第三章 データ・ドリフト
18.『都市なる巣』
地下競技場のスタジアムはお世辞にも広いとは言えない。
しかし、ネオンライトが四方八方から浴びせられ、満員の観客席からは常に怒号のような歓声があがっていた。
「全財産この試合に賭けてるぞ!」「やっちまえ!」「早いって!」「期待してるからな! もし負けたらぶっ殺すぞ!!」「壊せ! 壊せ!」
競技場の天井から際限なく撒き散らされる紙切れは、『頼方・フードグループ』やら『RWインダストリ』などの企業のカラーに染められている。
電光掲示板には、くるくると回る文字で『アマテラス・メジャーAブロック予選──第五試合開始まで残り二十分を切りました』とアルファベットや日本語、キリル文字、中国語など多種多様な言語で書かれている。
キーン、とマイクのノイズが地下競技場で唸った。
『アマテラス・メジャーを楽しんでいる皆さま〜! ここからは実況解説を私たちが代わらせてもらうよ!! 『トップ☆フェアリー』のマイと〜?』
『メイでお届けしまーす!! みんな〜、楽しんでいこーねー!!』
電光掲示板に実況席のアイドル二人が大きく映し出される。
その姿に沸き立つ観客もいれば、舌打ちする観客もいた。
「ちっ。誰だよ、あいつら。……アイドル? ちゃんと実況してくれるんだろうな?」「人間アイドルみたいなマイナーなのがどうしてメジャーの予選実況なんて取れたんだ?」「そんなの決まってら。大方どっかの大物に腰でも振ったんだろ」「うわ、あんた最低……」
場内はまさにカオスの坩堝と化していた。
『おやおや、どこかから悪口が聞こえたぞ〜? 悪口言ってる暇があったら、オッズの計算でもしてなー?』
『メイちゃん、煽らないの……!』
『とにかく! アマテラス・メジャーでは選手ごとに勝敗の予想をすることができるんだよね。もちろんお金もバンバン賭けちゃうこともオッケー! お金をより多く賭けられた選手はその分の試合サポートを受けられる! まさに一石二鳥だよ! たった一晩でお金持ちになることも夢じゃー、ない!』
『賞金プールの総額がどんどん膨れ上がってますよ〜? このビッグウェーブに乗り遅れないでね!!』
『本日の勝敗予想にて二百枚以上のチケットを購入していただいた方には、『頼方・フードグループ』から対象の冷凍食品の1%OFFクーポンをプレゼント! なんと来月まで何回でも使えて、使えば使うほどオトクが増える特別仕様! いやあ、助かるね〜!』
『選手につぎ込むお金がない? そんな時は当競技場に協賛しているクラフトラージ銀行にお任せあれ! いつでもどこでもマネーシステムと皆さんの口座を連携させることが可能! そして、なんと今ならアマテラス・メジャー特別期間! 期限内に特別ローンを組めば、利子が0.009%も低くなる!? 今すぐチェックですよ〜!!』
『お金持ちの人かっこいい〜!! お金をたくさん使う人チョーかっこいい〜!!』
『さてさて、今日の宣伝ノルマは達成したことだし、実況席に向けられる目線がこれ以上冷たくならないうちに──』
『アマテラス・メジャー、Aブロック第五試合を戦う選手の紹介といきましょう! みなさーん? 準備はよろしい〜? うんうん、バッチリだね!』
『それでは、こちらのVTRをどうぞ!! 楽しい時間の、始まりだ〜!!』
◇
時折懐かしくなる。
故郷の風雪と水湖。
二年前、自分は全てを捨ててこのネオンの都市にやってきた。
「おや、何をご覧になっておられるので?」
アレックス・ライトは端末から顔を上げた。
目の前にはスーツをきっちりと着こなしたビジネスマンが笑みを浮かべて立っている。片手に添えられているワイングラスはまるで装飾のよう。
確かに、この男は──
「『デイリーニュースポータルズ』の……」
「いやはや、あなたのような時代を担う新星に私のような者を覚えていただき、なんと喜ばしいことか。ええ、ご機嫌よう。私はジャック・ルビッチ。デイリーニュースポータルズのアマテラス支部の支部長をしております」
アマテラス連合会の立食パーティーにアレックスは訪れている。
連合会ビルの上層階にて、都市の明かりを見渡していた。周りの人々は、皆このアマテラスにて重大な影響力を持つ人物ばかりだ。
服職業の大物から、製造業、販売業、食品業、通信業、官僚に議員まで。
この光り輝く場にいないのは、連合会の手から名目上独立している裁判所と軍事委員会辺りか。
アルコールの匂いが立ち込め、豪華絢爛さに酔いしれて、輝かしい光に網膜を焼かれる。
利益至上主義のアマテラスの縮図だった。
「それで、あなたは何を端末で見ていたので? この場には様々なビジネスチャンスがありますのに、もったいないですよ」
「……業務提携ならマネージャーに回せ。俺を煩わせるな」
「おやおや、これは剣呑な」
アレックスが睨みつけると、ジャックは大げさに驚いて見せてグラスを揺らした。
中のワインが赤色を反射している。
「……ふむ? ああ、あなたが熱心に見ていたのは今年のメジャーの予選ですか。ライバルの分析は大切ですものね」
「……」
「それも、特別枠の選手の試合ですか。あなたは中々に面白いお方だ。スポンサーの補助もない一般市民など、あなたの敵ではないでしょうに」
アレックスの手の中の画面では『アマテラス・メジャー予選Aブロック』が流れていた。
「……確かにそうだな」
端末を消す。
「そうですとも。今ぐらいはゆっくりと試合を忘れて談笑しましょう。そういえば、あなたの故郷はスウェーデンでしたかな?」
「トーネ湖の北だ」
「あの辺りでしたか。私も若い頃は写真雑誌担当の新米記者として様々な土地に向かったこともあるのですが、素晴らしい景色ですよ。特に印象に残っています。まだ訪問したときは気温がそれほど低くない季節でしてね。氷を浮かべた湖がとても透明で、空と繋がっているんじゃないかと錯覚を覚えたものです。付近の木々もまだ青々としていました」
本当にこの男は故郷に訪問したことがあるのかどうか。
この手の会話は、ほとんど秘書代わりの自動人形任せにしていた。正直いってかなり苦手だ。
ジャックという男はこちらの感情を理解しているかのようにつかず離れずの距離で微笑んでいる。
「あなたは都市に住んではいなかったのでしょう? サーミの血があなたには混ざっている。放牧を生業にしていた家系から飛び出して、なぜあなたはアマテラスへ来たのですか?」
「取材はお断りだ」
「いえいえ、これはわたしの個人的な趣味ですよ、ライトさん。私は人々の人生、今まで生きてきた道筋に興味があって調べているのです。それが、今回はたまたまあなたというだけですよ」
「……趣味が悪いな」
「よく言われます」
個人情報を調べられ、深くまで押し入られる。誰が同意できるか。
アレックスは早速この立食パーティーに来たことを後悔しそうになった。結局、ここにいるのもスポンサーの意向に過ぎないというのに。
そして、話している相手はアマテラスのメディア界隈の大物だ。ここで適当に話を打ち切ってしまっては、明日のニュースや新聞にどのようなゴシップが書かれるか分からない。
アレックスは小さく息を吐いた。
風雪の地を抜け出しても、いまだに風雪の最中に迷い込んでいるような気がする。周囲はこれほどまで明るく、温かい環境なのに。
「ただ、俺には性が合わなかったというだけだ。北部の森にこもってトナカイの放牧を生業に一生を終えるか、少ないチャンスにかけて都市に渡って輝くか……俺は後者を選んだ」
「魚は空を知らず、鳥は水を知らず。あなたを輝き続けるこの都市へ渡らせたきっかけは何だったのでしょうか?」
「……とある新聞だ」
「ほう?」
ジャックを睨みつけて、
「お前たちがドローンでばら撒いた新聞だよ。全く、最悪だ。雪原にばら撒かれた新聞など……五年前に環境汚染として、スウェーデン政府がアマテラス州政府に抗議したことがあっただろう?」
「あれは紙もインクも生分解に特化した『環境に良い』新聞なのですがねぇ」
「うちのトナカイが何枚誤って飲み込んだと思っている」
「あはは、申し訳ない。しかし、その新聞を見たお陰でこのアマテラスを知ることができた。結果として、今のあなたがいる。幸福ですよ、あなたは」
「……」
「良かったじゃないですか。一生をトナカイの放牧というものに費やさなくて。あなたはとても良い価値をこの都市に生み出しています。本当に良かった」
「そうかもな」
彼は恭しく礼をして、
「では、またお会いできるときを楽しみにしておりますよ。アレックス・ライト氏。アマテラス・メジャーで優勝するのは、必ずあなたでしょう。微力ながら幸運を祈っております」
アレックスは近くのテーブルに山のように積んであるワッフルを掴んで、口に運びながら目の前の男から端末に目を落とした。
こちらから興味が外れたことが分かると、よそよそしい笑みを消し去り、また新しい仮面を被るジャックが見えた。
「アマテラス・メジャー、か」
このアマテラスでは、いくら『新星』や『メジャー優勝者』とメディアで持ち上げられても、有象無象の流れの一部に過ぎない。
メディアは『スター』を高みへ押し上げ、そこから溢れる利益を吸うが、決して『スター』は最初の一人でもなければ、最後の一人でもない。
アレックスは、アマテラスの光にいずれ埋もれる運命なのだ。
もし輝き続けたいならば、それに相応しい成果を出し続けねばならない。
──どんな手段を持ってしても。
端末の電源をつける。
邪魔が入って見れなかった今年の新人の試合に目を向ける。
「……」
予選Aブロックは特別枠の選手たちで試合が組まれる。特別枠とは、スポンサーのついていない一般人が『メジャー・チャンピオン』に憧れて参加する枠だ。
しかし、特別枠制度が作られてから一度たりとも特別枠の選手がチャンピオンになったことはない。
そして、一部のメジャー専門家からは皮肉を込めてこう言われるようになった──
「──『未踏枠』。大方、メディアに媚びを売るために連合会が用意した餌だろうに」
白い自動人形と年若い少年が、スタジアムに上がるところだった。
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