冒頭C 12月20日PM11:15 二代目の男

「げぅ!げぇ!」


 冷たい雨の降り頻る中、ボロ雑巾さながらにホスト風の男が水溜まりの中に倒れ込んだ。殴られた腹を抑えて、弾かれたコマの様にのたうち回る。


 舞台は明るい風俗街、そこからほんの僅か裏に逸れた通りだ。ただ少し表通りから外れただけなのに、その場所は妙に薄暗く、死んだ様な灰色の街並みが広がっていた。

 既に何度も殴打されたのであろう、大きく腫れ上がったホストの男の顔は、血に涙に濡れて恐怖に染まりきっている。

 そんな哀れな男を囲むのは五人の男達だ。そのうちの一人、オールバックの男が血に濡れた拳でホストの髪を掴み上げ、怒りの形相で睨みつける。


「うちのシマで舐めた真似しやがってボケが。小丸こまるさん。こいつ、どうしますか」

「…前歯、上の前歯2本や。それで許したれ」


 そう答えたのは紫色の派手なスーツに身を包んだ小柄な男だ。自身の上前歯二本を指差しながら、オールバックの男にそう指示を出した。

 小丸と呼ばれた彼はおそらく集団のリーダーであった。彼を中心に、彼の一挙一動に気を遣いながら周囲の男たちが行動を取っている。

 集団の中、他の誰よりも小さく若い風貌の彼はそれ以上何も言う気はないのか、背を向けて胸元からタバコを一本取り出し口に咥えた。傍らの壮年の男が火を付ける。

 小丸の言葉に「おっ」と声をあげたのは短髪の青年だ。縦横無尽に駆け巡る龍の剃り込みが特徴的な彼は、へへへ、と薄い笑い声を上げながら小丸の傍から離れた。

 雨に濡れるのを気にもせず、ぱちゃぱちゃと跳ねる様な軽快な歩みで近づくと、オールバックの男がほんの少し顔を顰めた。

 男の傍らからズイッと、ホストの顔を覗き込む。ぐずぐずの泣き顔の男の顔を確認して、にへらと幼児の様な明るい笑顔を浮かべた。


「あーあー、お兄ちゃん可哀想にな!腫れてもうてるけどイケメンさんやんけ〜。かわええツラしとんのに、前歯欠けたらもう見てられへんなぁ!」

「黙れ牧狛まきこま。前歯2本だ。それだけだ。さっさとすませて行くぞ」


 オールバックと剃り込みの二人が話している内に、小丸はタバコを吸い終えたらしい。

 ふぅーっ、とため息を吐く様に、肺の奥の奥まで溜まっていた白煙を吐き出すと、小さく「行くで」と呟いた。

 ホストの方を振り返る事もなく、表通りの方へ水溜りを鳴らして行く。


「あいあい。ほないくでお兄ちゃん!気合い入れや。ごっつ痛いで我慢しいや!いち、に、さん!でいくで!」


 男の口をこじ開け、剃り込みの青年は親指の腹を上前歯に押し当てた。

 暴れる男をオールバックの方が、羽交締めにしていた。身動きの取れない彼は首を振り抵抗する。口の開閉の自由すら奪われ、その時が来るのも時間の問題であった。


「あがっ、あがが!やめへ!やめへぇ!」

「いち、に、さん!やで!いち、にぃ、の!」

「やめへぇ!」

「さん、でいくんや!なはは!びびった?なぁびびった?おもろかった?なぁ、おもろかったかって聞いてんねん。リアクションしてぇや、なぁ」


 親しげに声をかけていた剃り込みの青年だが、男の反応が悪いことに腹を立てたらしい。初めは無邪気な笑みを浮かべていた彼だが、次第に不快そうに顔を歪めていく。

 その様子に、男を拘束していたオールバックが呆れた風に鼻で息を吐く。どうやらいつものことの様だ。

 そんな事は露も知らないのはホストの男だ。小さな悲鳴を上げながら、目の前の青年が表情を曇らせていく様を見せられていた。どうしてこんな事になった、と後悔してももう遅い。ちょっとした小遣い稼ぎに、客の一人に割りのいいアルバイトを紹介してもらって、渡された粉末をこっそり売り捌いていただけなのに。覚醒剤あたりだろうと思っていたが、まさかここまで怒りを買うとは思いもしていなかった、こんな事になると分かっていたらやる筈無かった、オレだけが悪いんじゃないだろ、と頭の中で言い訳が巡る。

 しかし、今は目の前の剃り込みの彼をどうにかしなければならない。冷たさに強張った表情筋を無理矢理動かして笑い顔を作る。そうしなければ、確実に殺されると思ったからだ。


「えへ、…へ、へ」

「笑ってんなやこら」


 ぱきっ、と軽い破砕音が小さく鳴った。声にならない悲鳴は雨音に飲み込まれた。


 暖色の強い丸型ライトに照らされて、夜深いにも関わらず繁華街は昼同然に明るかった。雨足により、人通りは普段のそれより少なくはあるがそれでも賑わっていると言えるだろう。その多くが酔っ払い、女連れと乱れているのはそう言った店の多い通りだからだ。

 騒がしい通りの中を、男が三人歩いていた。紫色のスーツを着込んだ小柄な青年を、壮年の男二人が挟んでいた。中心に立つ小柄な青年、小丸こまるに対し、濡れた傘を畳みながら傍らの男が話しかけた。


「あの男おそらく利用されただけでしょうな」

「わかっとるわそんなもん。誰や、ほんま。めんどいもん持ち込みよって」


 先程からは思えないくらい小丸は饒舌に話した。その姿は年さながらだ。壮年の男とは近しい間柄なのだろう。会話振りからその様子が伺える。


「…アレの出所はまだ調査中で。『三大好さんたいこう』の方々にも動いて頂いております」

「あぁ、頼んだで。…はぁ〜あ、アイツらなぁ。仕事出来るけど、癖強いねんなぁ」


 上を向き、ぼやく小丸に「えぇ」、「仰る通りで」と二人の壮年の男たちがしみじみとした顔で相槌を打つ。

 しみじみとしていたのも束の間のことだ。店先でタバコを吹かしていた一人の女が小丸を見つけて声をあげた。


「あー!与きっちゃん!寄ってってよ!酷い雨だから今日は閑古鳥が鳴いちゃってさー!」

「お、二代目!いい酒入ったんですがどうです!サービスしまっせ!」

「新メニュー作ってたねん!味見してって!」


 女性の声を皮切りに繁華街の喧騒は別の意味合いを持ち始める。誰も彼もが小丸に対し、好意的に声を掛けてくるではないか。ひらひらと手を振りながら、小丸は社交的に挨拶を返していく。


「おー。せやなー。ちょっとだけ引っ掛けてこかな」

「坊ちゃん…」

「よろしいんで?」

「まだ何もわからんのに考えすぎてもしゃーないやろ。オレもオレのツテあるからそいつに探らせとく。今はな、難しい顔してシマの連中心配させるのが一番あかんやろ」


 舐めた真似したクソッタレ共は歯二本程度じゃ済まさんけどな、と締めくくり、青年小丸はお共を引き連れて、よく見知った顔馴染みの店へ足を運んだ。


さかねずみ小丸与鬼一こまるよきち


 江戸時代よりこの地域一体をシマとする永泰えいたい組。彼はその跡取り息子だ。

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