7.『ネオンの明かりの下で』

 アマテラスの中央市街は、雨とネオンの光でエリヤの住んでいる外郭地区とは全く違う様相を呈していた。


 綺麗に敷かれたアスファルトの道路には、自動車のヘッドライトが眩く走り、空から降り注ぐ雨粒と排気ガスが混ざり合って薄い霧が広がっている。


 広く取られた歩道では、会社から家に帰る途中のサラリーマンたち、酒を飲み過ぎて座り込んでいる人たち、アマテラス外部からやってきた観光客と思われる華美な格好をした人たちが思い思いに談笑しながら流れていく。

 広告灯の3Dホログラムからは調子の外れた歌と英語の歌詞がこぼれ落ちている。

 自動人形の姿もあった。どれも企業のロゴが入った専用の衣類に身を包んで、人間に奉仕するために動作している。


「……はぁ、はぁ……!」


 エリヤは、そんな人たちの間を走り続けて息を切らしながらすり抜けていく。

 どれくらい走ったのだろうか。

 エリヤの暮らす外郭から、いつの間にかこんな中心市街まで来てしまった。


 顔をあげると、高層ビルの壁面に設置されている超巨大スクリーンがアマテラスを構成する企業群の広告を好き勝手に流している。


『人間アイドルの悲劇!? トップ☆フェアリーの関係者が刺殺される! デイリーニュースポータルズ・アマテラス支部』

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 光で埋め尽くされた都市で、エリヤはついに足を止めて崩れ落ちた。


「……く、そ……」


 エリヤの前にエーデルグレンツェが立って、首をやれやれと振った。


「まったく。人間というものは脆弱ですね」


「……オレの家が……あいつらの手に」


 今頃家の土地ごと借金のかたとして売られているだろうか。

 預金通帳も保険証も置いてきてしまった。つまるところ、身元を保証出来るものをこの一晩で全て失ったことになる。 


「はは……ついにオレもホームレスか。意外と早かったな……」


「はい、とても呆気なかったですね。しかし、何も問題はありません。そこらのホームレスとは違って、エリヤ様には完璧な自動人形の私がついているのです。今のエリヤ様には、このゴミ溜めに住む人間のほとんどが及ばないでしょう。──して、向こうのドーナツショップが気になりますね。寄って行かれては? お腹が空きました」


「はぁ? ドーナツショップって……」


 エーデルグレンツェの話が九十度折れ曲がった。彼女の示しているドーナツショップと思われる店は六車線挟んだ向かい側だ。雨粒と自動車のヘッドライトがチカチカしていて目を凝らしても見づらい。

 やはり、自動人形は人間と性能の差がある。それか単に食い意地が張っているだけだろうか?


「飯をたかる前に金を稼いでこいよ。てか、飯を喰う自動人形とか聞いたことが──」


「実に甘いですね。私は物質転換炉付きの自動人形です。普通にご飯も食べれます」


 なんだこいつ。


「だったらそこら辺の観葉植物でも食ってろよ」


「草は食べ物ではありませんので」


 …………はぁ。


「とにかく今はドーナツどころじゃない。ったく……これからどうすれば……」


 雨が髪の毛に染み込んで、ぽたりぽたりと落ちている。

 すでに服はびしょ濡れだ。

 傘もささずに、こんなところで息を切らしているエリヤは周囲の注目を集めるのには十分だった。ジロジロと好奇の目が向けられる。


 濡れた身体が冷えてくる。


 エリヤは雨に濡れた髪を俯いて絞ってから、近くの軒下へと入った。

 震える身体を抱いて、かじかむ歯の音を聞く。ずぶ濡れの服を着て、シャッターの下がった店の軒下に座り込むなんて、まるでストリートチルドレンだ。これで観光客に向かって手のひらを差し出せば立派な物乞いだろう。

 あまりにも惨めだった。


 どうして中央市街まで来たのか。

 それは、エーデルグレンツェの言葉にある『連合会ビル』が中央市街にそびえ立つ一番大きな建物だからだ。

 高さ六百メートル。

 この企業都市アマテラスを支配する企業群、彼らの言うことには逆らえない州政府の市庁舎が同じビルに収まっている。


 ──その最上階に、エーデルグレンツェが求めるチャンピオンロードがある。


 アマテラスの一大産業であるメジャー。その優勝者の功績が永遠に語り継がれる場所だ。


 エーデルグレンツェは、そんなところに一体何をしに行くのだろうか。

 祖父である直角フミヤ。

 彼のことをエーデルグレンツェは、『マイ・マスター』だといって、メジャーの優勝者だと言っていた。


 意味が分からない。うちの家系からメジャーの優勝者が出たなんて、そんなの聞いたことがない。

 直近のメジャー記録にも、直角フミヤなんて名前は見たことがない。

 ただの自動人形の妄言と片付ければいいだろう。


 ──だが。


 エリヤは思い出す。

 借金取りの車を横転させ、三十人あまりを制圧した力。

 圧倒的に整ったモデリング。

 自動人形らしからぬ、その知性。

 そのどれもが、彼女の言葉を妄言と一蹴するには、存在感が大き過ぎた。


「エーデルグレンツェ」


「はい」


 白い自動人形は真っすぐと連合会ビルを見上げている。その視線は揺るぎない。

 

「あそこに行きたいんだな?」


「はい」


「ったく。金もないってのに……無茶言いやがる」


 足に力が入らない。

 家から中心市街まで、確か五キロメートル余りだったか。

 そんな距離を一度の休みも無しに走り続ければ、動けなくもなる。


(……ああ)


 目の前が暗くなっていく。眠くなってきた。


 遠くに見えるネオンの広告塔の明かりが、ぼやけて、散って。

 歪んで、ほどけて、ばらばらに。


「エリヤ様?」


「……少し、眠いから後にしてくれ」


「待ってください。エリヤ様のような貧相な肉体を持つ人間は、このような場所で睡眠を取るべきではありません。低体温症になる可能性も──」


 がくりとエリヤの頭が揺れる。


「……ちょ、ちょっと待ってください!」


 似つかわしくない鋭い声が飛んできて、思わず意識が一瞬だけ戻る。


 エーデルグレンツェがつかつかと歩み寄ってきて、いきなりエリヤの襟首を掴んでぐいっと引き寄せてきた。

 そのままぴたりと額と額を合わせてくる。


「な、なにを……!?」


「うるさいので黙ってください」


 そう言われてしまえば押し黙るしかない。


「……平常以上の体温です。熱があります」


「だからどうしたんだよ……金もねーし、病院だって……」


 エーデルグレンツェはキョロキョロと辺りを見渡して、


「ここで少しお待ち下さい。決して知らない人にはついて行ってはいけません」


「オレはガキかよ……」


 そのままエーデルグレンツェは目立つ銀髪をひるがえしてどこかへ行ってしまった。

 もしや、このまま放置されるのではと一瞬思ったが、そんな思考をする余裕もなくなるほど頭が重くなってきた。


「……何やってんだろ、オレ」


 クソ親父の地下室から見つけた自動人形のために、生まれたときから暮らしていた家まで失って、今はこうして雨が降っている曇天を見上げている。


 いつの間にか、数人の警察官に囲まれていた。

 どこかしらの善意溢れる市民が通報したのだろうか。


「……こから来たんだ……身分証は……」


 そんな熱心に話しかけられても、答えられない。

 口が開かないのだ。言葉もあんまり理解できない。


 そのまま、泥のように沈み込む寸前。


 端末越しに報告していた警察官が突然、背後を振り向いた。


「──その子、こちらで引き取るわ」


「な、何だ貴様は!?」


 警察官の間から現れたのはトランクを持つ大人だ。そのまま彼らを押しのけて、一言二言口論を交わし、書類を突きつける。

 警察官は書類に端末をかざすと、ピッと電子音が鳴った。


「あ、あなたは……連合会の──」


「とにかく、そういうことなので。許可は貰ってるから。後はこちらに任せてくれるかしら?」


「は、はぁ……」


 頭をかきながら訝しげに何度もこちらを振り向きつつ、警察官は離れていった。


「──ハロー、少年。ホテルとか興味ない?」


「……?」


 一人のスーツ姿の女が、ニヤリと笑いながらエリヤの目の前に立つ。

 赤髪とベレー帽が一瞬だけ視界に映った。

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