19.『アマテラス・メジャー』
古いメモリーが再生される。
今は亡きあの人の姿が目の前に立っている。
その部屋はまるで地下深くにあるかのように暗かった。天井の隙間からはポツポツと雨だれが滴って、湿度が高い。
まるで信じられないが、この部屋は特別枠の選手に与えられるメジャー控え室だという。他の選手は、スポンサーが大金を注ぎ込んで作らせた居心地の良い控え室で最後の調節を行っているのだろう。
『──ここからだ。ここから、俺たちは世界を変える』
メジャー控え室にて、『彼』はそう言って両手を打ち付けた。
エーデルグレンツェは、ただ見上げている。
これだけは新しい電光掲示板には対戦相手の名前と所属するチーム、そしてスポンサーの企業名がずらりと書いてある。
相手はそこまで知名度はないが、メジャー界隈では有名選手だった。
相応の実力を持ち、メジャー百八強の中にも名前を見たことがある。
特別枠は、エンタメ性が重視される。
勝ち進んできたとはいえ、メジャー相応の実力を持つ選手にこんなに早く当たるなんて、普通ならありえなかった。
きっと視聴率を稼ぐため。
特別枠の素人選手を実力の伴ったメジャー選手が叩きのめすという悪趣味なエンタメだ。
自分たちが勝てるはずがないのに──
『ちょうどいい相手だな。今まで張り合いがなさ過ぎたんだよ。……ん? ああ、大丈夫さ。君は、自分が考えている以上に強い。空気に飲まれるな』
『彼』は笑っている。
『さあ、相棒。──世界を取るぞ』
手が差し出された。
◇
「はいよ。次の対戦相手の情報だ」
エリヤはエーデルグレンツェにプリントされた紙束を差し出した。
「……?」
ぱちぱちとまぶたを瞬かせる彼女に、エリヤはため息をつく。
「寝ぼけてるわけじゃねーよな。一通り整理しといたぞ。『情報は宝』──確かにオマエの言う通りだ。だから……オレなりにできることをした」
エーデルグレンツェはエリヤが差し出した書類をパラパラとめくった。
「とりあえず、対戦相手のスポンサーとその契約先。この競技場の情報と運用している自動人形をまとめていた。後、過去のメジャー期間の決算報告書だな」
「これは……」
「ネットに落ちてた情報をまとめただけだけど、オマエの回路を休ませることはできるだろ」
パラパラとめくった後、エーデルグレンツェはそのまま綺麗に閉じてエリヤに返した。
「……お、おい?」
「適当ですね」
「は?」
エーデルグレンツェが資料のページをめくって指を指す。
「ここ、なぜメジャー出場選手の熱愛報道が載っているのですか? これ、ゴシップブログの情報ですよね? 試合に必要な情報ですか?」
「ぐっ……それは、徹夜で色々と……」
ペラペラとめくる。
「この競技場の歴史や資本金の資料は本当に必要ですか? 配電図などありますが、電気工事でもするつもりでしょうか? そもそもこんな図、どこで──」
「ああもう、いいだろ!! 試合に関わってる記事とかサイトとかそれらしいの全部まとめたんだよ! そりゃまともなスポンサーの資料には及ばないけどさ……」
徹夜でエーデルグレンツェの役に立とうと頑張ったことが馬鹿らしくなってきた。
恨めしい目線が気になったのか、エーデルグレンツェは咳払いをする。わざとらしい。自動人形は呼吸なんてしないのに。
「……まあ、メジャー期間において役立たずなマスターにしては良い行いでしょう。ほめてあげます、よしよし」
「頭を撫でてくんなっ」
「次の対戦相手のスポンサーは『ギンロウ』ですね。BtoBの事業を主とする半導体メーカーですか。ヴィクター&ヴィクターズの傘下企業であり、軍事委員会の軍需事業とも繋がりがあるので、戦う相手は、ヴィクター&ヴィクターズの第四世代辺りでしょうか」
「……それだけで分かんのかよ」
「当然です。私は高性能ですから」
相変わらずのとんでも性能だ。機械だからといえばそれまでだが、ひと目見ただけで雑多な情報から作戦を瞬時に組み立てる。
人間なんていらないじゃないか。
「……で、勝てるのか? 武装を買うようなお金はないぞ」
「この手の相手には覚えがあります。マスターは勝利後の私のご飯の心配でもしていればいいのです」
「なんて余裕な……」
「余裕なのは当然のことです。私たちが勝つのですから」
何を根拠に──。
「マスターはアマテラス・メジャーというスポーツのファン、なのですよね?」
「……? そうだけど、それが何だよ」
「過去の映像記録や実況の解説、大会に出場した選手の基礎戦術などを事細かく覚えている」
「……それは、」
「そのような人物に最高の性能を持つ私がつくのです。勝つのは当然でしょう」
「暴論だぞ」
「事実ですから」
「……性能とかそういうのだけで勝敗が決まるわけじゃない。自動人形との信頼関係とかも重要な要素に──」
「私たちの間にそのようなものは必要ですか?」
エーデルグレンツェは無表情でぽつりと呟いた。
「……マスターは変わらず接してくれる。私は、マスターを傷つけたというのに」
何を今更愁傷になっている?
エーデルグレンツェの口からそんなことが蒸し返されるなんて思いもよらなかった。
「それはもう終わったことだろ」
「…………」
エーデルグレンツェは黙ってしまった。
「今は目の前の試合に集中するぞ。一緒にチャンピオンロードに立つためにな」
「……そうですね」
自動人形の犯した罪は持ち主の罪である。
そんな法律がアマテラスには存在する。
「……? 何だよ、なんか変だぞ」
「私の美貌を表現する美麗字句がエリヤ様の低俗な脳では思いつかないのは当然のことです」
「最近オマエが羨ましくなってきたよ……」
エーデルグレンツェが法律を知らないとは思えない。
むしろ、どんどんトラブルをエリヤに押しつけて、影で笑っている黒幕ムーブが彼女には似合うと思っていた。
案外、エーデルグレンツェは見た目相応の少女と何ら変わらないのかもしれない。
「しかし、連合会が用意した衣服ですが、どうにも慣れませんね」
エーデルグレンツェは、自らの格好を見下ろした。ひらひらとしたフリルがふんだんに編み込まれたブラウスにショートパンツだ。
基本色は白だが、金糸の刺繍がポイントに縫い込まれており、なかなかどうして似合っている。
「ただでもらったにしては十分じゃないか? ジャージで出場するよりはましだと思うけど」
その覚悟はしていた。しかし、流石は連合会といったところか。選手に似合う服飾を提供するファッションデザイナーを山ほど抱えているのだろう。
金を稼ぐためならば、なんでもする連中だ。
エーデルグレンツェが今着ている服も、『ブランド・マーニー』の製品だった。
「白、白、白。私は雪だるまではありません」
銀髪に白い肌で、白い服装をまとったエーデルグレンツェは両手を高くあげて、不満を示した。
かわいいなこいつ。
「スポンサーがついてない選手はこれが普通だ。企業カラーは向こうが独占してるからな。ヴィクター&ヴィクターズは青と紫で、ブランド・マーニーはピンクと薄黄色って感じにな」
「腹立たしいですね。六十年前はこんなことなかったのに……」
「年寄りみたいなこと言うなよ。その見た目で」
「……チッ」
おっかない。
◇
地下競技場は楕円状の枠が敷かれており、その周りを囲むようにして高い位置から観客席が見下ろしている。
まず競技場に足を踏み入れたときに感じたのは、光と音の奔流だ。
……何より、一番慣れなかったのは観客の視線と実況だった。
『さぁて! 今回登場するのは初参加のルーキーボーイ! 直角エリヤとその相棒! えー、と……名前は『エーデル、グレンツェ』です! どうですどうです? この見るからに一般人な! 純粋無垢なお顔にチケットを賭けられる人はいますか!?』
ギラギラと向けられる視線に、ヤジ、応援する言葉、怒鳴り声。それを覆い隠すような大声で実況が入り、観客に賭け金を積み上げるように煽る。
『え? 賭けるだけ無駄? アッハハハ!! そんなことは言わないでおきましょうよぉ! ねぇ? もしもエリヤきゅんが優勝でもしたらラッキーですよ? 増えたお金で大企業を買収することだって夢じゃない! 宝くじは買わなきゃ当たらないんです!! さあ、賭けてやってください、この勇ましきルーキーボーイにサポートを!!』
エーデルグレンツェが顔をしかめた理由も分かるというものだった。
相手は界隈では有名な選手だった。
ランキング外だが、しっかりとスポンサーをつけているメジャー選手だ。
思いの外、メジャー予選はあっけなく始まった。
「エーデルグレンツェ……始まったぞ」
『空気に飲まれないで。あの実況はただのパフォーマンスです』
エーデルグレンツェは慣れているのか、落ち着いている。銀髪をくるくると自分の指で巻いている始末だ。退屈そうに。
「でも、こっちのことをめちゃくちゃ煽ってるぞ」
『実力で黙らせれば良いのです』
なんという脳筋。
『……と、フミヤ様が言ってました』
「じーちゃん!?』
このアマテラス・メジャーのルールはそう複雑ではない。
相手の自動人形を、こちらの自動人形で打ち倒せば良い。バラバラに壊す、戦闘不能にする……。
自動人形の『マスター』は、戦い合う自動人形に対して端末から戦場全体を俯瞰して、指示を出したり、観客からのサポートでドーピングアイテムを買うことが出来る。
相手の屈強な男性型自動人形がエーデルグレンツェに向かって大口径の機関銃のようなものを構えていた。
他にも背中や足などに強化外骨格やブースターなど、様々な装備を積み込んでいる。
ヴィクター&ヴィクターズ、第四世代型の戦闘向けの自動人形。
大方、軍からこぼれ落ちたお下がりだろう。
「おいおい、武器すら持たずにどうやって戦うつもりだ?」
相手の選手は無手のエーデルグレンツェに向かって、ゲラゲラと笑い声をあげた。
「確かにぶん殴ってやりたくなるな……でも、おいこれ、どうするんだよ、エーデルグレンツェ!」
『演算終了。間違いありません。私の完全勝利です』
「いや、無理だろ! どう考えても!」
機関銃VS素手。
無理極まる。
エリヤたちにはスポンサーがついていない。当然、武器のカスタマイズもできなければ、修理もできないのだ。
『一秒もいりません』
「は?」
それっきり、エーデルグレンツェは沈黙した。
エリヤは手の中の端末に目を落とす。
観客からのサポートは……全くといっていいほどなかった。
──つまり……負けると思われているのか?
エーデルグレンツェが。
『レディ?』
実況が焦らす。
そして。
──ファイ!!
実況の合図と共に、相手選手は自動人形に命令を叫んだ。
「いけっ! やつの自動人形を蜂の巣にしろ!!」
瞬間、機関銃が縦に切断されてパーツがバラバラに吹き飛んだ。
「……なぁっ!?」
エーデルグレンツェは涼しい顔をして、一瞬のうちに相手の自動人形の肩に手を置いていた。
『まだやるおつもりですか? 棄権をオススメします』
「そんな馬鹿な……!」
対戦相手は真っ赤な顔でぶるぶると震えている。
一瞬の静寂の後、実況が騒ぎ始めた。
『お、おおっと!? まさか! まさかまさか! これはいったいどういうことだ!! まさか、ルーキーボーイの自動人形が軍用自動人形の武器を壊したとでもいうのか!? まったく見えなかったぞ! これは何かしらの反則技を使ったのか!?』
エリヤは端末を通じて、エーデルグレンツェの付けている試合用インカムに向かって尋ねる。
「おい、どういうことだ」
『目障りでしたので切りました』
「……刃物は持たせてないぞ」
『あれくらい、素手で切れます』
エリヤは呆然とエーデルグレンツェを見る。
「……マジかよ」
対戦相手はぎりぎりと歯を食いしばって、絶叫するように叫び散らした。
「だ、だからなんだってんだ!! やつを握り潰せ!! ヴィクター&ヴィクターズの軍用自動人形の力を見せてや──」
瞬間、軍用自動人形の胸が潰され、強化外骨格が粉々に砕け散った。何回転も宙を舞った自動人形は、スタジアムの外壁へ叩きつけられる。
エーデルグレンツェは、掌底を繰り出したような格好で、静かに息を吐いていた。
「……な、な……そんな、特別枠のやつなんかに」
『ヴィクター&ヴィクターズの第四世代型は中枢神経回路から末端回路への伝達速度に難がある。資料を読みませんでしたか?』
圧力さえ感じるエーデルグレンツェの言葉に、対戦相手は一歩下がった。
「は、はぁ……? そんな話どこにも」
『一般公開されているヴィクター&ヴィクターズ決算報告書の第四章七項十三行にはっきりと書かれています。……まさかその程度の欠陥も知らないまま、スポンサーに買い与えられていた自動人形を使っていたわけではありませんよね?』
事前に渡した資料に載っていたこと。たったその情報だけで、相手に手出しもさせなかった。
「ぐ、ぐぅ……」
『私のマスターの方がよほど優秀でしたね』
屈辱に染まった対戦相手が震える両手をあげる。即座に観客席の中心にいた審判団がブザーを鳴らした。
決着の合図だ。
『な、なんと……! 特別枠のルーキーボーイが、スポンサーのついた選手を撃退しました!! この結果を誰が予想できたでしょうか!? オッズの女神はこれだから気まぐれだと言われるんです!! さあさあ、今回の勝利したルーキーボーイ、直角エリヤと彼の自動人形であるエーデルグレンツェに盛大なる拍手を送りましょう!!』
◇
こうして、エーデルグレンツェは初試合をその圧倒的な力量で完勝し、その流れのまま二戦目三戦目も快勝を続けている。
「次は決闘戦ですか。対戦相手は……」
「うわっ、なんだよこの控え室……ボロボロじゃねーか」
エリヤはそうぼやいて、椅子に崩れるようにして座り込んだ。
「……しっかし、メジャーっつっても大した事ないな。第一試合から第四試合までは、ほとんど素人みたいな人ばっかだったし……」
「たった数回の試合で勝利しただけで油断ですか? メジャー上位はこんなものではないでしょう」
「ぐっ……それは」
エリヤにも覚えがあった。
メジャーの本戦は、こんなものではない。それは小さい頃からメジャーに憧れた自分が一番理解している。
メジャーの上位陣は、強大なスポンサーをバックにつけて多大な支援を貰っているのだ。
最新の自動人形に高価な武装、固定ファンによって試合中でも支援が止むことはない。
当然、スポンサーもついていなければ、武装を買うような金もなく、固定ファンもついていない自分たちでは圧倒的に不利だ。
「……そろそろこっちにも出番が欲しいところだけどな」
なにせ、エリヤは指示すらまともに出していない。全てエーデルグレンツェが勝手にやってくれる。
情報収集だけで、メジャーをともに戦っているとは口が裂けても言いたくなかった。エリヤが憧れたメジャー選手は、決してこのようなものではない。
自動人形に的確な指示を出し、まるで自分の手足の延長のように自在に操ってこそメジャー選手といえるのだ。
「あなたに指示を出されるなら目を瞑って逆立ちしたまま戦ったほうがマシです」
「……そ、そんな言い草ないだろ!」
実際、普通の人間と変わらないほどに豊かな人格モジュールを持つ彼女は、エリヤの指示を必要としない。それがまたエリヤが自分のことを不甲斐ないと感じさせる要因でもある。
エリヤはため息をついて、端末を起動した。
せめて次の対戦相手の情報程度頭に入れておかなくては。
「次の対戦相手は…………え?」
「……意外な人物です」
そこに表示されている画像は、数日前──夏正ロボティクスにてエリヤと一緒にオペランド社の銃撃戦に巻き込まれた彼女とその自動人形。
アカリとユウ。
参加競技は決闘戦。
エリヤはエーデルグレンツェを見やると、彼女は無表情のままただ遠くを見つめていた。
「何で、アイドルがメジャーにいるんだ……? エーデルグレンツェ、何か知ってるのか?」
「…………」
エリヤの疑問に、エーデルグレンツェは下唇を噛んだ。
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