冒頭B 12月20日AM12:03 ニートを脱却したコンビニアルバイト

「らっしゃせー」


……

………


「あっしたー」


 常連の、剃り込みが目立つガラの悪いあんちゃんがエナジードリンクを数本と同じ数の肉まんを抱えて、駆け足で帰っていく。ドアが開くと、冷たい外気と共に侵入してくる雨音がどうにも耳障りだ。「ほんま人使いあらいわ〜」などと大きな独り言を放つ男を横目に見つつ、レジ打ちの彼はぶはぁと息継ぎをするみたいなため息を吐いた。


 クッッッッッソつまんねぇ〜


 タカシはレジ前でいつもの口癖を頭の中で繰り返し反芻していた。

 そこそこ良い大学を出たが就職に失敗、そこから親の脛を齧り倒してニートとなり四年が経過。

 堪忍袋の尾が切れた父に先月ついに家を追い出された。

 彼に甘い母親が、近くにアパートを借りてくれて決して少なくは無いへそくりを包んでくれたのだが、生活習慣の終わっている自堕落ニート生活が抜けきっていないタカシはものの一週間でそれらを見事に菓子ジュース漫画ゲームエロ本出前等に使い、残り一割程度にまで預金を減らす。いよいよ危機感を覚えた彼はネットで聞き齧った生活保護とかいうものに手を出してみようかとも考えたが、よく分からなかったので早々に諦めた。

 そこでようやく彼は重い腰と重い腹を上げ、渋々働くことにした。タカシの母はその姿に涙を流し感動したという。

 しかしながらタカシのニート歴は伊達では無い。今ある中で着れる衣服は高校時代より繰り返し着ている薄汚れたジャージのみ、就活失敗以来伸ばしぱなしの油ぎった長髪、それと肥えに肥えた肥満体、そしてニート生活で退化したコミュニケーション能力のコンビネーションによりものの見事にバイトの面接三連敗。

 不貞寝でもしたいところだが腹が減って寝ることも出来ない。食い逃げでもしてやろうかとも考えたが、親以外には度胸のないタカシにはとても無理な行為であった。

 そこで再び母の救いの手が差し出される。母は自身の弟、タカシの叔父にあたる人を召喚した。その叔父は大手コンビニチェーンの重役で、姉の頼みならと快く承諾。

 面接惨敗によりチンケなプライドが折れかけていたタカシだったが、菓子折りと共にやって来た母の熱心なすすめにより、近場のコンビニの夜勤バイトに応募。見事やたら簡単であった面接を突破してバイトとして雇われることとなったのである。


 元々要領自体は悪くないタカシであった為、仕事自体は二週間足らずでそつなく覚えた。ニート生活により落ちた体力と増えた体重、元からあまり無い気力の為、仕事ぶりはあまり良くは無いが。

 同じく夜勤として働く同僚には冴えない大学生の男と、元ヤンくさいプリン頭の女性、雇われ店長のこれまた冴えない中年男性がいるが、コミュ障たるタカシは事務的な会話くらいしかしていない。

 今日も今日とて少ない客相手にスマホポチポチプリン女と2オペですか、と頭の中で一人ごちる。略してスマポチプリンとタカシはあだ名を付けている。理由はレジ打ちの時以外四六時中スマホをいじり倒しているからだ。 

 派手な女は好かん、とメガネを掛け直しながら鼻を鳴らすタカシだが、かれこれ四年間母親以外の女性とまともに会話していない。

 この女との虚無な時間が早くすぎるよう心を無にしようとしている矢先の事だ。

 入店の印である電子音に、天井と壁の境目を見つめながら虚無らっしゃっせを無心で放っていると、隣のスマポチプリンが「わっ」とあまり可愛げのない悲鳴をあげた。


「?」


 スマポチプリンの顔を覗く。いつもは目が合うと養豚場の豚を見るかの様な目つきをする彼女がタカシ越しに扉の方を驚愕の表情で見つめていた。よくよく見ると可愛い顔しているな、などとボケた事を考えたタカシがワンテンポ遅れて客がやって来た自動ドアの方に顔を向けた。


「びょ!?」


 盛大に唾と鼻水を飛ばしながら飛び上がる。

 その巨体からは想像もつかないくらいジャンプした。

 二人の視線の先に立っていたのはコンビニ強盗…ではなく、濡れた黒髪の幽霊女…でもなく、銀髪に赤の瞳、凛と立つ獣の耳の西洋少女…などでも無いどうにも形容し難い生物であった。

 身長はおおよそ三m近くはあるか、天井で反るという奇妙な猫背のソレは人型ではあるが虫に近い見た目をしていた。

 天井から直接こちらを見下ろす二対の巨大な複眼、頭頂部から伸びた鞭のような二本の長い触覚が何かを確かめるかの如くひっきりなしに動き続けている。ペンチを思わせる大顎が軋んだ音を出しながら左右に開閉を繰り返し、口吻からは粘着質な液体が垂れ流れている。

 生えている腕は左右に二対で、膝下まで届くほどに長い。その姿はまるでゴキ…いやこれ以上はやめておこう。その生物は計四本の節の多い甲殻類に似た質感の、茶色く長い腕をこちらに向かって伸ばし始めた。

 はっ、はっ、はっ…短い息が断続して吐き出される。自分のものかと思えば隣のスマポチプリンが白に近い青褪めた顔で、後ろに一歩引いた。

 昆虫人間の触覚がプリンの方に向かう。ギチュギチュと粘着質な声を上げながら身体を折り曲げ、その身を彼女に近づけていく。瞬間、彼女に限界が来た。口をパクパクさせていた彼女が、悲鳴を絞り出しながらレジから身を乗り出して逃げ出そうとする。


「わ、あ、あぁ!!!っぐぇ!」


 悲鳴が途切れた。タカシが彼女を取り押さえた為だ。乱暴に床に組み伏され、口元を塞がれた彼女が大暴れする。しかし、タカシの大柄な体に押さえ付けられるとろくに抵抗も出来ずにいた。

 彼女はタカシに裏切られたと考えた。このブタ野郎は自分のことをこの虫の怪物に餌に差し出そうとしている。怒りと悔しさに、口を塞ぐ彼の手に必死に噛み付くが、ふと気がついた。自分以外の全てが静寂に包まれている。

 目線をタカシに向ければ、彼は滝汗を流しながらも今までにない真剣な顔つきで昆虫人間の方を向いていることに気がついた。タカシが口を動かした。言葉ではない音を、出していた。

 対してギチギチ、キシキシ、と虫の大顎が蠢いた。


『おま、つり。お、まつ、り。おみやげ、おmiyaゲ。ふぁみ、ちき、くださi』

『う、承りました。ただ今、ご用意させていただきます…』


 彼女には昆虫人間とタカシが何を会話しているのか、そもそもそれが会話なのかすら理解出来ない。かろうじて、どこか規則的な音として認識できるくらいであった。

 タカシがプリンから離れると、急いであるだけのホットスナックを袋詰めし始める。そして、その全てを包み終えると、目の前の昆虫人間に平身低頭差し出した。

 差し出された大量の揚げ物を枝のような腕で器用に掴み取り、キロキロと複眼を動かしてしばらくソレを眺めていたかと思うと、カチカチカチカチ、と大顎を打ち鳴らし始めた。タカシの全身に再び滝のような汗が流れ出る。


『お、ぼえた、おま、え、おぼ、e、た』

『…こ、光栄に御座います』


 そう答えると昆虫人間は満足したのか、ギチギチと関節を鳴らしながら後ろに退いて、店を出る。足音が遠くなるまで、タカシは床に頭を付けたまま微動だにしないでいた。

 おおよそ十分ほどだろうか。しばらくの時が経ち、呆けていたプリンがようやく再起動する。今の今までまるで興味のなかったタカシの胸ぐらに掴み掛かり、事情の一切合切を聞きに掛かる。


「あんた、よくも…!じゃなくって、い、今の…なに!あんた何したの…?」

「せ、せせせ精霊だ、です。たた多分、虫系の大精霊…。怒りを買うとまずいから、取り押さえた…させてもらいまし、た。ごごご、ごめんなさいっ。精霊語は大学時代に、修めたから大体は解るから…彼と会話して帰って頂いたと言うか…」

「はぁ!?でも、そんなの…。いや、でも…!…そうとしか言いようがない…か」


 しどろもどろながらの説明は、最初から最後まで理解し難い事ばかりだったが、今の光景を見る限り否定できる材料など無かった。彼の言葉をゆっくり咀嚼し飲み込むと、彼女はふぅと長い息を吐く。そして、後頭部を掻きながら下を向いていたかと思うと、自身の無知から怪我をさせた後悔と、彼に助けられたことへの感謝を口にする。


「あーっ…その、さ、さんきゅーな。か、噛んだりしてごめんな?えっと…タカシ、さん?」

「ど、どどどどどどど、どぅってことななかなか、なかたです。プ、プリンしゃん」

「プリンて誰だよ」

「へ、あ」


 胸をドンと叩くが、緊張からか噛みに噛んでどもりにどもった。失言もしてしまった。顔が熱く、目がキョロキョロ泳ぐ。冷静気取ってメガネをクイクイ掛け直すがその落ち着かない様子にぶはっ、とプリンが吹き出した。腹を抱えて気持ちのいいくらい大きな声で笑い始めた。

 タカシもつられて引き攣り気味にエヘエヘ笑った。なんだか、どうしてか、久しぶりに涙が出てしまうくらい笑ってしまったのである。


「え、お前年下なの!?」

「に、にに二十六ですけどなにか」


 手に包帯を巻いて貰いながら、彼は目の前の女性、プリンの名前を初めて知った。彼女が自分よりも二つ年上なのも初めて知った。


 高志たかし如仁弟風じょにーでっぷ。四年ぶり、躍進の時である。


「タカシって名字なの!?」


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