのは、あの女だ。チャンピオンロードで、フミヤは死んだんだよ」
「────────」
エーデルグレンツェのメモリーが、激しく火花を散らした。
かつてのマスターの仇。
錆びついた歯車が、音を立てて回りだす。
声にならない唸りを聞いたデイビッドは、エーデルグレンツェを諌めるように話しかけた。
「それでも、君は向かうのか? チャンピオンロード……フミヤの死地に」
「…………」
「忠告はするぞ。──止めておけ。チャンピオンロードを含む連合会ビルの上層は伏魔殿だ。エリヤを巻き込みたくなければ、アマテラスから今すぐ離れるんだ。メジャーに拘るな。かつてのフミヤの二の舞いになるぞ」
「あなたに忠告を受ける筋合いはありません。ヴィクター&ヴィクターズの小間使いに成り下がった、あなたなんかに。命に値段をつけて商品のように扱った、あなたなんかに」
ナニかが、エーデルグレンツェのなかで切れていた。
真っ黒な熱が論理回路をチリチリと焼き焦がす。六十年間もずっと眠っていたのだ。
人はそれを、心と呼ぶのだろう。
なんて単純な事実だったのか。
「違う。違うんだ、エーデルグレンツェ。私は、ただ……君に──」
「黙りなさい。私はチャンピオンロードを目指す。元はフミヤ様の名残りを感じられればそれで良かった。けれど、私は知ってしまった。私はもう止まらない。六十年も、狭い穴ぐらのなかで待ったのだから」
エーデルグレンツェは、頬を歪ませて、唇を裂いた。──美しく完璧な左右対称が崩れる。
浮かんでいるのは、非対称の表情。唇の片側が歪につり上がっていた。
「わ、私じゃ──俺じゃない、俺じゃないぞ!!」
それを見たデイビッドは、泡を食って逃げ出した。
それは本能だったのだろう。
動物が、生命の危機に見せる直感。
老齢になり、鈍っていてなお感じることのできる生からの警鐘。
エーデルグレンツェは無様に逃げるデイビッドを見つめている。
追いかけるようなことはしなかった。
なるようになるのだ。
それがアマテラスという都市なのだから。
「……フミヤ様に墓花を捧げなさい」
エーデルグレンツェは深くソファーに座り込んで指を組み合わせて、目を閉じた。
黒い機械仕掛けの心が、論理回路を焦がしている。
そんな臭いがした。
◇
階段を駆け下りて、そのさらに下へ走る。
途中ですれ違ったスタッフがギョッとした顔でこちらを見るが、そんなもの関係ない。今はただ下へ──地下駐車場へと階段を駆け下りる。
「はぁ……はぁ……!」
地下駐車場に入る認証ゲートを飛び越えた際に、甲高いブザーが響いたが振り向かずに前に進む。
やがて、数々の自動車の間から一台の白い自動車に向かって進む細い影を見つけた。
「アカリ!!」
「……エリヤ?」
メジャーに参加したときのままなアイドル衣装をまとったアカリが、戸惑いの目でこちらを見つめている。
息切れに咳き込みながら、エリヤはアカリに追いついた。
「待て……! 車に乗るな……ブランド・マーニーの本社ビルには、行くな……!」
殺されるぞ、とエリヤは息を切らして吐き出した。
膝に手をついて、今にも倒れそうなエリヤを訝しげに見つめていた彼女が、納得のいったように小さく笑う。
「……なんだ、そんなことか」
「そんなことって」
「大丈夫よ。私は大丈夫」
何が大丈夫なのか。
エリヤの焦燥をよそに、アカリは妙に明るい顔でこちらに近づいてくる。
「そんなわけないだろ! 夏正ロボティクスでのことを忘れたのか!? あいつらは言うことを聞かせられないやつがいたら、容赦なく暴力を使ってくるような連中だぞ!!」
「私は、大丈夫だよ」
「何を──」
近づいてくるアカリの顔。至近距離になっても止まらない。
慌てて距離を取ろうとした拍子に、足が引っかかって後ろ向きに倒れてしまう。
──腕を掴まれた。
「ね」
そのままぐいっと引き上げられる。
力が強い。
「私と踊りましょ、エリヤ」
「アカリ……?」
アカリに掴まれた腕が、いつの間にか彼女の腰に回されていた。
「ダンスを知らなくても大丈夫。私がエスコートしてあげる」
にこりと微笑む顔に、ふと気がつく。
アカリの目線は、エリヤよりも高い位置にあった。
それはそうだ。
アカリはエリヤよりも、年上なのだから。
「さ。リズムに合わせて。ゆっくりと、伸びやかにね」
いつの間にか音楽がかかっていた。
アカリの端末からだろうか?
いつもの明るいアイドルソングではなく、ゆったりとした穏やかな音楽だった。
ステップを踏む。アカリが誘導してくれる。
「私ね。ハイスクールではダンスサークルやってたの。へへっ、結構すごい大会に出たこともあるんだから」
「アカリは……」
「多分、そこからじゃないかな。私がフェアリアルのスカウトに見つかったのは」
くるりとターンを決める。
アカリの手から柔らかな熱が伝わってきた。
少し高さのずれた目線と目線が絡み合う。
競技場の地下駐車場。
ここにはうるさいメディアも、実況も、連合会の商人もいない。
二人だけの世界。
「信じられないよね。私、アイドルにならなかった自分を想像できないの。あの頃の私はずぅーとぼんやりしてたからさ」
「そんなこと……。だって、世の中にはこんなにたくさんの仕事があるんだぞ。アマテラスの中だけじゃない。外にも」
アカリは天井の電灯を見上げる。
その瞳には、何が映っているのか。
「そんなことあるんだよ。私は、アイドルになれた。アイドルにしかなれなかった。きっと。……だから、実をいうとそこまで怒ってないんだ。ユウには悪いけどね」
「……」
「私のせいだよ、ユウがあそこまで壊されたのは。あのときに撃たれた時点で、ユウは死んでいたんだ。それをヴィクター&ヴィクターズは改造した。改造されたユウは、もう声を出せなくなって……もしかしたら、出したくなかったのかもしれない。全部、私のせいなの」
電灯のLEDが撒く光の下で、アカリはエリヤと一緒に踊る。
それは、競技場で『アイドル』として踊る姿よりも動きは少なく、演出も多くない。
エリヤはこれが本来の彼女のダンスであると、直感的に理解した。
「心も、身体も、時間も願いも──全部込めたの」
アカリは生き生きと、輝いている。
自由に、たおやかに、伸びやかに。
「……私ね、欲張りなんだ。お金もたくさん稼ぎたいし、グルーブのメンバー全員と仲良くなりたい。ユウと別れたくなかったし、もちろん自分のことも大切なんだから。抱えきれないほどの幸せ。溢れ出したそれを取りこぼさないように、拾ううちにまた一つ、一つとこぼれて」
端末から鳴り響く音楽は終わりに近づいている。プレイリストはまだあるのだろうか?
終わりたくない。
「今も。君のことが欲しくなってきてる」
顔と顔が近づいていく。
そして。
「────」
そっと。
細い指先がエリヤの頬を撫でた。
「君を取りこぼした『一つ』にしたくない。だから、ここまで来てくれたこと……嬉しいけれど、ごめんね」
音楽が終わる。
それと同時に、温かい手が離された。
呆然と立ち尽くすエリヤに、アカリは悲しげに微笑んで。
「さようなら。エリヤ」
自動車に滑り込むよう乗り込み、地下駐車場を出て行ってしまった。
自動運転の車だった。
もはや、説得の余地もない。
◇
その晩。
メディア会見を終えた後。
エリヤはニュースで見た。
自動運転の不具合により、自動車がニュー・コロラド川の欄干に突っ込んで水に落ちたとの報道だった。
目撃情報によると、ボンネットから火を噴き出した自動車は一直線に川面に飛び込んだ。直後、ガソリンに引火した炎が大爆発。
自動車は粉々になったという。
監視カメラに映っていた映像の車のナンバーは、アカリの乗りこんだ自動車のナンバーと一緒だった。
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