14.『逃亡劇』

 その瞬間、誰よりも早く動いたのはアカリだった。


「ダメだよ! ユウは私のものだ!」


 そのまま女とユウの間に仁王立ちになって手を広げる。足が震えている。


「アカリ……あなたは」


「ユウは黙って!」


 ユウの心配するような声を一蹴すると、目の前の黒スーツ姿を睨みつけた。


「ユウは私のもの。小さい時から、ずっと一緒だった!」


「アイドルの仕事の都合上の話ですよ、アカリさん。あなたの身の回りに親しい振る舞いを見せる自動人形がいることは歓迎されません。……先日のライブを忘れましたか?」


「それでも」


「犯人はステージで刃物を振り回したのです。ともすれば、他のメンバーが傷つけられたかもしれない。あなたの執着のせいで今後似たような事件が起こった時……可能性の芽を摘んでおくというのが一番良い手段なのでは?」


 澤井がゆっくりとアカリに近づいて、


「こっちに来るなっ!」


「落ち着いてください……あなたは大人です。フェアリアルと雇用契約を結んだ社会人なのですよ? このままでは、あなたが仕事を失う可能性も──」


「……だったら……だったら、そっちのほうが良い!!」


 アカリはユウに叫んだ。


「ユウ! 私を連れてここから逃げて!」


「しかし……」


「いいからッ!」


 命令に従い、ユウはアカリを軽々と持ち上げて逃げ出した。

 ──だが、


「……命令です。オペランド社」


 いつの間にか、大量の黒スーツの男たちに包囲されていた。

 先ほどまでロビーでコーヒーを飲みながら寛いでいた研究員たちも、オペランド社の社員によって、ロビーから追い出されている。


「ッ、これがアンタたちのやり方なの!?」


「この者たちはただの護衛です。これからの話は機密なので、用意したまでですよ。……アカリさん。私たちが争う必要なんてないはずです。私たちはただ、あなたを守ろうとして──」


「ユウを手放せだなんて言ってきて……いまさらそんなことを……!」


「まずは誤解を──」


 女とアカリ。

 二人が睨み合う中で唐突に。


 甲高いブザーが鳴り響き、天井に取り付けられていたスプリンクラーが作動し始めた。


 冷たい水が降り注ぐなか、ブザーと共にセンターの各区画の防火シャッターが次々と閉まっていく。


『第三フロア男性トイレにて、発火を検知しました。周辺職員は直ちに規定のルートにそって避難してください。繰り返します。第三フロア──』


「……なるほど。そういうことですか」


 機械音声のアナウンスが響くなか、混乱に陥ったその場で唯一この事態を正確に理解したのは、エーデルグレンツェだった。


「掴まってください」


「え、わっ!?」


 エーデルグレンツェは、ユウとアカリ──両者の手を掴むと防火シャッターが閉まり切っていない区画に滑り込んだ。


「っ、逃げられた! あなたたち!」


 途端にガシャンと重苦しい音を立てて落ちる防火シャッター。向こう側では、ようやく状況を理解したのか防火シャッターをバンバンと叩いている。


「マスターと私は、あなたたちのボディガードです。安全は守りましょう」


 エーデルグレンツェは、腕に青白い紋様をまとわせると防火シャッターの制御装置に手をかざして電流を流し込んだ。

 途端にスパークして、黒焦げになってしまう。これで物理的な破壊をしなければ、この通路から追ってくることはなくなる。


 防火シャッターは調べたところによるとセラミックとチタンの合金製のもの。破壊にかかるコストは相当なものだ。

 すなわち、相手の火力を消耗できる。あるいは時間を稼げる。


「しかし、どうやって逃げるというのですか」


「ここは第一センター、周囲は囲まれている夏正ロボティクスの技術研究センターは第一から第三までのセクターがあります。それらはニュー・コロラド川の下──地下連絡通路で繋がっています」


 小走りになりながらも説明する。

 聴覚センサーが、遠くで金属の削れるような音を検知した。強引に突破するつもりらしい。愚かな。


「何か、音が──」


「──チッ!」


 後ろを振り向こうとしているユウの横腹を蹴り飛ばし、壁に叩きつける。

 次の瞬間、ユウの頭があった場所を銃弾が貫いた。


「伏せなさい!」


 避けきれないと判断。即座に手刀で壁を薙いで即席の『盾』とする。じゃがいもの皮のようにべらりと切断されたそれは、最先端の合金の塊だ。

 

 果たして──壁を薄切りにして、床に突き立てた『盾』は斉射される銃弾の嵐を一つも貫通させることなく防いだ。


 そして。


「────」


 位置と座標は、完璧。

 後は──


「ユウ。アカリを守りなさい」


「了解しました」


「ちょっと!? どうなってるのよ!?」


 脚を振り上げる。──そして、渾身の力を込めて踏みしめた。


 床が、タイルが波打って、限界を迎えて砕け散る。そのまま耐久ワイヤーが次々と断裂し、コンクリートと鉄筋に致命的な破壊が生じて──


 エーデルグレンツェは踏撃の強力なインパクトで──フロアの床を木っ端微塵に崩落させた。


「きゃああああああああああああああ!?!?」


 悲鳴をあげるアカリを身体全体を使って、抱きかかえるようにしながらユウは落下していく。

 残骸や瓦礫が真っ暗な空間へと吸い込まれていく。


 だが、この先にあるのは各セクターを繋ぐ地下通路だ。エーデルグレンツェは、呆れるほど単純に──最短距離で地下通路にたどり着いた。


 落下していく。


 そして、赤黒いランプがぼんやりと連なる地下通路へユウのアカリはゴロゴロと転がりながら降り立ち、エーデルグレンツェは片膝をついて着地した。


「いやいや、オマエ……マジかよ……!」


 暗闇のなかから現れたのは、自動運転の自動車に乗り込んだエリヤだった。

 転がるようにしながら、車を飛び降りて駆け寄ってくる。


「床に穴を開けて地下に降りてくるやつがどこにいるんだよ!?」


「失礼しました。地下通路に通ずるエレベーターは全て止められているか、見張られていると思ったので」


「そうだよ、見張られてたよ! だからエレベーターの一つを開放したって、連絡しようと思ってたのに……!」


 エリヤの格好はボロボロだった。刃物で切られたような傷跡があちこちにあり、服の裾は焦げ付いている。

 しかし、オペランド社の正式銃をポケットにしまってあったり、自動車を奪ってきたのは予想外だった。


「ほらっ、さっさと行くぞ!」


「う、うん」


 ◇


 呆気に取られているアカリをユウは抱きかかえて自動車の後ろに乗り込む。エリヤが運転席で、エーデルグレンツェは助手席だ。


 スイッチを押すと途端に走り始める自動車。見る見るうちに崩落現場が遠ざかっていく。目的地の設定はニュー・コロラド川を挟んだ向かいの建物群である第二センターだ。

 確かにあそこならば、建物が複雑なので見つかりづらいだろう。

 しかし。


「失礼」


「なっ、」


 エーデルグレンツェが腕をハンドルに押し当てて電流を流し込んだ。

 途端に自動運転機能がシャットダウンして、車はふらふらと蛇行を繰り返す。


「何すんだよ!? 車を壊す気か!?」


「いいえ」


 エーデルグレンツェは助手席からハンドルを握り、そのまま運転し始めた。


「アクセルを踏み込んでください。思いっきりで構いません」


「なんなんだよ……っ!」


 見る見るうちにスピードが上がっていく。


「この自動車はオペランド社のものです。当然、自動運転システムはオペランド社の手中にあるといってもいいでしょう。発信機もあるかもしれません」


「だから、自動運転を切ったのか?」


 今の世の中、自動運転システムを切った自動車なんて見たことがない。そんなものは自動運転システムが搭載される前の骨董品だ。博物館に展示されているような代物だ。

 手動運転なんて、エーデルグレンツェにできるのか?


「チッ。もう追いつかれましたか」


 バックミラーを確認した金色の瞳が不快感を示すようにつり上がる。


「マスター、銃を」


「へ?」


 エーデルグレンツェの顔がこちらに向けられて、素早くポケットからオペランド社の拳銃が取られる。


「何をする気なの!?」


 アカリの悲鳴に、エリヤは咄嗟にバックミラーを覗き込んだ。


 漆黒のバイクに乗り、同色のライダースーツを身にまとった追跡者たちが自動車を追いかけている。

 顔は真っ黒なヘルムに隠されており、見えない。

 友好的な人物でないことは確かだろう。


「まさか、エーデルグレンツェ──」


 エーデルグレンツェは窓ガラスを開け放つ。途端に暴風が車内に吹き込んでくる。目がめちゃめちゃに痛い。涙が吹きこぼれている。


「──」


 エーデルグレンツェは窓ガラスから身を乗り出して後ろに向けて拳銃を構えた。


「狙い撃つつもりなのか!? こんな不安定な──」


「集中して運転してよ!! アクセルをもっと踏んで!! 前を向けっ!!」


 アカリがエリヤに向かって怒鳴る。涙と鼻水でぐしょぐしょ。今にも殴りかかってきそうだ。アイドルがしてはならない顔になっている。

 

「あー、もうっ! チクショウ、なんでこんなことに!!」


 リミッターを弾いて止めると、フルスロットルまでギアを上げる。一息にアクセルを開けた。

 バイクの集団に囲まれていた中から、矢のように自動車が飛び出す。


 銃弾が自動車目掛けて飛んでくる。オレンジ色の火線が火花を散らして、車体で弾け飛ぶ。

 相手もエーデルグレンツェと考えることは同レベルだ。


 どっちが先に相手を落とすか、その勝負。


「どっちも脳筋過ぎるって!!」


「前! 前!!」


「っ」


 大きな右回りのカーブ。完全に見落としていた。

 このままでは最高速度で壁に激突、そのまま爆散だろう。


「曲がれぇえええええええええ!!!!」


「きゃああああああああああああああ!?!?」


 ハンドルを急旋回。サイドブレーキを活用し、ドリフトを決める。壁に擦れた車体からは火花が散って、車内には強烈な重力加速度がのしかかる。

 吐きそうだ。


 カーブし切れなかった追撃のバイク数台が、まるでねずみ花火のように壁に激突。そのまま弾け飛び、エリヤたちの耳に閃光と轟音を届けた。

 ぞっとする。数瞬遅れていれば、あれが自分の未来だった。


「ね、ねぇ……! 車の運転なんて、どこで習ったのよ……!」


「昔、ストリートのやつらにこき使われたときに──」


「はぁ?」


 何の経験が役立つか分からないものだ。


 次の瞬間、エリヤの頬を掠めるように火線が車内を貫通してフロントガラスを円状に割った。


「ひっ、」


 アカリはユウに抱かれてブルブルと震えている。


「え、エーデルグレンツェ!! はやく、早くしろ!!」


「──分かっています」


 エーデルグレンツェの金色の瞳が極限まで細く絞られた。


 マズルフラッシュが閃くたびに、追跡者が減っていく。


 正確無比な銃撃。

 タイヤに当たり、パンクを誘発させることもあれば、燃料タンクを掠めて燃料をぶち撒けたり──はたまた派手に引火させて大爆発を起こさせたこともあった。


 気がつけば、銃撃が止んでいる。

 エーデルグレンツェは一発たりとも無駄玉を撃たなかった。


「完璧です」


「はぇえ〜。やっぱすげぇなぁ」


「当然です。私は高性能ですから」


 弾切れの銃を窓の外から放り投げて、窓を閉める。


「あんたたち……」


 アカリがまじまじとエリヤとエーデルグレンツェの顔を交互に見ている。


「追手は潰しましたが、地上で先回りされているかもしれません。……オペランド社が今回の任務にどれだけのリソースをかけているか、それが分かればいいのですが」


「そ、そんなことより運転代わってくれ! う、腕が震えて……」


「弱々マスター」


「うっさいな!」


 エーデルグレンツェにハンドルを返すと、エリヤは急激に力が抜けて椅子にもたれかかった。

 十年分も、二十年分も寿命が縮んだような気がした。もう二度とやりたくない。

 というか、やっている事自体がおかしいのだ。


 殺し屋まがいの民間軍事会社に追いかけられるなんて。


「……そろそろ地下通路を抜けます。念の為、頭を伏せて下さい」


 暗闇のなかに赤黒いランプがポツポツと灯っている景色から、ゆっくりと周囲が明るくなっていく。

 やがて、暗闇の中に光が見えた。


「3……2……1……、出ます!」


 工事現場に飛び出した自動車は、看板や積まれていた鉄骨をなぎ倒して、やがて、車体を傾けて停止した。

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