20.『大衆の裏側』

 次に戦う相手は、アカリとユウの二人組だ。スポンサーには『ブランド・マーニー』がついている。

 芸能事務所フェアリアルはブランド・マーニーの子会社だったはず。


「……なあ、おかしくないか? 何でアイドルが『決闘戦』なんかにいるんだ?」


 エーデルグレンツェは答えない。

 

 メジャーは、アマテラスにおいて最大規模の事業だ。出場すれば、多くのメディアに取り上げられ、宣伝効果も抜群だ。

 事実、広告を打つためにメジャーの会場に現れるような参加者も珍しくない。スポンサーが金を注ぎ込んでくれるため、優勝せずともより多くの大衆の目に止まることが重要だ。


 一瞬、アカリも同じかと思った。

 チームを宣伝するためにメジャー予選に出場するのかと。


 そういう宣伝を目的とした選手はフラッグ戦や陣取り戦などの『バラエティ競技』に出る。

 歌って踊れるアイドルならば、注目されるだろう。


 しかし、端末に表示されているのは『決闘戦』の文字だ。


 アイドルが決闘戦?

 何の冗談だ? 今までのメジャーでは考えられない。流れ弾などで重傷を負うこともあるような競技場に大事な『資本』であるアイドルを立たせるなんて。


「少し、審判団に待ってもらうように伝えてくる。話してくるよ」


「……待ってください」


 立ち上がって扉を開こうとしたところに、引き止める声。


「だって、おかしいだろ? 何かの間違いに決まってる。アカリが決闘戦なんて……それに、アカリの自動人形のユウは家庭用モデルだ。戦闘モデルじゃない」


 夏正ロボティクスの第六世代は家庭用に調節された自動人形だ。軍用自動人形とはわけが違う。

 エーデルグレンツェが一思いに腕を振れば、弾けるだろう。

 今までの試合結果を考えてみろ。


「……きっと後悔することになりますよ」


「は? 何に後悔するんだよ」


 意味が分からない。

 対するエーデルグレンツェは、真剣な顔でこちらを見つめている。金色の瞳が痛いほどに。


「とにかく、審判団に抗議してみるよ。こんなの、絶対におかしいって」


 エリヤは服の裾を掴んだエーデルグレンツェの手をほどいて、控え室から出て行った。


「……マスターは、まだアマテラスに希望を見ているようですね」


 残されたエーデルグレンツェは、端末に映された文字と微かに聞こえてくるハイテンションな実況の声に、身体を弛緩させた。

 目を閉じる。


「この都市に希望なんてない。フミヤ様が命をもって証明してくださったというのに……なぜ、マスターは未だに希望を信じ続けているのでしょうか。……理解できません」


 ◇


「公正な審判を行うため、試合直前に選手が運営委員会に面会するのは禁止されています。相手選手と面会するのも同様です。お帰りください」


 エリヤはアカリが待機している控え室の前で警備員に止められた。


「ち、ちょっと待てよ! じゃあまさかアイドルのアカリを決闘戦に参加させるのか!? 俺とエーデルグレンツェはあいつらと戦わなくちゃいけないのかよ!?」


「お帰りください、直角エリヤ様」


「答えろよ!」


「これ以上は問題行動として運営委員会に報告させてもらいます」


「っ、」


 警備員には何の権限もないことは分かっている。だからといって、明らかな異常事態を見過ごせというのか。

 このまま試合が始まれば、エーデルグレンツェはユウと戦うことになってしまう。


 その時、廊下の影から怒鳴り声が聞こえてきた。


「いい加減にしてください! これのどこが仕事なんですか!? 私はこんなことがしたくて会社に入ったわけじゃありません!!」


 聞き覚えのある声だった。

 澤井ユメ。

 彼女もこのメジャーに関わっているのか?

 

 その向かいにいるのは運営委員会の制服をまとったスタッフだ。


「し、しかし……スポンサー側からの要望でして。経営的利点があるからという……」


「アイドルをメジャーの決闘戦に出すことのどこに利点があるというのですか!?」


「私に言われても……これは上からの要望でして」


「連合会からですか!? それともうちの会社の役員からですか!? 今すぐ抗議を──」


「そ、そんなことをしてはなりません……! 経営陣の判断に異議を唱えるなんて、あなたの仕事がなくなるどころか、私の仕事もなくなるかもしれません……」


「だからといって、どう考えてもおかしなことを見過ごせと言うんですか!」


 澤井は食い下がらない。

 スタッフの背がますます丸くなる。エリヤから見ても哀れだった。


「……し、仕方ないじゃないですか。あなたはどうか知りませんけれど、私には家族がいるんですよ……こんな時期に失業すれば、もう終わりなんです……」


「でも、おかしいとは思わないんですか? あんな子を商売の道具にするだなんて」 


「そんなの……知りませんよ。多分、もう契約書とか何かを交わしたあとじゃないですか? 本人が同意しているのに、私たちが間にしゃしゃり出て一体何になるというのですか」


「そんな問題じゃ──」


「そんな問題なんですよ。あなた、この仕事何年目ですか?」


 男は淀んだ目をあげて、掠れたような声で続ける。


「あなたは大企業に入って、ぬくぬくとやってきたかもしれませんけどね。こっちは契約社員なんですよ……失業保険だってまともに降りませんし……道徳ならあなた一人で語ればいいでしょう……私を巻き込まないでくださいよ……だから、どうかお願いします……こちらの業務確認書にサインを……」


 限界まで下げられた頭。そして、無理やり押し付けてくる書類を見て、澤井は肩をわなわなと震わせた。


「私は、そんなこと出来ない……あの子を無理やり戦いの場に出すなんて──」


「まだそんなことを……このままだとスケジュールが……」


 スタッフが絶望している。やがて、端末をちらりと見て唐突に笑い出した。

 机に投げ出した端末がアラームを鳴らしている。


「は、ははは……班長からの呼び出しだ……もうおしまいだ……仕事も、家族も……」


「…………あなたは」


 瞬間、スタッフが澤井を突き飛ばした。


「……っ、いい加減に、いい加減にしろよ! あんたの都合にこっちがつきあわされる身にもなってみろよ!! お前のせいで俺の人生は終わったんだ!! スケジュール通りに、事を動かせばそれで良かったのに!!」


 突き飛ばした澤井の襟首をスタッフは乱暴に掴んで揺する。

 エリヤはとっさに飛び出そうとして──


「どう責任とるつもりだよ……俺の人生……俺の家族…………息子は、まだ二歳なのに…………」


 スタッフは澤井を乱暴に突き放すと、どさりと座り込んで地面に額を押しつけて静かに泣き始めた。


 澤井は呆然とスタッフを見下ろしている。

 そんなとき、アカリの控え室の扉が開いた。


「──では、そのように。上手くいくように願っているよ」


「は、はいっ! チャンスをくださって、ありがとうございます!!」


 部屋から出てきたのは黒スーツの男だった。去っていく背中に向かって、アカリは深々と頭を下げている。

 と、澤井たちに男の視線が止まった。


「何をしているんだ、君たち。このような忙しいときに……って、君は……うちの部署から先月異動になった澤井か」


「……はい……お世話になっております」


 どうやら男はブランド・マーニーの重役らしい。


「で? どうしてこんなところでサボっているんだ? 今はメジャー期間だぞ?」


「その、私が担当しているアカリさんの試合表が間違っているのではないかと」


 澤井が差し出した端末を男は受け取った。

 しばらく眺めてから、澤井に端末を押し付ける。


「なんだ、間違ってないじゃないか。俺の時間を取らせるな」


「間違ってない……? あの、アカリさんが決闘戦に出場することになっている件は……」


 うんざりと男は口を開いた。


「だから、間違ってない。あのアイドルは自身の自動人形を用いて決闘戦に出場することになっている」


「なっ!? おかしいでしょう!? バラエティ競技ならまだしも、決闘戦ですよ!? それも、個人の自動人形を利用したものなんて……宣伝にしてはやり過ぎです!」


 澤井が訴えると、ギロリと男の目が澤井の顔に向けられた。


「これだから無能な新人は。その足りない頭で良く考えてみろ。今どき人間アイドルなんぞ、時代遅れにもほどがある。だから、ターゲット層を広げることが重要なんだよ」


「……なんですって?」


「いちいち言われないと分からないのか? 客は崇高なアイドルなんぞ求めてないってわけだ。今どき自動人形だけでアイドルは事足りる。だったらなぜ人間アイドルなんてものが今更生き残っている?」


 男はめんどくさそうに煙草の箱を取り出し、指に煙草を挟んだ。


「皆、アイドルの転落する姿が見たいんだよ。幸せに踊る人間なんぞ誰が見たいんだ? ファンどもの表情を見てみろ。表向きは健気に応援しているように見えるが、心の奥では反対のことを思っている。他人の不幸は蜜の味がする」


「そんなことありません……」


「澤井、お前まだ学生気分でいるわけじゃないよな? 研修期間は終わっているだろ。うちらは道徳を語るような崇高なボランティアじゃない。ブランド・マーニーのアイドル事業は、道徳だけじゃ食っていけない。事業を拡大する立場として理解しろ。それとも田舎に帰りたいか?」


 男は煙草をふかすと、懐から端末を澤井に投げ渡した。

 澤井の目が見開く。


「……このデータは」


「大衆が求めているのは刺激だ。より刺激的な出来事が好まれる。その証拠に……見ろ。先日のアリーナライブで刃物男が暴れてくれた。そのニュースをブランド・マーニーが契約しているメディアで繰り返し流せば、全メディアでPV数トップを取った。毒にも薬にもならないCMを高い金払って打つより確実だ。簡単なんだよ」


 男は泣いているスタッフの持っている紙を取り上げると、すらすらと壁を下敷きにしてサインを書いた。


「ほら、確認はすんだぞ。……君は、メジャー進行の、D班か。上にはこちらから伝えておく。安心して、しっかりと業務をこなせ。これからさらに忙しくなるぞ」


「ぇ……では、私の仕事は……」


「……はぁ。まだそんなくだらないことを気にしているのか? 本当に仕事を失いたいか?」


「──っ、あ、ありがとうございます……ありがとうございます!!」


「さっさと行け」


 何度も頭を下げて、スタッフは駆け出していく。

 男は澤井に向き直った。


「で? まだ何か?」


「……なんでも、ありません……」


「よろしい。自分の仕事の意味を理解しろ。連合会所属会社の社員──お前は新人でも運営スタッフ、奴らより上の立場だ。お前の一言で簡単に奴らの人生を破滅させることもできるんだよ。そのことを忘れるな。せいぜい、しっかり務めるように」


 澤井に忠告めいた言葉を投げかけると、ひらひらと手を振って男は行ってしまう。


「……なによ、それ」


 澤井はずるずると壁を背に崩れ落ちた。

 そのまま顔を伏せたまま、静かに震えている。両手の拳が血が滲むように強く握られていた。


「この……クソったれ……!」


 ようやく影から姿を表したエリヤは、澤井にそっと呼びかける。


「……ユメさん?」


「…………ああ、エリヤくん。いたんだ」


 ゆっくりと顔をあげた澤井は、涙で化粧が崩れていた。


「……こっち、見ないで欲しいかな……今だけは」

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