16.『深淵への誘い』

 アマテラス特別商業地区、ヴィクターD.C.にある中央病院前の噴水広場には、もうすぐ訪れるイースターのために様々な飾りつけがされていた。

 アマテラスは基本的にどの宗教にも属していない。

 そういうスタンスだが、地球上にある以上はどの文化も流入してくる。特にこの地区はアマテラスの外からやってた人々が多く、色濃くそれが見て取れた。外からやってきた文化はアマテラスで生まれ育った人たちには目新しく映るようだ。


 商業的利益が出るならば、アマテラスの企業群は見逃さない。

 よって、このようなイベントが行われているというわけだった。


「もうこんな季節か……」


 エリヤは冷たい風が流れ込む窓を閉めた。


 夏正ロボティクスの第一技術研究センターで起こった事件から、一週間が経っていた。

 あの後の顛末をテレビやラジオから集めようとしたが、どのニュースも『自動人形による銃撃戦』や『その結果、負傷者が出た』という部分にフォーカスされて、思うような情報は得られなかった。


 それどころか、事件から二日後には別のセンセーショナルな記事に取って代わられ、新情報が出ることもない。

 ただ、この事件を鎮圧したオペランド社の株価が少し上がっただけだった。


 エリヤは病院に入院している。

 澤井ユメに向かって放たれたエーデルグレンツェのショックウェーブを庇った結果だった。


 あの時、エーデルグレンツェが腕を向けている人物──澤井ユメが見えた瞬間、エリヤは何もかもを忘れて走り出していた。

 それが正しい判断だったのかは未だに分からない。


 その結果、ショックウェーブの電撃に貫かれた身体は心臓が止まり、左胸の皮膚や筋肉も強烈な電流を浴びたことで網目状の傷が残ってしまった。

 一命は取り留めたものの、傷跡は一生残るだろうと医者に言われたことを思い出す。


 目覚めたのは病室であり、あの後エーデルグレンツェやアカリがどうなったのかまでは分からなかった。


「失礼します。直角エリヤさんに面会したいという方がここに」


 コンコン、とノックをされてエリヤの返事を待たずに病室の扉が開けられた。


「ちょっと……」


 抗議の声は、途中で消えた。


「エリヤ君……」


 澤井が入ってきたからだ。ストライプのシャツにブルーのパンツ。ラフな格好だが、そんな雰囲気は皆無だった。


「ユメさん……?」


 いつもの明るい表情とは違い、暗く陰っている。まるで、今にも世界が終わってしまうかのように。


「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」


「ち、ちょっと待ってくださいよ……あれはオレが勝手にやったことで──」


 エーデルグレンツェの攻撃から澤井を庇ったのはエリヤ自身の意思だ。

 それに……エーデルグレンツェは倫理規定が搭載されていないアマテラスの法から外れた機械人形だ。

 あの時、攻撃を澤井に当てれば、エーデルグレンツェはアマテラスの『敵』になっていた。

 むしろ、自分だけが怪我を負うことであの場を収めることができたならばそれで良かった。


「──そういうわけですから、ユメさんは安心してください。悪いのは全部あのオペランド社です。ユメさんは会社の命令に従っただけで、何か誤解があったんですよね?」


「違う……違うの」


「……ユメさん?」


 しかし、澤井はまるで何かに怯えているような態度で身体を震わせている。


「──」


 何かを決心したのか目をぎゅっとつむると、見開いた。カツカツとベッドに座るエリヤに寄って、顔を寄せて小さく叫ぶ。


「今すぐ逃げて。ここから、早く……!」


「何を──」


 澤井は手に何かを握らせてくる。──手を開いてみるとそれは、数枚の紙幣だった。

 

「ちょっと、止めてください! 意味が分かりませんよ!?」


「お願い。私のせいなの……! そのお金でタクシーでもつかまえて、アマテラスから逃げ──」


「──もうすぐ春か。暖かくなりそうだな」


 澤井に続いて、病室に脚を踏み込んできたのは白スーツの男だった。腕には白い花を抱いている。

 初老の男だ。薄っすらと皺が顔に刻まれている。頭髪は老いを隠すためかブロンドに染められて、ふんわりとワックスで纏めていた。

 白スーツの左胸につけられている金色のバッジは──


「君はいらない。退いてくれ」


「っ、申し訳ありません……!」


 その男が澤井の肩に触れると、まるでスタンガンを食らったように痙攣して即座に立ち上がると、向き直って深々と礼をした。

 男の視界にすでに澤井は映っていない。


「ごきげんよう。君が直角エリヤ君か」


「あなたは……」


 柔和な顔で笑いかけてくる初老の男。

 しかし、エリヤは不安が黒い霧となって、自身の胸を覆い尽くすような感覚に陥った。


「私は、アマテラス連合会の者だ。名をデイビッドという。ローラが世話になったな。我がグループの面倒事に巻き込んでしまいすまなかった」


「っ、ローラの……!?」


「謝罪をここに」


 男は白い花を病室の花瓶に差し込んだ。


 あの赤髪の女を思い出す。

 つまるところ、この男は連合会の──


「さて。私が君を訪ねたのはとある要件を片付けるため。そこで澤井ユメに接触し、君に合わせるようかこつけたというわけだ」


「っ、ごめんなさい……私、そんなこととは知らなくて……」


「はは、ごめんなさいということでもないだろう? 私は血肉を貪る鬼ではないのだから。──私はただ、君に契約を求めにきたというだけだよ」


 澤井は異様なほどに怯えている。そんな彼女をデイビッドは微笑を浮かべながら眺めていた。


「……っ」


 思い出した。思い出した。

 ラジオで何度も聞いたことがある。


 彼はデイビッド・ヒューイット。

 ブランド・マーニーのCEOであり、アマテラス連合会の重役だ。

 金のバッジは、それを示すもの。


 この都市には、同じような金のバッジが十六個存在する。


「さあ、君の答えを聞かせてくれ」


 ……なんだこれは。

 自分は一体何に首を突っ込んでいるんだ。

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