24.『夢の形』
なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
目の前に佇むエーデルグレンツェは、手のひらを自動人形の青白い血で汚していた。
そして、エーデルグレンツェの背後には首を引き裂かれて頭と身体が切り離された──アカリの自動人形、ユウがいる。
すでにユウは動いていなかった。
「……エーデルグレンツェ!」
アリーナの中に駆けつけたエリヤが惨状を見て、言葉を失う。
競技場は妙に静かだった。
復旧した明かりに照らされて、競技場の視線の全てが乱入してきたエリヤに集まる。
ここで気づく。
期待されているのは、勝利宣言だろうか。
今まで誰一人としてメジャー進出が叶わなかった『特別枠』の一般市民がメジャーに進出できたのだ。歴史的な快挙だろう。
メディアのカメラもエリヤの言動を余さず中継していた。
さしずめ、インタビューの台詞は『メジャー進出おめでとうございます。どんな気分ですか?』だろうか。
反吐が出る。
「…………」
エーデルグレンツェは何も話さない。
試合結果をインカムで伝えたあの言葉以来、黙り込んでいた。
その機械仕掛けの瞳は、青白い血に塗れた自分の手を見つめている。
……。
もう我慢できない。
こんな汚れた試合に価値なんてない。
エリヤは、エーデルグレンツェの血に濡れた手を取って、カメラから逃れるように早足で競技場を去ろうとしたときだった。
「──マスター、不躾な私をお許しください」
耳元で囁かれて、握っていたエーデルグレンツェの手が真上に掲げられた。
「何を……」
次の瞬間、競技場に爆発が起きたかと錯覚した。
「「「わぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」」」
全ての観客たちの怒号や喜び、拍手、称賛、恨み──感情の奔流が滝のようにエリヤとエーデルグレンツェに向かって浴びせられる。
──エーデルグレンツェが、勝利宣言のパフォーマンスをしたのだ。
マスターと共に、手を掲げた。
ただそれだけで観客たちは熱狂する。
メディアのカメラがフラッシュを切り、我先にとインタビューをするべく記者が詰め寄ってくる。
「……こういうのは苦手じゃなかったのか?」
返ってくる言葉はなかった。
ただ、痛いほどに握られた手と自動人形にもかかわらず震える指先が全てを物語っていた。
やりたくない。しかし、やらねばならない。と。
「────」
エーデルグレンツェは無表情だ。
真っ白な顔に青白い血が跳ねて、頬を伝った。
それはまるで、涙のようだった。
◇
「──メジャー進出おめでとうございます。これより各種メディアによる会見がありますので、どうかこちらでお待ちください」
運営スタッフが案内した先は、地下競技場の上層にある人気のないラウンジだった。
地下競技場控え室のようなじめじめとした湿気もなければ、壁紙が剥がれ落ちたりもしていない。近代的な内装だった。
並べられた深い緑色のソファーは流線型のガラス窓に合わせて設置されており、静かな空調の音以外は、この場に響く音はない。
「……」
エーデルグレンツェは、あの試合以来黙ったままだ。まばたきもせずに欠片も動かないため、果たして電源がついているのかどうか疑問なほどだ。
あの試合で、エーデルグレンツェとユウの間にどんなやり取りがあったのか。エリヤは知らない。
深く息を吐いた。
「……ついに、メジャーに出れるな」
「はい。ようやくです」
「うわっ!?」
エーデルグレンツェがいきなり喋り始めた。唇の形が動いていないし、口すら開いていない。
首すらこちらに向けていないのだ。
自動人形の音声機能は、声帯を通して発音されていない。つまるところ、口を開かずともスピーカーが機能していれば喋れるのだが。
……普通に怖い。だから自動人形が話すときに口も合わせて動くようになっているのか。
「そ、そんな状態で話すなよ……。ユウに壊されたか?」
するとエーデルグレンツェは、目をパチパチさせるとゆっくりとこちらを向いた。
普段と変わらない無表情。さっきまでとは違った気の抜けた無表情だ。
「失礼しました。先ほど、ユウから受け取ったファイルの内容を閲覧していました。多大な電算負荷がかかっていたため、日常動作に至らぬところが生じてしまったようです」
「……はぁ〜。びっくりしたよ……」
こういうときに、エーデルグレンツェは人間と違う存在であると理解させられる。
「その……大丈夫か?」
「何がですか?」
「……ユウが、死んだこととか」
「自動人形は死にません。壊れるだけです。……問題ありません。自動人形が壊れることは良くあることです。まして、アマテラス・メジャーに出場している自動人形ですから」
「……」
「それに──」
エーデルグレンツェが自分の銀髪を指で梳いて、エリヤに目を向けた。
「あれが、ユウの望みでしたから」
それはきっと、さっき言っていたユウからもらったファイルというのに書き記されているのだろう。
「ユウは、ヴィクター&ヴィクターズの強化改造の影響で声を出すための発声機能が除去されていました。そして、マシンボディは戦闘プロセッサに支配されていました。……しかし、私はユウとの戦闘中に『声』を感じたのです」
「……声を、感じた?」
「はい。自動人形同士は、互いを認識するために暗号化された信号を常時発信しています。私のメモリー内に、ユウの信号も届いていました。彼の信号の奥深くに隠されていたのです。──彼が秘匿するファイル。ヴィクター&ヴィクターズにメモリーを弄られても、隠し通したもの」
声を出すことを人間の手によって禁じられた自動人形が、最後の手段で伝えたかったもの。
「マスターは、気になるでしょうか。もし許可をいただければ、ユウが最後に残したログファイルを共有することができます」
「それは──」
今はもういないユウが残したファイル。ヴィクター&ヴィクターズの違法強化改造のログ。
きっと、この都市に対抗する大きな武器になるだろう。もしかしたら、複数の大企業の違法行為が芋づる式に暴き出せるかもしれない。
「……ああ、頼む。もう見ないふりなんて、できないからな」
エリヤは共有してもらおうと、端末をエーデルグレンツェに差し出した。
それを見たエーデルグレンツェは、
「マスターに、一つ質問があります」
金色の瞳で真っすぐとこちらを見通そうとしてくる。
「マスターは、なぜ……メジャーの暗い部分に関わるのですか? 人間アイドルの件もそうです」
「それは、向こうから勝手に──」
「いいえ」
エーデルグレンツェが否定する。
「ならば、関わるのを止めればいい話です。しかし、マスターはここまで来てしまった。なぜ、明るい表舞台ではなく、薄汚れた闇に関わるのでしょうか」
エリヤは思わず舌を巻いた。
エーデルグレンツェがそこまで自分に入り込もうとしているとは思わなかった。
そう。
エリヤは、信じている。
一つの感情のままに、ここまで動いてきた。
「オレは、小さい頃にメジャー選手に憧れていたんだ。……家の地下室で、初めてエーデルグレンツェに出会ったときは正直興奮した。今まで欠片も光に照らされなかった自分の夢──そこへ続く道が見えたような気がしてさ」
エーデルグレンツェは静かに聞いている。
「メジャー予選でのオレは、調子に乗ってたと思う。夢に目が眩んで、何でも自分なら出来そうな気がして……アカリをヒーロー気取りで助けてみたりさ。そういうこともした」
胸に手を当てて苦笑する。
確かに、アレはなかった。放射状にひび割れた肌が無謀を物語っている。
「オレは夢中だったんだ。エーデルグレンツェと一緒なら何でも出来そうな気が、本当にしてたんだ。全部の不平不満をぶっ飛ばして、このアマテラスっていう都市がそこまで悪いところじゃないって。クソ親父の目の前で笑い飛ばそうって」
「……なんというか」
エーデルグレンツェは呆れたような声色で呟いた。全く同じ気持ちだ。
「ああ、ほんと……子どもだよな」
「続けてください」
「……オレは、この二週間で色々なものを知った。メディアで飾り立てられているような輝かしいものだけがメジャーじゃなかった。もっとどろどろとした、どうしようもないところだった。──そんなところで、エーデルグレンツェ──オマエはチャンピオンロードを目指しているんだな」
「……」
「もう、ただの夢じゃなくなった。チャンピオンロードはメジャーチャンピオンだけが立つことができる場所。オレはそこに立って、このアマテラスを見下ろしてやるんだ。金も名声もたっぷりもらって、この都市の裏も表もみっちりと体験してから──クソ親父の牢屋の前で笑ってやるのさ」
唇の片側をつり上げる。
不敵な笑みを浮かべて、エリヤは。
「『アマテラスは、悪い場所じゃねぇよ』ってな」
エーデルグレンツェは呆れたように息を吐いた。
「それこそ、子どもというものでしょう。親への反骨精神に帰結するなど……」
「大層な目的じゃなくて悪かったな! 結局、オレはこんなやつなんだよ! じーちゃんみたいな都市をひっくり返すなんて目標はもっちゃいねーよ!!」
小さな笑い声。
「……ふふっ。それで、いいのかもしれませんね」
「……?」
その時。
廊下の向こうから足音が聞こえてくる。
現れるのは、白いシャツ。ブロンドに染めた髪が特徴の初老の男。
少し前だったら、いきり立って飛びかかっていたかもしれない。
「マスター」
「心配するなよ」
だが、今は隣にエーデルグレンツェがいる。
「メジャー進出、おめでとう」
デイビッドはパチパチと両手を打ち鳴らした。顔は笑っているが、目はこちらを鋭く凝視している。
「……どうも」
「特別枠の選手がメジャーに進むことなど、アマテラス史上初の快挙だろうな。──エーデルグレンツェの力に頼り切りだと言えども」
「──」
「気にしないでください、マスター。──そもそも、このメジャー競技にて自動人形しか舞台に立つことがない以上、あなたの指摘はナンセンスと言わざるを得ませんね、デイビッド。人間は自動人形に戦いを押し付けているに過ぎません」
「……ハッ。言わせておけば」
塗り固められたような沈黙が満ちる。
大企業のCEOが何の用なのか。
ただこちらを煽りに来たわけではないだろう。
「芸能事務所フェアリアル所属のアカリ──須野原アカリは、本日を持って本社ビルにて契約解除の手続きに入ることになった」
「…………?」
なにを。
「現在は、地下駐車場に向かっている。……そうだな。全力で走れば、一目見る程度ならできるだろう」
瞬間、デイビッドの言葉の意味を理解する。
「アカリを、どうするつもりだ」
「どうもしないさ。……ただ、なるようになる」
──なるようになる。
アカペラを歌う、アカリの表情が様々と思い浮かんだ。
ピースがはめ込まれていく。
デイビッドは、全力で走れば間に合うと行っていた。
つまり──
「エーデルグレンツェ!」
「お任せください、マスター。私は高性能ですから」
エリヤはデイビッドの脇をすり抜けて──駆け出した。
すり抜ける間際、彼の視線はずっとエーデルグレンツェに固定されている。自分を見ていないのだ。
「ッ、」
だけど、今はそれがありがたかった。
エレベーターのボタンを連打する。数字がひとつ下の階で止まっている。──時間がかかるか。
エリヤは階段を駆け下り始めた。
「……青いな。だが、あの子の価値はそれだけだ。フミヤに満たない」
「そういう評価しかできないから、今のあなたがいるのですよ。可哀想なデイビッド」
背後から二人の会話が断片的に聞こえてきたが、エリヤは耳を階段を降りる足音で塞いでいた。
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