9.『ほのかな心』

「結構結構。かっこいい主人公してるわね。……で、それが君の答え? 考え直す気はない?」


 ローラはトランクから出した紙をひらひらとさせた。その口元は微笑んでいる。


「ほら、契約書だって用意してある。一通り見てもらっても構わないわよ。何日でも付き合ってあげる」


「お前らの言うことは信用ならない。それに、契約書にはアレルギーがある」


「そ。確かに弁護士を通さない契約書なんて、地獄の扉みたいなものね。隙を見せたらあっという間に引きずり込まれる」


「……あんたがそれを言うのか」


「信頼できるでしょ?」


 食えない女だ。

 ローラはゆっくりと腕を上げる。

 そして、傍らに置いてあったベルをチリン、と鳴らした。


 表情を固くしていると、大きなため息をつかれた。


「そう警戒しないでよ、めんどくさいわね。私はただのサラリーマンだし、荒事は真っ平ごめん。週末には新しいシリーズの映画も見なくちゃいけないし、月曜日には本国に飛ぶの」


「……アマテラスの外に?」


「ヴィクター&ヴィクターズの本社はオークランドにあるのよ。連合会も大忙しなんだから、わざわざ礼状も出てない君に構ってられないってわけ」


 すぐさま現れるホテルスタッフに気だるげに伝える。


「預けた服は全部乾かして、この子に渡して。チップは後で払ってあげるから」


 ちらりとローラはエリヤに目線を飛ばす。

 エリヤはすでに荷物をまとめていた。


「あら、もう行くの?」


 早くこの女の全てを知っているようなわざとらしい薄っぺらい笑い顔から逃れたかった。


「もう少しゆっくりしていったらどうかしら? ほら、ちょうどメジャーのインタビューをやっているみたいだし」


「どうだっていい」


「そう言わないでよ。乙女の扱いのコツを教えましょうか?」


 それこそ、どうだっていい。


 ちらりと見るとローラはベッドに足を投げ出して、片手でリモコンを操作していた。

 壁面が一斉に反転して、部屋の一面が巨大な液晶に変わった。


 映し出されているのは、金髪の男だ。青色の目は彫が深くて、影を落としている。仏頂面を崩さずに何本も向けられたマイクに向かって淡々と質問に答えていた。


「アレックス・ライト……」


「有名よね。今期のメジャー優勝者候補だと堂々の首位。アマテラス外からやってきては一躍躍り出た新星」


 メディアに囲まれ、華々しく輝いているステージに上り詰めた男。

 その総資産は、先月五十億を超えたという。


「まさにアマテラス・ドリームね。さて、君はどんな夢を持っているの?」


「夢……」


「最初から夢を持っていない。途中で夢を諦めた。という二点には大きな違いがある」


「悪いかよ」


「そんなことないわ」


 ローラの言いたいことがまるで分からない。この話の着地点はどこだ。それに、連合会の使者として少々喋り過ぎじゃないか?


 エリヤが踵を返して部屋から出ていこうとしたとき、ローラは唐突に液晶の電源を消した。


「ただね。ここアマテラスにおいて、夢は叶えることができるからこそ夢なのよ。そして、私たちはただ夢を追いかけているだけ。それこそが発展というものよ」


 理解不能だ。


「ホットラインが登録してある通信機はホテルに預けておいたから、もし良かったらもらってね。……連合会の使者、美人のお姉さんと連絡を取る手段。どちらにしても損はしないはずよ」


 にこりと微笑む気配。


「これからお互い良い関係を築きましょうか、直角エリヤ君。今にもホテルを襲撃してきそうな下の自動人形にも、よろしくね? また会うことになるでしょうから」


 エリヤは背後にあるローラの顔を見れない。ただ、無性に腹ただしく感じて、思わず舌打ちをした。


 ◇


 ホテルスタッフから、上等な洗濯と乾燥機で乾かしたらしい服を手渡され、そのまま案内に従うとホテルの目の前で仁王立ちになっているエーデルグレンツェが見えてきた。

 彼女の周りには大勢の警察官が取り囲んでいる。そんな包囲に一瞥もせずに、ただこちらを睨みつけている。


「あいつ、何やってんだ」


 チェックアウトを済ませて、外に出るとエーデルグレンツェがつかつかと歩み寄ってきた。

 そうして、お手本のような剣呑とした表情を見せて、低い唸り声を出す。


「私、言いましたよね」


「うっ」


 エーデルグレンツェの人差し指が胸を突いて、グリグリとえぐってくる。


「『知らない人にはついていくな』と。それなのにみすみす付いて行くだなんて。呆れました。もしやあなたは幼児なのでしょうか? もしそうだとしたら私の中の評価を改めねばなりません」


「だ、だってしょうがないだろ……あのあと警察のお世話になるところだったんだぞ」


「──エリヤ様の趣向を『幼児プレイを楽しむ変態』へ更新しました」


「ふざけるなよ、オマエ!! そもそもエーデルグレンツェがオレから離れたりしなければ──」


 言い合いながらも、周囲を取り囲む警察官の視線は冷たい。このままでは自動人形相手に喧嘩をしているただの痛いやつだと思われてしまう。


「熱」


 エーデルグレンツェがエリヤの目をじっと覗き込んでくる。その金色の瞳はどこか疑っているようにも見える。


「ああ?」


「下がったのですか?」


「……? ホテルで寝たら治ったよ」


「……そうですか。馬鹿は風邪を引かないとありますが、どの世界にも例外はあるようですね」


 エーデルグレンツェの顔は相変わらずの無表情だが、どことなく怒っているような気がする。意味が分からない。全くもって意味が分からない。


「オマエは人をバカにしなくちゃ喋れねーのかよ! 早く行くぞ、色々と面倒になる前に!」


「こんなことを言うのはエリヤ様だけです。特別待遇ですよ」


「こんなに嬉しくない特別は初めてだよ!」


 エリヤはなぜか頬を膨らませるエーデルグレンツェの手を引いて、この場を離れることにした。




「連合会ですか? 使者が接触してきたと」 


「そうだよ。アイツ、オマエを引き渡してほしいとか言ってきたんだ。急にホテルに連れ込まれたと思ったら借金を全額チャラにするとか……怪しすぎていっそ清々しいほどだったよ」


「借金……」


 あのクソ親父がエーデルグレンツェを連合会から盗んできたと聞いたときにはびっくりした。エリヤも流石に身内の罪を被って死ぬほど愚かではない。


 だけど。

 連合会は、終始エーデルグレンツェを『モノ』として扱っていた。

 そんな連中にエーデルグレンツェを渡すなんて冗談じゃない。


「あんのクソ女……断ってやって正解だったよ」


「……断ったのですか?」


「ん?」


 俯いていたエーデルグレンツェの顔がぱっとあげられてエリヤを見る。その瞳は激しく収縮と拡大を続けており、エリヤの内面を読み取ろうとしているように見えた。


「エーデルグレンツェは、チャンピオンロードに行きたいんだろ? だから断った」


「だから断った……って。エリヤ様は本当にそんな理由で連合会を……」


 エーデルグレンツェはそのまま黙ってしまう。

 やがて、口元をほころばせて、


「エリヤ様は、やっぱり頭が悪いです」


 なぜかそんな罵倒を口にした。

 普通そんな事あるか?


「っ、うるせーよ! オレはエーデルグレンツェ、オマエをメジャーに連れて行くのを諦めてないからな! 後、オマエのためじゃなくてオレのためだから!!」


「それはお断りしますと言ったはずですが」


「今は何でも好きに言ってろよ! だけどな、きっとエーデルグレンツェもメジャーの試合を見れば出たくなるはずだ。オレが保証してやる!」


「……やっぱり、あなたは頭が悪いですね」


 今に見ていろよ、エーデルグレンツェ。きっとメジャーの光のもとに連れ出してやる。


 エリヤは鼻をこすって、ニヤリと笑う。

 そんなエリヤをエーデルグレンツェはどこか昔を思い出しているようなぼんやりとした顔で見つめていた。


「それはそうと、オレたちには重大な問題があることを忘れるんじゃねーぞ」


「公権力に追われる犯罪者」


「違う。そうだけど、そうじゃない」


 自分で言ってて悲しくなってきた。

 一番の問題は──


「……金がないんだよ」


「金、かね、カネ。あなたは口を開けばそれですね。本当に人生が寂しい人です。人生を豊かにするために、読書などはいかがでしょう? あ、文字読めます?」


「うっせー! 黙ってろ!」


 ナチュラルに煽ってくるエーデルグレンツェを黙らせて、エリヤは血を吐くような叫びをあげた。


「メジャーの参加費だってただじゃないし、そもそも今だって腹が減ってしょうがないし、今晩泊まるところだってねーんだよ!! オレは金が欲しいっ!!」


「現金なら私のコピー能力で複製すれば実質無限──」


「却下!! てか、そんなこと出来るのかよ!?」


「まあ、嘘ですが」


「…………」


 何言ってんだ、何言ってんだこいつ。

 腹が減りすぎて頭が回らなくなっている自覚はある。実際エーデルグレンツェのような常識外れの自動人形にはそれくらい出来ても不思議じゃない。


 むしろ無限増殖した現金ならバレなければそれはそれで──……よくねぇだろ。


「オレは、国家を敵に回す気なんて……ない」


「はぁ、つまらないですね」


「せめてあのホテルのスープ全部飲んどけば良かった……」


 過ぎ去りし時を嘆いたところで仕方ない。

 

「ちょっと日雇いのバイトでも──」


「はい? この究極の自動人形である私エーデルグレンツェにそのような仕事をやらせるつもりですか?」


「しょうがないだろ! 職業に貴賤はないってことで頼むって! ほら、あそこで募集してる『道端に手袋の片方を落とすバイト』とか──」


「なんですかその摩訶不可思議な仕事は。それは本当に仕事なのですか──」


 雑居ビルの壁面に貼られていたバイトのチラシについて言い合っていると、声をかけられた。


「ねえ、君たち! 私のこと知ってるよね?」


「……え?」 


 振り返るとそこには、自信を全身から光として発散しているような少女が仁王立ちしていた。

 艷やかな黒髪をサイドに纏めた容姿端麗な外見。そして、自信満々な表情。

 一目見れば忘れられないだろう立ち姿──だが。


「私のこと知らない? こんな全身美少女を見ても、本当に知らない?」

 

 誰だこいつ。

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