23.『輝星』
音も消えた。音楽も消えた。
現実を直視するようにと、彼らが迫ってくる。
私に夢をくれた人たち。私から夢を奪おうとしている人たち。
それでも。
私は歌い続ける。
たとえ、何者にも望まれない歌声だとしても。
私は夢に向かって飛び続ける。
歌おう。アカペラでも。
歌おう。この街に届くと信じて。
歌うんだ。
君に向けて、歌うんだ。
どうかどうか、あの人たちが──
凍える夜を乗り越えて、暖かな夜明けを迎えられますように──
◇
「……ダメです、マスター。この二人は止まりません」
『どういうことだ! なんで……』
インカムの向こうから困惑した声が聞こえる。
「ユウは戦い続ける意思を見せています。そして、審判団は試合中止の合図を出していない……」
『っ、クソッタレ! エーデルグレンツェ、絶対にアカリたちを負けさせるな! 試合時間を引き伸ばすんだ!』
エリヤは激しい音とともに駆け出していく。きっと、審判団の元へ向かったのだ。
……無駄だというのに。
「……了解です、マイ・マスター」
エーデルグレンツェは、意識を目の前の自動人形にフォーカスする。
壊れかけのボディに、排熱がうまくいっていないのか、身体のあちこちから蒸気が吹き出している。
すでに冷却液の循環機構に機能不全が起きているのだ。
──無茶な強化改造の代償。
これが最新技術を用いて、改造した自動人形だというのか?
こんなもの……ただの不良品だ。
ユウは改造されて、不良品に成り下がったのだ。
「私は、あなたに同情を禁じえません」
戦闘用ボディに家庭用の意思表示機能など必要なかったのだろう。
「……」
ユウは黙ったまま、猛烈なスピードで距離を詰めてきた。
電撃のような蹴撃を放ってくるのを、エーデルグレンツェは腕を立てて複数箇所に移動させるだけで全ての衝撃を防ぎ切る。
右フックに左ストレート。サマーソルトに合わせての二発の銃撃。
ヴィクター&ヴィクターズが蓄えているデータより作り出された戦闘プロセッサが瞬時に判断して最適な行動をユウのマシンボディに取らせ続ける。
最先端のプロセッサだ。当然、それに見合ったマシンボディのスペックが必要になる。
だが、軍用でもない──家庭用自動人形のユウにそんなスペックがあるはずがない。
僅かに乱れた隙に、左膝から下を鞭のようにしならせて蹴り上げる。
冷却液が血のように飛び散った。
「試合を長引かせるのは、慣れています」
両者の間に距離が生まれ──ユウの突撃により、即座に食い潰された。
掌底が迫ってくる。
僅かに身体を後ろにずらして衝撃を霧散させた。不格好に伸びてきた腕を引っ張り、右足を払う。
支えを失ったユウがつんのめって倒れてきた。
瞬間、左頬の触覚センサーに鋭い衝撃を感じた。
──振り回したユウの拳が掠めたのだ。
ダメージは、軽微。
ナノマシン修復の範囲内。……しかし、このままでは、観客たちが不審に思うのも時間の問題だろう。
そうなれば、連合会が次にどんな手段を使ってくるのか分からない。
「──マスター、早く」
派手な武装も何も使わない徒手空拳同士の戦い──観客の誰かがごくりと唾を飲んだ。
アカペラの歌が響いている。
◇
観客席の裏側──スタッフオンリーの扉の先では大混乱が巻き起こっていた。
何人ものスタッフと慌ただしくすれ違う。
──停電の原因は何か……。
──この後のスケジュールは……。
──調査中につき、しばし時間を……。
──非常電源への切り替えは……。
──それが管理者がパスワードをど忘れしてしまったらしく……。
──責任問題は……。
悲鳴と怒号が聞こえる中、エリヤは心を殺したまま廊下の先に歩を進める。
「──」
目指す先は審判団がいる部屋だ。
そこで今回の試合を無効試合にするように抗議する。理由づけはいらない。そもそも停電で観客のサポートシステムもマネーシステムも動いていないのに、試合を続けるメリットが存在しない。
きっとすぐに受け入れられる──
審判団の部屋の前でスーツを身にまとった老齢の人物が端末を片手に話し込んでいた。
「デイビッド……?」
胸につけられた金色のバッジが端末の光を反射して暗闇の中でも目立っている。
ブランド・マーニーのCEOがそこにいた。
「ええ、はい。……分かりました。全てそちらの要望通りに……ええ。……問題ありません。……はい……はい……では。ありがとうございます」
信じられない出来事を目にした。
都市の頂点にも等しいような人物が、端末から聞こえてくる声には従順に従っている。
この前、エリヤに契約を突きつけてきたときにはあれほど傲慢極まりない態度だったというのに。
自分のせいで、ああなっていることを無視するのか?
デイビッドは細く息を吐くと、そのまま歩いていってしまう。
「ッ」
──全ての元凶。
アカリに死の運命を仕組んだ張本人。
怒りに脳が白く染まった。
飛び出して、一発でもいい。殴りかかろうと──
瞬間、背後からエリヤの肩に手が置かれて引き止められた。
「お願い……あの人に手を出すのはやめて……試合を中止にさせるのも、やめて」
「……ユメさん」
澤井が悲痛な面持ちで、エリヤを掴んでいた。
「あの人に逆らったら……アマテラスで、生きていけなくなる。それくらい分かるでしょ……?」
それくらい、知っている。
大企業のCEOに暴力でも振るえば、きっとすぐに警備員に取り押さえられて留置所に突っ込まれる。その後のことは想像もしなくない。
だけど、それでいいのか? 権力の前に膝をついて睨みつけることしかできないなんて。
そんなの……不公平だ。
「……アカリが」
「え」
「アカリの命が危ないんです。……この試合にアカリが負ければ、ユウの頭の中の爆弾が起爆して……めちゃくちゃになる」
「…………」
信じられないような目を向けられる。
知らなかったのか……?
澤井ユメは、企業側がアカリにつけたマネージャーだ。そんな人物が知らないとなると……問題の根本はもっと深いところにあると考えると。
すでに、企業の損得の話ではなくなっている気がした。
アカリを絡め取る蜘蛛の巣は、どこまで続いているのか。分からない。
「だから試合を中止にしないといけないんです」
「そ、そんなの無理だよ……! この試合にフェアリアルとブランド・マーニーがどれだけお金をかけていると思っているの……無効試合なんか絶対に出来ない……」
「停電してるんですよ!? マネーシステムも照明もまともに動いてないのに、どうやって試合を続けるんですか!?」
「……あの人がさっきかけていたのが、この競技場の出資銀行のクラフトラージ銀行だよ。きっと、うまく交渉が終わったんでしょう。──出資者がゴーサインを出しているんだから、試合は止まらない」
そんな。
そんなの……。
エリヤは愕然とした。
上の命令一つで、悲劇に突き落とされる人がいる。金と権力が、この都市に渦巻いている。
──こんなところでメジャーのチャンピオンになっても、企業の意向に体よく使われるだけではないか?
アレックス・ライトは、どうなんだろうか。
最強のメジャーチャンピオンは、この理不尽な事実を知っているのか。
「それよりも、さっきの話……本当なの? ユウの頭の中に……」
「……それは……はい。多分……本当です」
澤井は黙ってしまった。
こんな話、信じられるはずないということか。ブランド・マーニーはファッションブランドのトップだ。そんな大企業が事業拡大のために作った芸能事務所フェアリアル。
普通ならありえない。
だけど、この都市は普通ではない。
いつからかアマテラスは、権謀術数が渦巻く蠱毒になってしまった。……いや、気づかなかっただけで、元々そうだったのかもしれない。
「…………」
澤井は険しい顔で考え込んでいる。
「……だったら、この決闘戦は最初から──」
「ユメさん?」
「信じらんない……何が、経営陣の判断よ……!」
澤井の顔がばっと上げられる。
「……私が何とかするから」
「え、でも」
「私は一応ブランド・マーニーの社員で、今はアカリさんを担当しているマネージャーなの。エリヤ君より出来ることは多いはず……だから、私が──」
胸に手を当ててエリヤに迫る。
その瞳には、涙が滲んでいた。
……だから、気づかなかったのかもしれない。
澤井の背後から近づいてくる人物に。
「──ほう? 経営陣の判断に異論を唱える。それは企業への背信行為ではないのか?」
「っ!?」
振り返る。
高い位置からこちらを見下ろす双眸。
デイビッド・ヒューイット。
視線は冷ややかだ。
それに一瞬怯む──が。
「あのっ!」
澤井はダンッ、と床に靴を叩きつけて叫んだ。
「アカリさんに対する干渉の一切を打ち切ってください!! 彼女は私の担当アイドルです!!」
デイビッドの目が細くなる。
「……それが君の要求か?」
「これ以上アカリさんを追い詰めるようなことは止めていただけませんか!? ここまでにも多くのアカリさんの権利を侵害しています。これは許されないことです!」
澤井の瞳がらんらんと輝いていた。
思わずエリヤは息が詰まる。昔はぼんやりとしていた印象の彼女が、ここまで言うだなんて。
そんな言葉をぶつけられても、デイビッドの顔には青筋一つ浮かび上がらない。
「なるほど。権利の侵害……」
「これらの証拠を裁判所に提出すれば、ブランド・マーニーのアイドル事業は終わりです!」
ブランド・マーニーの社員である澤井が、それをいう。
沈黙が広がった。
やがて、デイビッドの視線が澤井を貫く。
「では、その後はどうするのだ? アカリをアイドルとして育て上げたのは、我々の子会社であるフェアリアルだ。スポンサーを捨てたアイドルは、どうなっていくと思う?」
「まともなスポンサーがつかないのなら同じことです! ブランド・マーニーの経営陣がどう判断したなんて知りません! ですが、彼女は一人の人間なんですよ!? お金を生み出すロボットではないんです!!」
「アカリがここまで来れたのは、我々が育てたからだ。アカリは我々に恩義があり、我々はそれを利用しているだけ。価値を示し続けなければならない。極めて健全な関係だ。入社して数年の新人ごときに口を挟む隙間などない。双方の契約書もある」
「だからといって──!」
「それとも、我々がここまで育て上げたアイドルを放棄して、慈善事業に奉仕しろというのか?」
デイビッドは髪をかき上げて苛立たしく呟いた。
「我々は企業だ。企業は利益を追い求める存在であり、社会に奉仕するのはその次だ。──そう、我々だ。その我々の中には君も含まれている。澤井ユメ」
「ッ」
「自分の立場を理解しろ。上にこれ以上逆らうな。分かったのなら、早々に持ち場に戻ってメジャーの運営に従事しろ。二度目はないぞ」
デイビッドの手が澤井に向かって伸ばされる。
澤井の身体が強張った。
しかし、デイビッドは、澤井の肩を軽く叩いて廊下の向こうに行ってしまう。
その途中、エリヤのほうへ視線を向けて、
「エーデルグレンツェはもう間もなく勝利するだろう。──メジャー予選通過おめでとう。もう一度、エーデルグレンツェと二人で話す機会が欲しい」
「…………」
直前まで話していた澤井のことを忘れ去ったような口ぶりだった。
デイビッドの影が消えた瞬間、澤井は膝から崩れ落ちた。
「っ、ユメさん!?」
歯がカチカチとなっている。膝が震えている。
「……ユメさん」
俯いた顔は影になっていて見えない。ただ、端から見える頬は上気して耳まで赤く染まっていた。
「…………──う──」
はっとして澤井を見る。
極限の緊張が途切れたのか、熱があるようだ。
彼女は、もう限界だ。
早く休ませないと──
澤井の顔がゆらりと天井に向いた。
そして。
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッツ!!!!」
叫んだ。
「信じらんない信じらんない信じらんない!!」
「会社の利益のため!? 経営陣の判断が何なの!? そんなの関係ないし、私が知るわけない!! あああ!!!! もう、鬱陶しい!! 信じらんない!!!!」
そんな言葉たちが、天井に吸い込まれていく。
再びゆらりと揺れて、今度はエリヤのほうへ視線が向けられる。
澤井のぎらついた視線は、まるで肉食獣を彷彿とさせるものだった。
思わず一歩下がる。
「私、やるから」
「……は?」
「あのクソCEOの、思い通りに事を進ませるものか!!!!」
澤井は立ち上がって、壁を一発殴りつけるとそのまま振り返ることなく廊下の向こうへ走り去ってしまった。
騒ぎに気づいたスタッフたちがざわざわと集まってくる。
エリヤはそんなスタッフたちの目を掻い潜るようにして、人ごみから抜けた。
「……」
自分も何かしなくては。
エリヤは駆け出そうとした瞬間。
インカムから声が聞こえた。
『──マスター』
「どうした?」
いつの間にか、会場に響いていたアカペラの歌が聞こえなくなっていた。
『……ユウが、自害しました。私たちの勝利です、マイ・マスター』
「────」
遠くから決着を告げるブザーが聞こえる。観客たちの大歓声が聞こえてくる。
見上げた天井は薄汚れた鼠色だ。換気扇のファンの音が妙に耳についた。
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