第一章 チューリング・テスト

1.『直角エリヤの健やかなる日々』

 死ぬ!

 今度こそ死ぬ!

 辞世の句を読む暇もねぇ!


「開けんかいゴラァ!! 金返さんかい!!!!」


「やばいやばいやばいやばいやばい……」


 オレが何をしたってんだ。


 そうだ。

 オレは直角エリヤ。十四歳のガキにして、ボロ家に住んでいる落ちこぼれの中学生だ。


 んで、今は必死に玄関の向こうのヤクザまがいの借金取りから扉を蹴破られないように、必死に押えている。


「ブチ殺すぞ、ゴラァ!!!!」


 ガンガンと扉越しに響く衝撃。

 怖い。めちゃくちゃ怖い。


「う、うっせーよ! 金なんかねぇって言ってるだろ!!」


「誰が借りた金だ! きっちり返してもらうぞ!!」


「だから借りたのはクソ親父で──」


 直角エリヤは一人暮らしだ。親戚はおらず、唯一の肉親であった両親は、母が生まれた直後に他界、クソ親父は俺が中学生になってからすぐに莫大な借金をエリヤに残して蒸発した。

 まさしくクソ親父という言葉にピッタリな人物だと言えよう。


「借金は後でぜってぇ返すから! だから今日は見逃してくれよ! 頼むからさぁ!!」


「ならば、契約書にサインをしろ! 内臓を売り飛ばされたくなければな!」


 扉の向こうでチェンソーの唸る音と金属が削られる絶叫が大音量で響き始める。


「ちょ、ちょちょちょ!! 待て待て待て!!」


 エリヤは泡を食って、借金取りの前に飛び出した。


 ◇


「あー、クソったれ……」


 エリヤは痛む頬を押さえて、ひとり愚痴る。廊下に散らばった書類。──あのヤクザどもに無理やり書かされたものだ。

 散々殴られた末に書かされたものだから、正直内容まではほとんど覚えていない。


 どうせろくでもないのだから読んでも読まなくても同じことだろう。


 すなわち、不幸。

 エリヤは生まれた時から不幸だった。


 優しかったと噂の母の顔は写真ですら見たことがなく、家族の思い出といえば不摂生でろくでなしな父の顔ばかり。

 このボロ家ですら、いつ取られるか分かったもんじゃない。


「どうしてこんな目に合わなきゃ行けねーんだ……」


 散らばる書類を適当に拾い上げていく。黄ばんだ窓から外が見えた。


 遠くにそびえるのは超高層ビル群。その周りには完全自動化されたモノレールが縦横無尽に走っており──この『アマテラス』の威容を示していた。

 無数の機械によって彩られた街並みは、ネオンサインによってギラギラと輝いている。

 ──国家よりも企業が台頭したこの時代では企業が完全管理する都市が無数に存在していた。


 複合企業都市──アマテラス。

 そんな大都市の片隅にエリヤの自宅はある。


「あーもう! グチグチ言っててもしょうがねー! それよりも時間だし、そろそろ……っと」


 乱雑に本が詰め込まれた棚の隙間に契約書をまとめて突っ込んで、エリヤは棚から持ち出したラジオをつける。


 そろそろ始まる。

 この番組が、毎日のエリヤの一番の楽しみだった。

 スピーカーからノイズ混じりに聞こえてきたのは、『あるスポーツ』の実況だ。


『皆さま! 四年に一度のこのアマテラス・メジャーへようこそ! 自動人形を戦わせ合うこの競技も今回で二十三回となりました! 実況担当はおなじみのこのワ・タ・シ! プロトコル所属のナーフゼットがお届けいたします!!』


 テンション高めな実況の声が耳に突き刺さる。


「今日の実況担当こいつかー……ナーフゼットの野郎、スポンサーの悪口は絶対に言わないからなぁ」


 愚痴もそこそこに、エリヤはラジオのつまみを捻る。するとノイズ混じりの声が徐々に安定してきた。


『ここ三ヶ月に渡ったメジャー予選も残すところ一週間となりました! 五年前に新設された特別枠では、特殊な条件をくぐり抜けての一般市民も参加することが可能です! しかしながら、この五年間はメジャー予選を突破する特別枠の選手は現れず──』


「……なーにが特別枠だよ。スポンサーの利益にならないトーシローなんて通す気ねーくせに……」


 幼い頃──せいぜい幼稚園か小学校辺り。エリヤはメジャー選手を一時期夢に見たことがある。

 だが、所詮は子供の夢。

 数多の現実のやらの重さにあっけなく夢とやらは崩れていった。


 今のエリヤには、自動人形を買うような金もなければ、スポンサーに目をつけられるような活躍も当然できていない。

 型落ちのラジオを聞いているのが、その証拠だ。


「せめて借金でも帳消しになんないかなー」


 今日の夕食はパスタにしよう。昨日トマト缶のセールついでに麺も買ってあったはずだ。

 ラジオを胸に抱えながら、とキッチンに向かおうとしたときだった。


 ピンポーン、と玄関に備え付けられた時代遅れなチャイムが鳴った。

 ぴくり、と肩が跳ねる。


 借金取りはもうゴメンだ。クソ親父は複数の会社から多額の借金をしていたらしく、借金取りの種類もバラエティー豊かだった。

 ちなみに一番怖いのは、玄関を開けた途端に拳銃を突きつけてきた連中である。冗談じゃない。


「なんだなんだ? 借金取りなら今日はもう──」


 覗き穴から外を伺う。

 まず目に飛び込んできたのは、少しウェーブのかかった黒髪だ。青白い街灯の光を浴びて、淡く発光しているようだった。形の良い鼻に、キリリと伸びた眉。

 紺色のテーラードジャケットに白いパンツを合わせたカジュアルなスタイル。

 見知った姿だった。


 慌てて玄関を開けると、彼女はこちらを見て驚いたように目を丸くした。取り繕うようににっこりと小さな笑みを浮かべる。


「……エリヤ君、だよね?」

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