17.『宣戦布告』

「……契約、ですか?」


「そう、契約。このアマテラスでは契約という概念がもっとも重要な事柄だ。人と人とを結びつけ、ビジネスの協力を仰ぎ、利益を分配する。ここでは楽園に行くのにも、地獄へ行くのにも契約が必要となるのだよ、エリヤ君」


 デイビッドはゆっくりとベッドのそばを通り過ぎて、窓から噴水広場を望む。


「先日、君の自動人形であるエーデルグレンツェとオペランド・マイルワーカーズの傭兵たちの接触が確認された。メディアを見れば分かる通り、かの事件は徹底的な情報操作が行われている。……まあ、もっともこの時代の情報の一切は各メディアの都合の良いように歪められて発信されているものだがね」


 それくらいとっくに知っている。

 それよりも、


「……エーデルグレンツェは人を傷つけていません。俺がこうして寝てるのは、ただの暴発事故の結果です。銃撃戦もオペランドの連中が勝手にやったことで」


「無論、君はそう片付けたいわけだ」


 デイビッドの目が細められる。

 ……嫌な予感がした。


「……エーデルグレンツェは今どこにいるんですか」


「Type.L──エーデルグレンツェ。かの自動人形は連合会の所有物だ。君に教える義理はないと思うがね?」


 なんだと?


「……何言ってやがる。答えろよ……エーデルグレンツェはどうした!!」


 立ち上がって、エリヤはデイビッドの襟首を掴む。見た目に反して、まるで岩のように重い。


「……っ、エリヤ君、やめて……!」


「よい。子どもの癇癪に付き合ってあげるというのも、大人の役割だろう」


 見下されるその目は、冷ややかな光に満ちている。

 ぞっとした。

 金のバッジが天井のLEDの光を反射して眩く輝いている。


「現在、エーデルグレンツェは『AI倫理管理法』に違反した疑いのため、強制シャットダウンしてメンテナンスにかけている。あと三日もすれば、州政府による特別裁判にかけられるだろう」


「裁判……?」


「そうだ。委員会本部の分析チームを集めた審議が開始される。そこで人格モジュール上に発生したエラーを読み解くのだ」


「それは……」


「その後は決まって処分される。人に奉仕せず、人を傷つけるようなAIは失敗作の烙印を押され、スクラップになる。倫理規定の搭載されていないAIなど、危険分子に過ぎない」


「なっ……!?」


「過去のAIに対する特別裁判の事例を見ると良い。全て事実が示す結果に過ぎないよ」


 頭を開けられて弄られる。その後は、スクラップ処分。

 なんて身勝手なことを。


「……そんなことをしたら、オレはお前たちを絶対に許さない」


「おかしなことを。君はあの機械に傷つけられたのだぞ? 心停止したと聞いているが?」


「それは誤解だ! オペランド社がいなければ、そうはならなかった! アイツは、チャンピオンロードに行かなくちゃいけないんだ! 処分なんてふざけた真似させられるか!!」


「……その点は安心したまえ。私たち連合会がそうはさせない」


 デイビッドは後ろに一歩下がった。途端に支えを失ったエリヤはふらついて、ベッドに座り込む。


「エーデルグレンツェは君の祖父である直角フミヤ氏より連合会へ譲られたものだ。それを君の父である直角レンヤ氏はチャンピオンロードより盗み出したと記録に残っている。つまるところ、盗難品を元の持ち主に戻ったということ。何も問題はないだろう? あのType.Lは未だにアマテラスが保有する技術では再現不能なオーパーツなのだよ。みすみすそれを手放すのは余りに惜しいと思わないか?」


 つまり、裁判の結果を捻じ曲げるということか?


 金と権力さえあれば、司法などアマテラスでは意味をなさない。

 それをこうもはっきりと突きつけられる。


「……エーデルグレンツェを、どうするつもりだ」


「ふむ、どうしようか……例えば、Type.Lが盗まれたことによって研究開発がストップしている新しい型の自動人形が山ほどあるのだ。丁重に扱うとも。──あの白い身体は、金を際限なく生み出すのだから」


 連合会は、こういう組織だ。

 アマテラスの全てを吸い上げて、己の利益に変えることしか興味がない。

 州政府も、市民も、手出しできない。

 メディアでさえ、奴らの手駒であり一部だ。


 このままではエーデルグレンツェが奴らの手の中だ。チャンピオンロードに連れていくという約束は叶わないまま、エーデルグレンツェは研究所に幽閉される。


 どうする?

 どうするべきだ。


 エーデルグレンツェを強奪して逃げるべきか?

 だが、肝心の居場所が分からないし、心停止したばかりの身体にこれからの荒事についてこられるだけの力もない。


「っ、渡さない……渡さないぞ! エーデルグレンツェは、オレが見つけたんだ!」


「──」


 エリヤは迫るデイビッドを払いのけようと手を動かした。デイビッドの目が、エリヤの手の甲に向けられる。


「……なんだと?」


 次の瞬間、エリヤの手首をデイビッドが掴み上げていた。


「あっ!?」


 凄まじい力にエリヤは悲鳴を上げる。

 その目はエリヤの手の甲──エーデルグレンツェと契約した際に浮かび上がった白い紋様に向けられている。

 奥歯の軋む音がした。


「そんな馬鹿な……Type.Lの生体チップだと!? あいつ以外を選んだとは、信じられん……たとえ、それが血の繋がった者だとしても、まさか」


 デイビッドは分かりやすく混乱していた。最初の悠然とした様子とは全く違う。

 焦ったようにエリヤに目を向けると、


「あいつは──」


「随分と老けましたね。デイビッド」


「っ、!?」


 鋭い刃物が、デイビッドの肩を貫いた。


「グゥっ!?」


 途端にエリヤの手首は砕けそうなほど握りしめられていたデイビッドから解放される。


「エーデル、グレンツェ……なぜここに!」


「あの程度の拘束で捕まえておけるなんて考えた方の頭を取り替えたほうがいいのでは? そもそも、この私を強制シャットダウンできると思っていたことに驚きです」


「相変わらずデタラメな……!」


 刃物──果物ナイフを投擲したのは、白い機械人形だった。


 病室の扉にもたれかかっている。

 いつ扉を開けたのか、いつ入ってきたのか……一切気づかなかった。


「あなたが連合会の走狗として活動しているとは……目覚めてから不思議なことばかりですね」


「時代は変わったのだ、エーデルグレンツェ……」


「ストリートギャングの荷物持ちが『時代』を語るとは。嘲笑にも値しませんね。デイビスストリートは今、どうなっていますか?」


「変わったよ、全てが。変わってしまった。あの通りは、もうどこにもない」


 エーデルグレンツェとデイビッドは、どうやら知り合いのようだ。

 だとしたらどうなるのか?

 なにか、変わるのか?


「フミヤ様たちとの誓いは、覚えていますか?」


「……一時も忘れたことはないさ」


 エーデルグレンツェの視線は、だらりと垂れ下がった腕に向けられている。


「なら、どうしてこんなことを? デイビッド、あなたのことは覚えています。あなたは企業の走狗になるような人ではなかった」


「そうか? アマテラスの光は目を焼いて何も見えなくする。私たちは、盲目だった。己の正義を、正義とすら呼べない妄想を盲信していた。無責任な敵意を撒き散らした結果がどうだ?」


 老人は乾いた声で笑った。


「その結果が今の私だ、エーデルグレンツェ。お前は先に眠っていたから分からなかったのだろうな。所詮は機械。お前と私たちが共に立つなんて、最初から出来なかったんだ!」


「それ以上喋らないでください」


 壁に刺さった果物ナイフを抜いて、エーデルグレンツェはデイビッドの首筋に添えていた。


「ははっ、私を殺すか? エーデルグレンツェ」


「喋らないでと言った」


 ナイフが食い込んで、真っ赤な血がにじむ。


「私を殺したところで、同じことだ。エーデルグレンツェは今度こそ『人を傷つけた自動人形』として、直角フミヤと共に断罪されるだろう。……そう、何も変わらない。何も変えられない」


「……私が聞きたいのは」


 機械仕掛けの目に、鋭い光が浮かんだ。


「私が眠った後、フミヤ様はどうなったのかということです。なぜフミヤ様がチャンピオンに至ったという記録が見当たらないのですか? なぜフミヤ様の家系がここまで落ちぶれているのですか? なぜ、フミヤ様は──死んだのですか?」


 それに対する答えは、小馬鹿にするような鼻息だった。


「決まってるだろ。消されたんだよ」


「っ、」


「自業自得さ。都市を変えるとか言って目立ち過ぎた。一時はニュースを騒がせた? 都市の星になった? そんなの重要でもなんでもない。大衆は忘却する。世論は飽きやすい。少し刺激のある話題を立て続けに半年も流せば、誰も『直角フミヤ』なんて存在は忘れる! はははっ、あいつはそれを身を持って証明した愚か者だ!!」


「貴様──!」


 エーデルグレンツェがナイフを滑らせようとした瞬間、ナイフを握る手がエリヤによって止められる。


「マスター、手を離してください! この愚図はフミヤ様との誓いを反故にした挙げ句、あの頃の全てを切り捨てて、のうのうと生きてきたのです! 正真正銘の──」


「ナイフを下ろせ」


「嫌です。止めません。こいつだけは──!」


 エーデルグレンツェのナイフが震えだした。完璧すぎるほどに整えられた構えが乱れる。


「ナイフを下ろすんだ」


「でも!」


「エーデルグレンツェッ!!」


 ようやく、力が弱まった。


 ここまでエーデルグレンツェが抵抗を見せるのは初めてのことだ。

 きっと二人の間には預かり知らない事情がある。


 しかし。


「デイビッドさん。あんたとエーデルグレンツェとの間にどんな関係があるのか興味はない」


「マスター……」


 緩んだ手からナイフが滑り落ちた。

 カランカラン、と音を立てる。


「ただ、これ以上エーデルグレンツェに向けての挑発は止めてくれ。──エーデルグレンツェはオレが見つけたんだ。じーちゃんが連合会に寄付したとか、クソ親父が盗み出したとかそういうのは知ったこっちゃない」


「……連合会を敵に回す気か」


「同じ土俵で勝負してやろうって言ってんだよ。こんな契約なんてクソ食らえだ。──オレは、メジャーに出る。エーデルグレンツェをパートナーにする。そうして、メジャーを勝ち上がって堂々とチャンピオンロードを目指す!」


 エリヤは蹲るデイビッドの前に立った。


「エーデルグレンツェをメジャーに出すっつーのは、あんたも望んでたことじゃないのか? アマテラスで一番金が動く場所はメジャーだ。お互いに利用すれば良い。……そうだろ?」


「……」


「オレたちが勝ったら、チャンピオンロードへ行く道を開けてもらう。オレたちが負けたらさっきの契約を結ぶ。それでどうだ?」


 デイビッドがゆっくりと目を上げた。

 その目には、何も映っていない。


 ただ、諦観があった。

 人生に対するもの。

 この都市に対するもの。


 左胸に飾り付けられた栄誉と権力の象徴が空っぽに輝いている。


 そして、


「勝てるとでも思っているのか」


「オレたちは勝つ。絶対にな!」


 エーデルグレンツェの視線を背中に感じながら、直角エリヤは、この『アマテラス』に向かって、宣戦布告した。

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