8.『連合会との取引』

 ダウンライトの穏やかな照明が辺りを照らしている。エリヤは、ぼんやりと目を開けた。

 肌に触れる感覚がふわふわしていた。髪の毛も濡れていない。服は白いルームウェアに着替えさせられていた。


 起き上がると、エリヤの前にあったのは巨大なガラス張りの窓だった。


 ここは、高層ホテルだろうか?

 窓の外から、『コ』の字型の建物だということが分かった。超高層建築だ。

 曇ったガラスを擦り、目を凝らしてみる。

 遥か下に自動車の明かりが緩やかに流れていく。まるで血管に沿う血液のように。

 まだ雨は窓を濡らしていた。


 なぜ自分はこんなところに──


「よく眠れた?」


 振り返ると、そこには赤髪を背中まで流した女がいた。くっきりとした目鼻立ちに、すらりと伸びた手足。年齢は二十代後半から三十代前半といったところか。

 見ていると怖くなってくるほどに美人だ。

 それに、服装はエリヤと同じルームウェア。

 疑問が無数に湧く。


「ここは──」


 エリヤが慌てて立ち上がろうと、ベッドに手をついた瞬間、ふらりと視界が歪んだ。

 肩を支えられる。


「君、まともに食べてないでしょ?」


 差し出されるのは、並々とスープが注がれたカップだ。その匂いにつられた腹の虫がぐぅと鳴る。


「このホテルは私のお気に入り。特にルームサービスが最高なの」


 そのままベッドに座って、テーブルから電子煙草を取るとスイッチを弾く。

 微かなフルーツの香りが漂った。


「ライムは好き?」


「……いや」


「そ。頭がスッキリするからオススメなの」


 エリヤは女を横目に見ながら、腹の虫に耐えきれずにスープを少しだけ飲んだ。チキンとパセリの入り混じった芳醇な香りが胃の腑に流れる。

 ……信じられないほど美味しい。


「さて、少しばかりお話しましょうか? 直角エリヤ君?」


「……名前を知られてるのには、驚かねーよ。借金なら返せないからな」


「借金、ね」


 女はくすりと微笑んで脚を組んだ。


「君は、自分が抱えている苦しみの根源が君のお父様の借金だと考えているようだけれども」


「……やっぱ借金取りかよ」


「人の話は最後まで聞くものよ」


 不貞腐れたように呟いたエリヤの顔に、女は煙を吹きかける。

 けほ、けほっと咳き込むエリヤに気を良くしたのか彼女の顔に笑みが広がった。


「今日、ここで君の苦しみに決着をつける気はないかしら?」


 何を言っている?


「借金なら自分で何とかする。保険金詐欺はしないぞ」


「私は詐欺師じゃないわ」


「投資信託を勧めるなら他を当たれ」


「私が銀行員に見える?」


「遠洋漁船は乗らないし、内臓を売るなんてもってのほかだ」


 女はため息をついた。煙とともにライムの香りが薄く広がる。


「ずいぶんな仕打ちを受けてきたようね。安心して。私はしがないサラリーマンよ」


 女は電子煙草を咥えたまま、トランクから白いカードを取り出してエリヤに差し出した。

 名刺だ。


「……ローラ・サヴィルバーグ……アマテラス連合会所属!? な、なんで連合会の連中がオレに関わってくるんだよ!?」


 その組織を知らないアマテラス市民はいない。

 超巨大都市アマテラスを形作る大企業──そのトップがまとまり、『連合会』という巨大な組織を作り上げた。


 表向きの代表である州政府も連合会の言うことは従わなければならない。まさに、暗黙の掟だ。

 ローラという女は、そんな都市のトップからエリヤに向けて派遣されてきた。


「何が目的だ?」


「そう警戒しないでちょうだい。私個人としては、君に同情すら覚えるほどなんだから」


 ローラは椅子に腰掛けてテーブルの上にあった端末をスワイプする。そして、ふっと笑った。


「直角エリヤ。十三歳。アマテラス特別区にて日本人の父とアメリカ人の母との間に生まれる。母は君が生まれて間もなく死亡。父は思想犯と数多くの余罪が起訴されて投獄。ミドルスクールはクロッカス特別学校に進学。成績は優秀とはいえず、軽犯罪にも手を染めていた。間違いないかしら?」


「……は?」


 クソ親父が投獄されている?

 なんの冗談だ?

 蒸発したからには、何かしらがあると思っていたが、投獄されていたとは。

 ローラは小馬鹿にするような態度で鼻を鳴らした。


「実に香ばしい履歴ね。アマテラスの現行少年法では救うことのできない影をまざまざと見せつけられた気分だわ」


「……そんなこと知るかよ」


「ええ、そうね。私は政治家ではないもの」


 パチンと指を鳴らすと、端末はあっという間に小型サイズに折りたたまれ、ローラの手のひらに収まった。


「私は商人よ。君には取引に応じてもらう。そのために私はここにいるの」


「……取引?」


 連合会が直々に持ちかけてくる取引。

 いくらモノの分からない子供だとしても、そこに込められたきな臭さを感じ取ることは出来る。


「あのType.L──エーデルグレンツェを、連合会に引き渡しなさい。そうすれば、君が負っている面倒事は全てこちらで負担するわ。利子ゼロの奨学金だって保証してあげてもいい」


「な、なにを」


『エーデルグレンツェ』というワードが出た瞬間、エリヤの肩がぴくりと揺れる。


「っ、」


 即座に後悔する。

 今のはまずった。


 ローラが小気味よくこちらを見ている。


「なるほど。『エーデルグレンツェ』という単語が何を意味しているのか理解していると。ふふっ、やっぱり私の仕事はピカイチね」


「……オレは、何も知らない」


「そ。ならばここからは独り言よ」


 ローラが椅子から立ち上がって、エリヤの背後に立った。

 カップに注がれたスープにさざ波が立つ。


「君の父は、思想犯として投獄されたと記録には残されているけれど、余罪がまだまだたくさんあるの。そのうちの二つが、不法侵入と窃盗」


「……」


 何をやってたんだ、クソ親父。


「問題は不法侵入した場所が連合会ビルで、窃盗したものがType.L『エーデルグレンツェ』という未知の自動人形だったことよ。……いいね、君の父親。どんな世紀の大怪盗でも、まさか連合会ビルに盗みを働くなんて思いつかない。どうやってあのセキュリティーを突破したのか、ご講説願いたいわ」


 知るか。


「ともかく、君の父にはそういう容疑がかけられている。そして、かの自動人形は盗まれた後どこに隠されているのか。連合会が必死こいて探した結果、君にたどり着いたというわけよ」


 すでにスープは冷め切っていた。

 クソ親父のことは、何一つ知らないし、知りたくもない。ただ、連合会が直々に自分を訪ねてきたということは恐らく全て事実なのだろう。

 それを受け入れられるかどうかは、また別の話で。


「今、君には二つの選択肢があるわ。一つ、エーデルグレンツェを私たちに差し出すこと。あの自動人形は元々アマテラス連合会の財産なのよ。チャンピオンロードに保管されていた重要文化財扱いなんだから」


 ローラの爪が机をコツコツと二回叩いた。


「私に会ったことも、あの自動人形のことも忘れて元の生活に戻る。ああ、未解決事件を引き起こした犯罪者の子供として、もしかしたら当分の生活は当局の監視下かもだけど問題ないわよね? 無料でボディガードがつくとでも思えばいい」


「……二つ目の選択肢は?」


「察してよ。私は君に対してその提案はオススメできないの。流石の私でも子供に対して無体を働くのはごめんだわ」


 それは取引と言えるのか?


「さあ、選んで頂戴。どっちを取るのか──」


 ただ、幼い頃に酒を浴びるように飲んでいたクソ親父から聞かされた愚痴を思い出した。


 ルール、ロジック。

 人の社会で生きていくなら、一見受け入れがたいものでも受け入れなくちゃならないときが来る。

 一つまた一つと自分を削り取った先に残っているのが、本当に大切なものだ。


 それから、決して目を離してはならない。


 ──だから。


「取引はごめんだ」


 ベッドから素早く飛び降りて、ローラに向き直る。


「悪くない条件だと思うんだけど」


「条件とか関係ない」


「もしかして、あの外見に欲情でもしたのかしら? 確かに美人さんだし、資料によるとType.Lは『そういう機能』もついていると明記されていたけれども──」


「なっ……っ、誰があんなやつに欲情するかっ!! 今は真面目に話してるんだぞ!!」


 そもそも初耳だ。それに、いくら外見が良くても中身があれだ。頼まれたってするものか。


「あんたは一つ大きなものを見落としてる」


「聞きましょうか」


「それは、アイツの気持ちだ。オレとエーデルグレンツェは一緒にメジャーでチャンピオンになるって決めたんだ! それに、アイツを契約書なんかで取引できるような──道具扱いしているお前らに、エーデルグレンツェを渡したくない!」


「イライザ効果ね。──『消費者の感情をアナライズし、それに合わせた反応を返す。違和感のないように』。自動人形の中枢神経回路の理論設計が始まった時のフレーズよ。その様子だと、開発した研究者たちは大層喜ぶでしょうね」


 冷めた表情でこちらを見据えるローラを、きっと睨み返す。


「オレは、アイツをチャンピオンロードまで連れて行ってやるって。……そう決めたんだ! だから、アンタの取引に乗ることはできない!!」

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