5.『ふざけた世界』

「失礼ですが」


「オマエの態度はもう気にしないことにしたよ……で? 今度は何? 代わりの服はないけど」


 エリヤとエーデルグレンツェはリビングのダイニングテーブルに向かい合っている。

 エーデルグレンツェの服装はシャツ一枚では流石に心もとないとして、上下体操服ジャージを渡したところきちんと着てくれた。うちに女物の服なんてない。


「あなたのセンスの無さには驚愕します」だの「汗臭い服を私に着せるという倒錯した願望をお持ちだったとは」だの……文句ばかり一丁前につけてくるやつだった。

 ちなみにジャージは洗濯済みだ。


「あなたのお名前は『直角エリヤ』様です」


「……ああ。その通りだよ。まさか名前にまで文句つけてくるわけじゃねーよな?」


「では、直角エリヤ様。──マイ・マスター『直角フミヤ』様はどちらにお住まいでしょうか?」


「直角、フミヤ……?」


「チャンピオンですよ? あの時は毎日のようにニュースが流れていたというのに……」


 毒舌をすらすらと吐く時とはずいぶん様子が違っていた。

 まるで親とはぐれた子どものような……顔は相変わらずの無表情だが、言葉の端々から不安を感じさせる。


 エリヤは記憶に残る微かな手がかりを脳裏から引っ張り出す。

 クソ親父から、ほんの二言三言聞いた覚えがあった。


「チャンピオンとかは知らないけど……フミヤって、オレのじーちゃんのことか?」


「……あなたの祖父ですか? 名前が直角フミヤ? ご年齢は? 配偶者の有無は? あるいはあなたの父がフミヤ様の子供でしょうか?」


「待て待て待て。じーちゃんのことは、クソ親父からの受け売りなんだ。正直あんま思い出したくないし、そこまでは知らないよ。……ただ、もう死んでる。それだけははっきりと聞かされて、今も覚えてる」


「……そう、ですか」


 深い思案をするように彼女の目のピントがエリヤからズレる。そして、形の良い顎に手を添えて呟いた。


「答えてください。『今』は、何年ですか?」


「は? えっと、2068年だけど……あ、西暦な」


「西暦2068年……? あれから、六十年も月日が……」


 エーデルグレンツェは深く俯いたまま、黙り込んでしまう。やけに張り詰めた様子だった。

 エリヤは緊張に耐えきれず、冷蔵庫から持ってきてきたコーヒー缶を一口飲んで唇を濡らした。味がしない。


「……おい? エーデルグレンツェ?」


「……まさか、あのゴミ溜めどもが裏切りを? 私を休眠状態にした上で……フミヤ様を……いや、そもそもアマテラスそのものが……?」


 ブツブツと小さな声で呟いている。完全に一人の世界にこもってしまったようだ。


 これに困ったのはエリヤだ。

 何やら事情がありそうな気がする。

 それも、エリヤの知らない祖父関連の事情が。


「直角エリヤ様。フミヤ様の血を受け継ぐあなたを見込んで、この私──Type.L『エーデルグレンツェ』から依頼があります」


 ふわりと宙に浮くように跳び上がっての、軽やかな着地。

 そして、ジャージにも関わらず、まるで豪奢なドレスを身に纏っているかのような架空のドレスの裾を掴んでの最上の礼。

 まるで、映画から飛び出してきたような光景だった。


「ち、ちょっと待てよ! 何が何だか分かんねーって……!」


「アマテラスの中心にそびえる連合会ビルの最上階──チャンピオンロードまで私を連れて行ってくださいませんか?」


 そんな光景を見せられて困るのはエリヤだ。


「チャンピオン、ロード? エーデルグレンツェはそこに行きたいのか?」


「……私は、かつてそこに至るための権利を持っていたはずでした。そして、あなたの祖父であるフミヤ様も。ですが、いかなる理由か……フミヤ様の記録は抹消され、私は現在このような僻地にいる」


 自動人形の言葉に熱がこもる。

 ……いや、言葉に熱がこもるというのは単なるエリヤの勘違いだ。エーデルグレンツェの語り口は平素そのもの。つまりこれは、ただの錯覚に過ぎない。

 だが。


「それではいけないのです。私は、彼との約束をまだ……果たしていない。六十年の時が経とうとも、果たさねばならないのです」


 エーデルグレンツェは、エリヤよりも一回り大きな身体を持っている。しかし、傲岸不遜な態度を取る彼女が今はとても寂しげな──迷子の子供のように思えた。


「私を、チャンピオンロードまで連れて行ってください。正直エリヤ様はあまり頼りになりそうもないですが、仕方ありませんので」


 エリヤはふと考えた。

 エーデルグレンツェさえいれば、あのラジオの向こうの世界──夢のメジャー出場も叶えられるのではないのか。

 それに、メジャーで優勝すれば得られるのは莫大な賞金と数多のスポンサーとの契約。

 一生金に困らない暮らしが保証される。


「──チャンピオンロードに、行きたいんだよな」


「はい」


 言った。


「だったらさ──オレと一緒に、メジャーを目指してみないか? チャンピオンになって、正々堂々とチャンピオンロードに行くんだ」


「……」


 エーデルグレンツェ。究極の自動人形。

 メジャーのスタジアムに立てば、その可憐な容姿で人気は間違いなし。それに、スポンサー契約を結べば、一気にアマテラスの頂点に立つことだって出来る。


 富が、名声が、力が。

 その全てが手に入る。


 エリヤはエーデルグレンツェに向かって、手を差し伸べた。

 エリヤの期待に満ち溢れた顔と差し出された手を見て、エーデルグレンツェは──思いっきり顔をしかめた。


「……あの人間の醜さが詰まった競技場へ私を再び送り込むつもりですか? 六十年前から人間の知性は欠片も進化していないようで何よりです」


「…………え」


 嫌悪に、諦観。そして、怒り。

 エーデルグレンツェは、エリヤの顔を見て苦々しく言葉を噛み潰した。


「ち、ちょっと待てよ。だって、悪くないだろ? オマエ、一応見た目は悪くないし……」


 鼻で笑われた。


「……何が言いたいんだ」


「エリヤ様に恋人がいない理由が判明しただけです。特に重要な事柄ではありません」


 我ながら最低なことを言っている自覚はある。六十年ぶりに目覚めたエーデルグレンツェを主人でもない人が利用しようしている。


「メジャーのチャンピオンしかチャンピオンロードには行けないんだろ? メジャーに出ないならどうやって行くつもりだよ。お互いにウィン・ウィンじゃないか」


「いえ、そうではありません。私はメジャーが──」


 直後。

 エーデルグレンツェがエリヤを突き飛ばした。


「っ!」


 エーデルグレンツェは玄関扉を貫いた雷撃に撃ち抜かれて、大音響と共に壁に叩きつけられる。

 何が起きた。


「エーデルグレンツェ!?」


 家の玄関扉が蹴り破かれ、続々と黒スーツの男たちがなだれ込んできた。

 ──借金取りだ。


「あ、あんたら何やってんだよ!? なんで──」


「強制執行手続きだ。大人しくしていろ」


 へたり込んだエリヤに投げつけられたのは、紙の束。そこには、強制執行に関する手続きがずらりと書き連られている。


「そんな、オレはちゃんと利息だって毎月払ってたぞ!」


「昨晩、契約書にサインを頂いたはずだが」


「っ、」


「──行くぞ、金になるものは全て持っていけ」


 昨日、借金取りの圧力に負けて半分無理矢理書かされた契約書。その結果がこれだというのか?

 ふざけてる。


 本当に、ふざけてる。

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